【完結】妖が如く、月と舞う。   作:askaK

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終章

 

 

 月日の流れは無情なもので、何があろうともお構いなしに、淡々と素知らぬふりをして過ぎ去っていく。

 

 時が経てば経つほど、あの数奇な三ヶ月のできごとは、全て幻なのではないかと思えるようになった。

 

 だって、あまりにも、世界は平和なのだ。

 

 人間とポケモンは仲良く暮らし、互いに信頼しあって生活している。大人たちは誰も皆前向きに、時に汗水垂らし、時にサボりながら世界を盛り立てるべく働いていて、子供たちはそんな大人たちの後ろ姿を見て未来に希望を抱いていた。

 

 それは、青年があの三ヶ月を経るまで見ていたのと何等変わらぬ「表側」の世界だ。暗い影は、どこにも見当たらない。

 

 

 ――あれは皆、自分の幻覚の見せた夢だったのではないかしら。

 

 

 平和な世界で過ごせば過ごすほど、そんな思いが強くなってくる。

 

 

 ただ、ありとあらゆる記憶が薄れていく中で、あの満月の夜、お月見山の山頂で見た光景だけは脳裏にこびりついていて、忘れることができない。

 青年は、モヤモヤと消化しきれない己の心の内を昇華するかのように、時間を見つけてはピッピを模したぬいぐるみを作るようになった。

 

 すると、このピッピのぬいぐるみが、不可思議な運命の糸を辿り始める。

 

 最初にこのぬいぐるみを見つけたのは、トキワシティに住まう子どもたちであったろうか。「欲しい」とねだられたので、特に拒む理由もなく、少年少女たちに配るようになった。すると今度は、持って帰った先の各家庭で「不思議な魅力がある人形」と話題にのぼるようになった。

 

 そもそも、青年があの満月の夜目にした光景にこそ、妖しい魔力と呼ぼうか、不思議な魅力があったのだ。青年はそれを表面的に模倣し、ぬいぐるみに込めたに過ぎない。

 

 それが人々に伝わったのだろうか、じわじわと青年のつくるピッピの人形は口コミで広まるようになった。

 

 

 

 

 一方、青年は、このピッピのぬいぐるみを作るきっかけとなった、あの組織での出来事を、しばらくは心の奥へと封印していた。

 

 故に、家族も含めて、誰も青年があの組織に属していた期間のあったことを、知らない。

 

 にも関わらずどこから情報が流れたのだろう。一度だけ、組織の影を辿り、青年を尋ねてきた人物がいた。

 

 

 

「あなたになら子供を託せると思ったの」

 

 などと、尋ねてくるなり仰々しいことを言たのは、一人の熟年の女性であった。

 

 年の頃は青年よりも少し上であろうか。三十代後半、化粧が濃くてタバコのヤニの臭いのする女であった。

 

「私は昔、あの組織の構成員の男と付き合っていたことがあった」

 

 と、女は語った。

 

 確かに、いかにも、裏側の組織とつながりのありそうな雰囲気のある、怪しげな女である。なんて、人を外見で判断するものではないかもしれないけれど。

 

「でもその男との間に未来をどうしても見出だせなかった。とは言え、一人きりで生きていく勇気もなかったし、組織の中でも一番頭の良さそうだった男を捕まえて、その男の子供を孕んだの」

 

 それを聞いて、ピンとくるものがあった。

 

 ――あいつの女とそれっぽいことになったことがあった。その後、俺の子供を孕んだと、女が証言しやがった。

 

 そう語ったのは、あの組織に属していた、古馴染みだ。

 

 先輩構成員の女とハプニングがあり、身に覚えはないが、子供ができたと言われたらしい。しかし、彼自身は覚えがなかったのだそうだ。何やら薬のようなものを漏られて、その時の記憶が曖昧であった、と。

 

「――それは本当に彼の子供なんですか」

 

 故に、俄に女の言葉が信じられず、疑った。そもそも、どうやって青年に辿り着いたのか知らないが、初対面の相手にこんなことをペラペラ語る事自体からして、怪しい。偽りの臭いがする。

 

「それ以外心当たりがないもの。付き合っていた男とはその間数ヶ月くらい仕事で会ってないし。他の男とは触れあってもないわ」

 

