海想ふ   作:うずつるぎ

6 / 6
第6話

 

「ねぇ、お兄さん」

 

 遠い記憶が蘇る。

 

 暗い牢獄の中、少女は削げた頬を儚く緩めて、そう言った。

 

「お兄さんの幌馬車で、私を海まで連れて行ってよ」

 

 

 ♦♦♦

 

 

 少女を模した化け物が一匹、暗闇へ消える水平線を見つめている。

 

 まるで水泡のように、完全な無色透明となったその身と髪。

 そしてその細い首には、懐かしい布袋が、今も提げられていた。

 

「……リフィ、ちゃん」

 

 ゆらりゆらりと、海波が寄せては返る。

 離岸流へ吞まれるように、イレーゾは彼女に右手を伸ばして、一歩、二歩。

 三歩繰り出そうとしたところで。

 

「待て。イレーゾさん」

 

 ぐいと、後ろから肩を掴んで引き戻される。

 

「見誤るな。あれは既に少女ではない。かつて少女であった名残りを持つ、ただの化け物だ」

 

 ヨベルさんの言う通り、少女は既に、人の身を捨てていた。

 全身からとめどなく体液を流す姿は、言うなれば、人の形をした液状魔物である。

 

「恐らくは、あれの体液が地底に海を作り、井戸水に繋がる水脈へと合流していたのだろう」

 

 それだけ言って、彼女は左腰に差した短剣を抜いた。

 背後から獲物を狙う狩人のごとく、着実に化け物との距離を縮めていく。

 

 彼女が今から、何をしようとしているのか。

 

 悟ったイレーゾは、衝動的に彼の前へと立ちはだかった。

 

「ま、待ってくれ! ヨベルさん、彼女は──」

 

 ぱしゅ。

 

 紙風船が潰れるような音が、浜辺の方から聞こえた。

 

 イレーゾは振り返ろうとして、ズキリ。

 右頬に走る異常な熱さに、とっさに頬へと手を当てる。

 

 そして。

 

「…………え?」

 

 

 イレーゾの右手は、ベタリと、赤色に濡れていた。

 

 

 認識した途端、鋭い痛みが右頬を広がる。

 どうして、己の頬から血が流れている。何かで斬りつけられたか?

 しかし原因だろう刃物は、地底の海には見当たらない。

 

 顔を顰めて前方の暗闇に目を凝らせば──糸のように細い何かが、洞穴の側面を穿っていて。

 

「ウ……ミ˝ャァァ˝ァ˝アアア˝ア˝──!!」

 

 猛り上がるおどろおどろしい高音の絶叫。

 海波が激しく浜辺へ押し寄せ、冷たい飛沫を背中に散らす。

 イレーゾは耳を塞いで振り返れば──無数の細かい体液が、地底の大空洞から降り注ぐ様が映る。

 

「下がれ!」

 

 グイと力強く掴まれる首元。

 イレーゾは浜辺の奥へと転がった。

 少女が透明な髪から発射した体液は槍の雨ようだ。

 辺りの岩盤に降り注いでは、岩を溶かすみたいに次から次へと貫通していく。

 

 が、イレーゾの元に脅威は及ばない。

 

 目にも止まらぬ短剣捌きが、迫るその細い体液をすべて斬り落としたのだ。

 

「キ……ィ˝ィ……!!」

 

 雨のような攻撃が止む。

 

 外敵が二匹、どちらも生存しているのが腹立たしいのだろう。

 化け物は本能に突き動かされて、少女の表情を酷く歪める。

 

「これで分かっただろう? 彼女はもう、その身も心も侵されている」

 

 浅瀬に浸る岩盤に、ばしゃりと、両膝が固くぶつかった。

 

「……案ずるな。無為に少女を傷付けるつもりはない」

 

 落とした目線の向こうから、労わるような声が温かく響く。

 

「一撃で、終わらせるさ」

 

 それだけ言い終えて、ヨベルさんは悠然なる足取りを響かせる。

 

 先の雨槍のような攻撃に、外套の裾さえ貫かせなかったその強さ。

 化け物は海を背に、後退る。

 

「聖剣の詠唱者よ」

 

