【完結】妖が如く、月と舞う。   作:askaK

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3.必要悪っていう言葉があるじゃない?

 

 運びの仕事はいつも午後3時から。その時刻には事務所に顔を出しクレーン車の鍵をもらって、運転席につかなくてはならない。

 

 いつのまにか時刻は午後1時を過ぎていて、仕事の時間が刻一刻と近付いて来ていた。

 

 暗い牢獄の前からの離れ、廊下に蹲ったまま、早一時間近くが経過していた。仕事の始まる3時までには、なんとか気を持ち直さないといけない。わかってはいるのだけれど、足の震えは止まらず、一向に立ち上がることはできそうになかった。

 

(俺がずっとやっていた、運びの仕事って――さっきのアレを運ぶことだったのか……??)

 

 ――殺処分したブツは全部ケースに詰め込んで、そこのエレベーターで地上まで上げろ。ケース置いときゃ、運びの奴がクレーン車で持っていく手筈になってら。

 

 先程、牢獄の番をしている老爺の放った言葉が頭の中をぐるぐると回る。

 

 ここ二ヶ月、毎日毎日得体の知れない荷物を運ぶことが青年の仕事であった。

 

 それは、直方体のケースである。クレーンで釣り上げてトラックの荷台に乗せないと運ぶことができない、大きな荷物。サイズ感から予測できる以上に重量もあり、中に宝石でも詰まっているんだろうかと不思議に思っていた。よほど大切なものだから、夜極秘裏に運び出し、仕事代も高いのであろう、と。

 

 だが、あれは宝石などではなかった。あれだけの重量があるということは、相当密度高く積み込まれているということの証左である。――ソレはもう、まるでただの物みたいに。

 

 と、想像したらまた嘔気に、襲われる。

 

 青年は「うっ」と呻いて口元を抑え蹲った。しかし、胃の内容物は先程ありったけ吐き出してしまったので、これ以上は何も出てこない。ただただ吐き気に苛まれるばかりだ。

 

(あんなの、正気の沙汰じゃない)

 

 牢獄の奥に詰め込まれた何十体、何百体という小型の生き物たちの群れ。それをまるで掃除するかのように処分していく人間。今まで聞いたことのないような、死を厭う彼らの鳴き声が、どうしたって頭から離れない。

 

(やけに時給が高いと思っていたけれど、大切なものを運んでいるからとかじゃなくて、アレは普通には運べないものだったんだ)

 

 借金返済のためにあてがわれた仕事の謎が解け、愕然とする。二ヶ月間、毎日死骸を運ばされていたことを知って、震えが止まらない。

 

(今日もこの後、あれを運ばないといけないんだろうか。今日だけじゃない。これからもずっと)

 

 幼馴染は、「運びの仕事はやってもらわないと困る」と言った。クレーンを扱うにも大型車を運転するにもそれなりに技能が必要だ。青年がやらないことには、都合の良い運転手が他にいないのだろう。荷物を運ばず置きっぱなしにしておいたら――いずれすぐにアレらが腐り始めてしまう。

 

(こんなこと、やりたくない。でも他にできることはない。借金は返さないといけないし――それに、せっかくキィくんが紹介してくれた仕事なんだ。早く金を返すためにも割のいい仕事を、と)

 

 おかげで助かっているのも事実。今までやっていた清掃業の派遣に他の仕事をあわせて始めたところで、このペースでの返済は適わなかったことだろう。キィが割のいい仕事を紹介してくれたから、着実に金を返すことができている。

 

 彼はとても優しいのだ、昔から。

 

(それなのに、どうして。キィくんはあんなに優しいのに。どうして、あんなことをしてるんだろう。――あんなに優しいキィくんが)

 

 あの地下牢で何が行われているか、彼は知っているようだった。ということは、青年がクレーンで何を運ばされているのかも、当然知っていたはずだ。全てを知った上で、この仕事を紹介してきたわけである。

 

 その上、「お前がやれ」と老翁に言われた時、彼は微塵の躊躇も見せなかった。ごく当たり前のように防毒マスクをとって、獄の中へと入っていった。まるで一つ、ただの作業を請けがうかのように――。

 

 何の理由もなく、あんな残虐なことをしているとは思えない。あんなことをしなくてはならないのだから、相当深い事情があるのだとは思う。

 

 だが、どんな理由や事情があったとしても、あんなのただの虐殺だ。

 

 

(優しいキィくんが、自ら望んで虐殺をしているとは思えない)

 

 

 あれが、彼個人の意思によるものではないのは、明白だ。誰かに、やらされているのだと思う。

 

 牢屋番をしていた老翁か――? いや、彼もただ雇われて、あそこで番をしているだけのようだった。命じているのはもっと、上にいる人間。

 

 以前、キィは「俺にとってはこの組織の中でうまくやっていくことが重要だ」と言っていたことがある。すなわち、彼は組織に命ぜられたことであれば逆らえないということだ。

 

 この悪行は、組織によって無理やりやらされていることなのではなかろうか?