 しかし、女はさらりと言ってのけた。自ら跨ったのは、その男だけだったのよ、なんて下卑たことを付け加えて。

 

「でも、賭けだった。彼にはその気がないようだったし、だから薬を飲ませてみたけど、そんな手が通じるのも一度だけ。その一度だけで子供ができる確率なんて低いし。――でも、できたのよ。だから、運命だと思った。その男に『私と一緒に生きて』と迫ったのだけど……まとまった金だけ渡されて『どこか遠くで生きろ』なんて言われてね。その時は『人でなし!』って罵ったけど、考えてみれば、向こうは自分の子供かどうかも確信はなかったわけだから、言いがかりをつけてきた女を体よく追い払っただけでしょうね。――私は、子供を孕んだまま、逃げ出したの」

 

 なんだか少し、身に覚えのある話だ。それは、青年が組織を抜け出したエピソードとよく似ている。――借金は払っておくからと大量の金の影を示唆されて、そのまま組織から離れた表側の世界へと逃された。青年の経験したことと、非常に酷似していた。

 

 女の話はまだ続いていく。

 

 孕んだのは賢い男の種だから、賢い子供が生まれると思った。

 男は自分とともに生きてはくれなかったけれど、産まれてくる子供の人生は自分のものだ。ゆくゆくは、この子供に自分の人生を救ってもらえばいいだなんて、そんな歪んだ気持ちから赤子を産んだ。

 

 しかし赤子が産まれ、その頼りない生き物の世話にひたすら励んでいると、価値観は徐々に変化していく。

 

 無償の愛を注いでくれるのは親ではなく子供の方だ。

 曇りなき眼でこちらを見上げてくる子供がどうしたって愛おしく、同時に不憫で仕方なくなった。――こんな無情な世界に産んでしまったことを申し訳なく思うばかりだ。自分なんかの下に生まれなければ、もっと幸せな人生を送れたのではないか。もっともっと、彼に、幸せな人生を与えてあげたかった。でも、できない。

 

「――そんなの、今からだって遅くないだろう。まだ子供なんだ、いくらでも幸せになれる」

 

 女の話を聞いていて、青年は思わず口を挟んだ。

 

 怪しい女だ、真実を語っているかどうかも疑わしい――だなんて当初抱いた疑念はどこへやら、思わず彼女に感情移入してしまった。組織から逃げ出したという経緯が、自分と重なったせいかもしれない。

 

「幸せな人生にしてあげたいんだけど……私と一緒にいると、だめなのよ」

 

 すると女は、そんなふうに答えた。

 

「私は馬鹿だから一人じゃ稼げないし、子供のためにも父親を作らなきゃ、なんて思って、いろんな男とたくさん付き合ってきたんだけど、それが裏目に出て――過去の男の一人がヤバい奴でね、逆恨みを買って命を狙われてるの。あたしと一緒にいると、あの子まで殺されるかもしれないから、私は、あの子のもとを離れることにしたのよ」

 

 その決意ができたからこそ今ここにいるの、と、自嘲するような笑みが、虚しく心に突き刺さる。

 

「子供は既に孤児院に託してきたから、もう大丈夫。でも自分がいなくなったら、彼の父親を知る者がいなくなってしまうから……そこで、誰かに真実を全て打ち明けておきたかったの」

 

 随分と身勝手な話だ。だからどうしてくれ、という依頼ですらない。胸の内を吐き出して、すっきりしておきたかったというだけ――それはまるで遺言状のようなものだ。そんなものを初対面の女から突如託されて、一体どうすれば良いというのか。

 

 女は結局、言いたいことだけ告げて、去っていった。その後、彼女がどのような運命を辿ったのか、男には知るよしもない。どこかで平和に生きていてくれれば良いと思うが――託された遺言の内容からして、望みは薄かろう。

 

 

 

 これを期に、幻のように思えていたあの時の記憶が、途端に現実味を帯びるようになった。

 

 やはり、あの組織は存在したのだ。

 そして今も、世界の裏側で暗躍し続けている。

 

 男はそう確信した。

 

 表側からは見えない世界の向こう側で、彼らは確かに生きている――。

 

 

 

 

 

 

 

