クロス・リアリティ -仮想世界生存戦争(Survival War on Overlay World)-   作:メグリくくる

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第一章 1

・碧希 拓海(あおき たくみ)SIDE

 

 春うららとは、春の空が晴れ、陽射しが穏やかに照らしている様子の事を表しているらしい。そういう意味では、新学期初日の今日は、春うららと言うのに値する日だ。

 俺は揺ら揺らと落ちる桜の花びらを手で避けながら、羽枇高等学校(はねくしこうとうがっこう)に続く坂道を歩いていた。今日から晴れて二年生に進学したわけだが、新しい一年を迎える期待や不安より、俺は坂道を登る気怠さの方が気になっている。

 去年、つまり高校一年生だった時は、どんな気持ちでこの坂を登っていたのか思い出そうとした辺りで、前を歩く女子生徒たちの声が聞こえてきた。

「ねぇねぇ、昨日ネットでカワイイ服見つけたんだけどっ」

「ウソー! 着て見せてよっ!」

 着て見せてよ、と一方が頼まれた所で、彼女たちが着ているのは高校指定のセーラー服。彼女たちの手には、今話題に登った、カワイイ服とやらを持っている様子もない。しかし、頼まれた少女は、得意げに頷いた。

「いくよ? それっ」

 掛け声が聞こえるが、彼女の服は、依然としてセーラー服のままだ。だが、一緒にいた生徒は、満面の笑みを浮かべていた。

「すごい! カワイイねっ、そのワンピースっ! 私も着てみよっ」

「あ、いいじゃんいいじゃん! 似合う似合う!」

 そう言って、女子生徒たちは、さも楽しそうに笑い合う。繰り返すが、彼女たちはセーラー服を着たままだ。しかし、彼女たちには、ワンピースを着た互いの姿が見えている。

 これは何も、彼女たちが共通の幻覚や、集団催眠にかかっているのではない。俺は視線を動かし、コンタクトレンズ型の現実強化装置(Reality Enhancement Device)、通称REDの拡張現実(Augmented Reality)モードのレベルを上げた。

 瞬間、俺の視界が拡張され、笑い合う女子生徒たちと同じ物を見ることになる。レベルを上げて、前を歩く女子生徒たちまで、俺の見れる範囲を広げたのだ。

 そしてそこには、確かにワンピースを着た彼女たちの姿があった。

 AR(拡張現実)。現実の世界に仮想の世界を重ね、それを体験できる技術だ。それを今、俺はREDというウェアラブルデバイスを通すことで、現実世界、その上に仮想世界の情報を重ねた情報を見ることが出来る。

 と、次の瞬間、俺は目眩を覚え、直ぐにARモードのレベルを最低限まで引き下げた。少し、レベルを強くし過ぎたらしい。隣の自動販売機に手を伸ばし、姿勢を直そうとしたタイミングで、自動販売機がペットボトルを吐き出した。吐き出されたのは、ミネラルウォーターだ。

 俺が間違えて購入してしまったのかと少し焦るが、どうやらそうではないらしい。

「あの、大丈夫ですか?」

 振り返ると、そこには車椅子に乗った少女の姿があった。着ているセーラー服は、羽枇高等学校のものだ。

 だが、俺の高校に車椅子の生徒がいるなんて、聞いたことも、見たこともない。

「ひょっとして、新入生?」

「あ、はい。そうです」

 車椅子の少女はそう言うと、自動販売機の口から、今しがた出てきたペットボトルを取り出した。

「具合が悪そうだったので、私のREDからVR(仮想現実)に繋いでお水を買ったんですけど……」

 仮想現実(Virtual Reality)。仮想の世界を現実のように体験できる技術だが、ARとは違い、VRで体験できるのは、仮想の世界だけだ。しかしVR上の世界に、現実の世界に繋がっている対象がいたら、どうなるだろう?

 例えば今俺が手を付いている自動販売機がVRに繋がっており、車椅子の少女がVR上の自動販売機を押したとしたら?

