「願いというものは、往々にして望まぬ形で実現する」
凛々しさの中で甘さを帯びた顔が、篝火の傍で不服そうに歪む。
ヨベルさんはぐっと、震える右腕を握り込む。
「イレーゾさんの話を聞く限り、その少女は人を呪うような子には思えない」
「あぁ……彼女はとても、強い子だった」
奴隷を入れる檻のような暗い倉で、泣き言一つ零さなかった少女。
イレーゾが深く頷けば、ヨベルさんは黄金の瞳を伏せた。
「恐らく、呪いはあくまでも副作用」
彼女は再び、白い笠を被った連峰を見据える。
「だから、確かめに行こう。彼女が捧げられた大穴とやらを」
「そしてイレーゾさんは、その目で確かめるべきだ。少女が何を願い、何を望んだのかを」
スッと、差し出される左手。
イレーゾはぽっかりと口を開くばかりで、即応できなかった。
「で、でも……」
僕は化け物へと身を堕とし、少女へ懺悔しなければ。
篝火が静かに弾ける間が流れて、ポツリと、ヨベルさんは唇を動かす。
「もちろん、迷うようなら今の話は忘れてくれて構わない」
「或いは、命を失う可能性もある選択だからな」
その言葉に、イレーゾはハッと、口の端から空気を洩らした。
「……今更、誰が命を惜しむんだって?」
ニヤリと口角を上げて、伸ばされた手を掴む。
イレーゾはぐっと廃村の中心に立ち上がり、軽く片目を瞑った。
「冒険者協会は経由していないけれど、大穴への護衛を依頼するよ、ヨベルさん」
「望むところだ。聖女様のお墨付きの護衛力を見せてあげるよ」
その不敬なまでの冗談に、笑声が重なって、廃村の澱んだ空気を切り裂いた。
♦♦♦
北へ向かう山道は険しく、灰色の岩石を突起していた。
目指すは、村の奥から続く北部の大山脈。
巨大な岩石があちこちに並んでいて、今にも転げ落ちてきそうな急勾配である。
標高に合わせて肌を撫でる空気は冷たさを帯び、反して山を登る身体は熱を帯びて、口から白息を溢れた。
「よ、ようやく地面が……!」
イレーゾはやっとの思いで、山の中腹へと足を踏み入れて。
崖崩れに切り立った山肌が、ぐわりと、闇を喰らうように顎を大きく開く様を見た。
「これが、大穴……」
つるつると光沢を放つ灰色の岩肌は、まるで、そこだけ世界を切り取ったみたいだ。
イレーゾは見上げる形で、闇から這い出す苔やつる植物を把握する。
「コイツは、思った以上に深いかも知れないな」
「そうだね。灯りを準備していこう」
イレーゾが背負った革袋から松脂を取り出せば、ヨベルさんは色褪せた太陽みたいな結晶を、右肩に提げた革袋から取り出した。
「それは?」
「光輝石だ」
短い返事が、大闇の顎に吞まれて響く。
光輝石。それは山から産出する鉱物の一種だ。
内部に魔素をよく吸収しており、暗所においては淡い青色の光を発するのが特徴。灯りとして頼るにはちと弱く、鉱物としては、然程珍しいものではない。
「でも、なんだか色が不思議な光輝石だね」
光輝原石は総じて、海原みたいな濃く青っぽい見た目をしているものなのだが。
「加工品だからな。光輝石にちょっとした仕掛けを施したらしい。魔力を練ることさえ出来れば、灯り代わりに使えるのだとか」
「へぇ、灯りの魔道具ってことかい?」
「あぁ、こうすれば……」
強烈な白光が、彼女の右手から鉄砲水のごとく溢れ出した。
「……ものすごい光量だね」
「クソ、クルアの奴……これほどなんて聞いてないぞ」
彼女は薄い布を取り出し、発光する結晶を包んでランタンのように腰へ結び付けた。
「そんな代物、どこで手に入れたんだい? もしかして噂の聖女様から?」
「転移の魔女様からだよ。では、行こうか」
まるで散歩にでも出かけるような気軽さ。
ヨベルさんは光輝石で大穴に広がる浅瀬の闇を和らげて、足音を響かせる。
いつ、闇の向こうから大蛇が牙を剥き出しに飛び出してくるか分からないと言うのに、その足取りに迷いはない。
「お、置いて行かないでくれよ……!」
イレーゾは両足に鞭打ち、おっかなびっくりに黒闇へと呑み込まれた。
入り口こそ、巨大な顎を開いていた大穴。
しかし滑らかな岩肌を叩くにつれて、徐々にその大きさを狭めていく。
やがては手を思い切り伸ばせば天井の岩に手が届くような規模へ縮小し、それはまるで、蛇の食道みたいな空洞だった。
「しかし、ヨベルさんはすごいね。こんな異常事態なのに少しも気後れしていない」
「この手の専門だからな」
泡のように暗闇を浮かぶ光が二つ。お互いの声が、何重にも反響する。
洞穴を抜ける空気は一段と冷たく、ふと振り返れば、そこは闇。
当然、太陽の光は遠く消えて、生命の気配は感じない。
「……」
全面、黒い岩がイレーゾを徐々に圧迫するような感覚に、冷や汗が零れる。
