青年が地下での「処分」の仕事の実情を知ってから、さらに一月近くが経過した。
あんなことがあったけれども、青年の仕事の内容は変わらない。相変わらず午前三時に事務所まで足を運んでは、鍵をもらってクレーン車を運転する毎日だ。
「新しい仕事を増やすか」と、せっかく誘ってもらったものの、結局、地下牢の仕事を受けることはできなかった。この仕事ができれば今の五倍のスピードで返済が進むぞと言われたけれど、それでも引き受けられなかった。
とは言え、クレーンで死骸を運ぶ仕事はしているわけで。すなわち、あの残虐な行為の片棒を担いでいるのと同じことなのだとわかってはいるものの、それでも自ら直接手を下すことはできない。
それはつまり、汚いところには手を触れず、目線を伏せて生活しているだけのことだと、理解はしていても――それでも、できなかった。
――僕らは裏側の実務担当。表側で綺麗な世界を信じている人間どもが、今この瞬間も平穏に暮らしていられるのは、僕たちがこうやって仕事してあげてるからだよ。
ふとした瞬間に、ボスに言われた言葉が甦る。
これまで何も知らずに生活してきた己の愚かさと、知った上でどうすることもできずに目を伏せているだけの己の無力さに、虚しい気持ちだけが湧いた。
「この仕事は受けられません」と事務所に戻って伝えたところ、事務所務めの団員たちは「なんだよ使えねえな」と呆れたように答えた。てっきり、「やれ」と恫喝されるかと思いきや、そこまで青年に期待していたわけではないらしい。
「あの仕事しんどいから、他に回したかったのにな」とぼそりと溢れたそれが、彼らの本音なのだろうと思えた。
あの仕事は普段、彼らがやっているのだろうか、あるいは彼らが雇ってきた人員に指導してやらせているのだろう。
やはり、あれはしんどい仕事なのだと悟って、少しだけほっとした。誰だって、自ら望んで虐殺なんぞに手を染めまい。
「別に僕らは快楽殺戮主義者ではないからね。あれは仕事だから、できることなんだよ」と、ボスの語った言葉が思い起こされる。
しかし、何度考えても、それがどうして世界に必要とされる仕事なのか、自分の中に落とし込むには至らなかった。
なので、考えることをやめた。
自分が仕事にどんな意味があるのか、なんて、無駄なことを考えるのは放棄した。
暦がめぐり、借金返済のためにこの仕事を始めてから3ヶ月目の週末だ。
もともと昼夜逆転生活を送っていたこともあるが、午前三時の出勤にもだいぶ慣れてきた。
この日も眠っている町を歩いて事務所へと到着し、鍵をもらうと時刻は午前二時半。少し早めに現場についてしまったようだ。
青年はクレーン車に乗りこむと、バッテリーがあがらないように注意しながら車内灯を点ける。肩にかけていたベルトバッグから裁縫道具を取り出すと、黙々と作業を始めた。
針に糸を通し、布と布を縫い合わせていく。この作業は仕事ではないので、時給は発生しない。――裁縫は、数少ない青年の趣味だ。
昔から手先は器用だった。特に何かを真似して模写するなど、見たものをそのまま表現するのが得意だ。地元にいた頃は、ポケモンのぬいぐるみを作っては近所の小さい子に配ったりしていた。
こうして手を動かしていると余計なことを考えずにすむと気が付いて、数週間前から空き時間に裁縫に打ち込むようになった。
謝金返済の後に残る少ない金で裁縫セットを新調し、無料でリサイクルに出されている古い布切れを使い、無心で打ち込んだ。作り上げる物のほとんどは、手のひらサイズのぬいぐるみだ。――今日は、紺と緑の布を貼り合わせ、ナゾノクサを模したぬいぐるみを作り上げていた。
チクチクチクと、運転席に座ったまま無言で針を進めていく。あとは後ろ側を繋げて結び目を隠せば完成ーーという段階にきて、不意に助手席の扉が開いた。