 

 

 そんなことを思いながら必死に嘔気を耐え続けること数十分。なかなか気分が晴れることはなく、廊下にうずくまりつづけていた。

 

 そうしているうちに時間だけが刻々と過ぎていく。

 

 誰も通らない真夜中の廊下に、ふと、人の気配が近付いてきたのは、それから何分経過した後のことだったであろうか?

 

 ガチャン、と廊下の先から響くのは、扉を開閉する音だ。方角的に、牢獄とは反対側、事務所の方から気配が近付いてくる。

 

 どやどやと、喧しいわけではないのだが、数の圧を感じる人の群れがやってきた。一人の中年男を先頭に、ピシとスーツを着こなした集団がぞろぞろ近付いてくる。

 

 その数、十には満たない程度、七、八人といったところか。一見、スーツを纏った彼らはサラリーマンかお役所職員のようにも見えるのだが、近くで見ると違和感があった。――なんと言おうか、どう見てもカタギではない。

 

「――おや、君、新人かい?」

 

 青年の前を通り過ぎていくのかと思いきや、先頭を歩く中年男性がこちらを見下ろして尋ねてきたので、驚いた。

 

 顔をあげれば、柔らかく微笑む男の姿が見える。年は五十かそこらであろうか。タッパはあるが太ってはいない、頑強そうな男だ。

 

「……誰?」

 

 本当に知らない相手だったので、ぽろりと本心からの疑問が漏れた。

 

 すると途端、中年男を囲む周囲の取り巻きたちの空気が変わる。ピリッと緊張したような空気が張り詰めて、あ、何やら自分は聞いてはならないことを聞いてしまったのかな、と本能で悟った。

 

 が、ピリピリする取り巻きたちとは打って変わって中年男の纏うオーラは柔らかい。

 

「……僕はちょっとこのへんを任されているだけのおじさんだよ」

 

 にこにこ人好きされる微笑みを浮かべる男であった。周囲の取り巻きが諌めるように「ボス」と呼ぶ。彼は、取り巻きたちの「ボス」にあたるらしい。

 

「僕、ちょっとこの子と話がしたいから、みんなはアッチをよろしく」

「しかし」

「今丁度掃除してる頃だろ。手伝ってやってよ」

「それは構いませんが、誰か一人ここに残ります」

「――邪魔なんだよ。さっさと行けと言っている」

 

 それまでの柔和な喋り方から一転、突如底知れぬ覇気のようなものが滲み出た。ギャラドスの威嚇のように周囲の者を一瞬で怯ませる。

 

 取り巻きたちは一瞬言葉に詰まった後、それ以上食い下がるようなことはなく、すごすごと立ち去っていった。彼らの向かうのは牢獄の方――キィがいる方角だ。

 

 ふぅと溜息を吐いて取り巻きを見送った時、すでに中年の男に威嚇のオーラはなかった。かわりに浮かぶのは、柔和な微笑みのみである。

 

「ちょっと、隣に失礼するよ」

 

 一人その場に残った中年男はにこにこと笑みを浮かべながら、青年の隣に腰を下ろした。腰を下ろすといっても、ここはただの廊下の真ん中で、椅子もなければ絨毯もない。冷たい床に直接座り込むことになる。

 

 しかし特に厭う様子もなく地べたに腰を着けた男は、あぐらをかいてニコと笑った。ふと、その胸元にキラリと何かが光る。――銀色の丸いペンダント、ロケットか何かのようだ。

 

「君、あれだろ。幼馴染のお兄さんに誘われて、クレーン車の運転をしてるっていう」

 

 青年はこの男のことを知らないが、どうやら男は青年のことを知っているようである。

 

「……えーと……はい、キィくんに誘ってもらって……」

「そう! そうそう! キィくん!!」

 

