【完結】妖が如く、月と舞う。   作:askaK

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序章

 

 幼い頃から、手先は器用な方だ。絵を描くのも得意だし、工作も得意。何かを模倣するのが特に好きで、地元にいた頃は、近所の子供にポケモンのぬいぐるみを作ってやってはよく喜ばれたものだ。

 

 しかし、生きることに関しては、さほど器用な方ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――あらあら、まあまあ。君、何も知らないのにサインしちゃったの」

 

 仕事が終わるのはいつも午前六時頃。これから街が目を覚ますという朝方になって家へと帰り、昼間に就寝してまた夜に出勤するという昼夜逆転生活を送っている。

 

 この日も朝日が昇る前にな職場を出たところ、路地裏で待ち伏せていた男二人に突然呼び止められて、帰宅できずにいた。

 

「連帯保証人、って、具体的に何をすべきか知ってる?」

 

 話が長くなりそうだからこちらにおいで、と男共に誘われるがまま、ビルとビルの隙間にできた狭い路地裏に連れ込まれる。路地裏でゴミを漁っていたコラッタたちが、キィキィ鳴きながら逃げていくのが見えた。

 

 青年は、男たちに提示された紙切れ一枚をまじまじと見つめて、しかし何もわからないのでただ首を横に振ることしかできない。

 

 一つだけわかるのは、あまり楽しい話をされているわけではなさそうだ、ということ。

 

 『借用書』と銘打たれたその紙切れの末尾には、従兄弟の名前と、それから自分の名前が自筆で書き殴られていた。自分の名前には、「連帯保証人」というカテゴリーがされている。それが具体的に何なのかはよくわからないものの、自分の名前の筆跡には見覚えがある。――間違いなく、自分の手で書いたものであった。

 

「えーとね、つまり、早い話がね、君の従兄弟くん、お金を借りたはいいんだけど、返せなくなってトンズラしちゃったの。でも、借りたものは返さなくちゃいけないよね。大人だもんね、わかるよね」

「はあ……」

「んで、君は従兄弟くんの連帯保証人だから、従兄弟くんのかわりに返す義務というのが発生するんだよ。何かあって、従兄弟くんがお金を返せない状況に陥った場合は、君が返します、っていうね、これはそういう宣誓書なの。おわかり?」

 

 青年は目をパチパチと瞬かせるばかりであった。

 

 青年には、年上の従兄弟がいた。数年前に一念発起して、「新しいビジネスを始めるんだ!」と起業。しかし、親戚や家族中からの猛反対にあって、青年に泣きついてきたのだ。――誰も僕の夢を理解していくれない。君だけは味方をしてくれないか。味方をしてくれるのなら、ここにサインをしてほしい。

 

 青年は、従兄弟のことを大層慕っていたから、一も二もなくサインした。「新しいビジネス」とやらの詳細は説明されても理解できなかったけれど、憧れの彼の考えることなのだから、きっと素晴らしいものなのだろう。その程度の理解でもって簡単に受け入れた。

 

 ようやくそこまで記憶を手繰って思い出し、今目の前に突きつけられている書面がその時にサインしたものなのだと理解が追いついた。

 

 自らの夢を叶えるために多額の借金を抱えた従兄弟は、しかし果たして、今どこに行ってしまったのだろう――?

 

「あの……兄ちゃんは?」

 

 青年は、おずおずと書面を突きつけてきている男たちを見上げて問うてみた。

 

 従兄弟とは、実のところ一年以上連絡を取り合っていない。もちろん、その後どうしているかは気になっていたのだけれど、夢を叶えるために邁進しているであろう彼の邪魔をしてはいけないと考えていた。青年は、清掃業に就き安月給で暮らしているような身だ。こちらには時間が山程あれど、向こうにはわざわざ割くような暇もないだろう。

 

 そう思って遠慮するうちに月日が流れ――果たして彼は夢を叶えることができたのだろうか。

 

「従兄弟くんがどうしているかって? そんなの、俺らが知りたいくらいなんだよね」

「お金の作り方ならいくらでも教えてあげられるしさぁ」

「自殺されちゃうと保険下りないから面倒なんだけどね。死ぬなら死ぬで良い方法はいくらでもあるし」

「いきなりそんな話すんなよ。死ぬのは本当に本当に最終手段だぞ。そこまでしなくても大抵の場合、金返せるから」

 

 目の前でさらりと交わされるやりとりはあまりにも不穏であり、不穏すぎるために現実味がない。ただひたすら瞬いていると、二人組の柄の悪い男たちはにこりと微笑んだ。

 

「わからないままサインしちゃったとは言え、直筆だからね。効力はあるんだよ」

「従兄弟くんのことを応援していたんだよね。なら、従兄弟くんのためにお金を返すのも義務だよね」

 

 にこりと笑顔であるが、底しれぬ不気味さがある。思わず後ずさりするが、ビルの壁に背中があたり、これ以上後ろへ逃げることはできなかった。

 

 

 青年が、生まれ故郷の田舎を飛び出し都会へ出てきたのは三年ほど前のこと。特にこれと言ってやりたいことがあったわけではないけれど、憧れがあって都会までのこのこやってきた。

