海想ふ   作:うずつるぎ

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第4話

 

 それまだ、アラリヤ村に人族が住んでいた頃のことだ。

 

「ごめんくださーい!!」

 

 幌馬車をガラガラと土道に引いて、畑だらけの村に響く良く張った声がある。

 

 中背中肉、無個性な顔。

 若さだけが取り柄のその男は、行商としてはまだ駆け出しだ。

 

 村で畑を耕すことから逃げ出して、商人の下での雑務も嫌になって。

 そうして全てから逃げ出してきた若い男は、今度は死神の鎌を掻い潜りながら、行商として生計を立てている。

 

「わざわざこんなところまでありがとうございます」

「おっ、久しぶりだなぁ! 行商人の兄ちゃん!!」

 

 鬱蒼とした森を抜ければ、幌馬車の影を見つけた村人たちが、温かい声を飛ばしてくれる。

 男は凱旋した英雄にでもなった気分で、村の中央広場に跨る馬を止めた。

 

「では、村長さん。いつも通り、小麦を買い取らせていただいても?」

「えぇえぇ。今期は豊作でしてな。前年よりも多くの麦がありますぞ」

「それはありがたい。ならばこちらも、少々色を付けさせていただきましょう」

 

 肌の焼けた農夫やその婦人が、せっせせっせと麦束を幌馬車付近に運んでいく。

 

「おや? イレーゾさん、小麦の束が一つ分少ない計算になっておりますぞ?」

「……あれ?」

「ここは……こうですなぁ」

「おいおい、一体どっちが商人なんだか!」

 

 焼けた農夫の一言に、ドッと舞い上がる笑い声。

 小麦の買取りが完了すれば、目が霞む者には眼鏡を。珍品を求む者には一風変わった干し魚を。 

 次々と上がる声を忙しなく聞き分け、男は荷台に積んだ商品を切り崩していたところ。

 

「お兄さん! これ、なぁに!」

 

 荷台からひょいと姿を現した少女が、蒼白の髪を風に揺らしながら、商品を抱えている。

 

「やぁ、リフィちゃん。久しぶりだね」

「うん! 久しぶり、お兄さん!」

 

 少女は晴天のような笑みで応えて、よいしょよいしょと荷台を降りる。

 

「おいおいリフィ。まーた兄ちゃんの幌馬車に忍び込んでたのか?」

「だって、お兄さんがなに持ってきたか気になるんだもん!」

「そりゃそうだがよぉ……」

「あまりイレーゾさんにご迷惑をかけてはいかんぞ?」

「わかってる!」

 

 その少女は、花よ蝶よとアラリヤ村で育まれていた。

 

 アラリヤ村は辺鄙なところにあるから、競合も少ない。

 そのうえ、この辺りには妙に魔物が出ないから、護衛を雇う必要もない。

 だから男はこの村を訪れている。

 

 つもりだが、実のところ、男がこの村を定期的に訪れているのは、読み本にしか見ないような理想の温かさに惹かれてのことだった。

 

「それでそれで、お兄さん。これは?」

 

 少女は我慢ならずに、ゴツゴツとした岩のような白い物体を指に突く。

 男は頬を緩めて、少女に応える。

 

「それはね、海に生きる貝の貝殻だよ」

「かい、がら……?」

 

 薄氷色の大きな瞳が、ぱちくりと瞬いた。

 

「こんなに大きいのが?」

「うん。硨磲貝っていう貝の仲間らしくてね、中でもこの貝は一段と大きいんだって」

「……海には、こんなにおっきな貝がたくさんいるの?」

「私もこの目で見たわけじゃないけれど、そうみたい」

 

 どれも、漁村に住む者から聞きかじった話である。

 それでも少女は目を輝かせ、その巨大な二枚貝をしげしげと見つめる。

 

「海ってすごいなぁ……!」

 

 頬を夕陽色に染める少女をみて、図らずも、嘆息が溢れる。

 