 それからも青年は己の感情の捌け口としてピッピの人形を作り続けた。

 

 口コミは広がり続け、大きな話題となり、やがては遠くの街からもわざわざ人形を求めるためだけに町へやってくる人間まで現るようになった。

 

 

 作っても作っても需要に供給が追いつかず、一年先まで予約で埋まるほど。

 

 なんでも巷では、青年のつくるピッピ人形には魔力が宿ると言われているらしい。持っていると癒やされるセラピー効果があるといわれ、その効果が人間のみならずポケモンにも等しく作用するようなのだ。

 

 手持ちのポケモンがやけにピッピ人形に懐いているという話や、凶悪なポケモンと出会ったときにこの人形を投げたことによりポケモンの気がそれ逃げることができたという都市伝説めいたものまで。それらが尾ひれ背びれを付けて広まって、ますます青年の作るピッピ人形の価値を上げた。

 

 

 そして、その話題はカントー全土に轟き渡り一大センセーショナルを呼びおこした。

 

 やがて、噂を聞きつけたとある大企業が青年のもとに相談にやってきたのは、彼がピッピ人形をこさえるようになって数年経った時のことだ。――今は手作業で一つ一つ人形をこしらえていることと思うが、そのノウハウを売ってくれれば、製造ラインを提供することができる。ともに、ビジネスを成功させないか――と。

 

 

 もともと儲けようとして始めた作業ではなかった。ゆえに、ビジネス化することには正直、興味がない。

 

 だが、欲しいと言ってくれる人全員に行き届かない現状は心苦しく思っていたため、「では試しに」と話に応じた。

 

 ――その企業の名を、シルフカンパニーという。

 

 ヤマブキシティに本社を構える、カントー随一の大手メーカーだ。

 

 

 あれよあれよという間に話は進み、数ヶ月後にはシルフカンパニー傘下の工場において、ピッピ人形が量産される運びとなった。

 

 シルフカンパニーが製造を始めたことで瞬く間にピッピ人形の噂は海外にまで広がり、海外からも製造権利の問い合わせがくるまでになった。

 

 正直、権利の問題など、難しい話は青年にはわからない。そのあたりの管理も全てシルフカンパニーに譲渡して、青年は趣味でぬいぐるみを作り続ける日々へと舞い戻った。

 

 

 権利関係の管理がどうなっているのか難しいことはわかないものの、人形が売れるたびにわずかながら青年の手元にもお金が入るようになった。――聞く人が聞けば、あまりにも微々たるものであり、搾取であるという話もあるが、青年としては気にならなかった。そもそも、お金のために始めたことではない。とはいえ、ありがたいことに違いはなかった。

 

 身にそぐわぬ贅沢でもしない限り、この収入で充分に生活していけそうだ。

 

 

 ――お前は商才がなさそうだからな。腕前としては充分、転機さえあれば、なんとでもなりそうだ。

 

 

 かつて青年の人形作りの腕前を見て、そう評してくれたのは誰だったか。

 

 確かに、その言葉の通りとなったわけである。

 

 偶然ではあるが、契機を得て、青年の人形作りの腕前は日の目を見るに至った。

 

 

(しかし、それは本当に――偶然だったのか??)

 

 

 なぜだか、青年はこの幸運を真正面から受け止められずにいる。

 

 

 全ては、偶然などではなく、仕組まれた必然だったのでは?

 

 なぜなら、自分には見えていない、この世界には確かに裏側が存在しているわけで――これらは全て、裏側の世界から糸を引かれ、図られた出来事だったのではないか、なんて。

 

 全ては、最初から仕組まれていたのではないか、なんて。

 

 

 穿った見方をしてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――と、いうわけでね、俺はたまに、この世界の裏側のことが、気になって仕方がなくなるんだよ」

 

 ぽつり、ぽつりと吐き出す言葉は、決して流暢ではない。もともと、器用なのは手先だけ。人に何かを伝えることは、苦手だ。

 

 己の半生を語った男は、酒の入ったグラスをカウンターにおいて、そっと小首を傾げた。

 

 傍らで話を聞いていた若者は、今日初めてこのバーで出会った初対面の相手だ。拙い物語にもかかわらず、賢明に耳を傾け、要所要所で相槌をうってくれた、良い聞き役であった。が。

