そうこうしているうちに、あっという間に二月が過ぎた。
借金の返済は順調で、このまま続けていけば十年と少しで完済できそうだとのこと。引っ越しなどすることもなく、もともと住んでいたタマムシシティ外れのアパートに住み続けているし、最低限の生活は営めている。もともと散財するような趣味もなかったため、大きな不安を抱くことなく日々暮らすことができていた。
一時はどうなることかと思ったが、それもこれも全て、歳上の昔馴染みのおかげである。
青年にとって彼は、救世主にも等しかった。
そんなある日のことである。
いつも通り仕事を終えて事務所まで報酬を受け取りに足を運んだところ、「新しい仕事を増やして返済額を上げないか」と持ち掛けられた。
話を持ち掛けてきたのは、事務所勤めの男たち。当初青年に借金の督促に現れた男たちである。
女絡みのトラブルがあったとかなんとか、幼馴染のキィとは折り合いが悪いらしい。が、青年本人に対しては難癖をつけてくることもなく、穏和な関係を築けていたと思う。
ゆえに、彼らから新しい仕事の話を持ち掛けられた時、内容も聞かずに安請け合いしてしまった。それによって借金の返済が早く完了すると言われて非常に魅力的であったし、「自分にできることがあるなら」と、大金を叩いてくれる組織に報いたい気持ちもあった。
というわけで、指定された時刻はいつもより早い、日付の変わる頃。
運びの仕事はいつも午前3時から。それよりも一足早く事務所に来て、一作業終えてから運びもやってくれ、と、頼まれた。
(一体、どんな仕事なんだろうな)
昔から、手先だけは器用な方だ。だがいかんせん、イレギュラーの発生する仕事に向いていない。
マニュアル通りに進めていく単純作業なら良いなと思う。
派手に失敗をして、クビにはなりたくない。
そんなことを考えている間に、タマムシシティのゲームセンターの裏口に到着した。暗証番号を打ち込んで扉を開き、階段を下った先が事務所だ。
いつもは仕事の完了連絡をして報酬をもらうためだけに訪れる先であるが、今日はさらに事務所の奥にある扉び先に進むことになっている。
「お疲れ様です、よろしくお願いします」と頭を下げると、事務所のソファに腰掛けていた男――キィがぎょっとしたような表情でこちらを見上げてきた。
「……お前、何をしてる」
運びの仕事にはまだ早すぎる時刻だ。どうやら、青年が新しい仕事を始めようとしていることは、彼には伝わっていないらしい。
「新しい仕事ができるって聞いたから……」
「お前にできることはない。いつもの時間に来い」
ぴしゃりと拒絶されるような口調で言い渡される。彼は青年の要領の悪さを知っているから、案じてくれているのかもしれない。とは言え、せっかく仕事に誘ってもらえたのに挑戦もせずに帰るのも気が引けるなぁと戸惑っていると、事務所にいた他の男たちが「まあまあいいじゃないか」と声をあげた。
「運びの仕事だけじゃ、そいつの借金返し切るのに10年以上かかるだろ」
「仕事の幅を増やすのはそいつのためにもなるんじゃねえの」
「なあ?」と笑顔で同意を求められ、青年はおずおずと頷く。キィの渋い表情が気にかかるが、彼らの言葉に反論すべき点はない。
渋面を浮かべているキィも、それ以上は食い下がってくることはなかった。ただソファの上にどっしりと腰掛けたまま、難しそうな顔を続けるのみである。
「んじゃ、行くか」と軽い口調で借金取りたちに促され、連れて行かれたのは、事務所よりさらに奥へと進んだ先の部屋であった。
裏口とは異なる別の暗証番号でもって扉を開き、長い廊下を進んでいく。その突き当りに、陰気な部屋が一つ控えていた。
牢獄のような場所である。何かが獄の奥で蠢いているような気がするが、明かりが少なくてよく見えない。――なにやら、生ゴミのような腐った臭いがふんわりと漂う。
牢獄の前には一人の汚らしい老翁があぐらをかいて座り込んでおり、くちゃくちゃと口を鳴らしながら新聞を読んでいた。賭博関連の記事を読みながら、ウーとかアーとか唸り声をあげている。
「爺、新入りだ。よろしくな」
青年をここまで連れてきた男たちは、地べたに座り込んでいる老翁に向かって、一声かけた。老翁は新聞を睨みつけるのに必死で応じない。
しかし男どもは老翁の返事を待つことなく、そのまま廊下を引き返して戻って行ってしまった。取り残された青年は、何をすれば良いのかわからず、その場に佇むばかりである。
(この人に、新しい仕事を教えてもらえばいいのかな……)
老翁は冷たい廊下の上に直に腰を下ろして、「クソックソッ」と小さく吐き捨てていた。文字が読めるのだから、会話のできる相手だとは思うのだけれど、ちっとも話をしてくれる気がなさそうだ。
どうしたら良いのかなと思いながら顔をあげると、ふと、牢獄のような小部屋の中に、何かの気配を感じた。光源がないのでよく見えないが、それは、生き物だ。目を凝らしてよくよく見てみれば、一匹二匹の規模ではない――総勢数十匹程度の小柄なポケモンたちが、牢に閉じ込められている。
(ここは、一体……??)
