突然降って湧いた多額の借金。その返済のため、急遽斡旋されたのは、夜中にクレーン車を操作及び運転して巨大な荷物を運ぶ仕事であった。
毎日、夜3時頃、クレーン車に乗ってタマムシシティのゲームセンター裏で荷物を釣り上げる。頑丈に封をされた箱で、何が入っているのかは不明だ。が、重量があるため丁寧に積み上げて運ばないと危険である。
(時給が高いから、きっととても大切なものなんだろう)
中身の見えない不透明な仕事ではあるが、幼馴染の紹介してくれた貴重な働き先なので、深くは考えないことにしていた。
元働いていた清掃の派遣会社には、言われた通り電話一本で辞職の意を伝えた。それで大丈夫だと幼馴染には言われたけれども、やはり電話口ではいろいろと苦言を呈された。突然当日辞めると言われても困る、電話一本で辞めるだなんて常識がない――等々。
全て尤もだとは思うのだけど、多額の借金を抱えている今、この妙に気前の良い新しい職を逃すわけにはいかなかった。
全てを運び終わった後、タマムシシティの事務所に戻るとその場で現金で賃金を渡してくれる。そのインパクトたるや、言葉に表せないものがある。そのほとんどが返済に持っていかれてしまうわけだけど、これだけの価値のある仕事をしたのだと思うと、堪らない充足感があった。
ということで、この仕事を始めてから早一月程度。四度目の週末がやってきた。
いつも通りに午前3時にゲームセンター裏までやってくると、裏口から出てきた男たちに「よろしくお願いします」と挨拶をした。「おう、来たな」と応じてくれる男たちは、もともと青年の元に借金の督促にやってきた男たちだ。本来はこのゲームセンターの下にある組織の事務所で働いているらしい。
「今日はこいつを持ってけ」
指示された通りに、運び出された大きな荷物をクレーンで釣り上げて、荷台へと上げる。荷物は今日も頑丈に封じられており、中身は見えないが、人力では持ち上げられない重量であった。ぎっしりと、箱の中に何かが詰まっている。
男たちと事務的なやり取りを交わした後、クレーン付きトラックの運転席に乗り込むと、エンジンを入れた。いつもであれば、すぐに出発するところなのだが、今日は少し気になることがあって事務所の方を眺めて様子を伺う。
「どうした? さっさと行け」
男共に促されつつも、「ええ、ちょっと……」と口籠ったところ、丁度裏口の扉が開いてそこから黒いロングコートを羽織った男が一人やってきた。
「キィくん!」
青年をこの仕事に誘った、古馴染みだ。
彼は男たちにペコと軽く会釈のみすると何も言わずにトラックの助手席に乗り込んだ。
週末のみ、この幼馴染が仕事終わりでトラックに乗ってくる。どういう事情があるのかは不明だが、一緒にタマムシシティからトラックに乗って、東側の町シオンタウンまで移動するのだ。
青年は、週に一回、幼馴染を乗せて走るこの時間がとても好きだった。
「なんだ、てめえ? 仕事サボッてどこに行く気だ?」
「女にでも会いに行くのかな? 『キィくん』は人の女にも手を出すとんだ色狂いだからなぁ?」
突然現れた古馴染みに対して、男たちは嗤笑混じりの声をかけてくる。古馴染みの男はギロリと彼らを睨みつけると、低い声色で一言のみ応じた。
「事務所の仕事は終わったんで。次の仕事に行くだけですよ」
上下関係の厳しい組織の中で、古馴染みよりも事務所務めのこの男たちの方が立場的には上なのだと思う。故に、古馴染みは彼らに敬語を使っているようなのだが、どうにもその言葉の裏には彼らを見下すような雰囲気を感じた。それに気付いているのだろう、男共もカチンときたような表情をしている。
が、彼らに突っかかられる前に「行け」と命ぜられたので、青年はアクセルを踏んでトラックを前へと走らせた。後方で男共が何かしら罵詈雑言を吐き捨てたような気がしたが、トラックのエンジン音にまぎれて鮮明には聞き取れない。
青年はチラと助手席の彼の顔色を伺うが、いつも通り冷たい顔をしているその横顔からは、何ひとつ読み取ることはできなかった。
