週が明けて月曜日である。その日の勤務は、いつもと異なりイレギュラーであった。
事務所を訪れたのは、いつもより十時間近く早い、午後の七時頃。キーを借りてクレーン付きの大型トラックの運転席に座る。
トラックの荷台は、空っぽだ。何も積んでいない。いつもなら死骸がぎっしり詰まったケースを乗せて東の町シオンタウンに向かうのだけれど、今日の目的地はヤマブキシティの北側、ハナダシティであった。
今宵は満月なのだそうだ。
聞く話によれば、満月の夜になるとハナダシティの西側に聳える山の頂上に、ピッピという珍しいポケモンが大量発生するらしい。――その山の名を「お月見山」と呼ぶ。
その名前の由来は、山の高さにある。カントー随一の高さを誇り、気象環境的にも天候の荒れないその山の頂上は、カントーで最も月に近い場所と言われている。
月とピッピと呼ばれるポケモンの関係性は不明であるが、満月の夜に大量発生するということだけは紛れもない事実なのだそうだ。青年も、そのポケモンについて、子供の頃に絵本で見たりテレビで紹介されているのを見たことこそあるが、本物を見たことは一度もない。それくらい、稀少な存在なのである。
その稀少なポケモンが持つ「月の石」という秘宝。カントーではほぼ採掘されることのない幻の石であるが、なぜかお月見山に生息するピッピが所持していることがあるのだという。
他のあらゆる業務を一旦中断し、組織の構成員がこぞってお月見山に集結させられた目的は、その「月の石」であった。
クレーン車を走らせハナダシティに到着したのは午後十時頃のこと。大型車を町中に停めるわけにもいかず、山の麓まで向かう。
指定された集合場所へ車を転がしていくと、山の麓の開けた原野に数台の大型トラックが停められていた。大型を運転できるやつは全員連れてこいとの指令が下っているとのことであったし、カントー各地にいる組織の構成員が、呼びつけられているのであろうと思われた。
(ピッピを捕まえて、持ってる石を取り上げるのかな)
キーを差したまま車から降りて、高い山の尾根を見上げる。
メダルのように丸い黄金の月は、南中時刻を目指して空高く昇りつつあった。ピッピとやらも、今頃月に誘われ山頂に集い始めている頃であろうか。
どういう理由があってピッピたちが月の石を所持しているかは知らないが、それを取り上げるのは少しだけ可哀相にも思えた。が、とは言え、何十何百というポケモンを地下牢に集めて惨殺するよりは、幾分マシに違いない。
――お前は、着いたら車内で待機していろ。
そのように指示してきたのは、この仕事へ誘ってきた幼馴染の男だ。月の石を山から大量に運び出したらすぐに車を出せるように、とのことであったが、せっかく此処まで来たからには山から荷物を運び出すことくらいは手伝いたい。要領の悪い自覚はあるが、単純な力仕事なら約に立てるはずだ。
そう考えた青年は、クレーン車を置いて降りると、山道の入り口まで向かった。
『おつきみやま』と書かれた看板のそばには、いかにもカタギではない雰囲気の男たちがぞろぞろと集っている。ファンシーな山の名前にそぐわない、厳つい雰囲気がそこら中に漂っていた。その場に集う有象無象は、どれもこれも見覚えのな顔ばかりであった。青年はタマムシシティゲームセンター裏の事務所にしか顔を出したことがないが、きっとカントーのあちらこちらに組織の支部があるのだろう。
今日は「大物」が来るということで、カントー全土から構成員が呼び寄せられている。
中には、屋台で見るような巨大な鍋を担いでいる構成員もいて、まるでお祭り騒ぎであった。
(大きい鍋――月の石がたくさん手に入ったら、祝杯でもあげるのかな)
青年は鍋を担いでいる構成員をチラと見やると、その見慣れぬ構成員と目が合った。目が合うなり、バチバチと火花が散りそうな勢いでガンを飛ばしてくるので、思わず怯む。