 中年男性はパチンと手を打って、声を弾ませた。なぜだろう、とても嬉しそうである。

 

「キィくんか〜。いい呼び名だねえ。ちっさい頃から仲良いの?」

「ええ……というより、小さい時に一緒にいた記憶しかないんですが……」

「そうー。あいついいよね。頭良くてさ、すごく仕事できるし、僕、気に入ってるんだ!」

「そう、なんですか……」

 

 わざわざ取り巻きを払ってまで青年の隣に腰を掛けてきて、この男は何の話がしたいのだろう。青年は少し警戒しつつもおずおずと頷いた。

 

「でもさぁ、あいつちょっと一匹オオカミぽいところがあってね。他の人と一線引いてるから組織ん中でも浮いててさ、ちょっと心配。そこがカリスマぽくもあるんだけどさ」

 

 ペラペラと語り続ける内容は、おそらくキィのことだ。人払いをしてまで話したかった内容は、キィに関することなのであろうか。

 

 取り巻きたちは彼のことを「ボス」と呼んだ。この男は、キィにとっても「ボス」にあたるのかもしれない。――ということは。

 

「だからさー、あいつが君を連れてきたって聞いてちょっと嬉しかったんだよね〜。誰かとつるむ気、あったんだー、みたいなー」

「……貴方が、キィくんにあんなことをやらせてるんですか?」

 

 この男が誰なのか、青年にはわからない。だが、語り口から察するに、キィよりも上の立場にあるのは間違いなさそうだ。そしてもし、彼がキィの「ボス」にあたるのであれば、キィに仕事を命じているのはこの男、ということになるのではなかろうか。

 

 そう考えて、尋ねてみれば、

 

「あんなこと?」

 

 と、男はキョトンとした。

 

 まるで何も心当たりがない、後ろめたいことなど何もないかのような口調である。

 

 しかし、彼は牢獄のある奥の部屋に取り巻きを送った。「手伝ってやれ」などと部下に命じておきながら、そこで何が起きているか知らないはずがない。

 

 トボけたって無駄だ、と、青年は彼を横目に睨みあげた。

 

「あんなの、ただの虐殺だ……!」

 

 言いながら、喉がつっかえて噎びそうになった。

 

 この男の登場によって一瞬引っ込んでいた嘔気が、声を荒げたことでわずかに復活する。なんとかその嘔気を飲み込んで、喋りながら戻してしまうことは回避して、青年は強く男をねめあげた。

 

「虐殺……虐殺……? ……あー、もしかして、この奥でやってる仕事のこと?」

 

 しかしやはり、中年男の答えはパッとしない。ごまかしている風でもなく、本当にただ、あの大虐殺のことを、なんでもない作業の一つとしてしか捉えていないかのようだ。

 

「そんな……仕事だなんて……!」

 

 自ずと声が上擦った。

 

 あの惨状を見て、何も思うことはないのだろうか。仕事と割り切れるような、行為ではない。

 

「あんな……あんな、残虐なことを……しかも、殺し方を選ばせるだなんて……! ――正気の沙汰じゃない……!!」

 

 後半はほぼ悲鳴、金切り声であった。

 

 撲殺が良いか、毒殺が良いか、刺殺が良いか、なんて。改めて思い返してみても、牢獄の前で受けた提案は常軌を逸していた。

 

 殺し方を選ばせることに何の意味があるのだ。あの提案を受けて、嬉々として凶器を手にする人間がいるのだろうか。おおよそ、人間の所業ではない。

 

 悲鳴をあげた後、青年は頭を抱えて膝の上に沈み込む。と、「ふむ」と頭上から飄々とした声色が降ってきた。

 

「……別に僕らは快楽殺戮主義者ではないからね。あれは、仕事だから。趣味ではなく仕事だから、できることなんだよ」

 

 あれを趣味でやってたとしたら確かに正気の沙汰ではないよね、とあっけらかんと言う。自分たちはそうではないのだと、あたかも良識のある人間であるかのような顔をして、男は語るのである。

 

「殺し方を選ばせるのは、ヤる側の負担を少しでも軽減させるためさ。さすがに、仕事とは言え、辛いことをさせているのはわかってる。何が一番負担ない手法かは、それぞれの価値観によるからねえ」

「価値、観……」

「毒殺は、中でも生き物たちに恐怖を与えずにすむ、優しいやりかたなんだ。苦しむ前に意識が飛ぶからね。――後処理が面倒だから、避ける人が多いけど。全部終わった後のエグさは天下一品だしねぇ」