 蝶よ花よなどと言っているが、自分もまたその一人であることに、男は酷く無自覚だった。

 

 

 ♦♦♦

 

 

 異変が起きたのは、それから幾度か定期訪問が過ぎ去った後だった。

 

「イレーゾさん、ようこそ来てくださった」

 

 いつもは好き勝手幌馬車の中へ忍び込む彼女が、ある日を境に、姿一つ見せなくなったのだ。

 

「リフィちゃんは、どうしたんですか?」

 

 男は何とはなしに訊ねる。

 村長は男から目を逸らすように、村の奥へ聳える白を被った巨人のごとき連峰を映す。

 

「あぁ、あの子は……少々、体調を崩しておりまして。今は寝込んでおります」

「そうですか……なら、この薬草を使ってあげてください。すぐに快復しますよ」

「おぉ。これはどうも、ご丁寧にありがとうございます」

 

 次来る時には、彼女も元気な姿を見せてくれることだろう。

 そう思って男は村を後にし、けれども男が次にアラリヤ村を訪れた時にも、その次にも、少女はいない。

 

 いよいよこれはおかしいぞ、と男も勘付き始める。

 そうしてある時、男は村長の家を訪れ、少女のことを直接問い詰めた。

 

「村長さん。折り入ってお話が」

「はて。どうかしましたかね、イレーゾさん」

 

 とぼけたように首を傾げる村長。

 

「本当のことを教えてください。リフィちゃんは、どうしたんですか?」

 

 村長は露骨に目を逸らした。

 

 微かな沈黙が家内を満ちる。

 やがて、ゆっくりと声が響く。

 

「外の者には、伏せておくべきだとは思うのですが……せめて最後ぐらいは、あの子もイレーゾさんに会いたいでしょう」

 

 男は毒気を抜かれた心地だった。

 男はてっきり、少女が病熱に侵されて死んでしまったものだと考えていたのだ。

 

「……と、言うと……?」

「他言無用でお願いしますよ?」

 

 神妙な顔つきで言う村長。

 そして彼は一転して、いつもと変わらぬニコニコとした笑みを浮かべて、

 

「リフィ。あの子は()なのです」

 

 

「は?」

 

 

 村長は勇者の英雄譚でも語るような表情で続けた。

 

 

「言葉の通り、あの子は生贄となる為に生まれ、生贄として生を全うする。そういう子なのです」

 

 ぐわりと、視界が揺れる。

 知らぬ間に馬体から転げ落ちたみたいだ。上手く情報が纏まらない。村長は清々しい光でも浴びたように言葉を紡ぐ。

 

「なぜ、この近辺にはアラリヤ村しか村がないのか」

「イレーゾさんは、お考えになられたことがありますか?」

 

 窓の外に拝む、巨大な連峰。

 

「この村を北の山に向かって出て、少し離れたところ」

「そこに、()()()()()大穴があります」

「果実、魔物、岩石……そして人。あの大蛇はなんでも喰らう。そんな暴食の大蛇がいるからこそ、この辺りには魔物も人もいないのです」

 

 では、なぜあなた方は生きられているのか。

 

 背筋に冷水でも浴びせられたような恐ろしい戦慄に、男は声を震わせて。

 そして村長は止めを刺した。

 

「そうです。我らは10年に一度、村に生まれる青髪の娘を贄として捧げることで、この地で生き長らえることを許された」

「だから、あの子は贄として生を全うする。それがこの村の……いえ、この地に住まうものの掟、というわけですな」

 

 

 もう、言葉も出てこなかった。

 

 

「10日後、リフィは贄として、山の大穴に連れていかれます」

「しかしどうにも、あの子は元気が良すぎましてな」

「贄としての使命を全うする準備の為に、今は村はずれの倉におります」

 

 何が誇らしいのか、何が嬉しいのか、村長は人の身でありながら中身は魔人であるように笑みを湛える。

 