 

「裏側の世界、ねえ。なんか陰謀論ていうか、都市伝説っていうか、そんなかんじがして、面白いですね」

 

 律儀に話を最初から最後まで聞いてくれた良い聞き役ではあるが、まるで本気にはしていない。酔っ払いの語る戯言として、聞き入っていただけのようだった。

 

 カウンター奥にいるバーテンも「このおじさん、酔うといつもこの話をするんだよ」と若者に向けて失笑している。

 

 ということで、長々と語った己の半生であるが、まるで真実としては受け入れられてはいなかった。が、本気にされないのはいつものことである。男も、気にしてはなかった。

 

 もとより、誰かに伝えたくて語っているわけでもない。これは、己の胸の内を整理するための儀式みたいなものだ。

 

 ――ゆえに、たびたびこうして場末のバーにきては、酔ったふりをして思いの丈を吐き出している。

 

(場末、なんていったらオーナーは怒るかもしれないけれど)

 

 場末のバー、男が行きつけにしているこの店は、大都会ヤマブキシティのはずれ、シオンタウンへ向かう道の途中にあった。

  

 もともとヤマブキシティのオフィス街に務める人々を集客しようとここにバーを構えたらしいが、実際にはシオンタウンで働く墓守たちの憩いの場となっている。もちろんそれが悪いというわけではないのだが、なんとなく辛気臭い雰囲気になるのは葬儀の後に通い詰める人が多いためであろう。

 

 もっとも、男はそんな空気感が気に入っていて、ここに足繁く通っているわけだが。

 

「――それで、おじさんのその古馴染みっていう男の隠し子? は今、どうしてるんです?」

 

 本気にしているわけでもあるまいに、隣の席に腰掛けた若者は、気軽に問いなど投げてきた。良い酒の肴とでも思っているのかもしれない。

 

「……それ以来、母親の姿は一度も見ていない。が、子供のいる孤児院には、何度か足を運んだことがある」

 

 しかし、こんなのは相手が真に受けていないと思うからこそできる話だ。世界の裏側の話なんて、シラフの相手に聞かせる内容ではない。

 

「子供に会う時は、母親の話も父親の話もせず、ただ世間話をするだけの、話し相手になった。――その彼が、まもなく十歳の誕生日をむかえるんだ。子供の成長って、早いよな」

 

 男はふふと笑みをこぼした。

 

「年相応に、夢を見ていてさ、十歳になったらジムチャレンジに挑戦して、最強のポケモントレーナーになりたいだなんて語るものだからさ――思わず、口を滑らせてしまった。君のお父さんは、本来なら最強のポケモントレーナーになり得た男だと。運悪く、表の世界に出ることは適わなかったけれど。おそらく、実力だけなら今も、きっと」

 

 それはつい先日の話であった。言うつもりのなかった真実を、彼の子供に伝えてしまい、その罪悪感から場末のバーで何時間も酒を飲み続けている。

 

 そんな彼の話を作り話と思って疑わない傍らの若者は、「ふうん」と面白そうに相槌を打った。

 

「ふうん。その少年、ずっと身寄りがないと思っていた自分には、最強の父親がいると知ったわけだ。――彼は喜んでいた?」

「ああ。それはもう、目をキラキラ輝かせて」

「なら、良かったじゃないですか。子供に希望を与えることができたんだ」

「果たしてそれは、希望なのかな……俺は余計なことを言ってしまったんじゃないかと、今でも、不安になる」

 

 夢は必ずしも人を救わない。男が壮絶な半生の中で学んだ重要な教訓だ。

 

 それなのに、年若い少年に夢を抱かせてしまった。十歳だなんて、最も未来に期待を抱く年頃の子供に、なんて無責任なことをしてしまったのだろう。やがてその希望が、彼に癒えない傷をもたらすかもわからないのに――。

 

「……」

 

 男は、本日何度目かわからない自己嫌悪に陥る。俯いたまま黙りこくった男を眺め、隣の若者は瞬いた。

 

 アルコールの入ったグラスを傾けたまま固まっているので、酔っ払って酩酊状態になっていると思われたのかもしれない。

 

「……。……俺、そろそろ行きますね」

 