「……」

 

 とても、安易に賛同しにくい話であった。

 

 そういえば、「できない」と仕事を拒絶した青年にかわって「やれ」と命ぜられたキィは、迷わず毒ガスを手に取った。もしこの男の言葉を信じるのであれば、それがもっとも「優しい」方法だということになるけれども、彼の優しさをそんなことで感じたくはない。そもそも、苦しむ前に本当に意識が飛んでいるのかどうかなんて、当のポケモンたちにしかわからないことではないか。

 

「あんなことを、して……心が傷まないのか……!」

 

 喉からひねり潰されそうな、小動物たちの悲鳴が何度も脳裏にフラッシュバックする。あれを聞いた後に「苦しんでいない」だなんて信じられるわけもない。

 

 そう思って頭を抱えれば、

 

「必要なことだからね」

 

 と、言われた。やはりその声色には、微塵の躊躇も感じられない。

 

「必要悪っていう言葉があるじゃない? 自分たちのことを堂々と『悪だ』と宣言する気もないんだけれど……僕らはね、この世界にとって必要なことをしているんだよ。だから、心が傷むとか傷まないとか、そういう感傷的なものは乗り越えていかないとね」

 

 中年の男の声色は、むしろ非常に穏やかであった。幼子を諭すかのように、柔らかく、和やかである。

 

「この奥で行われてる仕事もね、必要とされていて、望まれているからやっている。それだけなんだよ」

「……そんな、誰に、どうして……!?」

「――近年、人間が自分の生きる場所を広げたせいで、生態系は崩れ始めている。町の開発、農地の開拓。その影響を受けて、絶滅の危機に瀕してるポケモンもいる」

「……だから?」

「人間のおこぼれを食らって生きていけるような繁殖力の強いポケモンだけが増えてしまって、他のポケモンたちのエサを食いつぶしてしまっているのが問題視されていてね。生態系バランスを保つためには、不必要に増えてしまった命を削る必要がある」

 

 青年は顔をあげ、あんぐりと口を開いた。確かに、牢獄に集められていたのは町の近くやあるいは町中でも見かけるような、ありふれた野生ポケモンたちだったように思う。

 

 しかし、彼らの数が増えすぎて生態系バランスが崩れているからと説明されたところで――そんな内容で納得できるわけもない。

 

「そんなの……そんなの、人間のエゴじゃないか……!」

「エゴだね。でも、そうでもしないと、僕らは僕らの生活を守れない。全ての人間が、町を崩して農地を返上し、文明をなかったことにできると思う? ――だからね、うちの組織に依頼がふってくるわけだよ」

 

冷たい廊下の上にあぐらをかいたまま、中年男はにこりと微笑んだ。

 

「依、頼……??」

「もちろん。タダでこんなしんどいこと、やるわけないじゃないか。これはビジネスなんだから」

 

 背筋がぞわぞわと粟立つような、不気味な笑みである。見た目には本当にただ人好きされるようなおじさんの笑顔なのだけれど――五感が、恐怖を訴えていた。

 

 動物的な本能で、「恐い」と素直にそう思う。

 

「ビジネス……依頼って、誰が、そんなこと……」

 

 ゆえに、ぽつりと吐き出される言葉は隣の恐い男に問いかけているというよりも、ほとんど独り言であった。単純な疑問が、口から溢れ出していくという、ただそれだけ。

 

 それでも、男は頓着なくその独り言を拾って応じてくる。

 

「依頼主の情報は、さすがに言えないねえ。ビジネスには守秘義務というものがあるから。――でもそうね、世界を動かしているような、地位ある偉い人々だよ」

「地位ある人……? まさか、ジムリーダーとか? 四天王、とか?」

 

 なので、こちらも思わず疑問を投げ続けてしまうが、男は嫌がる素振りを見せはしなかった。むしろ、どことなく楽しそうに語尾を弾ませている。

 

「まさか! ジムリーダーとかポケモンリーグチャンピオンとか、あんなのはただのポケモン愛護団体でしょう。世界の表面だけ見てるとね、ああいうのが世界を動かしているかに見えるけど、あれはただの表側の実務担当。ポケモンも人間も皆平等とか、命を大切にしろとか。綺麗事を言って、人々の心の安寧、社会的秩序、そういう幻想を作っていくのが仕事だよね」

 