「何見てんだよ」と絡まれる前に、そそくさとその場を退いた。――この組織にこんなに大勢の構成員がいること自体知らなかったが、やはり、普通に生きていたら自分とは交わることのなさそうな人種ばかりだ。あまりにも関わったことのない人種であるゆえに、絡まれても対応の仕方がわらがない。
そんなことを考えながら、山道へと足を踏み入れた。
お月見山に入るには、何通りかの道筋があるそうだ。
スタンダードなのは、ニビシティから3番道路を抜けて入る山道と、ハナダシティから4番道路を抜けて入る道。しかしそれらを使うと一般の登山客に遭遇する可能性が高いということで、あまり知られていないハナダの洞窟側から入る道を通るよう指示されていた。
こちらは穴場ではあるが、強いポケモンにかちあう可能性があるということで、充分に注意しながら進んでいく必要があるとのこと。足元も整備はされておらず、丁寧に進んでいかないとすぐに躓いてしまいそうだ。
ということで、必死に配慮しながら歩いていたつもりであったが、近くに生き物の気配を感じ、はっと息を呑んだ。もしかして強いポケモンが近付いてきているのでは、とそちらを警戒した瞬間、足元への注意がおろそかになり、そのまま何かを踏んで転倒してしまった。
「……っ!!」
ばさっと荒々しい音をたてて、地面に上半身から突っ伏す。子供みたいな派手な転び方をしてしまったが、体は大人なので仰々しく全身が軋んだ。
「いててて……」
打ち身になった腕や足をおさえつつゆっくり身を起こすと、足首をひねったような激痛が走る。痛む足首を撫でながらあたりを見回せば、不意に、地面にきらりを光るオレンジ色の石が落ちているのを見つけた。
(……これは?)
なにか丸い物を踏んだ拍子に転んでしまったと思ったが、どうやらこれが犯人のようだ。
暗い夜闇の中でもキラキラと鮮やかに見えるそれは、ただの石ころには見えない。不思議な魅力を感じるし、もしかしてこれが、特定のポケモンを進化させる石とやらなのではなかろうか。
と、石を拾い上げてそんなことを考えていると、ふと、ざくざく草むらを踏みしめるような音がして、ひょっこり男が二人姿を現した。見覚えのない顔ではあるが、厳つい表情をしており、どう見ても、組織の構成員だ。青年が強いポケモンなのではないかと警戒した相手は、どうやら同じ目的を持って山頂を目指す人間共であったらしい。
「……あ? てめえ、そんなところで何やってんだ?」
「おい絡むな。一般の方かもしれないだろ」
対する自分は、「いかにも構成員」という風体はしていない。ただでさえノホホンとした顔付きをしている上に、覇気もなく、おまけに転倒して地面にしゃがみこんだまま泥だらけになっているというサマである。
「あ、いえ……自分も、組織の関係者で、月の石の運搬のために今日ここにきたんですけれど」
同業なので安心して下さい、と伝えつつ、そういえばと手に握りしめた石を見つめた。月の石はカントーにおいては非常に稀少ではあるが、ここお月見山において稀に見つけられることがあるのだそうだ。――ということは、この不可思議な魅力を持つ石が、それなのではなかろうか。
「あの! これ……! 今落ちてるのを拾ったんですけど、これが月の石ですかね!?」
そう思ったので、通り過ぎて行こうとしていた構成員たちに、勇気を振り絞って声をかけた。
いかにもな装いをしている男共に声をかけるのはなかなか緊張したが、これがもし月の石であるならば、自分で抱え込んでいても意味がない。これから山頂でピッピが持っている石を取るのだそうだし、それらと一緒にトラックまで運び込まないと――と、思ったところで、構成員たちからは「あぁん?」と訝るような声が降ってきた。
「月の石じゃねえよ。色が全然違うだろうがよ」
「あ……そうなんですか……」
「んなの、ただの石ころだ」
