自分は、生き残った。
そう認識出来たのは、縋り付いた母から引き離された時だった。
自分を守ってくれるものはもう何もなく、雨粒が自分を貫くように降り注ぎ、容赦なく体温を奪っていく。
それでも、自分は生き残った。
生き残って、しまった。
見渡せば、七つの骸が、雨で小さな小川となったような地面に沈んでいる。
その内の一つは、自分の母だった。
「……ぁ」
ようやく口から零れ落ちたのは、肺を絞ったような、不格好な短い喘ぎ声だった。
「おい! 怪我はないかっ!」
自分を物取りから助けたその声の持ち主は、素早く自分の体に手を這わせる。傷口がないか確認するその行為が、自分にはひどく不必要なものだと感じた。
「……どうして」
「ん?」
「どうして、いきてるの?」
何故自分だけ生きているのかと、そう尋ねた。
「どうして、おっかさんはしんだの?」
何故母は助からなかったと、そう尋ねた。
その答えは――
「わからん」
にべもなく、そう突き返された。
それで――
「それでも、お前は生きている。生きているなら、生きていかなくちゃならない」
自分にそんなこと、出来るのだろうか?
わからない。
母は死に、天涯孤独の身となった。
どう生きればいいのか、見当すらつかない。
だから、自分は尋ねた。
「おし、えて。わたしに、いきかたを、おしえて?」
掠れた声は、問というより、願い事をしているようだった。
次の瞬間、自分の視界が朧気に揺れる。今までの出来事が全て幻だったとでもいうかのように、自分の視界は暗転した。
消え行く世界は幻なんかではなく、現実なんだと、今の自分は知っている。
母は死に、自分は生き残った。
けれども自分の最後の願いは、今叶えられている。
通りすがりの自分を助けた、その時は名も知れず、風貌もわからない、たった一人の男によって。
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「くっ!」
私は流れる汗を拭く間すら惜しみ、果敢に手にした刃を振るっていく。
だが――
「そこ、まだ甘いですよ」
先生の指摘に、私は内心舌打ちをした。先生の指摘通り、私の体重移動には、まだ無駄がある。火花が散り、熱が頬を焦がした。
私は切っ先を向けた先へ、躊躇なく踏み込む。得物から指に伝わる感触に、私は手応えを感じた。
しかし。
「残念。小口切りにした長葱、下の部分がつながってますよ」
「ああ、もう! 横から色々言わないでくださいよ、先生っ!」
暁八つ半(午前三時)になろうという頃、私は必死に朝餉の準備をしている所だった。私が悪戦苦闘している横で、先生は私のために昼餉のお弁当を作ってくれている。弁当と言っても、握り飯が中心だ。
先生は朝食の味噌汁のだしに使った鰹節を竈で炙り、焦げ目を付けている。香ばしい臭いが漂い始めるとともに、先生はそれを醤油、味醂に和えて、茶碗の中の雑穀米に混ぜていく。その間に、今度は海苔が竈で炙られていた。
「亀さん。お鍋、吹き零れますよ?」
「え? あっ!」
先生のあまりの手際の良さに、私は思わず見とれてしまっていた。慌てて鍋を上げ、どうにか朝食の味噌汁がなくなるのを防ぐ。
私があたふたしている間に、先生はおかかのおにぎりを完成させ、胡麻をまぶして竹細工の弁当箱へと収納。二つ目のおにぎりに取り掛かろうとしている所だった。
菜箸の先に味噌をつけ、それを竈にそのまま放置。焦げ目が付く頃には、まな板に荒く刻んだ梅干しの姿があった。種を砕かないように甘く刻んだ梅に、焦がした味噌が投入される。竈は菜箸と海苔を交換し、菜箸はそのまま梅と味噌を和えていく。後はそれを米の中に入れて、たっぷりと醤油に浸した海苔を再度竈で炙った海苔で包み、私の昼餉が完成した。
竹細工の中には二種類のおにぎりと、沢庵が入っている。
「亀さんの方は、どうなってますか?」
「えうぇえっと!」
今日私が予定していた朝食は、長葱の味噌汁に、こんがりと焦げ目を付けた厚揚げだ。
しかし、ようやく味噌汁が出来た所で、厚揚げにはまだ取り掛かれていなかった。
「す、すみません。厚揚げすぐに焼きますから!」
「そうですか。それではわたしは、厚揚げの上に乗せる大根でもすってますね」
「お、お願いします……」
ご飯は、おにぎりのお米と一緒に炊いてある。厚揚げも昨日買っておいたものを焼くだけだ。
厚揚げを竈で焼きながら、大根おろしをおろし金も使わないで作っていく先生を横目で見る。大根自体に細かなさいの目状の切り目を入れておき、後は千切りの要領で切れば大根おろしの出来上がりだ。
先生からは、いずれ必要になる時が来るだろうからと、料理を仕込まれている。一通りの事は出来るようになったつもりだが、やはり先生の腕には及ばない。
朝餉を千両箱に乗せ、先生と一緒に手を合わせる。いただきます。
「長葱は押すというより、引くようにして切った方がいいですよ。その方が、くっつきません」
「……はい」
「後は、色々と考え過ぎですかね? あれもこれも、ではなく、一つ一つを確実に処理していった方が全体の無駄がなく、失敗も少なくなると思いますよ」
食事を取りつつ、先生から朝食作りの駄目出しをもらう。いつもの日課だった。
「さて、今日は亀さん、どの方面まで足を伸ばしますか?」
「麻布方面まで、出ようかと思います」
「なるほどなるほど。それではそれ用に、荷を作っておきますね」
そう言って先生は、食器を洗った後、二度寝するために二階へ上がっていった。
それを見送りながら、私は渋い顔で番茶をすする。
『貸本屋』を続けて行く限り、料理の腕はそこまで熱心に磨かなくてもいいのかもしれない。しかし放蕩生活を送る先生を見ていると、いざという時に備えて料理ぐらい出来るようになっておいた方がいいと、私は強く感じていた。