その夜、俺の部屋、とはいっても、背景は相変わらず生活感あふれる場所だが、には、少しだけ特別な空気が流れていた。テーブルには、いつものストロング缶ではなく、奮発して買った「瓶ビール」と「グラス」。そして、スマホのマイクに向かって、俺は深々とお辞儀をした。
「皆様、ごきげんよう。……この度は、チャンネル登録者数10万人突破、誠にありがとう存じます」
顔を上げると、銀色の髪がサラリと流れる。画面の中の俺は、どこぞの王族かと思うほど気品に満ちていた。ジャージだけど。
『88888888』
『おめでとう!!』
『登録ペース異常すぎて草』
『で、今日は歌枠なんだよな?』
『アイドルソング頼む!』
コメント欄は期待で溢れかえっている。俺は咳払いを一つした。
「ええ、リクエストを沢山いただいておりますわね。『アイドル』?『Bling-Bang-Bang-Born』?……申し訳ありませんが、最近の曲は存じ上げませんの」
俺の知識は2000年代前半で止まっている。最近の曲なんて、スーパーの有線で聞き流す程度だ。俺はグラスのビールをグイッと煽り、喉を湿らせた。
「わたくしが歌えるのは、魂に刻まれた曲だけ。……それでもよろしくて?」
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俺はタブレットで、用意していたカラオケ音源(演歌・歌謡曲カテゴリ)を再生した。
重厚なイントロが流れる。視聴者たちが『!?』という反応をするより早く、俺はマイクを握りしめた。小指が、自然と立つ。
「♪隠しきれない〜 移り香が〜」
歌い出した瞬間、俺自身が驚いた。
(なんだこの声……!?)
自分の声帯とは思えない。クリスタルのように透き通り、それでいて芯のある高音。だが、その美声に乗せているのは、ドロドロの情念だ。
「♪いつか誰かに〜 染められる〜」
俺の中の「おっさん」が、過去の失恋や、仕事の辛さ、そして現状への戸惑いを、全て「コブシ」に変えてぶち込む。マックイーンの完璧な発声器官が、それを極上のビブラートに変換して出力する。
「♪あなたと超えたい〜 天城ぃいいいい越ぅええぇえええ〜〜!!」
サビの絶唱。美しい銀髪が乱れ、紫の瞳が潤み、切なげに歪む表情。それはまるで、紅白歌合戦のトリを飾る大物歌手の憑依だった。
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一曲歌い終えた時、コメント欄の流れが止まっていた。
そして、次の瞬間にはコメントが爆発した。
『うめえええええええ!!』
『なんだこれ、スナックのママかよ!?』
『いや、ママにしては声が若くて綺麗すぎる、これは……若女将!』
『沁みる……仕事で疲れた心に沁みる……』
『涙出てきた ¥10,000』
『銀座で飲んでる気分だ ¥50,000』
俺は息を整え、ビールを一口飲んだ。
「ふぅ……やはり日本の心は演歌ですわね」
その所作の色っぽさ(中身はただのオヤジの晩酌)に、視聴者は完全に魅了されていた。
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「さて、次は……皆様、ロボットはお好きかしら?」
俺はニヤリと笑った。俺の趣味全開で行く。30代男性、重機オペレーター。俺の魂のバイブルといえば、ガンダムだ。
「宇宙(そら)に思いを馳せて……聴いてくださいまし」
流れてきたのは、『機動戦士Zガンダム』の後期OPテーマ。イントロのシンセサイザーが響くと、コメント欄の「おじさん勢」が反応した。
『Zきたああああああああ!!』
『選曲がガチ世代すぎる』
『お嬢様、俺らと同年代だろ絶対w』
俺は目を閉じた。
ウマ娘になってしまった自分。変わってしまった世界。歌詞にある「時代」や「悲しみ」という言葉が、今の俺には痛いほど刺さる。
「♪蒼く眠る〜 水の星に〜 そっと〜口づけして〜」
優しく、包み込むような歌声。森口博子氏へのリスペクトを込めつつ、マックイーンの声質が持つ「透明感」が、宇宙の広がりを感じさせる。サビの高音パートでは、俺の背後にオーラに見えるほどの何かが立ち上っていたことだろう。
「♪もう、泣かないで〜……」
最後のフレーズを歌い切り、余韻に浸る。目を開けると、画面は赤色のスーパーチャット(高額投げ銭)で埋め尽くされていた。
『浄化される……』
『俺の黒い心が洗われるようだ』
『刻(とき)の涙が見えた』
『おっさんだけど惚れてもいいですか?』
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合計5曲。
『酒と泪と男と女』や『マイ・ウェイ』などを熱唱し、俺は完全に燃え尽きた。喉の調子は最高だ。いくらでも歌える。だが、体が限界を訴えていた。
『グゥゥゥゥゥ……』
バラードの余韻をぶち壊す、盛大な腹の音。それをマイクがバッチリ拾っていた。
「……あら」
俺は赤面した。歌うことは、カロリーを使う。ただでさえ燃費の悪いウマ娘の体が、フルパワーの歌唱によって枯渇していたのだ。
「も、申し訳ありません……。魂を込めて歌ったら、魂(エネルギー)が抜けましたわ」
『腹の虫www』
『色気もへったくれもねえw』
『燃費悪すぎだろww』
『これでこそ俺たちのジャージ嬢だ』
俺は苦笑いしながら、締めの挨拶をした。
「というわけで、本日はここまで。いただいたスパチャで……そうですね、焼肉に行ってまいりますわ。一人で」
『行ってこい!!』
『たらふく食え!!』
『領収書は「視聴者一同」で!』
配信を切った後、俺は即座にジャージを着替え(といっても別のスウェットにするだけだが)、財布とスマホを掴んだ。目指すは近所の焼肉屋。
「待ってなさい、カルビ、ロース、ハラミ……!メジロの胃袋が火を噴きますわよーッ!!」
夜の街へ駆け出す銀髪の美少女。その背中は、どんな名馬よりも速く、そしてどんな食いしん坊よりも必死だった。