「次にイレーゾさんが村へと来られる頃には、もはや彼女はここにいないでしょう」

「最後に会って行かれてはどうですか?」

 

 男は、導かれるがままに立ち上がった。

 

 

 ♦♦♦

 

 

 村はずれの倉へ入ると、そこは薄闇ばかりが広がる空間だった。

 

「どうぞ、ごゆっくり」

 

 人知れぬ蔵に年端も行かぬ少女を閉じ込めておきながら、涼しい顔で陽の差す外へと立つ村長。

 扉の閉まる音に、木格子の向こうで少女の影が僅かながらに動く。

 痩せこけた薄青色の瞳が、虚ろに男の姿を反射した。

 

「……お兄、さん……?」

 

 夢の中でも歩くように、少女はふらりと、木格子を弱々しく両手に握る。

 

「どう、して……」

 

 男は、その問いに答えたくなかった。

 

「最近は、よく食べられているかい?」

 

 話を逸らすように言葉を返せば、少女は表情を曇らせて首を横に振る。

 

「……ううん。ご飯は、あんまり貰えない」

「それなら、ほら、たくさん食べると良い」

 

 せめてもと、男は幌馬車から持ってきたパンを木格子の隙間へ差し出す。

 

「あ、ありがと……!!」

 

 暗い檻の中、少女は両手を使って固焼きパンを貪った。

 

 痩せこけるほどに食事は与えられず、ぼろ切れのような布を服として着せられて。

 その姿はまるで、少女時代に取り残された人形のような扱いだ。

 

 男の持ってきた様々な保存食を小さな身体に詰め込むことで、なんとか、彼女は胃袋を慰めることが出来たようだった。

 食事が終わるや否や、彼女は以前と変わらぬ明るい笑顔を、倉の灯り代わりに輝かせる。

 

「お兄さん! 最近はあんまり会えてなかったでしょ? だから、海のお話たくさん聞かせてよ!」

 

 男は泣きたくなった。

 

 なりふり構わず涙を流したかったが──自分の行く末を理解しているであろう少女は、泣き言一つ零さずに笑っているのだから。

 男は懸命に笑みを作って、声を振り絞る。

 

「……そう、だね。例えば──」

 

 とある貝から生まれる真っ白な宝石のこと。

 大渦を生み出す海域のこと。

 海原に潜む巨大な蛸の魔物のこと。

 潮の満ち引きによって姿を現す島のこと。

 

 他にも、船虫の美味しい食べ方なんて下らない話から、海を渡る幽霊だなんて与太話まで。

 

 男は滔々と、海の物語を謡う。

 それぞれ別な話をする度に、少女は活劇を眺めるように百面相を作る。

 

 この瞬間だけは、男は少女と、以前と変わらぬ時間を過ごせているような気がして、

 

 だからこそ、男はひたすらに声を紡ぎ続けた。

 

 けれど、いつかは話題も尽きてしまって。

 

「……」

 

 これ以上は、物語に嘘が混じってしまう。

 倉を流れる重い沈黙。

 少女は両手を胸元に当てて、うっとりと、赤らむ頬から息を吐き出す。

 

「海って、やっぱりすごいなぁ……」

 

 そう言った少女は、もう、男の話題が尽きたことに気が付いたのだろう。

 

「……ねぇ、お兄さん」

 

 ふと、男を覗く薄水色の瞳。

 

 彼女はいたずらっぽく声を弾ませて、いつかと同じ問いを投げ掛けた。

 

 

「お兄さんの幌馬車で、私を海まで連れて行ってよ」

 

 

 男が持ってきた物は、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「……リフィちゃん。これ、開けてみて」

 

 男は木格子へ一歩迫って、ひも付きの布袋を垂らす。

 

「これは……?」

 

 布袋の中に入ったのは、奇妙な形をした砂粒。

 少女は一つを抓み上げ、太陽へかざすみたいに見上げる。

 