キィと呼ぶ、その古馴染みのことを、青年はまだよく知らない。
「――順調か?」
タマムシシティから東の方へ、裏道を通って抜けていく。カントーの中心部ヤマブキシティは大型特殊では通りにくいので、南側に大きく迂回して幅の広い道路を走っていった。同じように運送業の巨大トラックがこの迂回路を走っているが、それだけで、普通車の姿はない。
何しろ時刻は午後三時半。普通の人ならまだ眠っている時間だ。
「うん、いつも通り、順調。このペースならあと一時間くらいで到着するかな。いつもみたいに寝てていいよ」
青年は大きめのハンドルを片手で握りつつ、車内ラジオの音量をわずかに下げた。聞きたかった交通情報も終わったところ。イワヤマトンネル近くの幹線道路にイワークが飛び出してきて通行止めになっている他には変わった情報もなく、自分の使う道には何ら問題はなさそうだった。
助手席の男は、週末のみいつも事務所の仕事終わりでトラックに乗り込んでくるが、乗り込んできたからと言って特に何をするわけでもなく、助手席で爆睡している。彼が普段何の仕事をしているのか、青年は何も知らないが、いつも疲弊しきった顔で乗り込んでくるからには重労働なのだろう。移動した先のシオンタウンでも仕事があるのだと言うし、自分の運転するトラックに乗っている間くらい、リラックスして寝ていてくれれば良いと思う。それに、安心して眠っている彼の姿を見ていると、なんだかこちらも癒やされてきてとても満たされた心地になるのだ。――彼の役に立っていると、そんな風に錯覚することができるから。
しかし、今日の古馴染みは早々に眠る気はないらしい。
「順調かと聞いたのは、お前のことだ。――この仕事に就いて、一月以上経ったろう。問題なく稼いで金を返せているか?」
街灯の光が通りすぎるたびにスッスッと車内に白い線を描く。下り坂にさしかかり、ギアをチェンジしながら青年はパチパチと瞬いた。
「え? 俺のこと? ――うん、順調。毎日運転するだけでたくさん金がもらえてほんと助かってるよ」
大型特殊は大型特殊でも、クレーン車は青年が地元で運転していたブルドーザーとは少し勝手が違う。さすがに初日は手間取ったものだが、コツさえ覚えてしまえばあとは簡単だった。
無免許で公道を走ることへの後ろめたさはあるものの、今のところ何の問題も発生せず毎日を過ごしている。言われたことをただ淡々とこなすだけの作業は、ストレスも少なく、非常に楽だ。
「なら良いが――事務所であいつらと関わることも多いだろう。大丈夫か」
珍しく、古馴染みの男は眠らない。いつもなら乗り込んで最初の信号に差し掛かる頃には熟睡しているくらいなのに、今日は眠くないのだろうか。そんなことを思いながらも、彼と会話できること自体は嬉しくて、「うん」と明るく答えた。
「あいつらって……最初俺に借金督促しにきたお兄さんたち? ――大丈夫、全然問題ないよ。やることちゃんとやってれば、怒られることもないし」
「ならいいが。変な言いがかりつけられたりしてないか」
「平気。さっきも言ったけど、運転するだけでこんなに金がもらえるなんてすごい。本当助かってる」
「……と言っても、ほとんど返済に持ってかれるだろう。お前の暮らしが豊かになるわけじゃなし……相変わらず、お人好しだな」
相変わらず、という響きがくすぐったくて、青年はへへと笑った。
青年がキィと呼ぶ、その古馴染みによく遊んでもらっていたのは、今から十五年近くも前のことだ。
青年はまだ7歳とかそれくらいの年の頃、よく面倒を見てくれる近所のお兄さんである彼のことを、「キィくんキィくん」と呼んで、それはそれは懐いていたものだ。
彼の故郷、トキワシティは森のはずれに作られた小さな田舎町である。とは言え、最低限人々が暮らせるだけの施設は揃っていて、機能的には暮らしやすい町だった。しかし、田舎であるゆえに人の噂がすぐに蔓延する。