扉を乱雑に開き、大柄な男が一人、遠慮なく乗り込んでくる。今日は週末だ。彼を乗せてシオンタウンまで運ぶのがルーチンとなっている。
(……もう時間か)
青年は手早く最後の処理を済ませてぬいぐるみを完成させると、運転席前のダッシュボードにほいと投げ出した。指定の場所にケースが置かれていることを確認し、車のエンジンをかけるとクレーンでケースを釣り上げる。荷台部分にケースを配置して、がっちり固定した。毎日繰り返す単純作業であるため、余計なことを考えずに手元だけ動かしていればあっという間だ。
「――うまいもんだな」
助手席に大きく股を開いて座った男が、そう呟いた。
「まあ、もう始めて三ヶ月になるし」
てっきりクレーンの扱いを褒められたのだと思い、そう返すと「いや」と助手席の幼馴染は首を振った。
「車の扱いももちろん悪くはないが……この繊細な器用さには驚かされる」
何のことだろうと思って左側を見やれば、ダッシュボードに投げ出したはずのナゾノクサのぬいぐるみが彼の掌に収まっていた。興味深そうにしげしげと観察している。いかにもカタギではない彼の掌の中に、小さなポケモンのぬいぐるみが握られているとアンバランスさに思わず微笑みが溢れてしまった。
「ああ」と青年は小さく答えて、サイドブレーキを下ろす。
ゆっくりとクレーン付きの大型トラックが前進した。
「俺の趣味だからね。作ったからどうするってわけでもないんだけど……」
眠っているタマムシの町の中、静かにタイヤを滑らせていく。
今日は南の幹線道路が夜間工事で通行止めのため、ヤマブキシティの北を抜けていく想定だ。
「これだけの腕前がありゃ、何かしら商売に繋げられそうな気もするがな」
「……俺も最初はそう思ってたんだ。――それで、都会まで出てきていろいろ試してみたんだけど、全然駄目で……俺くらいの器用なやつなんて、他にいくらでもいるもんな」
「……。……お前は商才がなさそうだからな。腕前としては充分――転機さえあれば、なんとでもなりそうだ」
幼馴染の言葉は慰めなのか、あるいは本音か、適当か。
「どうだろうね」と答えて左にハンドルを切る。後続車もいないのにウィンカーを出すのは、法令遵守のため。――偽造の免許しか持たないくせに、法令を遵守するなんて矛盾していることは重々承知の上で、それでもルールは守らないと気持ちが悪い。
一方、青年に偽造の免許を寄こした助手席の男はというと、似合わぬナゾノクサのぬいぐるみを自分の前のダッシュボードに置いて、軽く笑った。
「そういえば、昔もよくぬいぐるみを作ってたな。あの頃も器用だと思っていたが――さらにクオリティが高くなっていて、驚いた」
柔らかい声色に、昔を懐かしむ色が乗る。
――覚えていてくれていたのか。
もう十年以上も昔のことを覚えていてくれていたという喜びと、あの頃とは自分も相手も何もかも変わってしまっているという諸行無常の切なさと。
希望いっぱい抱えていた少年時代、それから十年経って希望を打ち砕かれ何も投げ捨て都会に埋没し、今や世界の裏側で働く己の姿――。
様々な感情が交錯し、なんとも表現しがたい、しょっぱいきもちになる。
「商才なんかなくて、いいんだ……別に、売り出すために作っているわけじゃないから」
「そうか」
「こんなの、何の慰めにもならないけれど……死んでいった子たちのことを想って」
「……。……そうか」
かつて、彼に言われたとおり、自分はおそらくこの仕事に向いてないのだと思う。感情を殺し、全ては仕事だと己に言い聞かせても、それでも夜になると夢に見る。心が弱く聡明でもない自分には、向いていない仕事なのだ。
助手席の男は「そうか」と呟いたきり、それ以上は言葉を続けなかった。
二人を乗せたクレーン車はヤマブキシティ北の幹線道路を通って東へと滑り出してく。メーターは法定速度よりやや上。円滑にいけば、朝日が登る前に到着する予定だ。