 これ以上、酔っ払いの相手をする必要もないと考えたのだろう。男を置いて、若者は会計をすませ、店を出ていった。

 

 聞き役もいなくなり、カウンターに残された男は、無言で酒をすするのみである。狭い店内には自分の他に喋る者もなく、自分が口を噤んだ途端に静寂が訪れ、小洒落たBGMがよく聞こえるようになった。

 

(……今日もまた、あの頃の出来事を語ってしまったな)

 

 バーテンの言う通り、酔っ払っては同じ話ばかりしている。酔いに任せ、同じことばかり繰り返す、面倒な中年と化していた。

 

 面倒な中年だと、自覚はしているのだけれど、こうしてたびたび吐き出しておかないことには、過去の出来事が風化していくような気がして、怖いのだ。

 

 全ては本当に幻だったのではないか――なんて、最近では自分でも自分の記憶を疑うようになってしまって、ますます恐ろしい。

 

 

 あれは夢ではない。全て、本当の出来事だった。

 あのとき感じた痛みも辛さも、はっきり覚えている。

 

 そのはずなのに。

 

 

 

 

「――隣、いいか?」

 

 

 

 

 考え事に耽りながらぼんやりと酒を眺めていたところ、不意に、空いたカウンター席へと移動してくる影があった。

 

 影、と表現したのは、影と見紛うくらいにその相手が黒一色に包まれていたためだ。

 

 黒のロングコートに黒のスラックス、黒の帽子を深く被っている。カウンターの後ろ側の席で一人で飲んでいた、上背のある男だ。

 

「随分、興味深い話を聞かせてもらった――産まれた子供がすくすくと成長しているようでなによりだ」

 

 男の語る物語は、後ろ側の席へも漏れていたらしい。

 

 もとより隠すつもりもなく大っぴらに語っていたので、それ自体は、どうでもよい。どうせ、この男も話半分、信じているわけではないだろう。

 

 酔っ払って変な話をする中年がいると笑っているに違いない――そう思って顔を上げ、横を見て、固まった。

 

 黒い帽子の下に隠された面持ちに、見覚えがある。

 

 十年ぶり以上に見る、その横顔。当時より年を取ってはいるが、老けたという印象はない。威厳と言おうか覇気と呼ぼうか、異様な雰囲気を纏うようになった、というのが最初に抱いた感想だ。

 

 

「お前も随分と成長したみたいじゃないか」

 

 男は、目を丸々と見開いた。

 

 都市伝説だ妄想だなんだ、語るたびにバカにされてきた物語の登場人物が、突如次元を越えて目の前に現れた、かのような。

 

「昔会った時は、しがない清掃派遣だったな。それが今や、世界に名だたるピッピ人形の製造主だって?」

「……。……製造主、というか……アイデアを貸しただけ、だよ……製造ラインはシルフカンパニーのものだから」

 

 俺はただの権利貸しでしかなくて――と台詞の末尾が消えていく。

 

 そんな話がしたかったわけではない。十年ぶりの再会なのだ。もう二度と会えることはないと思っていたが、もしも会えたなら――話したかったことは、他に山程あったはずだ。

 

 

 お月見山で別れた後、どうなったのか。

 ピッピたちは、構成員たちは、どのような運命を迎えたのか。

 

 自分の借金はどうなったのか。

 あの後まるで何もなかったみたいに借金取りに追われることはなくなったけれど、本当にあの石一つで足りてしまったのだろうか。それともまさか、貴方が肩代わりしてくれたのか。

 

 貴方は、あれから、どのような日々を過ごしてきたのか。あれからもずっと、あの組織にいたのか。世界の表側には決して見えないような仄暗い底の仕事を続けていたのか。

 

 それならそれでもよい。あの後も、ずっとずっと――元気に健やかに暮らしてこれたのであれば、それで良い。良いのだけれど。

 

 

「キィくん……」

 

 

 ぽつりと呟くと、男はタバコを一本咥えると、ははと笑った。

 

 その笑顔には、十年前の、否、二十年以上前の面影が、確かに残っている。威圧感もオーラも何もかも、あの頃とは似ても似つかないけれど、その笑みは、田舎町トキワシティで少年時代に見た微笑みと同一だ。

 