 ぽちゃんと、地底の海に浸かる化け物の片足。

 ぐっと重心を落としたヨベルさんは、黄金の瞳を暗闇に光らせて。

 

「お前の力は人の毒となる。悪いが……ここで死んでもらうぞ」

 

 そう言った彼女は、浅瀬の岩盤を思い切り蹴り上げて。

 

 

 次の瞬間、ぶちりと、空間が捻じ切れた。

 

 

 気が付くと、お互いの位置を入れ替えているヨベル君と化け物。遅れて水面を鳴らす水飛沫。

 少女の目を大きく見開いた化け物は、その胸に、木の幹をくり抜いたような小さな穴を開いている。

 

「……え……?」

 

 まるで、何が起こったのか分からない。

 

 けれど、全てが終わった。

 

 淡く輝く光の玉を化け物の胸から奪い取ったヨベルさんを見て、それだけは確信できた。

 

「さて、イレーゾさん」

 

 ゆるりと拾い上げた短剣を鞘に収め、黄金の瞳は、壮大なる地底の海を遠望する。

 

「彼女は何を願い、何を望んだのだろうな」

 

 それはどこか、イレーゾを諭すような声色で。

 

「後のことは、貴方に任せるとするよ」

 

 振り返ったヨベル君は、とても優しい微笑みを浮かべていた。

 

 

 ♦♦♦

 

 

 ただ一目、海が見たかった。

 

 

 だから願った。

 一度で良いから、海を見てみたいと。

 

 願ったその日から、目の前には海が広がるようになった。

 

 海は青かった。

 広かった。

 美しかった。

 

 本当のことを言うと、海は思っていたよりも青くはなかった。

 けれど代わりに、浜辺に寄り返る波音の心地良さを知れた。

 海を照らす星々の神秘を知れた。

 

 だから、一目海を見られた私は、満足している。

 

 

 そのはずなのに、

 

 

 何かが足りない。

 

 

 憧れの海。首に下げた小さな布袋を見る度に、私は胸を空いた穴に寒くなる。

 けれど、何が足りぬかは分からぬまま、私は今日も海を見る。

 浜辺に腰を下ろし、海を見て、待つ。

 ただ待つ。

 

 結局、何が足りなかったのかを思い出せずに歳月は流れ、やがては何かが足りぬことも忘れてしまって。

 

 だけども、今日、私はようやく思い出せた気がする。

 

「……リフィちゃん。遅くなって、ごめん」

 

 いつもは誰もいないはずの浜辺に、今日は私以外の影が映る。

 ふと顔を上げれば、背の高い男の人が、弱々しく微笑んでいる。

 

 私はその笑顔を懐かしく思う。

 男は私と目線を合わせるようにしゃがみ込んで、花束の冠を扱うみたいに、首に下げた布袋を優しく両手に取り上げた。

 

「星の砂は、確かに受け取ったよ」

 

 それは、私の大切なもの。

 だけど、あなたなら、良い。なんとなく、そう思える。

 

「さぁ、約束通り、海を見に行こうか」

 

 そう言ってその誰かは、温かくて大きな手で、私を暗い場所から引っ張ってくれた。

 

 今日はなんだか、身体がとても軽い。

 今なら海鳥さんみたいにどこへだって飛んでいけそうで、私はゆっくりと、誰かと洞穴を辿る。

 

 もう、その目に暗い海は映らない。

 

 けれども、彼女は満足だった。

 

 

 ♦♦♦

 

 

 イレーゾが再び洞穴を出ると、無数の星々が、夜空を祝福していた。

 

 どうやら僕たちは、終日地底にいたらしい。

 暗闇に長らく入り浸っていたせいか、夜空に煌めく星の一つ一つが太陽のように眩しく思える。

 

 振り返ると、闇を孕んだ大穴。

 行きはあんなにも恐ろしく思えたそれが、今はなんだか名残惜しく思えた。

 

 野営を挟んで廃村へ引き返し、森の草を食って元気の良い愛馬の元へ辿り着く。

 太陽が頭上に登った頃、ヨベルさんを乗せた幌馬車は、見渡す限りの草原に伸びる主街道へと抜け出した。

 