キィ少年の一家はなぜだか近所ではひどく倦厭されていて、青年も親からキツく「あの子に近付いたらだめよ」と言われていた。なので、幼い頃の青年は、必死に大人の目をかいくぐりながら、キィに会いにいったものだ。「お前、俺に会ったら親に怒られるだろ」とキィ少年に言われたので、「でも僕はキィくんと遊びたいんだもん」と言うと、「お前は人がいいな」と笑われた。
その、笑顔の印象が強かったためであろうか――青年は未だに彼にマイナスのイメージを抱いたことがない。
「……キィくんは、毎日忙しそうだね」
信号に間に合わず、ブレーキを踏む。ギアを戻しつつチラを横を見ると、男はコートの内ポケットからタバコのケースを取り出し「まあまあな」と低い声色で答えた。一服するということは、まだ眠るつもりはないらしい。
であれば、と、青年は意を決して聞いてみた。ここにきてから三週間、ずっと気になっていたことがある。
「あの……それとさ、その……気になってたんだけど……キィくん、虐められたりしてない?」
「……。……んあ?」
よほど予想外な問いかけだったのだろう。キィはタバコを一本口に咥えたまま、間の抜けた声を漏らした。
しかし、青年はふざけているわけではなく、いたって真面目だ。
はぐらかされることのないように、とまっすぐキィを見つめて「ねえ?」と問いかければ、男は腫れぼったい一重をぱちぱちと瞬かせること三度。それからタバコを口から取り出し「おい、信号青だぞ」と告げると、シガーソケットに手を伸ばした。
「あ、もう、はぐらかさないでよ……俺、本気で心配で」
「運転するのがお前の仕事だろ……真面目にやれ」
「ぐう……」
後続車もいるし信号を無視するわけにもいかないのでクラッチを踏んで発進する。「話は終わってないぞ」と告げると、キィは手に取ったシガーライターでタバコに火を付けて、フッと鼻で笑った。
「大方、あいつらになにか言われたんだろう。俺に関する謗言か」
あいつら、というのは事務所勤めの男たちだ。最初に青年に借金督促にやってきて、今は青年がクレーンで運ぶ荷物の指示をしてくれている。
おずおずと、青年は頷いた。
運ぶ荷物の受け渡しをするときに、業務指示だけでなく軽い雑談が生じることがある。それ自体は特に何ら問題ないのだけれど、雑談の中でたびたび彼らがキィの悪評を垂れ流してくるので、ずっとそれが気になって仕方なかったのだ。
「それを聞いて、俺への不信感を募らせるんじゃなく、俺が虐められてると思うあたりがお前らしいな」
着火も終わり、シガーライターをソケットに戻すと、男はタバコを吸った。窓を少しだけ開けて、白い煙をふわりとくゆらす。
「不信感なんて」と青年は小さくこぼした。
青年の中で、キィはいつまでも優しい近所のお兄さんだ。ただ、当たり前みたいにタバコを吸う彼の姿は幼い頃の記憶にはなく、少しだけ不思議な心地がした。
「――別に、虐めとかじゃあ、ない。あいつらが俺を嫌ってるだけのこと」
子供じゃあるまいし、ちょっとした好き嫌いなんぞでトラブルになんかならねえよ、と彼は言う。「でも」と青年が不安気に言葉を重ねると、ふふとキィは笑った。
「俺にとってはこの組織の中でうまくやっていくことが重要だからな。言いたい奴には適当に言わせておくんだよ」
彼が喋るたびに、白い煙が口元から溢れ出していく。青年は独特なタバコの煙の匂いに眉根を寄せつつ、「そうなんだ」と肩を竦めた。
「でも、俺はちょっと、嫌だよ……キィくんは優しいのに。彼らはキィくんのことを誤解しているのかな」
ハンドルをきって右折する。クレーンが対向車にぶつかることのないよう、車体は大きく回った。
「俺のことを優しいとか抜かすのはお前だけだが……まぁ、あいつらは俺に私怨があるからな」
「私怨?」
「俺に女を寝取られたと思っている」
「ねと……」
「正確に言うと少し違うんだが……向こうはそう思ってる」
思いもよらない告白に、驚いて彼の横顔を見つめた。特に何でもないことのように涼しい顔をして、彼は背もたれに寄り掛かってタバコをふかしている。
「一回、あいつの女とそれっぽいことになったことがあった。その後、俺の子供を孕んだと、女が証言しやがった」