「……さすがに、今、俺をその呼び方で呼ぶ人間は、世界中のどこを探してもお前の他にいないな」

「でもだって、俺にとっては、ずっとキィくんはキィくんだ」

「キィくん、なぁ……」

「俺に優しくしてくれた、近所のお兄さんだよ……今も昔も、ずっとずっと……」

「――組織の連中が聞いたら腰を抜かすかもしれん」

 

 コートの内ポケットから取りだしたライターで、タバコの先に火を付ける。煙の立ち上る様子が懐かしく、大型クレーンを運転していた3ヶ月の間のことを彷彿とさせた。――たった3ヶ月のことではあるが、男の人生の中で最も濃密な3ヶ月であったことに相違ない。

 

「まだ、組織にいるんだな……俺が世話になった構成員のみなさんは?」

「……世話になった?」

「うん、事務所でクレーン車のキーを渡してくれたりとか」

「……世話んなったと思ってるのは、お前の方だけだろうよ。向こうは便利なコマくらいにしか思ってない。あんな奴らのことは忘れろ」

「そんな……。……じゃあ、ボスは?」

「ボス……?」

 

 世話になったというのはおこがましいかもしれないが、さすがに忘れる必要はなかろう。

 

 というより、忘れたくとも忘れられない。

 

 飄々とした優男の皮を被った、化け物であった。巨大蛇のような、あの異様な雰囲気を、忘れたことなどあるわけもない。

 

 あの組織のボスは今、健在なのだろうか――。

 

「十年前のボスという意味なら、もういないな」

「え……?」

「あー……元気にはしているぞ。引退して隠居生活だ。たまに連絡はくるが、喧しくてかなわん」

「そうなんだ……今も仲良しなんだね」

「仲良しというか――説教ばかりだな」

「説教……?」

「なんせ今、組織のボスを務めるのは、俺だからな――」

 

 たばこの煙をくゆらせて、ライターをコートの内側にしまう。コートをめくるその刹那、その内側に、胸元にきらりと光る銀色のロケットが見えた。十年前、当時のボスがどうしても彼に継承させたがっていたものだ。

 

 それが意味するところを、男は今もまだ知らない。――だが、きっと、組織にとってシンボルのような、何かしら深い意味を持つものなのだとは、思う。

 

「そう……キィくん。ボスに、なったんだね……」

「俺の、夢への踏み台として、な」

 

 くくと喉の奥で噛み殺すように、黒影の男は笑った。

 

 その笑みになぜか、怖気だつ。本能的な、恐怖が背筋を駆け抜けていくようだ。

 

「俺の夢は、この世界に復讐をすることだ」

「復、讐……?」

「世界征服、と言ったら、お前の心にも響くかな。――なあ、俺の夢を、聞いてくれるか?」

 

 カウンターに肘を付き、こちらを睨めあげてくるその視線を受けて、逃げ場を失ったことを悟った。

 

 それは食物連鎖の頂点に立つものの眼差しだ。ロックアウトされたら最後、もう逃げることはできない。

 

「俺は組織の頂点にまで上り詰めたが、それ自体が目標というわけではない。正直、組織の長の座なんざいつ返上しても構わないし、組織ごと解体したって俺としては何の問題もない――俺の目標は、もっと先にある」

「もっと、その先……?」

「とある筋から、こんな話を聞いた――どこぞの研究所で、人工的に世界最強のポケモンが作られたらしい。しかし、最強であるがゆえに研究所ごと破壊して、外へ逃亡。未だにその行方は掴めていないらしい」

「世界最恐の……ポケモン……」

「信憑性のほどは何とも判断し難い、が……仮にもしそんなポケモンがいるのなら、俺と同じように世界を憎んでいるはずだ。この世界に復讐しようと考えているかも」

 

 突然語られる突拍子もない物語に、男は閉口する。しかし、彼が冗談を言うような人間ではないことは、よくよくわかっている。

 

 彼の吐き出す言葉には、全て、意味があるのだ。

 

「そんなポケモンがいるのなら、是が非でも我が手中におさめたい。しかしそうそう簡単に手に入れられるものでもなかろう――そう悩んでいたところ、シルフカンパニーにおいて、どんなポケモンでも必ず捕えられる特殊なアイテムが開発されているという噂を聞いた」