「大体、拾ったってなんだそりゃ。そんな簡単に見つかりゃ苦労しねえんだよ」
呆れたように言われて、それもそうかと納得する。そうそう簡単に見つけられるものではないから稀少なわけだし、こうして各地から構成員が大量に呼び寄せられているわけだ。
青年は負傷した足を庇いつつ立ち上がり、「そうですよね」と小さく答えた。
「そうですよね……。本来、ピッピが持ってるんですよね。僕たち、それをこれから奪いに行くんだから、こんな道端に落ちているはずが……」
「あ? 奪いに行く?」
素っ頓狂な声が飛んできて、青年は石を握りしめつつキョトンとした。何か変なことを言っただろうか。
すると、男共は顔を見合わせて、古傷の目立つ顔を歪めた。
「てめえ、どこの支部のモンか知らねえが、何もわからずここまでノコノコやってきやがったんだな」
「月の石は、あいつらから錬成するんだろうが」
「錬成?」
聞き慣れない言葉だ。単語そのものの意味もわからず、眉をひそめる。
すると、ハッと男共は馬鹿にするように鼻で笑った。
「ピッピの骨から石を錬成すんだよ。人間じゃあるめえし、ポケモンが石持ってのこのこ歩いてるわけねえだろうが」
「は」
「死んでから骨を抜くんだと質が落ちるらしいからな。捕えたら片っ端から生きたまま煮込んで肉を溶かす。――そのための鍋部隊も用意されてただろうが。気付かなかったか?」
鍋部隊、と言われて、山の麓で見かけた巨大な鍋のことを思い出した。
屋台で見かける何十人分もの料理をまとめて煮立てられるような巨大な鍋で、てっきり山頂で祝杯でもあげるのかと思っていたが、そんなわけがなかった。
あれは、食べ物を煮込むのではなく、捕らえたポケモンを煮込むための兇器であったのだ。
がつんと、激しい衝撃を受けた。
満月の夜にはピッピが大量発生するという。その大量発生を狙う真意はそこにあったのだ。彼らは、月の石の原料そのものだ。原料が多ければ多いほど、成果物も増えるに決まってる。
しかし、そんなことが道徳的に許されるわけがない。否、だからこそ、この組織が請け負うのか。表立っては、出来ない、非倫理的な行為であるからこそ。
(そんな……そんな……)
がたがたと、オレンジ色の石を握る手が震えた。捻った足が妙に軋んで痛む。
そんな青年を見やって、けけけと嫌らしい笑いを浮かべながら、構成員たちは山道を登っていってしまった。
彼らの目指す先は山頂、ピッピが集うという山頂だ。青年もそこを目指さなくてはならないのに――足が言うことを聞かない。
くらくらと、全身の血が下がっていく感覚がした。
どうしてこうも、常々、現実というのは残酷なのだろう――。
――世界の表面だけを、すぐに信じてしまうんだなぁと。
そんなふうに語ったのは、年上の幼馴染だ。間抜けな青年の言動を受けての、素朴な感想であった。
それを言われた時には「馬鹿にされているのかな」と思ったものだが、ようやくその言葉の真意を理解する。
馬鹿にされたって仕方がない。だって、本当に自分は、物事の表層しか捉えることができずにいたのだ。
ピッピの大量発生と聞いて、さぞかし幻想的なんだろうな、なんて、その表面的な意味だけを解釈してのこのこやってきた。
そして今、現実を知ったところで、どうすることもできない。残虐なことはやめろと青年が叫んだところで、誰も聞いてはくれないだろう。
力の入らない足を引きずりながら、静かに山道を登っていく。その間に、何人もの構成員に追い越され、だが誰も青年には見向きもしなかった。
青年は、あまりにも無力だ。この冷酷な世界の裏側において、何の力も持たない。
そうこうしている間に、ふと、周囲に人気が少なくなっていることに気が付いた。
自分以外の構成員たちはとっくに山頂まで登ってしまったのかもしれないし、あるいは、自分が道を間違えたのかもしれない。
(誰の姿も見えないし、暗くて道もよくわからないな)