 

 もともと要領の良い方ではないわけで、高い生産性を求められる仕事に就いては失敗ばかりを繰り返してクビになり、結果、清掃業の派遣アルバイトに落ち着いた。手先は器用な方なので、決められたルーチンワークをこなすのであれば問題なく丁寧な仕事ができる。今はタマムシシティのデパート清掃員として派遣される毎日、いつも開店準備直前まで夜半デパート中を綺麗にしては朝方帰るという暮らしを続けていた。――正直、稼ぎはそれほど良くはない。

 

「兄ちゃんの借りたお金、返せばいいんですね……いくらですか?」

 

 それでも、従兄弟の夢を応援していたのは事実だ。従兄弟に何があったのかは不明であるが、彼のためになるのであれば、できることはしてやろうと、肩掛け鞄を探った。

 

 財布を取り出して中を見てみると、帰る前に朝ごはんを買おうと思って入れてきた程度の小銭だけ。家に帰ればもう少し貯金があるかな。でも、その程度。

 

 そんな青年の姿を見下ろして、男たちはポリポリと頬をかいた。

 

「あー、今ここで返せって話じゃないよ。無理だしね。今のままの仕事だと。君の給料、五十年分くらいあるからさ」

「利息もあるし、困ったねえ」

 

 五十年、と青年は口の中で呟いた。

 

 今後五十年間、借金生活が続くということであろうか。しかし、給料五十年分の借金があるということだとしたら、稼いだ金は全て返済にあてなくてはならないということになる。だが、稼ぐためには生活をしていかなくてはならないわけで、生活費はどうしたらいいのだろう。居住費は? 食費は?

 

 などと、必死に考えてみるものの、全く名案など思い浮かぶはずもない。

 

(これ、もしかして死ぬしかないのかしら)

 

 先程の、男たちの会話が思い起こされる。自殺では保険金が降りないが、死ぬなら死ぬで良い方法がある――ということは、何かしらお金を残して死ぬ方法があるのかもしれない。

 

 お前の稼ぎでは返済できないから命を落とせと言われたら、どうすればいいのだろう。

 

 目の前が真っ暗になりそうな心地になって、ふらと目眩がした。そして、そのままひっくり返りそうになった、その時である。

 

 

「――あ、アニキたち、ここにいたのか」

 

 

 路地裏をひょいと覗き込んで、もう一人男が現れた。

 

 たっぱのある上背の男で、黒い上着に黒いズボンを履いているのでまるで影のように見える。現れた巨大な影は威風堂々とやってきて、青年に迫る男たちに低い声色で話しかけた。

 

「今日の運びの仕事、無事完了しましたか」

「……んなの、てめえに心配される筋合いはねえんだよ。こっちはこっちでいろいろやることがあんの」

「夜明け前にさくっと片付けないと、目ぇつけられるとまずいんで」

「うるせえな。黙ってろよ」

 

 なにやら煙たがられている大きな影の男であるが、こちらに近付いてくるとビルからこぼれた光によって、わずかに顔が見えるようになった。

 

 骨ばった雄々しい顔つきをしており、腫れぼったい一重が特徴的である。喋り方は丁寧であるが、妙な威圧感を覚えるのは雰囲気故か、あるいはその顔つき故か――そしてふと、その顔つきが、青年の古い知り合いのものと重なった。

 

 

「――キィくん?」

 

 

 思わずその知り合いの呼び名をそのままぽつりとこぼすと、言い合いをしていた男共がちらとこちらを向いた。しまった余計なことを言ってしまったか、と思うが、もう遅い。男共の険しい目付きがまっすぐこちらへと注がれる。

 

 すると、「ああん?」と借金取りどもが怪訝そうな声をあげる一方で、その一重の瞳をまるまると見開いたのは、後から現れた上背の男であった。

 

「お前……トキワシティの?」

「……!! うん、そう……!! そうだよ、やっぱりキィくんだよね、すごい、久しぶり……!!」

 

 そんな場合ではないというのに、否、そんな場合ではないからこそ、古馴染みの登場を受けて思わず声が裏返った。

 

 久しぶり、というどころではない。恐らくもう、十数年以上は会っていない相手だ。よく一発で顔と名前を思い出すことができたものである。――もっとも、当時使っていた呼び名でしか思い出すことはできず、本名は忘れてしまったのだけれど。

 

 地元、トキワシティにおいて、十年以上前によく一緒に遊んでいた幼馴染であった。あの頃はまだ十歳とかその程度の年頃であったけれど、その腫れぼったい一重の顔に、当時の面影が残っている。

 昔から要領の悪かった青年を、よく面倒見てくれていた優しい近所のお兄さんであった。したがって、青年よりは数歳程度歳上ではあるはずだ。

 

 だが、その差はたった数歳のはずなのに、こうして対峙してみると、自分より一回りも二回りも大きく見えた。――それくらい、今目の前に立っている男には威圧的なオーラがある。

 

