「走る……。そうですわ、私は走るために生まれてきたんですもの」
秋晴れの休日。俺は山梨県の果樹園に来ていた。運転手はタカシ。こいつが運転するレンタカーの助手席で、俺は殊勝な顔で呟いた。
「へぇ、お前がトレーニングなんて珍しいな。てっきり食いに行くのかと」
「失礼な。東京マラソンに向けた、高地トレーニングの一環ですわ」
そう、俺はエントリーしたのだ。東京マラソンに。老婆との約束、そして自分の中の「走りたい」という本能に従って。
だが、今の俺の目は、トレーニングコースではなく、入園ゲートの看板に釘付けだった。
『シャインマスカット&巨峰 食べ放題(時間無制限):3,000円』
「……まあ、走る前の『燃料補給』は不可欠ですわよね?」
「やっぱりそっちかよ!」
■
園内に入ると、甘い香りが漂っていた。たわわに実る紫と緑の宝石たち。俺はカゴとハサミを受け取ると、農園のおじいちゃんに尋ねた。
「あの、本当に『無制限』でよろしくて?」
「んだよ。お嬢ちゃんみたいな細い子がいくら食べたって、たかが知れてるべ」
「……言質、取りましたわよ?」
せっかくなので、配信をスタート。タイトルは『マラソン前のカーボローディング(果物編)』。
「では早速。お爺様。遠慮なく……いただきますわ!」
パチン!と、ハサミを入れる音が響く。そして、その場でマスカットを放り込んだ。
「んん〜っ!弾けますわ!果汁の濁流ですわ!」
「そうだべそうだべ。たんと食べてきなぁ」
「ありがとうございます!美味しいですわぁー!
最初こそ、マスカットをを一粒ずつ、お上品に食べていたが、徐々に物足りなくなってくる。
「んもう!まどろっこしいですわね!」
房ごと口に近づけ、掃除機のように吸い込む。皮と種?ウマ娘の強靭な消化器官なら、そのままエネルギーに変換可能だ。多分。それよりもこの美味しいシャインマスカットを今は楽しまなければ!あ、あと、こちらの巨峰も!
「マスカットと違って濃厚な甘み……これが巨峰の実力ですわー!」
シャインマスカット一房、所要時間30秒。巨峰一房、40秒。交互に喰らっていくと、コメントがやたらと流れ始めていた。
『ペース速すぎw』
『種マシンガン発射しそう』
『カーボローディングの概念壊れる』
『農園のおじいちゃんの顔見てみろw』
え?と思って、視界の端に映るおじいちゃんを見てみる。すると、さっきまで余裕の笑顔を浮かべていたはずのおじいちゃんが、口を開けて固まっていた。
「あ、あれ……イノシシか何かか……?あっちゅうまに……」
■
―――2時間後。
俺が通った後のエリアには、葉っぱしか残っていなかった。食べた量、ブドウ70房。市場価格にして数万円分。
「ふぅ……ビタミン、充填完了ですわ」
俺は満足げに手を拭いた。ちなみにタカシは、あまりにもひでぇってことで、農園側に土下座して、追加料金(迷惑料)を払っている。
「二度と来るなとは言わねぇが……次は予約制にしてくれ……」
おじいちゃんは涙目で言った。
しかし、この配信がバズり、「マックイーンが食い尽くすほど美味い農園」として予約が殺到。結果的に農園は救われたのだが、俺は見事にブラックリスト入りし、入り口には『馬(ウマ娘含む)お断り』の看板が立てられたのだった。
■
シャインマスカット事変から少し。2月。東京マラソン当日。
3万人のランナーでごった返す新宿都庁前。俺は「一般参加ランナー」として、最後尾に近い『Kブロック』に並んでいた。
「寒いですわ……。スタートまで30分も待つんですの?」
周りはコスプレランナーだらけだ。
フリーザ様、ピカチュウ、そしてナスビの着ぐるみ。その中に混じって、メジロマックイーン姿の俺がいる。
服装は、いつものグレーのスウェット……ではなく、タカシが用意した「特注の勝負服」だ。黒を基調とし、鮮やかな青いラインが入った、体にフィットするランニングウェア。ポニーテールにした銀髪が、冬の風に揺れる。
「おい、あれYou〇uberのコスプレマックイーンじゃね?」
「うそ、本物?」
「なんであの超人がKブロックにいるんだよw」
周りのランナーがざわつき、スマホを向け始める。俺は軽く手を振った。
「ごきげんよう。皆様、完走目指して頑張りましょうね(私は優勝しますけど)」
『さあ、まもなく号砲です!今年も国内外から招待選手が集まりました!』
実況アナウンサーが叫ぶ。解説者の瀬〇さんが、モニターを見て首を傾げた。
「ん?……後ろの方に、なんかすごいオーラのある子がいますね」
「ええ、SNSで話題のコスプレイヤーフードファイター、マックイーンさんですね。一般枠での参加のようです」