 答えは既に、俺の目の前にある。

 例え歩けない少女であっても、VR上の世界は自由に移動できる。そして、現実と連動しているVR上の世界の自動販売機のボタンを押したのだ。俺より後ろからやって来た少女が、俺の目の前にある現実の自動販売機のボタンを押すことが出来たからくりは、VRの力だった。

 俺は少女のやって来た方向、つまり俺が歩いてきた坂道を一瞥する。どう考えても、車椅子の少女は俺が先程ARのレベルを上げたよりも、高いレベルでVRモードを使用していた。VRだろうがARだろうが、REDが人間に与える影響は変わらない。

 ままならないものだという苦味が口一杯に広がるが、それを無視。俺は自分を気遣ってくれた新入生へと視線を向ける。

「ありがとう。ちょっと立ち眩みがしただけだ。心配ない」

「そうですか。良かった」

「悪い。いくらだった? 電子通貨の方がいいよな?」

 水の代金を払おうとREGを動かそうとするが、少女はあたふたと手を振った。

「へ? いえ、そんな! 大したことありませんからっ」

「でも――」

「本当に大丈夫なんでっ」

 頑なに代金を受け取らない彼女に、どうしたものかと俺は首をひねる。

「俺も後輩に助けられっぱなしっていうのも、性に合わない。ならせめて、その車椅子を押させてくれよ」

「立ち眩みしてた人が何言ってるんですか!」

 そこから少し押し問答が続いたが、やがて根負けした少女が、水を受け取った俺に車椅子を押されることになる。

「うぅぅぅ。こんな所、クラスの人に見つかったら、噂になっちゃう……」

「だったら、金を受け取れよ後輩」

「見返りが欲しくて、先輩に親切にしたんじゃありませんっ!」

「俺も親切を押し付けられたくねぇよ。とりあえず俺がお前を押すのは、坂を登るまで。後腐れが残らないよう、自己紹介もしない、っていうよくわからんこの状況が妥協点だって事で、一応話はまとまったんだ。とりあえず押されてろ」

 少し不満そうに、少女が俺から顔をそむける。全く、新学期初日というにもかかわらず、何という出だしだろう。ため息をつくが、このまま無言で車椅子を押すのも味気ない。俺はそっぽを向く少女へと、話の水を向けることにした。

「しかし、REDが広まって随分便利になったよな」

「……」

「XRの恩恵を得るためのウェアラブルデバイスだが、昔はスマートグラスや、マウントディスプレイ型の物が主流だったみたいだな。今でもたまに使っている人を見かけるけど、お前はコンタクトレンズ型か?」

「……」

「XR、クロス・リアリティ(X Reality)が広まったのも、コンタクトレンズ型のREDが開発されてから、一気に広がったからだよなぁ」

「……そうですね」

 ようやく、と言っていいのか、俺に押される新入生が、その小さな口を開いた。

「XRは、VRやAR、それに複合現実であるMR(Mixed Reality)や、代替現実と呼ばれるSR(Substitutional Reality)の様な、多様な新しい現実の総称です。XRが発展したおかげで、世の中は随分と良くなりました」

 歩けない私でもなんとか生活できるぐらいに。

 そうは言わなかったが、俺はなんとなく、彼女がそう言っているような気がした。

 暫く無言だった新入生が、俺の方へと振り向く。

「REDと言えば、先輩。先輩は、REDGは何かやってないんですか?」

 その言葉に、少しだけ俺の頬が引きつった。

「REDG、REDを使ったゲームだろ?」

「ええ、そうです。REDが新しいデバイスとして世界中に広がったのを契機に、REDGも爆発的に流行しました。REDGの種類にもよりますが、プレイする際、プレイヤーは現実世界の自分に仮想世界の情報を付与(マッピング)する事も出来ますし、現実の自分自身を仮想世界に飛ばして操作する事もできる様になります」