ガラスのように透けた壁の向こう側、しかし動物園の飼育小屋ほど頑丈なつくりはしていない牢獄だ。一瞬、ここでポケモンたちを飼っているのかなとも思ったのだが、それにしてはあまりにも劣悪な環境と思えた。
地下に作られた牢獄に、光は差さない。気温は寒いし床は冷たいし、衛生的にも見えなかった。先程から腐った生ゴミみたいな臭いが漂っているし、水や餌が豊富に置いてあるとも思えない。
一体、何をする場所なのだろう、と青年が困惑していると、突如背後から「あーーーー!!」と雄叫びが響いた。
突然のことにびくっと全身震わせて振り返れば、老翁が持っていた新聞をビリビリに破きつつ、窪んだ目でこちらを睨みつけてくる。
「見てんじゃねえぞ、新人!! てめぇこのやろう!!」
口を開けば、数本歯が抜けていた。その影響であろう、滑舌が恐ろしく悪い。
「今日だけは特別に教えてやるが、明日からはてめぇでやれ!! その新聞!! 片付けておきやがれ!!」
苛ついた口調で指図され、状況の読めないまま青年は老翁の破り捨てた新聞のクズを拾い上げた。ビリビリに破かれた紙面には賭博情報が記載されており、鉛筆でバツ印が大量に付けられている。全て負けたという、そういうことであろうか。
「もたもたすんな!! こっちへ来い!!」
指示された通りに新聞紙を拾い集めて部屋の隅にあるクズ籠に捨てていたのに、怒鳴られた。「すみません」と縮こまりながら老翁の後ろに付いていく。
すると、老翁は牢獄の前に置かれている道具を拾い上げ、一つ一つ丁寧な説明を始めた。丁寧ではあるが、抜けた歯の合間からシュウシュウ空気が抜けて、非常に聞き取りづらい。青年は眉根を寄せつつ、必死に老爺の言葉を聞取ろうと努力する。
「これは棍棒な。握りやすいが、向こうが元気なうちに殴り殺すには向いてない。手持ちで相手を瀕死状態にしてからでないと、使えねえな。バトルの腕前に自信があるなら、悪くねえ選択肢だ」
「……へ?」
「それから、こっちは毒ガスだ。腕力もいらねえし楽だが、慣れるまで、後処理がしんどい。人間が吸っても即時死ぬほどではねえが、三日くらいは入院する羽目になるから、ちゃんと防毒マスクをつけてからやれ」
「あの……えっと……」
「初心者なら、これが一番スタンダードだ。鞭と槍になっている。鞭である程度怯ませてから、心の臓を突く。槍の先には神経を固まらせる薬が塗ってあるからな。慣れるまでは苦戦するかもしれねえが、慣れてくれば一番手っ取り早い」
「待って……待って、なんの話をしてるんですか――?」
あまりにも物騒な話をされているように感じるのは、滑舌の悪さゆえではなかろう。――まるで、何かを殺処分せよと言われているかのように聞こえる。
「何だ、てめえ。概要も聞かずにここにきやがったのか?」
牢獄の奥で蠢く生き物たちの気配を感じ、ぞわぞわと鳥肌が立った。
はい、とも、いいえ、とも答えられず、口をぱくぱくさせていると、老翁は面倒臭そうに毛の少ない頭をかきあげる。
「――おい、お前が説明しろ」
老翁は誰かに向かって声をかけた。
此処まで青年を連れてきた男共は事務所の方へ戻ったはずだし、一体誰が? と思って振り返れば、いつの間にそこに立っていたのだろう、青年の後ろには黒いコートの男が仁王立ちになっている。
「……キィくん」
もしや、青年のことを案じて付いてきてくれたのだろうか。それとも、もともとここに何か用事があったのか。
その厳つい表情からは、判別がつかない。
青年の古馴染みは、厳つい顔をわずかに渋めつつ、老爺に応じて低い声色を吐き出した。
「――ここは、野生のポケモンの処分場だ」
「……。……処分場?」
「瀕死状態ではなく、完全にアレらを殺処分する必要がある」
「……そんな」
古馴染みは淡々とした口調で語る。まさかと思っていたことが事実として突きつけられて、呆然とした。
「アレ」とキィは言ったけれども、その指し示す先にあるのは、命だ。自分たちと同じ、生きたものである。
「ここにある道具使うんなら、さっき説明した殺り方が良いが、方法なんざ他にもいくらでもある。きちんと始末して持っていけるんなら何でもいいぞ」
老爺が欠伸混じりに言ってのけた。話の展開に、思考がついていけない。
「持っていく……?」
思考がついていかないものの、本能的に、嫌な予感がした。
何を、どこに持っていくと言うのだろう? 一体、誰が、何を、どこに、どうやって――?