一本道を辿っているうちに、自分がいま道を下っているのか上っているのかもよく分からなくなって。
そんな時に、ふと、前を歩く足音が止んだ。
「……ヨベルさん?」
同じく足を止めて、ピタリと固まった深緑のローブへ声を伸ばす。
とすると、黄金の瞳が闇に光って、ゆるりと翻る。
「イレーゾさん。この大穴には、大蛇が棲んでいると言ったな」
「うん。その強大な大蛇がいるからこそ、この近辺には魔物が現れないらしいよ」
未だそのような魔物とは出会っていないが、かつての記憶によれば、この大穴には大蛇が棲んでいるはずだ。
しかし、なぜ今になって、彼女はそのようなことを聞いたのか。
「見ろ」
そんな疑問へ答えるように、ヨベルさんは手持ちの明かりで前方を照らして。
巨大な白蛇の頭部が、闇の中からぬっと飛び出した。
「うわあぁぁぁあぁぁ!?」
情けなく震えた大声が、闇の深部へ続く洞穴を軋む。
思わず松明を放り投げて、ドンと、尻にぶつかる冷たい岩肌の感触。
イレーゾは腰を抜かしたまま一本道を引き返そうとしたところ、グイと、死神に肩を掴まれた。
「た、助けてくれぇぇぇえええッ!!」
「落ち着け、死骸だ」
彼女の呆れたような笑みを見たところで、イレーゾは、その蛇が既に過去のものであることに気が付いた。
「黒竜黒蛇だ」
ヨベル君さんそっと、白骨化した蛇の頭部を撫でる。
「数年と眠りに付き、目覚めては辺りを破壊し尽くす魔物。その脅威は折り紙付きで、冒険者でもコイツを手に負える奴はそういない」
湖を一口で飲み干してしまいそうな大口。
なるほど、これなら人など一挙に4匹は呑み込んでしまうだろう。
岩をも食べる悪食と聞いていたし、或いはこの洞穴は、黒竜黒蛇が掘り進めたものなのかもしれない。
立ち直ったイレーゾは大蛇の骨をじっくりと見つめ、1つ不審な点に気が付く。
「どうして……この大蛇は、洞穴の道中なんかで死んだんだろうね」
それはまるで、
それに、周辺の主が死んだのならば、どうして未だこの近辺に魔物は現れないのか。
なんでもない素振りで、ヨベルさんは一歩前に出る。
「簡単な話だ」
「え?」
「この洞穴の奥深くには、
振り上げられた拳は大蛇の白骨を陶器のように砕き割り、洞穴の続きを切り開いた。
洞穴は相変わらず、緩やかな山脈の内部を下っていく。
贄として大穴に捨てられた少女。
人を魔に堕とす呪い。
そして、大蛇の死。
その化け物とは……まさか。いや、しかし。
足音が一定に響く単調な道のりに、思考は深く沈む。
気が付くと、深緑の外套の背中にぶつかる。
「あぁ……ご、ごめん」
「構わない。それよりイレーゾさん、どうやらここからは一筋縄では行かないらしい」
ぐっと、何かを覗き込む形でヨベルさんは屈む。
同じく見下ろせば──洞穴はこれより先、井戸のように縦穴を貫いていた。
「地面は……それほど遠くないね」
松明を投げ入れれば、ほど近い位置から音が反響した。
闇を照らす明かりで着地点との距離を目測し、革袋から往来用の縄を取り出す。そして杭を岩壁に打ち付け、縄を固定した。
その作業の最中に、ぴちゃり。
これまで無音だった洞穴の中に、
「これは……水の音?」
「地下水脈だろうな。目的地は、もうすぐそこかも知れん」
先に様子を見てくる。
そう言ってヨベルさんがまず、縄を片手に颯爽と洞穴の奥底へ消える。
イレーゾは命の手綱へしがみつき、ゆっくりと、洞穴の深奥へ降下した。
ぴちゃぴちゃと、流れる川がぶつかり合うような。
或いは、ざざっと、波が寄り返すような。
地底が近づくにつれ、木霊する水音は数を増し、複雑に響き渡る。
その果てに足を着けた洞穴の奥底には──半球状にくり抜かれた、大空洞が。
「これは……」
砂浜の代わりに、濡れた岩盤を。
水平線の代わりに、果てを見せぬ暗闇を。
そして太陽の代わりに、岩壁に淡く照る光輝原石を。
星屑みたく天井の青い光を反射した海原の幻想に、イレーゾは図らずも息を吞む。
そんな中、とくとくと、どこからか水の注がれる音が聞こえる。
「……どうやら、お出ましらしいな」
音の発生源と向かい合う、深緑の外套。
イレーゾはゆっくりと、岩壁の浜辺へ目線を向けて。
小さな化け物が、
【相談】『未来視で幼馴染のことが分かるんだが、絶望しかない』を読んでくださっている読者の皆様へ。どちらの文体の方が読みやすいですか。次回作の文体の参考にしたいと思っていますので、良ければご協力いただきたいです。よろしくお願いします。
-
未来視で幼馴染のことが分かるんだが
-
海想ふ
-
ちょっと固めなこっちも悪くはない
-
やはり文体は軽さ……軽さこそが至高……!