 急に饒舌になり始めた後輩に驚きながらも、俺は相槌を打つ。

「幽体離脱をして、自分自身が仮想世界を行動するようなもの、という触れ込みだったよな。だがREDGプレイ中は現実と仮想世界が多々入り交じり、導入当初は問題が多発して社会問題にまで発展した」

「ええ。なので、現在は自宅でのプレイか、REDGをプレイするための施設、例えばREDGカフェなどでのプレイが推奨されています。そして多少問題になった所で、REDG熱は冷めたりしませんでした! 今現在も世界中で、もちろん、この日本でも大ブームですっ!」

 あまりの情熱に、一瞬俺はたじろぐが、新入生の熱は冷めることがない。

「日本で最も有名なREDGと言えば、日本で最初に導入されたREDG、仮想世界生存戦争(Survival War on Overlay World)、通称SWOWですよね! 日本国内で今だREDG最大のプレイヤー数を誇っているといいますし、十代で最も人気のあるREDGと言ってもいいでしょう。先輩も、アカウントぐらいは持っているんじゃないんですか?」

「……ああ、アカウントぐらいはな」

「?」

 話が少し途切れた所で、丁度坂を登り切る。名も知らない後輩と別れ、と言っても進行方向は同じなのだが、俺は校舎へと歩みを進めていく。だが、その歩みは中々重いものだ。

 すっかり油断し切っていた。春休みの間、あいつに会わなかったから、すっかり失念していたのだ。よもやこんなタイミングで、SWOWの名を耳にするとは思わなかった。そしてそれと同時に、去年俺の身に、入学初日、何が起こったのかも思い出した。

 学校の校門をくぐると、俺のREDが高校から送られてきたメッセージがある事を知らせてくれる。開くとそこには、新学期のクラス名簿が添付されていた。これを見て、新しい自分のクラスへ行けという事なのだろう。二年生のクラス名簿にに目を走らせ、自分のクラスを確認すると同時に、俺は露骨に顔を歪めた。

「見つけたわ! 碧希くんっ!」

 去年の入学初日にかけられたのと全く同じ台詞と声に、俺はもう振り向きもしない。無視して下駄箱へ向かおうとする俺を、慌てた様子で頼慈令恵が追いかけてくる。

「ちょ、ちょっと! 何で無視するのよっ!」

 頼慈は少し赤みがかった長い髪を揺らしながら、カモシカのような足を必死に動かして、俺に向かって走ってくる。

「今日こそは、絶対SWOWをプレーして、そして私のチームに入ってもらうんだからねっ!」

 去年一年間言われ続け、春休みの間に記憶から抹消していた台詞が、俺の耳から鼓膜を伝って脳へと突き刺さる。

 だが、俺はなおも頼慈の言葉を無視して、下駄箱で靴を上履きに履き替えていた。去年までなら、そんな俺の反応に、彼女の透き通った瞳に薄く涙を浮かべて半泣きになっていた頼慈だが、今日は勝ち誇ったような顔を浮かべている。

「無駄よ! 碧希くんっ! 二年生のクラス名簿、見たでしょう? 今日から、私と同じクラスよっ!」

 その言葉に、俺は苦虫を百万匹噛み潰した様な表情を浮かべる。頼慈の言う通りだったからだ。去年は別々のクラスだったので頼慈に追い回されるのは、登校時下校時だけだった。流石に頼慈も、授業と授業の合間に別のクラスにゲームの勧誘へやって来るような事まではしていなかったのだが、その防波堤も今日で残念ながらなくなってしまったようだ。

 正直頼慈は美人で、毎日話しかけられて悪い気はしない。ただ、話しかけられる内容が一ミリも色気がない事と、引くぐらいに強引なSWOWへの勧誘で、彼女のトータル的な魅力は完全にマイナスだ。一度目が血走っていた時があり、鬼か何かかと思ったぐらいだ。