「ここに置いといたら腐るだろうが。殺処分したブツは全部ケースに詰め込んで、そこのエレベーターで地上まで上げろ。ケース置いときゃ、運びの奴がクレーン車で持っていく手筈になってら」
ガツンと、後頭部を殴られたような衝撃を受けた。
運びの仕事が始まるのは、午前三時。草木も眠る丑三つ時に、こそこそ事務所裏までやってきて、クレーン車で釣り上げた荷物を運んでいくのが仕事であった。
運ぶ荷物はやけに固く封をされていて、中に何が入っているのか全く見えない。大きさのわりには重量があり、ぎっしりと何かが中に詰まっていることが伺えた。その何かの正体を知って、軽く目眩を覚える。――運んだ先のシオンタウンには、火葬場があるはずだ。
「ほら、好きな方法でやれ。時間は無限じゃねえぞ。三時までにはケースに詰めて上にあげねえといけねえ」
やれと手渡されたのは、鞭と棒先に刃物のついた槍だ。ちらと牢の中を見れば、どれもこれも戦闘力の低そうな小型のポケモンばかりであった。
理屈はわかる。この道具たちを使えば、あの小動物たちの息の根を止めることはできるだろう。だが、それを想像するだけで、手が震えた。
やれと老翁に胸ぐらを掴まれ、牢の入口に立たされる。老人とは思えない腕力だ。
背中を押され、一歩前に足が出たが、それ以上は進めなかった。床に固定されてしまったかのように、足が微動もしない。
「で、でき、ない……」
「……あん?」
「でき、ない……です……」
絞り出す声が、震えた。
どんな方法でも、生きているものを処分することなんて、できるわけがなかった。
そもそも、何の理由があって、彼らを殺す必要があるのかわからない。彼らにどんな罪があるというのか。どのような業があって、殺される手法を選ばれるなんて、そんな目に遭わなくてはならない――。
牢の前から一歩も動けなくなってしまった青年を見て、老翁はフゥと聞こえよがしに溜息を吐いた。
「つっかえねぇなあ。新人寄越すんなら、即戦力寄越せってんだろうがよぉ?」
青年に言っているというよりも、自分をここに寄越した連中に向けた恨み言のようだった。
青年とて、新しい仕事と聞いて自分にできることなら何でもやろうとは思っていたのだけれど――これは、できない。不可能だ。
手にじんわりと汗をかき、握りしめた鞭が滑り落ちていきかねない。
そんな青年の顔を見て、これでは埒があかないと思ったのだろう。老翁はくるりと後ろを振り向いた。
「どうしようもねえな。――今日は、お前がやれ」
お前、と話を振られた先にいるのは、キィだ。
話を振られた男は、はいともいいえとも答えることはなく無言のままである。無言のままではあるが、防毒マスクと毒ガス装置を担ぎあげると、牢獄の扉に手を掛けた。
そしてちらりと青年の方を向いて、一言のみ、こぼす。
「運びはやってもらわねえと困る。――外に出ておけ」
がちゃんと牢獄の扉を後ろ手で閉めた後、暗い部屋の底へと沈んでいった。
そこから先、何が行われているのかは、光源のない環境において判然とはしない。
ただ暗闇から響く音だけが、全てを物語る。
シュウウと霧状の何かが噴射されるような音。バタバタと、生き物たちが暴れまわって壁や床に身体を打ち付けるような音。
いまだかつて聞いたことのないような、ウォェェェという苦しみもがく声が響き渡って、頭がおかしくなりそうだ。
それは悲鳴ですらないのである。本能的に、喉が潰れて溢れ出してしまうような、噎びの声である。
生命が死に瀕して荒れ狂う、この声を聞いて耐えられる人間がいることに、動揺を隠せなかった。
「……うぅ」
耳を塞ぎたくなるような呻き声に酔って、急な吐き気が襲いかかる。堪えきることができず、その場に全て吐き出してしまった。
「きったねえな。てめえで片付けろよ」と老爺の声が遠い。
頭にカァと血が上り、かと思えば、そのままサァーと全て下がっていく。下半身に力をこめていないと、そのまま失禁してしまいそうな、感覚。
片付けろと言われた吐瀉物に触れることもかなわず、青年は足を引きずりそのまま廊下へと這い出した。まっすぐ進めば事務所に戻れるが、そこまで歩く余力もない。
ずるずると壁にもたれかかって、座り込んでしまった。
視界がぼやけて、そのまま目の前が真っ暗になる。精神的な衝撃からくる、貧血であった。