 幻想がないと、種としての人間は生きていけないから! と男はそれはそれは嬉しそうに語った。青年はただただ口を開くばかりである。

 

「それでね、僕らは裏側の実務担当。表側で綺麗な世界を信じている人間どもが、今この瞬間も平穏に暮らしていられるのは、僕たちがこうやって仕事してあげてるからだよ。――要はね、汚れ役なのよ」

 

 あぐらの上に頬杖をついて、男は小首を傾げた。恐怖の中に、奇異な好奇心がわいてくる。これ以上は聞きたくないような、でももっと聞き出してしまいたいような――。妙に人を惹き付ける、そんな喋り方をする男である。

 

「だってさ、誰だってウンコはするわけじゃん。ジムリーダーだって、四天王だって、みんなね。なのに、美味しそうな飯だけ食って、キレイなとこだけ見せて、それだけで世界が成り立ってるなんて、幻想でしょう? そのウンコは誰が片付けていると? 『ウンコは汚いから触らないようにしましょう!』なんて、そんな理屈が本当にまかり通ると思う?」

「それ、は……」

「――何の話ですか」

 

 惹き付けられて、男の話に没頭していたところ、不意に背後から渋い声が降ってきた。慌てて振り返れば、いつのまにやらすぐ傍に、黒いロングコートの男が立っている。

 

 腫れぼったい一重の瞳を持つ上背の男で、青年の古馴染みでもあった。

 

 キィと呼んで青年が慕うその男は、まるで通常通りの様子だ。つい先程まで、あんな残酷な仕打ちをしていたばかりだというのに、おくびにもださない。

 

「あー、お前を待ってたんだよー。奥の仕事はもういいの?」

「……貴方の直属の部下が来て、手伝ってくれていますので」

「あ、そう。気を利かして出てきてくれたんだ。今結構楽しく暇潰ししてたんだけどなぁ」

 

 暇潰し、とは、青年と語らっていたことだろう。中年の男は廊下からゆっくりと立ち上がると、パッパと膝や腰を払う。そんな男を気遣うように手を差し伸べて、キィは険しい顔をますます険しくしかめて見せた。

 

「暇潰しなんぞせずとも……声をかけてくれりゃ、すぐに出ていくのに」

「お前が珍しく現場仕事してるのに邪魔するのも悪いじゃん? それに、お前が外から引っ張ってきたって子のことも気になってたしさぁ」

「引っ張ってきたというわけじゃ……クレーンの運転手がバックレて困ってたとこに偶然こいつがいたんで拾っただけです」

 

 こいつ、と示されて、青年は身を縮こまらせた。キィの顔付きは、依然険しい。

 

「こいつに、貴方から話すようなことはないでしょう。何も得られるものなんざないはずだ」

「そう? 結構面白かったよ。仕事の話とか語っちゃったし」

「……ウンコがどうとか聞こえましたが?」

「だって僕らの仕事って結構ややこいし。やっぱり、子供に難しい話を説明するときは、ウンコに例えるのが定石じゃない?」

「……そいつ成人してますよ」

「えー、そうなの。子供かと思っちゃった」

 

 どこまで本気かわからない口調で語り、中年男はケタケタ笑う。

 

「――お前もいい加減、舎弟を持てよ」

 

 立ち上がって二人隣に並ぶと、末恐ろしい威圧感があった。

 

 わずかに、中年男よりキィの方が背が高い。しかし、滲み出すオーラはどちらも等しく分厚いもので。どのようなドラゴンタイプの凶悪なオーラにも劣らない、強靭なものだ。

 

「僕はね、結構本気でお前にこれを継いでほしいんだよ」

 

 言いながら、中年男がちらりと差し示したのは、男の胸元にキラリと光る銀色の物。代々引き継がれてきたかのように渋くはあるが、決して輝きを失っていはいない。――いかにも高級そうな、ロケットだ。

 

 このロケットに、どのような意味があるのか青年にはわからない。だが、それを継ぐというのがただの物の継承ではないことは、明らか。

 

 それはすなわち、地位の継承――「ボス」と取り巻きたちが中年の男を呼んでいたところから察するに、この組織のボスの座を継ぐという意味ではなかろうか。

 

「……まだ、跡継ぎを考える時期では」

「そろそろ俺も年だからさぁ」

「まだまだ現役でしょう」

「現役と呼べるうちに継承して退いておきたいんだよね。跡取り争いで団員同士争うのとか無意味じゃん? お前がさあ、ちゃんと徒党組んで組織仕切っていけるやつだって、みんなに示したいんだよ」

