シオンタウンに繋がる幹線道路の上、信号に捕まることもなく、スムーズに進んでいく。未明の時刻であるため、運送業以外の車は見当たらない。渋滞の恐れもないし、今日も順調だ。
「――週明けなんだが」
ふと、助手席の男が口を開いた。
眠っているかと思いきや、まだ寝落ちてはいなかったようである。午前四時、運びの仕事を終えれば帰れる青年と違って、この男はシオンタウンに着いてからもまだ一仕事あるはずだ。――尤も、何の仕事をしているかは知らない。触れない方が良いと悟って、あえて聞くこともしていない。
「週明け、こっちの運びの仕事は一回休みにする。かわりに、お月見山までトラックを回してほしい」
次の仕事に備えて助手席で寝ていることも多いのだが、今日はまだ眠る気はないようだ。
「……いつもの仕事は?」
「上流工程から全部休みだ。運ぶ物もないから、お前の仕事も必然的に休みになる」
上流工程とは、すなわちあの残虐な行為のことか。たった一日とは言え、あれが止むのだと思うと、少しだけ心が安らいだ。
「……みんな休みなんだね。全員、お月見山に行くの?」
「全員、とは言わないが、相当数駆り出されるはずだ。大物が来ると踏んでるらしい」
少なくとも大型運転できるやつは全員連れてこいとのことだ、と言われ、自分が駆り出された理由を悟る。
(なんの仕事だろう)
大物が来る、とキィはぼやかしたけれど、つまり何をするのかはよくわからない。何にせよ、惨殺された死骸運びよりはマシな仕事だろう。と、率直にそう思う。
「お月見山で、集会でもするのかな」
「……あ?」
キィがわざわざぼやかしたということは、はっきりとは明言出来ない内容の仕事なのかもしれない。そう思ってぽつりと呟けば、怪訝な顔をされた。
「集会……?」
「だって、大物が来るって言うから……誰かすごい人が来るんでしょう?」
「は」
「この組織、俺よくわかってないけど、結構規模でかい気がするし、構成員みんなで大物に会いに行くんだろ」
足りない脳ミソで、必死に考えたつもりだ。
明言出来ない内容ということは、表立っては公言できないような誰かが来るに違いない。有名人か、あるいは犯罪者かも――そんな風に考えていると、助手席の男に笑われた。
「ははは……」
はっきりと、声に出して笑われる。そんなに面白いことを言ったつもりはない。
「なんで笑うんだよ」と声をあげると、「集会って」と笑いながら言われた。どうやら、相当、的外れなことを言ってしまったらしい。
とは言え、そんなに笑わなくとも、とむすっとする。そんな青年の気配に気付いたのだろう、助手席の男はポケットよりタバコを取り出しながらも「悪い、つい」と少しも悪いとは思っていない様子で謝罪してきた。
「――月の石、という珍しい石がある」
「……つきのいし?」
「ああ、特定のポケモンを進化させたりする、妙なエネルギーを含んだもので」
青年が問いかければ、まだ少し笑いを含みつつも、男は言葉を紡ぐ。温まったシガーライターの熱でタバコに火が灯り、ふわと白煙が登った。
「外の地方では、素人でも簡単に採掘できる場所もあるらしいが――カントーではまず採れないし、希少故にそのへんの売店じゃ売ってない」
お前が清掃の派遣やってたタマムシデパートにも置いてないんだぞ、と男は言う。
どうりで聞いたこともないわけだ。タマムシデパートはカントー屈指の品揃えを誇る大型商業施設である。そこに取り扱いがなければ、カントーのどこにも売ってない、とまで、言われるほど。
「……それを採掘して資金源にしようっつーのが、お月見山集合の目的だな。トラックに大量に積み込んで運ぶつもりらしい」
青年はパチパチと瞬いた。タバコから吹き出す白い煙が、若干目に染みる。
「カントーではまず採れない石が、お月見山なら採掘できるのか?」
青年の記憶が正しければ、お月見山はニビシティとハナダシティの間に跨がる大きな山。カントー地方に含まれるはずだ。
