東京マラソンから数日後。
俺の元に、一通の封筒が届いた。差出人は『J〇A 東京競馬場・広報部』。中には、丁寧な挨拶状と共に、信じられないオファーが記されていた。
『春のG1開催・スペシャルイベントへのご招待』
『トークショー出演、および芝コース(2000m)のデモラン依頼』
「……マジですの?」
俺は封筒を持ったまま固まった。
J〇A。競馬の総本山。
おっさん時代の俺にとって、そこはギャンブルとロマンの場所だった。だが、今の俺は「メジロマックイーン」だ。呼ばれる意味が重すぎる。
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「佐藤ォォォォォッ!!」
ドガンッ!!ドアが蹴破られる勢いで開かれた。血相を変えたタカシが飛び込んできた。手にはスマホ、画面には〇RAのプレスリリース。
ゲスト(予定):You〇uber メジロマックイーンの文字が、大写しにされていた。
「お前!見たぞ!JRAのイベントに出るって本当か!?」
「え、ええ。今ちょうどお手紙が……」
タカシは俺の肩を掴んで揺さぶった。
「断るなよ!?絶対に出ろよ!?これは歴史的快挙なんだぞ!」
「わ、分かってますわよ。ギャラも良さそうですし……」
「金の話じゃねええええ!!」
タカシが絶叫した。
「いいか佐藤、お前は分かってない!今回のゲスト……『本家マックイーンの声優さん』も来るんだぞ!?」
「声優?……ああ、あのアニメとかゲームの?」
俺はキョトンとしてしまった。
ウマ娘というコンテンツがあることは知っているし、自分がそのキャラのコスプレ(というか実体)であることも理解している。だが、詳しく見たことはない。
だが、その態度が、タカシの逆鱗に触れた。
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「貴様ァアア……!自分の元ネタのコンテンツも知らずに『マックイーン』を名乗っていたっていうのか!?俺としたことが……そうだ、こいつは、アニメに疎い……!」
タカシは眼鏡をクイッと上げるような仕草を見せてから、俺をコタツに正座させた。
「いいか、今からお前に『ウマ娘』を布教する。……いや、叩き込む!」
「えぇ……面倒くさいですわ。私、野球が見たいんですけれど」
「うるっせえ!!阪神戦は中止だ!んなもんよりこっちを見やがれ!マックイーンなら必須科目だ!」
タカシはモニターに、どこからともなく持ち出してきた、DVDをセットした。
『ウマ娘 プリティーダービー Season 2』。
「見ろ。そして泣け。……これは、お前の魂の物語だ」
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そして、数時間後。案の定というか、俺の部屋には、俺が鼻をかむ音だけが響いていた。
「うっ……ううっ……テイオー……!奇跡の復活……!」
「そうだろ?そこでマックイーンが支えるのがいいんだろ?」
「ええ……!ライバルであり、親友……!熱すぎますわ……!」
俺は号泣していた。もちろん、おっさんが涙もろいという理由もあるが、それ以上に!
スポ根!友情!挫折からの復活!俺の大好物だった。ウマ娘。侮りがたし。
「分かりましたわタカシ。ウマ娘、素晴らしい作品ですわね」
「分かってくれたか。……で、ここからが本題だ」
タカシは真剣な顔になった。
「イベント当日。お前は『メジロマックイーン』としてステージに立つ。いいか、絶っ対に『おっさん』を出すなよ?」
「えっ」
「声優さんの前で、『ワンカップ飲みたい』だの『今の判定はおかしい』だの言ってみろ。……俺が切腹する」
タカシの目がマジだった。推しへの愛と、友人である俺への殺意が混ざっている。
「基本、喋るな。微笑んでいろ。『あらあら』と『〜ですわ』だけで乗り切れ。……いいな?これは、ファンの夢を守る戦いなんだ!」
「……と、言っても配信で既に……」
「黙れ!配信は配信だ!イベントはイベントなんだよ夢を壊すなよ判るだろなあ分かってくれ頼むよなあ佐藤頼むよ!?」
「は、はい……」
こうして、ガチ勢タカシによる「優雅なお嬢様・養成ギプス(精神的)」特訓が、イベント当日まで行われることとなった。
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そして、イベント当日。東京競馬場(府中)。快晴。G1開催日ということもあり、10万人近い観衆が詰めかけていた。
関係者入り口から入った俺と、マネージャー代わりのタカシ。俺たち2人は地下馬道を歩きながら、特に、俺は震えていた。
「す、すごい……。ここが府中の地下……」
壁のコンクリートの冷たさ。漂う馬の匂い、チップの匂い。競馬好きのおっさんにとって、ここはディズニーランド以上の夢の国だ。
「おい佐藤、キョロキョロするな。姿勢を正せ」
スーツ姿のタカシが小声で注意する。
「はいはい、分かりましたわよ」
俺は背筋を伸ばし、銀髪を払った。今日の衣装は、JRAが用意してくれた「メジロ商事の勝負服(白と緑)」をモチーフにした、特注のドレス風ライディングスーツだ。つまり……ゲームの、アニメのメジロマックイーンの服である。
なんでだろうか。これを着ると、身が引き締まる思いがする。
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「ああっ!タカシ!ご覧くださいませ!あそこの売店を!」
俺は窓の外を指差した。
「『もつ煮込み』と『牛丼』!あと『G1焼き』!食べたいですわーッ!」