「お前……こんなところで、何をしている?」

「嬉しい……キィくん、俺のこと、覚えててくれたの……!」

「いや、今思い出した……俺のことをそんな呼び方するやつは、世界中探してもお前しかいない。――何かやらかしたのか」

 

 薄い眉毛をわずかにひそめて、とても再会を喜ぶような風ではない。

 

 「えーと、その」と今自分の置かれている状況をどう説明すれば良いのかわからず口ごもっていると、かわりに借金取り共がへへっと下卑た笑いを漏らした。

 

「なんだ、てめえの友達か」

「てめえがかわりに借金払うか? ――ほらよ」

 

 先程まで青年に向かって突きつけられていた借用書を、ペラッと借金取りたちは男に見せつけた。

 

「……まともに働いて返せる額じゃないな」

 

 男は背筋をピンと伸ばしたまま姿勢を崩すことなく借用書の中身を睥睨し、少しだけ目の端をピクと震わせる。

 

「連帯保証人か……借金の主はどいつだ?」

 

 突き刺すように問いかけられて、びくと思わず震え上がった。借金取りたちよりも、何故かこの古馴染みの男の方が「恐い」ような気がする。――自分の中には、彼に対して優しい近所のお兄ちゃんのイメージが残っているはずなのに、奇妙な話だ。

 

 この恐怖は、本能的なものか。

 

「え、えっと……借金したのは、俺じゃないんだけど、従兄弟がさ……夢があって、頑張ってたんだ。俺、応援しようと思ってて、それで……」

 

 この本能からくる恐怖を拭い去りたくて、無理やりにでも笑ってみせると、歪な笑みが浮かんだ。へらへらと、この場には似つかわしくない笑いが溢れてしまう。

 

 「優しいんだねえ」「従兄弟くんはどこにいっちゃったんだろうねえ」と借金取りどもが相槌を打つ中、険しい顔つきでチッと舌打ちしたのは上背の男であった。

 

「……先週ちょうど、うちの運転手が一人、バックれた。――お前、大型特殊は運転できるか?」

 

 射抜くような眼差しで問い掛けられて、へらへら笑いは引っ込んでしまう。青年はガクガクと縦に首を振った。

 

「運転することは、できる……免許はないけど、地元では、ブルドーザーとか運転してた……公道じゃないところね、仕事の手伝いで」

 

 昔から器用な方なので、運転は覚えてすぐにできるようになった。狭い道でも大型の車を転がせるため、田舎の農作業で重宝されて、繁忙期にはよく駆り出されたものだ。

 

 その経験が、何かに活かせるのであろうか。

 

 懸命に伝えてみると、上背の影男は顎をひいて「なら」と低く呟いた。

 

「なら、今日から大型特殊の運転をやれ。デパート清掃員の5倍は稼げる」

 

 どうしてデパート清掃員をやってることを知っているんだ、と思うが、清掃派遣会社のロゴの入った鞄を持っていることに気が付いた。こういう些細なことから物事を正確に読み取って、すぐに解決策を出してくれる――この男は昔から、とても賢かったという記憶がある。

 

「ご、5倍……すごいね。じゃあ、すぐに転職手続き取ってくる」

「派遣だろう。電話で辞めると言えばいい。手続きは先方が勝手にしてくれるはずだ」

「そんな、でも、お世話になったみんなに挨拶したりもしたいし」

「この仕事に就いてる間はまわりと少し距離を取ったほうがいい」

「なんで?」

「……。そもそも、今、この瞬間から働けと言ってるんだ。転職手続きなんぞしてる暇はない」

「でも、運転はできると思うけど、免許はとらないと……」

「免許? 金もねえのにどうやって取るんだ?」

「それは……」

「免許なんざいくらでも偽装できる。早く来い」

 

 なんだかとんでもないことを言われているような気がするが、愚鈍な青年の脳みそでは思考が追いつかない。

 

 とにかく、目の前の男は、自分を助けようとしてくれているのだ。だとしたら、言われたままに従うしかないではないか――と、そう考えることしかできなかった。

 

「へえ、お友達には優しいんだなぁ?」

 

 混乱する青年をよそに、揶揄するように言ってのけたのは借金取りの一人だ。背の高い影男の肩に肘を乗せ、借金取りが「キィくんよ?」と子供のときのあだ名で呼び掛ければ、男は鬱陶しそうに肘を払い除けた。

 

「優しさで話をしているわけじゃない。利害の一致、ただのビジネスだ」

「ふうん?」

「夜明け前に運びを片付ける必要がある。大型特殊の運転手がいない。そこに、運転できる奴を見つけた――それだけの話でしょう」

 

 棘のある言い方をしてギロと横目に睨みつけると、借金取りたちはわずかに怯みを見せた。

 

 その隙に、彼は踵を返して去っていく。去り際「さっさと来い」と言われたので、思考回路の追いつかぬまま、青年も彼の後を追った。

 

 

 

 まだ朝日も昇らぬ夜明け前。排水溝の中を移動するベトベターの腐臭が広がる路地の裏。

 

 

 ここから、青年の数奇な数カ月間が始まる。

 年上の幼馴染キィと一緒に働いた、この時のことを、一生忘れることはない――。

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