 ようやく俺に追いついた頼慈が、俺の腕を掴む。鬱陶しそうに振り向くが、全力で走ってきたせいか、苦しげに荒い息をしている。

「……水、飲むか?」

「あり、が、とう……」

 俺からペットボトルをひったくり、豪快に飲み干していく。こういう所もマイナス点だが、こいつはもはや、そんな事は気にしてはいないだろう。

 俺は頼慈が水を飲んでいる間にその場を離れようとしたが、流石にその考えは読まれていた。

「だから、待ちなさいよ! 今は本当に、人手が足りないのよっ!」

「だから、ゲームの勧誘は俺じゃなくて他の奴に言えよ」

 水を飲んで落ち着いたものの、まだ落ち着かないのか、顔を上気させて頼慈が言葉を漏らす。

「……あなたじゃなきゃ、駄目なのっ!」

 台詞だけ抜き出せば、睦事にすら聞こえるそれだが、あくまでこれはゲームの勧誘だ。頼慈は俺に縋り付く。

「この高校に、元PCゲームの、それも世界レベルの上位ランカーなんて、あなた以外いないじゃない」

 その言葉に、俺は顔をしかめた。何度も聞いた台詞だが、何度聞いても、慣れる事はない。PCゲームはREDGが流行る前に流行しており、プロチームまで存在していたのだが、今ではそのプレイヤー数は激減。そして減ったプレイヤーはREDGへと流れ、そしてそのままREDGの上位ランカーに収まっているプレイヤーが多数を占めていた。

「PCゲームが上手い人は、REDGも上手い傾向がある。これは歴然とした、統計的な事実よ! なのに、何で碧希くんはSWOWをやらないのっ?」

「体が近い上に、REDGの話がいつの間にかSWOWに一本化されてるじゃねーかっ!」

 頼慈の体を引き剥がすが、強い違和感を感じる。確かに俺は今まで、頼慈の勧誘を断ってきた。彼女も無理にプレイをさせるつもりがなかったのか、しっかり断れば、一旦その日一日ぐらいは引いてくれてはいたのだ。

 しかし、今日の勧誘は、やけにしつこい。春休みを挟んでいたせいなのか、何か切羽詰まっているみたいだ。

 でも、だからと言って、それは俺には関係ないことだ。

「悪いけど、俺の返答は変わらない」

「どうしてっ!」

 必死な頼慈の顔を見ながら、俺は思案げに口を開く。

「……そもそも、SWOWってどんなゲームなんだ?」

「いいわ、教えてあげる!」

 押し返した分を取り返すように、頼慈が迫ってくる。

「SWOWは、日本電気電信システムズ株式会社(NETSC)が開発、運用を行っている日本のREDGプレイヤー数のトップゲームなのよ? そんなの、面白いに決まっているじゃない!」

「知ってるよ。導入当初はXRを日本に広めるという実験的な意味合いも強くて、日本政府の協力を得ながら展開されてたんだろ?」

 法律整備等は、政府との協力がなければ出来ない。頼慈は俺の言葉に、満足そうに頷いた。

「そうなのよ! 今現在SWOWの運営は完全にNETSCに任されているけど、導入経緯から今でも、突如大幅な仕様変更が発生しているわ」

 今度は俺が、頼慈の言葉に頷いた。SWOWはそうした仕様変更を行い、その都度ネット上で炎上している。だが、最終的にプレイヤーに受け入れられており、今なお根強い人気があった。

「そう言えばSWOWは、導入当初はXRを用いた、手ぶらでプレイ出来るサバイバルゲームの様なゲーム形態だったらしいな」

「でも、体の不自由な人が遊べない、差別だ! という訴えがあって、プレイヤーキャラクター制が導入されたの」

 それはつまり、現実世界の行動を仮想世界へ反映させる領域を増やしたという事だ。現実世界の自分に仮想世界の情報を付与するプレー形式から、仮想世界のプレイヤーキャラクターを最初に現実世界の自分に付与し、プレイヤーは仮想世界のプレイヤーキャラクターを操作する形式に変わった。