しかし、そこでトラックいっぱい採掘できるのだとすれば、カントーにおいて希少とは言えないのでは――? と、素朴な疑問が浮かぶ。
「もちろん、普段は採掘できない」
そんな青年の疑問に答えるように、男は煙を燻らせた。配慮からか、窓を少し開いて煙を外へと逃がす。曇っていたフロントガラスから煙が退いて、視界がすっきりと拓けた。
「満月の夜――ピッピと呼ばれるポケモンが、お月見山、に大量発生する。そいつらが石を持っている可能性が高いらしい。一匹二匹の話じゃないからな。人海戦術でとにかく団員を投入し、片っ端から乱獲するそうだ」
そうなんだ、と呟き、青年はハンドルを握った。この組織に来てから聞かされるのは何もかも、青年の知らない話ばかりだ。
月の石とやらもよく知らないし、それがお月見山で手に入る可能性など当然知る由もない。ピッピとやらは昔読んだ絵本に出てきたような気もするけれど、どんなポケモンなのか想像もつかないし、満月の夜に大量発生する生態も全くもって謎であった。
「しかし、月の石を資金源とするなら、海外からの輸入ルートを抑えた方が手っ取り早いと思うんだがな。生きてるポケモンを乱獲するなんざ、効率が悪い」
窓辺に肘をつき、ぼそりとぼやかれた彼の考えは、青年には深くまで理解できない。が、彼がそう言うならきっとそうなのだろうと、理解できないままに納得した。
「……なら、俺なんかじゃなくてもっと偉い人にそれを伝えればよかったんじゃないのか」
例えば、一ヶ月前に事務所の廊下で遭遇した「ボス」と呼ばれる男とか。あの中年男になら、組織を動かす力がありそうだ。そう思ったのだけれど。
「上には俺の言うことなんざ聞きたくねえっつー連中もいるからな。――結局、地道に山登りすることになった」
どうやらそう一筋縄にいくものでもないらしい。
青年には、この組織の末端部分しか見えていない。が、きっと巨大な組織なのだ。その中身は人間の血管や神経のように複雑に絡み合っているのだろう。
しかし、助手席に座る男は、確実に、その心臓部を抑える能力のある人間だ。だからこそ、「ボス」は彼に自分の座を譲るようなことを仄めかしていたわけだし、中にはやっかみを買って「言うことなんざ聞きたくねえ」という構成員もいることであろう。
少し前に聞いた女絡みのトラブルだって、誰かに仕組まれたものだったに違いない。――薬を飲まされ酩酊している間に先輩構成員の女との間に子供ができていた、だなんて、明らかなる悪意の臭うシナリオでしかない。
しかしどれもこれも、彼が優秀であるがために勃発するエピソードだ。彼を潰そうという勢力いるという事実は、彼の実力を証明すぎるに過ぎなかった。――そして今のところ彼は、敵対勢力からの暴力を、うまいこと躱し続けている。
「……キィくんは、ボスの跡を継ぐの?」
今、この狭い車内には、自分と彼の二人しかいない。故に、思いきって真正面から聞いてみた。
他の構成員がいる場所では、彼は決して本音を語らないであろう。というより語れないのだ。
言葉を一つ違えただけで、命に危険が及ぶ可能性がある。彼らの所属しているこの組織は、そういう組織なのである。
ここで働くようになってから3ヶ月。さすがに愚鈍な青年の頭でも、ここがつまりどういう組織であるのか、理解できていた。
反社会的勢力――。社会の秩序に必ずしも迎合せず、非合法的なことでも何でも着手して、生計を立てている集団だ。
例えば、事務所地下で行われている野生ポケモンの口減らしも、その一部に過ぎない。表沙汰になれば愛護団体からの反発はもちろんのこと、法律的な観点からの裁きは免れないであろう。
そしておそらくそれは、氷山の一角に過ぎない。他にも、公には言えないような仕事を多々抱えていて、それがゆえに莫大な利益を得ているのだ。
必要悪、とボスは言ったけれども、あながち偽りではない。利益を得ているということは、それを望んで金を払う者がいるということだ。
歪な形ではあるけれど、望まれてこの組織は活動をしている――。