「フードファイター?……いや、あのふくらはぎの筋肉、只者じゃないですよ。あ、でも、確かにスタート前におにぎり10個食ってましたね。走れるんでしょうか?」
■
バンッ!!号砲が鳴った。紙吹雪が舞う。だが、最後尾のKブロックがスタートラインを越えるまでには、20分近くかかる。
「動きませんわ……」
牛歩戦術のような列。俺の体が、ウズウズと疼く。「走りたい」という本能が、リミッターを外そうとしている。
ようやく俺がスタートラインを踏んだ時、先頭集団はすでに5キロ以上先に行っていた。まぁ、そのぐらいのハンデがあったほうがいいだろう。
「……お待たせしましたわ」
俺は時計のボタンを押した。スイッチが入る。おっさんのダルそうな目が、獲物を狙う猛禽類の目に変わる。
「では……行きますわよ!!」
そうして、俺は飛び出した。周りのランナーが「えっ?」と振り返るほどの風圧。人混みを縫うように、スラローム走行で加速する。
「失礼!あらごめんあそばせ!お先に失礼いたします!」
『ごきげんよう』と言いながら、時速20キロ以上のペースでコスプレ集団を抜き去っていく。フリーザ様を抜き、ナスビを抜き、サブ4(4時間切り)狙いの集団を一瞬で置き去りにする。
その姿は、まるで渋滞する高速道路をすり抜けるバイクのようだった。カメラが、後方から迫る「銀色の弾丸」を捉え始めていた。
■
10km地点。俺はすでに数千人を抜き去っていた。
息?全く切れていない。
心拍数は平常時と同じ。
なんなら、「沿道の焼き鳥屋の匂いが気になる」くらいの余裕がある。
『速い!速すぎる!Kブロックスタートのマックイーン選手、現在500位あたりまで上がってきました!』
沿道の観客が叫ぶ。
「マックイーーーン!!」
「頑張れーー!!」
「何か食ってけーー!!」
俺は走りながら、沿道の子供が差し出した飴玉をひょいと受け取り、包装を剥いて口に入れた。
「糖分補給!ありがとう存じます!」
そしてあっという間の20km地点。銀座。俺の視界に、ゼッケン一桁台の「実業団ランナー」たちの背中が見えてきた。
「あら、もう追いつきましたわ」
彼らはキロ3分台のハイペースで走っているエリートだ。だが、俺にとっては「少し早歩き」程度の感覚。俺はスルスルと彼らの横に並んだ。
「いいペースですわね。引っ張っていただき感謝しますわ」
「!?」
実業団ランナーがギョッとして横を見る。涼しい顔をした美少女が、並走しながら話しかけてきたのだ。しかも、息一つ乱さずに。俺だったら驚愕してひっくり返るね。
「な、なんだ君は……?」
「通りすがりのウマ娘……いえ、一般市民ランナーですわ」
俺はニッコリ笑うと、ギアを一段上げた。
「では、お先に」
ダッ!!一瞬で加速。エリート集団が、まるで止まっているかのように置き去りにされた。
■
『じ、事態が飲み込めません!一般参加のマックイーン選手、なんと先頭集団……ケニアの招待選手たちに追いつきました!』
中継車が慌ててカメラを切り替える。画面には、黒人のトップランナーたちの中に混じって走る、銀髪の小柄な女性。異質すぎる光景だった。
解説の瀬〇さんが絶句している。
「えー……フォームが……理想的すぎますね。上下動ゼロ。接地時間が極端に短い。……というか、彼女、地面に足ついてます?飛んでません?」
一歩その頃。ネットも爆発していた。
『ワープした?』
『最後尾から先頭まで来たぞ』
『異世界チート能力じゃん』
『中身おっさんだからペース配分とか無視なんだろw』
メジロマックイーンは先頭を走るケニア選手の後ろについた。
(ふぅ……いい風よけですわ。……でも、そろそろ腹が減ってきましたわね)
■
35km地点。多くのランナーが足を止める「マラソンの壁」。グリコーゲンが枯渇し、体が動かなくなる地獄のエリアだ。
俺もまた、壁にぶち当たっていた。
「……腹が……減った……」
スタミナ切れではない。単純なガス欠だ。朝、おにぎりを10個しか食べていないのが仇となった。
ウマ娘の燃費の悪さが、ここで牙を剥いた。足が重い。視界が霞む。先頭集団からじわじわと遅れ始める。
『おっと!マックイーン選手、遅れた!やはりオーバーペースだったか!』
『苦しそうな表情!限界か!?』
違う。限界じゃない。
ただ、唐揚げが食いたいだけなんだ。
その時、俺の目に飛び込んできたものがあった。私設エイドステーション(給水所)。そこには、ボランティアのおばちゃんたちが用意した、パン、バナナ、チョコ、そしてお汁粉が並んでいた。
「……あそこは……天国?」
はたから見れば、俺の目は、よっぽど怪しく光ったことだろう。
(記録?順位?知ったことか。今はカロリーだ!)