 

 マスターボールと言うのだそうだ、と隣の男は低い声色で告げてきた。

 

 ――マスターボール。

 

 モンスターボールに特殊な加工をくわえた製品、ということであろうか。しかし、どんなポケモンでも必ず捕えられるだなんて、そんな都合の良い道具が本当にこの世界に存在するのか。

 

 少なくとも、そんなものを男は聞いたことも見たこともない。

 

 だが、男が思うよりもずっと、世界は広くて複雑なのだ。

 

 自分が見たことないからと言って「そんなものはない」と断言するものではないし――それに、シルフカンパニーにならできるのかもしれない。あの謎めいた技術力を持つ、大企業であれば。

 

 

「俺と志を等しくしているであろうポケモンを手中におさめ、ともに世界へ復讐をする。これが俺の夢だ。――なあ、どう思う?」

 

 

 ぎらりとその瞳の奥に、強い感情の渦を覚える。その覇気にとらわれ、なぜだか半ば恍惚としてしまった。

 

 肉食獣に食われる瞬間に、草食獣は痛みを和らげるため、恍惚としてしまうことがあるそうだ。恐らく、それに似たような感覚。

 

 どうして、この畏怖から、逃げ出すことができよう――。

 

 

「――それが夢なら、応援するよ。昔から、そう言っていたじゃないか。俺にとって、キィくんは恩人なんだから」

 

 

 応援する。それ以外に選択肢はない。

 

 そう告げれば、隣男は、ふふと笑った。昔見たのと何ら変わらぬ笑顔から、白い煙がゆらゆらたちのぼる。

 

「相変わらずの、お人好しだな」

 

 褒められているわけではないと思う。しかし、責められているわけではないし、呆れられているわけでもない。――その笑みには一種の愛情のようなものを感じる。なんていうのは、こちら側の希望的観測でしかないかもしれないけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男が裏側の世界で働いていた、数奇な三ヶ月から十年と少し。

 こうしてまた、男は世界の裏側を覗くこととなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カントー随一の大手メーカー、シルフカンパニー。

 

 その大企業が、マフィア集団に乗っ取られることとなるのはこの半年後のことだ。

 

 最新の技術を駆使し、厳重なセキュリティ体制を敷かれていたシルフカンパニーの深部に、どうやってマフィア集団が潜り込むことができたのか、その内情を知るものは少ない。

 

 あるいは、シルフカンパニー内部に精通するものによる手引があったのではないかとまことしやかに囁かれてはいるものの、真実は闇の中だ。

 

 

 

 

 そのマフィア集団の名を、俗称でロケット団と呼ぶ。誰かがそう呼び始めたのか、あるいは自らそう名乗ったのか。名前の由来は不明だ。

 

 

 そして当時、その頂点に君臨する男の名を、サカキと言う。彼がトキワシティに何かしらの縁を持つという事実は、知る人ぞ知るトップシークレット――。

 

 トキワシティの片田舎、親が古びれた民家を買い取って、幼少期の数年を、サカキが過ごしていたことを、多くの人間は知らない。

 

 

 

 ――おにいさん、ここ、おにいさんのいえ?

 ――そうだが?

 ――おにいさん、なまえ、なんていうの?

 ――そこの表札に書いてあったろうが。

 ――かんじ、よめなかった。

 ――……キ。

 ――え? キィ?

 ――サカキ。

 ――キィくん? キィくんだね?

 ――いや……。

 ――ちがう?

 ――……。それでいい。

 

 

 どんな記録にも残されていない、関係者の脳裏にのみ刻み込まれた、機密情報だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界は表裏一体。裏が存在するからこそ、表側が成り立つ。

 

 裏側の闇を真正面から否定して許されるのは、無邪気な子供の特権か、それとも――。

 

 

 

 

 

 

 

 これは、手先の器用な青年の、数奇な半生の物語だ。

 

 残りの半生、彼が表か裏か、どちらの世界で生きていくのかは、エンドロールのその先に。

 

 




終わりです。

2DSを買った時に、ウン十年ぶりに初代赤緑をやったら、サカキ様が思ってた以上にマフィアだったので、書きたくなった物語でした。

最後まで目を通してくださったみなさま、どうもありがとうございました。
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