そして、隣の男は、いずれ、そんな組織のトップの座に就くのかもしれない。
――僕はね、結構本気でお前にこれを継いでほしいんだよ。
そう語ったのは、現在この組織を統べる長であった。
その言葉が本当に本心からくるものなのか、彼のその言葉にどこまでの効力があるのか、青年には判断しようがない。
また、親愛なる幼馴染の能力が買われているようで誇らしい反面、素直に喜べないこともまた事実だ。この組織を統べる長になることが、彼のためになるとは、俄には言い難い。
それでも。
「……キィくんが、自分の夢のために、組織のボスになるっていうなら、俺、応援するし……」
それは、本心だ。
自分を何度も救い出してくれた彼に対して、何も恩を返せないことは心苦しく思っている。せめて、応援くらいはしたいと、そう思っているのだけれど。
「……組織の長になんざ、ならんだろうよ。俺はそんな器じゃない」
謙遜であろうか、それともさすがに組織の長に就くことには忌避感があるのか。キィは、そう言う。
「……でも、ボスはそうは思っていないみたいだった」
それに対してぽつりと呟くと、「はっ」と鼻で笑われた。まるで、真に受けてはいない様子である。
――まだまだ現役でしょう。
――現役と呼べるうちに継承して退いておきたいんだよ。
――跡を継ぎたいやつは、他にもいる。
――なんで拒むかな。お前の夢への第一歩にもなるだろうと思って言ってるのに。
地下の廊下で交わされた、あのやり取りにどこまでの意味があるのか、二人の関係性を知らない青年には、わかる由もない。
だが、「期待しているんだよ」と語った中年男性の言葉に嘘はないように思う。もっとも、反社会的勢力のボスの言葉をそう安易に信じていいものなのかは疑問ではあるが。
「――キィくんの夢は、世界征服、なんだよね?」
ふと、気になっていたことをストレートに投げ掛けると、隣の男はタバコを口に咥え、ぐっと押し黙った。かと思えば、次の瞬間にはげほげほげほと激しく噎せこんで煙を吐き出す。どうやら気管の妙なところにタバコの異物粒子が引っかかったようだ。
えっほえっほと咳き込む幼馴染を見て、少しだけ焦る。ボスの言っていた言葉をそのまま繰り返しただけのつもりだったけれど、よほど変なことを言ってしまったのだろうか。
「だ、大丈夫……?」
ふうふう言いながら喉元をおさえて呼吸を整えている彼に尋ねて見れば、
「……お前は、本当に……子供みたいなやつだな」
と、苦笑混じりに言われた。
ようやく落ち着いてきたのか、青年は助手席のシートにもたれかかって、オールバックの髪をかきあげながら再びタバコの端を咥えている。
青年は彼をちらりと横目に見上げて、「子供?」と繰り返した。
「……それは、どういうことだよ」
「世界の表面だけを、すぐに信じてしまうんだなぁと」
「はぁ……?」
「表面的な綺麗なものを、見たままに受け入れられるんだろう。俺は全てにおいて穿った見方をしてしまうから、純粋にすごいなと思うよ」
すごいとは言われているが、褒められている気がしない。眉間に皺を寄せつつ、隣に視線を投げれば、男はダッシュボード上に置かれているナゾノクサのぬいぐるみを手に取った。
「このナゾノクサ、見た目は完璧に再現されているが……中身はどうかな」
「中身……?」
「あどけない顔をしてるが、こいつの中には猛毒が詰まっている」
「猛毒? ナゾノクサの中に?」
「そうだ。――知ってたか?」
問われて、静かに首を横に振る。
地元の田舎道でもたびたびナゾノクサを見かけることはあったが、彼らはとてもおとなしいポケモンで、あえて近付いて悪戯でもしない限り攻撃してくることもない。「触ったら駄目よ」と大人たちにはよく言われたものだけれど、その理由まで深く考えたことはなかった。
あれは、毒があるから、という意味だったのかもしれない。
「そういうところだ。――見た目は完璧に再現できているが、中のドロドロした汚いところに気付いていない」