「え……そんなの、向こうの子供かもしれないじゃないか」
運転席から身を乗り出して意見したところ、「余所見をするな、前を見ろ」と言われる。確かに夜道で余所見運転は危険だ。青年は慌ててハンドルを握り直した。
「当時、奴は数ヶ月くらい遠地の仕事に行ってて、女に会ってない。――計算があわねえそうだ」
「でも、キィくんの子供かどうか、なんて……」
「わからんな。そもそもほんとに中に突っ込んで出したかどうかも定かじゃない。記憶がないんだ」
「記憶がない……?」
「酒飲んだ時にヤクぶっこまれたらしくて、トンだ。――気付いた時には女と裸で寝てたってだけで、どこまで何をやったのか覚えてない」
「……」
であるなら、そんなのはただの言い掛かりではないのか。女が孕んだという子供も、キィの種ではない可能性の方が高かろう。女が勝手に浮気した挙げ句、子を孕んでしまったがために適当な言い訳に利用されただけなのではなかろうか。
「そんなことで逆恨みされるなんて……その女が悪いだろう。ちゃんと説明した方がいいんじゃないのか」
「向こうが女にゾッコンで、そう信じ込んじまってたからな。弁明して火に油を注ぐのも鬱陶しい」
女の一人や二人でぎゃあぎゃあ騒ぐのも面倒だ、と言って、彼は短くなった吸い殻を灰皿ポケットの中に放り込んだ。
それはすなわち、女を庇ったのと同義ではなかろうか。実際のところ何が起きたのか詳細は不明であるが、女が不貞を働いたことに違いはない。
それを知りながら、敢えて反論しなかった。そんな彼に、懐の深さのようなものを感じてしまう。
「……やっぱりキィくんは優しいな」
呟いて、今度は左折のウィンカーを光らせた。この交差点を曲がれば、シオンタウンのポケモンタワーの裏に出る。荷物の受け渡しはタワー裏で行われ、クレーンから荷物を下ろせば、任務完了だ。
「……あまり、人間の表面だけを見て語るものじゃない。人間だけではなく、万物において」
時刻は午前5時前。ポケモンの墓地であるタワーの裏には、人っこ一人いなかった。
「よくわからない。だって俺は、キィくんに助けられてばかりだし」
喋りながら荷物をクレーンで吊り上げて、指定の場所へ下ろす。青年は引き取り相手の顔を見たことがない。が、毎度翌日には置いた荷物がなくなりスペースが空いていることからして、誰かが持って行ってくれているのだろう。
これが何の荷物で、誰が何のために持っていくのかは、まるで不明であるが。
「――お前はこの世界には向かないな」
助手席の男は苦笑して、扉を開けると下車した。
週末のみ、クレーン車に同乗してくるこの男、シオンタウンに到着するなり降りて何処かに姿をくらましてしまう。荷物の内容物との同じように、彼がどこで何をしているのか、青年は何も知らない。
「早く金返して、田舎に帰んな」
そう言い残し、男はバタンと扉を閉めた。
スタスタと去っていく方向は、ポケモンタワーの向こう側だ。
これから何をしに行くのかはわからないが、彼には彼の仕事があるのだろう。にも関わらず、今日は一睡もせずに青年の話し相手をしてくれた。その上、最後にはこちらを慮るような言葉まで寄越してくれて。
(やっぱり、優しいじゃないか)
表面上からのみ判断しているつもりはない。それとも、これらの態度も含めて全て彼の一面でしかなく、本当は隠された裏の顔があると、そういうことなのだろうか――?
よくわからない、と青年は再び心の中で呟いた。だって、目に見えるものが世界の全てじゃないか。見えないものを、どうやった判断すればいい。
予定通り荷物を指定の場所へ置くと、クレーンのアームを畳んで、車を後進させた。向きを変えて、今度はタマムシシティに向かって走り出す。
ゲームセンター裏の車庫までクレーン車を戻して事務所に任務完了を伝えれば、その場で現金報酬がもらえることになっていた。今日も無事、予定額の返済ができそうである。
軽く、タバコの残り香が漂う。彼の姿のなくなった助手席は、心なし、寒々しく見えた。