そのメールが届いた時、俺は部屋でカップ焼きそば(大盛)の湯切りをしていた。
『件名:【始球式のご依頼】阪〇タイガース球団本部』
「あちっ!?」
俺はシンクに焼きそばをぶちまけそうになった。震える手でスマホを握りしめる。あの、〇神タイガースから?この俺に?
「ゆ、夢じゃありませんわよね……?頬をつねってみますわ」
つねった。痛い。ウマ娘の握力なので激痛だ。涙が滲む。だが、それは痛みのせいだけじゃない。
「出ます……!出させていただきますわ!ギャラなんて要りません!むしろ払わせていただきますわーーッ!!」
―――今まで金(食費)にしか興味を示さなかった「銀髪の悪魔」が、初めて金銭度外視で即答した瞬間だった。
そして、背番号の希望を聞かれ、俺は迷わずキーを叩いた。
『背番号はもちろん『85』でお願い致します!』
1985年。伝説の日本一。そして、最強助っ人バースの番号。俺の信仰心の表れだ。
■
試合当日。甲子園球場。360度を埋め尽くす観客。浜風の匂い。カクテル光線の輝き。ウグイス嬢のアナウンスが響く。
『本日の始球式を務めますのは……動画配信者、生粋の阪神ファン!そして、今話題の超人コスプレイヤーの、メジロマックイーンさんです!』
「うおおおおおおお!!」
「マックイーーーン!!」
「出たな銀髪の悪魔!!」
「六甲おろし歌ってくれー!!」
地鳴りのような歓声の中、俺はベンチを出た。
ユニフォームは伝統の縦縞。背中には『McQueen 85』。
下はいつものスウェットではなく、球団から用意されたショートパンツ。鍛え上げられた(というか種族値が高い)太ももが露わになっているせいだろうか、観客席がどよめく。
だが、俺の心境はそれどころではなかった。
(ここが……マウンド……)
一歩踏みしめるたびに、土の感触が足裏に伝わる。子供の頃からの憧れ。テレビ越しに応援し続け、時には現地に赴き、ヤジを飛ばし、涙を流した聖地。
30数年の人生が走馬灯のように駆け巡る。
「……うっ……ううっ……」
マウンドに立った瞬間、俺の目から大粒の涙が溢れ出した。美しい顔がくしゃくしゃに歪む。
「いけませんわ……感無量ですわ……死んでもいい……」
「えっ、泣いてる?」
「ガチ泣きじゃん」
「緊張してるのか?」
「違う、あれは「聖地に立てた喜び」で泣くファンの顔だ」
■
キャッチャーミットを構えるのは、正捕手。バッターボックスには、相手チームの強打者。俺は涙を袖で乱暴に拭い、ロージンバッグを手に取った。
――パフパフ。白い粉が舞う。
「ふぅーっ……」
大きく深呼吸。俺はセットポジションに入った。観客が固唾を飲んで見守る。SASU〇Eで見せた身体能力が脳裏にあるのだろう。彼らの視線一つ一つが物語っている。
豪速球か?それとも暴投か?
期待を背に、俺は体を沈み込ませた。深く、深く。地面スレスレまで。
「……え、アンダースロー?」
解説席の掛〇さんが声を上げた。
「あの低い姿勢……往年の小林繁投手を彷彿とさせますねえ」
そう、俺が選んだのはサブマリン投法。なぜか?
単純に「かっこいいから」だ。そして、ウマ娘の強靭な足腰と背筋があれば、下から投げ上げる方が遠心力を最大化できると本能が告げていた。
■
「いきますわよ……!」
俺は気合を入れて、地面を這うように踏み込んだ。右手が地面を擦りそうな位置から、ムチのようにしなる。リリースの瞬間、指先に全ての体重とバネを乗せた。
ドォォォォンッ!!
爆発音のようなリリース音。ボールは地を這うような軌道から、物理法則を無視してホップした。重力に逆らい、唸りを上げて浮き上がる「火の玉ストレート」だ。
バッターは腰が引けて手が出ないようだ。俺の目から見えるキャッチャー、彼の目が恐怖で見開かれる。
ズバァァァァァァァンッ!!!
捕球音というより、破裂音。ミットにボールが収まった……いや、めり込んだ音が球場全体に響き渡った。
球場が静まり返った。そして、スコアボードに球速が表示される。
『163km/h』
「「「うわああああああああああ!?」」」
どよめきが爆発に変わった。キャッチャーが手をブラブラと振って痛がっている。そして、ウマ娘の耳には、その小さな囁きが聞こえてきた。
「い、痛ってぇ……鉛玉かよ……」
「よ、よく捕れましたね。全く手が出なかった……え?彼女、コスプレイヤーだよね?」
「らしいですよ……イテェ……」
■
解説席の〇布さんが、興奮してマイクを握りしめていた。
「いやあ、すごいですねえ!下からあの軌道で、あのスピード。全盛期の藤川球児君をアンダースローにしたような、まさに魔球ですよ!」
その実況がスピーカーから聞こえた俺は、マウンドでガッツポーズをした後、深々とお辞儀をした。そして、ある事をするために、その場にしゃがみ込んだ。
「……持って帰りますわ」
ポケットからジップロック(持参)を取り出し、マウンドの土を詰め始めた。甲子園球児がやるやつだ。だって、記念だもの。こんなの望んでもできないもん。
「おいおい、ジップロック持ってるぞ」
「用意周到すぎるなぁ……生粋のファンだな、ありゃあ」
「土食べてない?大丈夫?」
「はー。彼女、伝説作ったなぁ」
俺は土の入った袋を宝物のように抱きしめ、スタンドに向かって手を振った。
「皆さま!感謝いたしますわあああああああ!!タイガース優勝してくださいましいいいいい!!」
マイクを通していないのに、スタンド上段まで届く絶叫。それは「メジロマックイーン」の声ではなく、完全に「一人の野球好きおじさん」の魂の叫びだった。
■
そして、出番を終えた俺は、ベンチ裏で球団関係者に囲まれていた。
「スカウトの方々が話を聞きたいと……」
「メジャーリーグの代理人が……」
「来季のローテーションに入れませんか?」
名刺の山を前に、俺はきっぱりと断った。
「お断りしますわ。私はあくまで一介のファン。……それに」
俺は用意された弁当(選手用特注弁当・3個)を開けながら言った。
「プロ野球選手になったら、シーズン中は好きなものが食べられませんもの。それに、タイガースを応援できなくなってしまいますわ!そんなの耐えられません!!」
そう言って唐揚げを放り込む銀髪の美女。
その「剛腕」と「食欲」は、またしても新たな伝説として語り継がれることになった。
なお、その日の試合は、俺の始球式のインパクトが強すぎて、試合内容を誰も覚えていないという事態になったらしい。