「それはね、星の砂だよ。夜空のお星さまが、海に落ちて来たものなんだ」

「星が、海に……?」

「うん。それも、どの海でも見つかるものじゃない。特別な海じゃないと採れないものなんだって」

「きれい……」

 

 それが、男が少女にしてやれることの限界だった。

 

 

 憧憬に満ちた目で砂粒を見つめていた少女は、やがて、声に戸惑いを乗せる。

 

「でも……こんな高価なもの、私が持っても、」

 

 男は身勝手だった。

 少女を連れ出す気はない癖に、その続きの言葉を言わせたくはなかった。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「だからこそ、だよ」

「え?」

「僕はまた、ここに戻って来る。そしてその時、リフィちゃんはその星の砂を僕に売りつけると良い」

 

 どこか判然とせず、見上げる蒼白の長髪。

 男は笑顔を取り繕って、人差し指を立てる。

 

「そうしたら、その星の砂を運賃に、私は君を海まで連れて行くことにするよ」 

「ただ働きはいけ好かない。私はあくまで、行商人だからね」 

 

 暗雲に隠れた太陽を覗いたように、生気を満ちる薄水色の瞳。

 

「だから、リフィちゃん。それまでここで待っててくれるかな?」

 

 男の欺瞞を取り違えた少女は、星の砂の入った布袋を、その小さな両手に握り締めた。

 

「……うんっ! 待ってるね、お兄さん!」

 

 その笑顔がとても嬉しそうだったから、男は、少女を見つめ返すことが出来なかった。

 

 

 それが、まだアラリヤ村に人族が住んでいた頃の話。

 

 男は優柔不断である。

 

 少女を連れ出し、村での利益を捨てること。

 或いは少女を見捨て、村で利益を享受し続けること。

 そのどちらかを選び抜くことが出来ず、結局、男は少女を見捨て、村での利益をも捨て去ることになった。

 

 これより先のことは、語るに及ばない。

 

 以来、男は二度とアラリヤ村を訪れなくなり、そうして幾ばくかの月日が流れた頃。

 

 

 人を魔に堕とす、曰く付きの土地がある。

 

 

 男は人伝いに、そのような噂を耳にした。

 

 

 ♦♦♦

 

 

「その男は、怖かったんだ」

 

 いつの間にやら、空が白んでいる。

 

「守れない約束を彼女にしてしまったことも、生贄を捧げながら平然と笑顔を向けてくる村人と取引を続けることも」

 

「だから、男は逃げ出した」

「選択を後回しにして、挙句に逃げ出して。そんな無様な男の現在が、この有様さ」

 

 これでかつての男のお話はおしまい。

 イレーゾは軽く瞼を伏せて、息を吐き出す。

 

「詰まらない話を聞かせてしまったね」

 

 篝火を守るように、深緑のローブは黙々と薪を投げ入れた。

 

「いや。眠らずに夜を明かすぐらいには、興味深い与太話だったさ」

 

 暫し篝火を眺めていたヨベルさんは、やがて、審判を下すようにゆっくりと翻る。

 

「……イレーゾさん。貴方は彼女に向けて懺悔をしなければ、前を向いて生きていけそうにはないか?」 

 

 そうだ。だから、あの井戸水を飲んで魔に身を落とさなければならない。

 イレーゾは静かに頷く。

 

 とすると、彼女はぐっとその場から立ち上がり、夜天を貫く連峰を指差した。

 

「ならば、確かめに行くとしようか」

 

「人を魔に堕とす井戸水の、その根源を」

 

 

 

【相談】『未来視で幼馴染のことが分かるんだが、絶望しかない』を読んでくださっている読者の皆様へ。どちらの文体の方が読みやすいですか。次回作の文体の参考にしたいと思っていますので、良ければご協力いただきたいです。よろしくお願いします。

  • 未来視で幼馴染のことが分かるんだが
  • 海想ふ
  • ちょっと固めなこっちも悪くはない
  • やはり文体は軽さ……軽さこそが至高……!
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