完全に食い物に支配された俺はコースを外れ、エイドステーションに突っ込んだ。
「すいませーーん!!全部!!全部いただきますわーーッ!!」
■
『あっ!マックイーン選手、止まった!リタイアか!?……い、いや、食べているーッ!?』
カメラが捉えたのは、両手にアンパンとバナナを持ち、交互に口にねじ込む美少女の姿だった。
「んぐっ、んぐっ!……水!スポドリも!」
紙コップを一気飲み。さらに、寸胴鍋に入ったお汁粉を、お玉で直接すする。
「生き返る……!糖質が脳に染み渡りますわ……!」
ボランティアのおばちゃんたちが呆然としている。
「あ、あの……美味しそうに食べてくれるのはありがたいんだけどねぇ……?レースは、大丈夫かい?」
「今、エネルギー充填中ですの!……よし、チョコも全部もらっていきますわ!」
彼女はポケットにチョコを詰め込めるだけ詰め込んだ。所要時間、約5分。トップ集団との差は1500メートルほど開いた。
『信じられません!マラソン中にランチタイムです!』
『解説の瀬古さん、これは……?』
『いやぁ……初めて見ましたね。でも見てください、顔色が戻った』
■
「ごちそうさまでしたーーッ!!」
俺はコースに復帰した。腹には大量の炭水化物。それがウマ娘の超代謝によって、即座に爆発的なエネルギーに変わる。
「見えましたわ……トップの背中が!」
俺のエンジンが火を噴いた。さっきまでの走りとは次元が違う。ターボがかかったような加速。一歩で3メートル進むストライド。
「まくり差し……行きますわよーーッ!!」
そして迎えたのは残り7km。丸の内仲通り。石畳の上を、俺は疾走していた。前を行くケニア選手が、驚愕の表情で振り返る。
なんせ、さっき脱落したはずの銀髪の女が、鬼のような形相で迫ってくるのだ。そりゃあビビるだろう。
「逃がしませんわーーッ!!」
俺の脳裏に、老婆の話が蘇る。
『かつて最強だったステイヤー』。
その記憶が、俺の足を前へ、前へと押し出す。左足の痛み?確かに感じる気もするが、そんなもの、アドレナリンとおしるこのアンコで麻痺させた。
残り5km。並んだ。そして、抜いた。
「これが……日本の、メジロの底力ですわーーッ!!」
■
フィニッシュ地点、東京駅前。大観衆が待ち受ける中、最初に姿を現したのは、銀髪の美少女だった。
『来た!来ました!マックイーンです!』
『一般参加からの優勝!しかも世界新記録!』
『アンコをつけたままのゴールインだーーッ!!』
俺は両手を広げ、グリコの看板のようなポーズでテープを切った。
「ゴール……!」
タイムは1時間50分ジャスト。おそらくは、給水所のロスがなければ1時間40分を、なんなら最初のロスがなければ30分を切っていたらしい。
そして、俺は倒れ込むこともなく、係員からタオルを受け取り、涼しい顔で汗を拭いた。
■
フラッシュの嵐の中で迎えたのは、優勝インタビュー。多くのマイクが向けられる。
「おめでとうございます!驚異的な記録です!勝因は何だったんですか?」
俺は息を整え、カメラを真っ直ぐに見た。俺と、マックイーンのプライドが混ざり合った、最高の笑顔で答えた。
「そうですね……。35km地点のお汁粉が、最高に美味しゅうございました」
会場がドッと沸く。
「走ることは、生きること。そして、食べることは走ること。……全国の、くすぶっている中年の皆様!人間、腹さえ満たせば、どこまでも走れますわよーーッ!!」
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その夜。俺はタカシと、祝勝会の居酒屋にいた。首には金メダル。テーブルには唐揚げタワー。
「お前……本当にとんでもねえ奴だな」
タカシがビールを注ぎながら笑う。
「感動したよ。最後、おっさんのくせに輝いてたぞ」
「ふふん。……当然ですわ」
俺は唐揚げを頬張りながら、窓の外の東京の夜景を見た。走った。走りきった。あの老婆に見せたかった景色が、少しは見せられただろうか。俺の左足は、痛みではなく、心地よい疲労感に包まれていた。
「さて、タカシ。賞金も出たことだし……」
「なんだ?」
「シメのラーメン、行きませんこと?」
「おいおい、まだ食うのかよ!!」
俺たちの笑い声が、夜の街に響いた。転生したおっさんの「第二の人生(ウマ生)」は、まだまだ走り続ける。次なる美味いものと、次なるゴールを目指して。
もう少し続くのじゃ。