 今朝の後輩と女子生徒たちがやっていた事の、複合だ。自動販売機のボタンを押すプレイヤーキャラクターを生み出し、それにワンピースの様な装備品を付与していく。

 最も、元々の特性上、SWOWの装備品はワンピースの様な華やかなものではなく、銃や防弾チョッキの様なものになるだろう。プレイヤーキャラクターをプレイヤーに同化させる事で、今までどおり手ぶらで遊べるサバイバルゲームの様な感覚でプレイする事も出来るのだろうが、それでは現実の自分の体という制約が生まれる。

「だからほとんどのプレイヤーは、自分の分身としてプレイヤーキャラクターを生み出して、仮想世界を、SWOWの世界を飛び回らせているのよ!」

 俺は頼慈の言葉に、小さく頷いた。

「自分自身が幽体離脱しているかのように、か」

 だが現実の制約がなく、仮想世界に没頭するということは、逆に言えばプレイ中プレイヤーの体は無防備になりがちとなる。プレイヤーの身の安全を守るため、REDGカフェが推奨され始めたのも、この辺りの実装がされたのが大いに関係してくる。SWOWをプレイするプレイヤー用の、SWOWカフェなんてものも出来ているぐらいだ。ゲームに没頭できない人間からすれば、贅沢極まりない施設である。

「そう言えば、RPG要素も一時期取り入れたみたいだけど、あれは今どうなってるんだ?」

「当然、今も残ってるわよ。プレイスタイルは基本的にサバイバルゲームの様な形態だけど、剣や魔法の装備品もSWOWに生まれているしね」

「なんでもありだな……」

「だからSWOWは面白いのよっ!」

 頼慈がジリジリとにじり寄ってくる。

「そんなに詳しいなんて、やっぱり碧希くん、SWOWに興味があるのね! これはもう、今晩プレイするしか――」

 そこで予鈴が鳴り、頼慈が我に返る。

「ヤバ! 碧希くん、早く教室に行こう! 先生に怒られちゃうっ!」

 そう言って走り出した頼慈の後ろを、今度は俺が追いかける。基本的に頼慈は真面目で、SWOWの事を抜きにすれば優等生と言えなくもないし、誰からも好かれる存在だ。そのため俺の露骨な時間稼ぎに気づかず、SWOWの昔話に付き合ってくれた上、予鈴が鳴れば席に着席する。俺が頼慈に捕まえられた場合、去年から基本的にこのパターンでのらりくらりと勧誘から逃れているのだが、今年もこの手はどうやら有効らしい。

 そういう素直な所はプラス評価にしてもいいかな、と上から目線な事を考えつつ、俺は新しく一年間過ごすことになる教室へと足を踏み入れた。

 

 教室では、新たに担任を待つ生徒たちが、にわかにざわめいている。新学期は例によってあいうえお順で座席が決められているため、碧希の俺は教室の最前列。頼慈は最後尾。距離的には教室の対角線上に座っている俺たちだが、その間に、一席だけ空席がある。それが、教室に落ち着きがない原因だ。

 REDを呼び出し、俺は再度クラス名簿を確認する。空席に座るべき生徒の名前は、早乙女 梟(さおとめ きょう)。去年、同学年にそんな名前の生徒はいなかった。つまり、転校生という事になる。頼慈と同じクラスか否かだけ確認していたので、気づくのが遅れたのだ。

 囁き合う同級生たちの中、俺はある種の予感を感じていた。梟という名前に、心当たりがあるのだ。まさかと思うのと同時に、やはり予想通りなのではないか、というある種確信めいた感覚。珍しい名前だし、ほぼ間違いないだろう。