「……跡を継ぎたいやつは、他にもいる」

「なんで拒むかな。お前の夢への第一歩にもなるだろうと思って言ってるのに」

 

 キラキラと胸元のロケットをちらつかせながら男が言うと、キィは露骨に嫌そうな顔をした。

 

 何故、ボスと呼ばれた男が跡継ぎとしてキィのことを推しているのか、キィがなぜそれを拒むのか、そしてロケットが何を意味しているのか。青年にはわからないことだらけだ。

 

 だが、何より気になったのは。

 

「――夢?」

 

 と、思わず心の声が漏れていた。

 

 青年がキィと呼ぶこの男、昔から、どこか陰のある印象の耐えない少年であった。トキワシティにいた頃も、周囲から敬遠され、時には邪険にされることもあり、そのためであろうか、常々何に対しても、斜に構えた態度を取っていた。

 

 そんな彼にも、夢があったのか。人間なのだから、誰しも夢の一つや二つ抱いて当然とは思うものの、あまりに意外であったため、ついついぽろりと零してしまう。

 

 慌てて口を噤むがもう遅く、青年の呟きに反応して、二人分の視線がこちらへと注がれた。

 

 圧の強い、まるで他者を威嚇するような強いオーラである。

 

 青年はびくびくと肩を震わせつつ、縮こまった。てっきりそのまま無視されるかと思ったが、こちらを見下ろして、にこり微笑みを浮かべたのはボスの方である。

 

「そ。知らない? 『キィくん』の、夢」

「……ボス」

「世界征服。――かっこいいでしょ?」

 

 キィの制止も聞かずに繰り出されてきた単語に、唖然とする。

 

 ――世界征服。

 

 子供向けのアニメでしか耳にしたことのない、桁外れの野望であった。

 

 もしもそれが本当なら、キィはこの組織のトップに立って、そしてやがてはこの組織でもって世界を平定するつもりなのであろうか。あまりにも仰々しい話であるゆえ、ピンとこない。なんと言おうか、現実味がない。

 

 青年が黙したまま瞠目していると、「本気にするなよ」とキィの辟易する声が降ってきた。本気にするも何も、あまりにも多種多様な情報が流れ込んできて、頭の中で整理しきれない。

 

 自分が仕事をもらっている事務所の地下で、残虐非道な行為が行われていたこと。知らず知らずのうちに残虐非道な行為の片棒を担がされていたこと。その非道な行為を「必要な仕事だ」と組織のボスがのたまうこと。その組織のボスに、親愛なる幼馴染がとても気に入られているらしいこと。

 

 そして、親愛なる幼馴染の夢が、「世界征服」であったこと。

 

 打ち寄せてくる情報量に、感情を処理することができず、パニック状態だ。

 

 

 ただ幸いにも、この一連のやり取りの間に、嘔気は落ち着いてきていた。足に力も入るようになり、壁に手を付けば、ゆっくりと立ち上がることもできる。――これなら、3時からのクレーンの仕事はこなせそうだ。

 

 

 正直、クレーンで運び上げるあのケースへ触れることへの抵抗は拭えない。それでも、もし青年が仕事を拒んだところで、ケースが消えてなくなるわけではないのだということは、冷静になった頭で考えればすぐにわかった。

 

 先程、「できない」と青年が断った仕事を、かわりにキィがやってくれたように。もしキィがやらなければ、あの牢屋番の老翁がやったのかもしれないし、ボスが引き連れてきた取り巻きたちがやったのかもしれない。

 

 これが組織の「仕事」であるならば、拒んだところで他の誰かがやるだけのこと。それに、運びの仕事が遅れると、ケースの中身は腐っていくだけだということも、悲しいことに理解できてしまった。――うかつに腐らせるよりは、早く火葬場まで運んでやりたい。

 

 

 キィとボスはいつのまにか青年にはわからない難しい仕事の話を始めていた。邪魔をするのも気が引けて、声はかけずにぺこりと頭のみ下げて、こそこそ廊下を戻っていく。

 

 事務所に戻り、カギをもらって、そうすればいつも通り、運びの仕事だ。

 

 

(これは、必要な仕事なんだ。だから、誰かがやるしかないんだ――)

 

青年は、そう自分に言い聞かせた。

 

 

 

もうまもなく、仕事の時間だ。

 

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