そう言って、キィはダッシュボード上にナゾノクサのぬいぐるみをひょいと戻した。ふふと笑うと吐息に混ざって白い煙が溢れ出す。
馬鹿にされている、という気がして、青年は思わず口を尖らせた。
「どうせ、俺は表面しか見てない子供だよ。……『世界征服』といったって、その言葉のままの意味じゃないってことだろ」
「まあ……そうだな」
「きっとその言葉の裏には、俺には理解できないような大層深い事情が隠されてるんでしょうよ」
投げやりに言い捨てて、アクセルを踏みしめる。不貞腐れたような青年の口ぶりを受け、「拗ねるな」とキィは笑った。
「大体、お前は俺の夢なんぞ知ってどうするんだ。俺が『世界征服をする』と言ったら、考えなしに応援してくれるのか」
「それは……微妙」
面白そうな口調で尋ねてくる幼馴染に対して、青年はむすっとしながらも低い声色で思案する。「子供みたいに何も考えていない」と言われた青年ではあるけれど、一応青年は青年なりに物事を考えた上で行動しているつもりだ。
「正直、キィくんがこの組織のボスになるのは、あんまり嬉しくない……、けど」
「けど?」
「なにか夢があって、そのための踏み台にするためだっていうなら……その夢は、応援したいと思うから……」
「――お前は、とことんお人好しだな。つい最近、夢を語る輩の連帯保証人になって裏切られたばかりだろうが」
助手席の男がふつふつと笑う。
確かに、彼の言うとおりであった。
そもそも青年がこんな時間に人の目を盗んで死骸運びなんぞやっているのは、従兄弟の借金をまるっと背負ってしまったがためである。従兄弟の語る夢を鵜呑みにすることなく、連帯保証人なんぞにならなければ、こんな組織には縁のない人生を送っているはずだった。きっと、未来永劫、世界の裏側で「必要悪」などと言いながら後ろ暗い仕事をしている人間がいるだなんて、気付きもしなかったに違いない。
(それは、そうなのだけど)
青年は、右にウィンカーを出して、クレーンのついた車体を大きく旋回させる。
隣を見やれば、幼馴染の男はあくびを漏らしながら短くなったタバコの先を灰皿に押し付けた。ジュッと音を立てて、白い煙がふきあがる。
お人好しと言われるかもしれないけれど、子供みたいに考えなしだと笑われるかもしれないけれど。
それでも、この男の夢の行く先を、見てみたいと思った。
怖いもの見たさと言おうか。底の見えない崖の先を知りたいと、思うような。本能的な恐怖と、せめぎあう好奇心。
右折して進んでいくと、前方に背の高い塔の影が見えてきた。シオンタウンの霊塔、ポケモンタワーだ。
立春を過ぎて少しずつ日も長くなり、シオンタウンが近付く頃には空が白むようになってきていた。とは言え、まだまだ町の目覚める時間ではない。町中に人気はない。
組織への不信感は募り続ける。だが、その一方で、組織に属する個々人に対しては不信感を抱けずにいる。
事務所務めの男たちは、最初の出会いこそ借金取りとして青年の前に現れたのだけれども、一緒に働くようになってからその人間らしさを見ているうちにどんどん愛着が湧いてきたのも事実。牢屋番をしている老翁だって、残虐な仕事を請け負っているとは思うけれど、ならば当人に残忍性があるのかというと、わからない。そして、一度会っただけではあるが、この組織を統べるボスは、底知れぬ魅力を感じさせる人物であった。――なんてことを言おうものなら、また幼馴染に「表面しか見ていない」と馬鹿にされるのかもしれないが。
そう、世界はあまりにも複雑なのだ。目に見える一面だけを見て判断できるほど、単純な作りをしていない。
わかりやすく「悪」が「悪」として目の前に立ちはだかってくれたなら、これを糾弾するのはとても簡単だったのに。「子供みたいだ」と笑われた青年でも、さすがにそこまで世界が安易ではないことはわかっている。
青年は不安定な感情を、ぐらぐらと持て余し続けている。
もうまもなく、夜明けだ。