他の誰かについていって山頂まで登ろうと思っていたため、人気を見失うと完全に迷子だ。
が、もはや、どうでも良かった。
戻れずこのまま遭難するなら、それはそれで良いかもしれない。借金を全て返せずに死ぬのは後ろめたい気もしたが、返済するための金だって、後ろ暗いことをして得たものだ。このまま山の一部になってしまえば、余計なことに心を痛めることなく済むのかもしれない――。
などと、諦めにも近い心地でぼんやり歩いていると、不意に、背後から、声をかけられた。
「――お前、こんなところで、何をしている?」
よく聞き覚えのある声だ。馴染めていないこの黒い組織の中で、唯一青年が信じて頼れる主の声。
「キィくん」
振り返れば、想像した通り、上背のある男がこちらを見下ろしていた。
「どうしてこんなところに……集合場所はこの真裏だし……そもそも、お前にはクレーン車に乗って待っていろと言ったはずだ」
しかしながら、今や、唯一信じて頼れると思っていた彼のことも、真正面からは受け入れられなくなってしまっていた。
自分と彼は、違うのだ。生きてきた世界も、見てきたものも。己を構成する価値観の全てが、激しく乖離している。
「キィくんは――全てを知っているんだよね」
「……あ?」
自分と彼は違うのだから、受け入れるとか、信じるとか、そんなのは全てこちら側のエゴに過ぎない。もともと彼は、青年に受け入れてもらおうなんて思ってもいないだろうし、今この瞬間も、決して真実で物を語ろうとはしないことだろう。それなのに、彼を信じたいと思う――それは、青年の独り善がりに過ぎないのだ。
「知っているよね……キィくんはいつもなんでも知っているんだ、俺には教えてくれないけれど」
「……。……月の石の話を、聞いたのか」
「わかっているよ、優しさなんだよね。俺が真実を知ったら嫌がると思ったから、だから真実の見えない場所で待っていろと命じたし、あえて真実を話そうともしなかった」
「優しさ、というか……そうするべきだと思ったから」
「だけどもう……こんなことを繰り返されたら、俺は何を信じればいいのかわからなくなるよ……!! 今までキィくんが俺に語った中に、真実はあったのか……?? キィくんだけじゃない、世の中の全てが信じられなくなる。俺は表面しか見ることのできない人間だから、その裏側に何が隠されてるかなんて、考えてもわからないし、ただただ不信感だけが募っていって……!!」
つらい、と言いかけたところで、真正面からの冷淡な視線を感じる。
顔を上げれば、幼馴染が今まで見たことのないような冷たい表情でこちらを見下ろしてきていて、言葉を失った。
捲し立てた勢いで、ぜえぜえと息が切れる。
自分が無意味なことを言っているのは重々承知だ。彼の言葉を信じたのは己の勝手だし、信じていたいなどと願ったことも自分の身勝手な欲望でしかない。
この冷たい目をした男は、青年に信頼されたいなどとこれっぽちも望んではいないだろうし、その証拠に、彼はどうしてここにいるのか、何も語らない。「集合場所はこの真裏だ」と語りながら、ならば彼はここで何をしていたのか。――彼はおそらく、真実を語らない。
「これもみんな全て……必要悪、なのか……?」
冷たい目線を注いでくる彼と目を合わせる気にはなれず、地面を睨めつけたまま、呟いた。
人を謀り、ポケモンを惨殺し、生きたまま骨を溶かして、稀少価値の高い品を作って法外な値段で売り飛ばす。
本当に、これを世界は望んでいるのだろうか?
世界は、こんなことを望んでいるのか――?
「……。……歩きながら話すぞ」
男は、青年の問い掛けには答えず、くるりと踵を返した。
このまま山の中で遭難しても良いと思ったけれど、幸か不幸かその機会を逃してしまったようだ。
青年は、先導して歩いていく幼馴染の後を追った。
広く暗い背中が、物理的な距離以上に、とても遠くに思えた。