競馬場グルメ(B級)は、俺の大好物だ。だが、タカシが俺の首根っこを掴んだ。
「ダメだ。今日は『気品』で売るんだ。もつ煮込みを汁まで啜る姿を見せるな」
「一口!一口だけ!」
「終わってからな。……ほら、控え室に着くぞ」
控え室のドアが開く。そこには、すでにスタンバイしていたゲストの方々がいた。その中心に、清楚で可愛らしい女性。
本家・マックイーン役の声優、Sさんだ。
「あ、初めまして!メジロマックイーン役の……」
Sさんが丁寧に挨拶をしてくれる。俺はタカシに叩き込まれた通り、優雅に、メジロマックイーンらしいお辞儀をした。
「初めまして。……僭越ながら、同じ名前を名乗らせていただいております、配信者のマックイーンと申します」
猫を被る。いや、猫を5枚くらい重ね着する。俺の声色は、完全に「深窓の令嬢」だったに違いない。
「わぁ……!すごい、本当にマックイーンそのものですね!」
Sさんが目を輝かせる。
「銀髪も地毛なんですか?あ、すごい。耳も動いてる……!」
「ええ、まあ……。S様にお会いできて光栄ですわ」
「そんなに硬くならないでください。今日は一緒に楽しみましょうね、『マックイーンさん』!」
そして、後ろに控えていたタカシが、Sさんの笑顔を見て、壁に手をついてプルプルと震えていた。
(尊い……推しと……推しの実写版(中身おっさん)が会話している……俺はもう死んでもいい……)
「マネージャーさん?大丈夫ですか?」
Sさんに声をかけられ、タカシは「あ、ひゃい!!」と変な声を出して直立不動になった。うん。俺も人の事は言えないが……こいつも大概ポンコツだ。
「さあ、そろそろ本番です!」
スタッフが俺たちを呼びに来た。俺は深呼吸をした。10万人の前でのトークショー。そして、2000メートルのデモラン。
俺の、そしておっさんのプライドをかけた戦いが始まる。
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昼休み時。パドック(下見所)に特設されたステージ。司会のアナウンサーが叫ぶ。
『さあ、本日のスペシャルゲスト!ウマ娘・メジロマックイーン役のSさんと、ネットで話題の"リアル"マックイーンさんの登場です!』
ウワーーーッ!!パドックを埋め尽くす観衆の大歓声。俺とSさんが並んで登壇すると、黄色い声援と野太い声援が入り混じる。
「すごい人ですわね……」
「本当ですね……!」
二人で顔を見合わせて微笑む。
Sさんの可愛らしさと、俺の美しさが並び立ち、まさに眼福の光景だったのだろう。タカシがステージ袖で、拝むように手を合わせている。馬鹿がよ。
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そして、概ねトークショーは順調に進んだ。
「お互いの印象は?」
「衣装のポイントは?」
タカシの教え通り、俺は「あらあら」「うふふ」「〜ですわ」だけで乗り切った。
『いやぁ、リアル・マックイーンさん、本当に優雅ですねぇ』
司会者が感心する。
『動画で見るような"豪快さ"は、今日は封印ですか?』
「ええ。本日は聖地・府中ですので、淑女として振る舞っておりますの」
俺はオホホと笑った。完璧だ。だが、司会者が台本にないアドリブを入れた。
『そういえばマックイーンさん、野球がお好きだとか?』
ピクリ。俺のウマ耳が反応した。
『Sさんも、阪神タイガースのファンとして有名ですよね?』
「あ、はい!今年のタイガース、調子いいですよね!」
Sさんが笑顔で答える。
「特に、若手のピッチャー陣が頑張ってて……」
その瞬間、俺の中の「おっさん」が、猫の皮を突き破って飛び出した。ここ最近の貧打線と、中継ぎの酷使に鬱憤が溜まっていたのだ。
「甘いですわ!!」
俺は、反射的にマイクを握りしめて叫んでいた。
会場が静まり返る。タカシが頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「S様!確かに若手は育ってます!ですがね、打線が繋がらなきゃ勝てませんのよ!昨日の試合見ました!?ノーアウト満塁でゲッツー!ありえませんわーーッ!!」
俺は立ち上がり、身振り手振りを交えて熱弁した。
「それに監督の采配!そこでバントは消極的すぎます!ここぞという時は、掛布さんのようなフルスイングが見たいんですのよーーッ!!」
Sさんが呆気にとられている。やってしまった。完全におっさんムーブだ。俺はハッとして口を押さえた。
「あ……。し、失礼しましたわ……」
恐る恐るSさんの方を見る。ドン引きされているか?怒っているか?
「ふふ……あはははは!」
Sさんが爆笑していた。そして、マイクを持って俺に言った。
「すごい!……本当に、野球ファンのおじさんみたい!私、そういう熱いの大好きです!」
Sさんは嬉しそうに俺の手を握った。
「やっぱり、マックイーンはそうでなくちゃ!優雅だけど、中身は熱血!最高です!」
会場からも拍手喝采が起きた。
『そうだー!打線なんとかしろー!』
『マックイーン(おっさん)最高!』
『解釈一致!』
タカシが顔を上げ、ぽつりとつぶやく。
「……助かった……のか?」
その声を聴いて、タカシに向けて軽くサムズアップ。そして、俺は照れ笑いを浮かべた。
「ほほほ……お恥ずかしい限りですわ。……でも、皆さま。わたくし、今年も優勝(アレ)目指して応援しますわよ!」
こうして、猫の皮は剥がれたが、逆に会場との一体感は最高潮に達した。さあ、次はいよいよ本番。
緑のターフが俺を待っている。