「ここまで来たら、もう、魔物の心配はないな」

 

 終わりの言葉が、荷台からポツリと響く。

 イレーゾは石畳の敷かれた街道に馬を止め、護衛料を支払う。

 

 つもりが、荷台から降りた彼は受け取らない。

 

「欲しいモノは、確かに手に入ったからな」

 

 ヨベルさんは軽く左手を握ったり開いたりして、やんわりと護衛料を断った。

 

 さわりと、微風に草原がささやかな音楽を奏でる。

 水面のように揺らぐ草原に、流れる沈黙。

 イレーゾは陽光を受けて濃く輝く深緑の外套を眺める。

 

「ヨベルさんはこれから、どうするんだい?」

「聖都へ戻る」

「その道中に、立ち寄りたい場所もあるからな」

 

 彼女は決意の固い様子で言った。

 

「……そっか。じゃあ残念だけど、ヨベルさんとはここでお別れかな」

 

 元来、冒険者と行商人とはそのような物である。

 別れが重くならないよう、イレーゾはあっさりと笑ってみせた。

 

「イレーゾさんの方こそ、これからどうするつもりなんだ?」

「僕は海を目指すよ」

 

 迷いなき回答に、快晴の青空を見たみたく見開く黄金の瞳。

 それから、ヨベルさんは凛と甘い顔つきに、くつくつと笑みを響かせる。

 

「なるほど。それはまた、随分と思い切りの良い返事だな」

「約束、だったからね。運賃も受け取ったことだし」

 

 イレーゾは首に提げた皮袋を軽く握り、今もたくさん詰まった星の砂を実感した。

 

「今のイレーゾさんは、とても晴れ晴れしい顔をしているよ」

 

 ふと言われて、気が付く。

 自らが、自然と頬を綻ばせていることに。

 

「きっと、これは正しい選択だったからね」

 

 化け物にでも成り果てた私と、未だ暗い海に囚われる少女と。

 本来であればそんな結末が待っていたのだろうと、イレーゾは強く思う。

 

 なればこそ、ここまで導いてくれた彼女へ向けて、イレーゾは朗らかに笑顔を浮かべた。

 

「だから、素敵な選択をありがとう、ヨベルさん」

 

 彼女はとても眩しいものを見たように笑みを落とし、言葉を返した。

 

「……どういたしまして、とだけ言っておくよ」

 

 それだけ言って、彼女は背を向ける。

 

「では、な」

「うん。またどこかで」

 

 フードの付いた緑の外套。腰に下げた短剣。肩に下げた革袋。

 出会った時となんら変わらぬ彼女は、右手を挙げてイレーゾに別れを告げながら、一人広大な草原を歩いていく。

 

 曰く、聖剣を探している。聖女の護衛を務めた。転移の魔女との付き合いがある。

 

 まるで冗談みたいなそれらの話は、あながち嘘ではなかったのかもしれない。

 イレーゾはその輝かしい背中を見送りながら、なんとなく思った。

 

「さて、そろそろ私たちも行こうか」

 

 ぽつりと呟き、馬に飛び乗る。

 

「地上の海も、負けず劣らず美しい場所だからさ」

 

 イレーゾは馬体を手のひらで打ち、その手綱を確と握った。

 

 

 イレーゾは草原を征く。

 

 大地を胎動する蹄。

 ごうごうと響く車輪。

 清々しい空気を切るように進みながら、海のある街へと馬を走らせていく。

 

 緑の草原は広く、澄み渡る大空は青く……あぁ、世界がこんなにも輝いて見えるのは、いつ振りだろうか。

 

 イレーゾは図らずも笑みを零しながら、爽快なる風に身体を靡かせた。

 

「海、楽しみにしてるね!」

 

 少女の声が、聞こえた気がした。

 

 

『海想う』 

 




 ということで冬休みスペシャルの完結でございます。
 ここまで読んでくださった読者の皆様へ感謝を申し上げます。他にも色々物語を描いているので、良ければ筆者のマイページを覗いてみてください。

 最後にはなりますが、アンケートにご協力いただき、ありがとうございました。
 今後の作品作りの参考にさせていただきます。
 
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。