海想ふ   作:うずつるぎ

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第1話

 

「ねぇ、お兄さん」

 

 遠い記憶が蘇る。

 暗い牢獄の中、少女は削げた頬を儚く緩めて、そう言った。

 

「お兄さんの幌馬車で、私を海まで連れて行ってよ」

 

 

 ♦♦♦

 

 

──護衛を、雇ってくるべきだったか。

 

 イレーゾは森中で草葉の揺れる妙な音を聞いたその時、行商人の勘というやつに、2度目の後悔を告げられた感覚を持った。

 

「ぶるるる……!」

 

 馬は幌馬車を引く脚が止め、まるで威嚇でもするように嘶きを洩らす。

 ここは魔除けの森の中。だのに、ひやりと背筋を這うような空気が木立を流れ、イレーゾは跨った馬の手綱を強く握る。

 

 そして。

 

「な、なんだ……?」

 

 音が、聞こえた。

 それは、ひたり、ひたりと、水に濡れた素足が草葉を踏み締めるような音だ。

 

 イレーゾは錆び付いたネジを回すように、茂みへゆっくりと首を向けて。

 

 ()()()()()()()()()が、木漏れ日に陰る森から躍り出る様を見た。

 

「イ、ギィ……!」

「ッ!?!?」

 

 ギョロリと、今にも破裂しそうに血走った目玉が、イレーゾを射抜く。

 人族の大人程度ほどの体躯をした化け物は、ニヤリと、剥き出しの歯肉から粘性の高い唾液を滴り落とした。

 

 

 逃げなくては。

 

 

 思った途端──小鬼に似た化け物は、歪に痩せた背をこちらへ向けて。

 

「……は……?」

 

 思わず唇から零れ落ちた戸惑い。

 どうやらあの化け物は、この場を退いてくれるらしい。

 助かった。イレーゾは深くため息を吐き出し、化け物が去り行く姿を見送って。

 

 ぐるりと覗く、血走ったギョロ目。

 

グゼァエヤァガアゥアッッッ!!

 

 

 化け物はいきなりこちらへ翻り、涎をまき散らしながら駆け出した。

 

 

「うわぁぁああぁ!?」

 

 四肢を不気味にぶらぶらと揺らした小鬼の疾走。

 その緩急に引き摺り込まれて、イレーゾは我知らず、馬体から転げ落ちて尻餅を着く。

 

 腰の抜けた身体を藻掻けども、身体は、氷の魔術に囚われたみたいに動かない。

 

「た、たしゅけて……っ!!」 

 

 呂律は上手く回らぬ。

 増々と化け物の足音は近づく。

 イレーゾは両手を組んで女神様へ祈りを捧げ、来たるべき死を予感して。

 

 

「──()()()()()()

 

 

 救済の鐘音が、静寂の木立を響いた。

 

 

 ♦♦♦

 

 

 ボトリと、何かが大地に落ちる音が、イレーゾの魂を現実に呼び戻した。

 

「もう、大丈夫だ」

 

 まだ幼さを残した声。

 いつまで経っても身体を傷つけられる気配が訪れず、ゆっくりと、強張った瞼を持ち上げる。

 

 目から光を失くした化け物の頭が、目と鼻の先で、ごろりと転がっている。

 

「ハッ……ハハッ……!」

 

 死んだと思ったら生きていた。自分を殺すはずの化け物は、首を泣き別れになっていた。

 もはや事態が上手く呑み込めず、無意識に頬が引き攣る。

 

 安全を認識した身体は、泥のように弛緩して──ザっと、視界を割り入る冒険靴。

 

「立てるか?」

 

 見上げると、深緑の外套に身を包んだ少女が、イレーゾヘ手を差し伸べていた。

 

 背丈はそれほど高くない。

 長く伸びた、青っぽい黒髪、輝く黄金の丸い瞳。

 竜鱗みたいに艶やかなローブを身に纏った少女は、16、17ほどと見える。

 

 その左手に握られた短剣が血を滴っている様子からして、彼が化け物を倒したようだ。

 

「君、は……?」

「ただの冒険者だよ」 

 

 魔獣の皮で編まれた冒険靴。その品質の良さから、彼が粗悪な冒険者とは一線を画する実力を持つことは伺える。

 イレーゾは差し出された右手を取って、どうにか立ち上がった。

 

「いやぁ……ありがとう、ありがとう。本当に、助かったよ」

「どういたしまして、と言っておこうか」

 

 木漏れ日を浴びた少年は、慣れた調子で血払いを済ませて。

 

「さて」

 

 男女構わず人を狂わせそうな美麗な笑み。

 

「対価をいただいても構わないな?」

 

 イレーゾはぐっと、胸の詰まるような感覚に後退った。

 

 やはり、姿がどうであれ冒険者か。金にはがめつい。なんとか値交渉を。

 しかし命を助けられた手前、そんなことができるはずもなく。

 

「あぁ、お代は要らないんだ。欲しいのは情報だ」

「……情報?」

「こんな辺境へ、あなたは何をしに?」

 

 イレーゾは引き攣る喉に生唾を吞み込み、商売用の笑みを仮面に張り付けた。

 

「この辺りには……アラリヤ村というのがあってね。僕はそこに向かっている途中なんだ」

 

 少女は顎に手を当てながら、ジロリと、碌に商品も載せていない幌馬車を眺める。

 

「護衛も居ないようだし……俺で良ければ、タダで同行しよう」

「い、良いのかい……?」

「あぁ。偶然、目的地が一致しているからな」

 

 無料を恐れよ。

 商人の鉄則を知ってはいるが──やはりというか、イレーゾは商人だった。

 

「じゃあ……お言葉に甘えるよ」

「よし、決まりだな」

 

 そう言って少女はこちらへ背を向ける。

 けれど直後、首だけ振り向いた。

 森に残滓を残した黄金の瞳が、何かを試すように細みを帯びて、イレーゾを映す。

 

「……アラリヤ村。それは確か──」

 

──()()()()()()()()()()()()()()()()()()……だったな?

 

 遠い日のこと。

 

『だから、リフィちゃん。それまでここで、待っててくれるかな?」

『……うんっ! 待ってるね、お兄さん!』

 

 暗い檻の中、やつれた顔を綻ばせた少女の姿が、脳裏を駆け巡る。

 

 一呼吸の間に、寄せては返る森の囁き。

 イレーゾは思わず林冠に青空を仰ぎ、小さく息を吐いた。

 

「……あぁ、そうだよ。あの村は、人を魔に堕としてしまう土地なんだ」

 

 

 




 今日から毎日投稿します。
 よろしくお願いします。

【相談】『未来視で幼馴染のことが分かるんだが、絶望しかない』を読んでくださっている読者の皆様へ。どちらの文体の方が読みやすいですか。次回作の文体の参考にしたいと思っていますので、良ければご協力いただきたいです。よろしくお願いします。

  • 未来視で幼馴染のことが分かるんだが
  • 海想ふ
  • ちょっと固めなこっちも悪くはない
  • やはり文体は軽さ……軽さこそが至高……!
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