「ほら! お前ら静かにしろっ!」

 担任の先生が、教室に入ってくる。その後ろには女子生徒、転校生の姿があった。緊張しているのか、動きがぎこちない。

「もうわかっていると思うが、転校生を紹介する。早乙女、自己紹介を頼む」

「は、はひっ!」

 一言目から噛んでしまい、彼女は小さな体を、更に小さくした。短く切った髪の間から、赤面した頬が覗く。子供の頃より女性らしさは感じるが、俺の知っている梟のままだった。その事に少し安堵すると共に、俺の口が笑みを作る。

 すると、梟は俺の視線に気づいたのか、形の良い瞳を、より丸くした。

「……え? ウソ」

 自己紹介どころか、それから一言も発せなくなってしまった梟に向かい、俺は左手を軽く掲げる。

「久しぶりだな、梟」

「……たっくん」

 突然子供の頃呼ばれていた名前で呼ばれ、俺も一瞬面食らう。しかし、そんな俺たちを残して、転校生と俺の仲を勘ぐり、囃し立てる声で教室中が埋め尽くされた。

 別に、どうという関係でもないが、あまり騒ぐと、更に梟が萎縮するので、それはやめてもらいたい。それに俺も、昔とは状況が違っている。梟に偉そうにしていた時期もあったが、俺もあれから変わったのだ。正直、あまり今の自分の事を、子供の頃の俺を知る梟には話したくないという気持ちもある。いや、梟の事だから、既にもう俺の状況を知っていて、俺を気遣って、あえてわざわざ話題にしようとはしないのかもしれない。

 少しだけ昔の思い出に苦みを感じながらも、こうして俺は久々に、幼馴染との対面を果たしたのだった。

 

「……全く、酷い目にあった」

「ご、ごめんね。たっくん」

 ベンチに座る俺の隣で、梟が小柄な体を更に小さくしている。俺たちはクラスメイトからの質問攻めから逃れるため、昼休みに校舎の中庭に避難していた。

「別に、お前が謝る必要はないだろ? 騒いだのはクラスの奴らだし」

「でも、私が転校してきたから、だよね?」

「それこそ、お前じゃどうしようもないだろ」

 入学する高校ならいざ知らず、転校するのはそれなりの理由があるはずだ。それでも申し訳なさそうにする隣に座る梟の姿が、小さい頃気の弱かった梟の姿と重なり、少しだけ懐かしさを感じて、俺は目を細めた。

「……まぁ、俺も考えなしにお前に馴れ馴れしくしちまったからな。お前のせいでもあるなら、俺のせいでもある」

「そんな! たっくんはいつでも私に馴れ馴れしくしていいよっ!」

 驚くポイントがずれすぎていて、俺は思わず笑みを浮かべる。

「梟も、REDは持ってるんだろ? ちゃんと記録(ログ)は取っておけよ。クラスメイトに変なこと言われた場合、訴えるための証拠になるし、いざとなったらお前を守ってくれるからな」

「うん! わかった。たっくんが言うなら、私、そうするっ!」

 梟が少しだけ、視線を左上に動かした。恐らく、REDを操作しているのだろう。二世代以前のREDは視線の動向を読み取り操作をするのが主流だったが、今では脳波を読み取る補助装置が付いているものが主流となっている。と、言うことは梟が使っているREDは、二世代以上も古いタイプと言うことになる。

「あんまり古いタイプのREDは、使わない方がいいぞ。世代が古い程脆弱性も修正されずに残ってるし」

「うん! わかった。たっくんが言うなら、私、そうするっ!」

 梟の反応に、今度は俺は苦笑いを浮かべた。記憶の中の彼女も、俺の言うことは何でも鵜呑みにして、俺の言うことは基本的に全てその通りにしていた気がする。だが、高校生にもなってこの反応は、若干崇拝に近い危うさを感じていた。慕ってくれていると好意的な解釈も出来なくもないが、いざ意見が相反した場合、俺と梟の意見は決定的にすれ違ってしまうのではないかと、そんな嫌な予感がしたのだ。

 しかし、そう俺が感じたのは杞憂だったのか、梟は眉尻を下げ、困ったような顔をする。

「でも、ごめんね、たっくん。私たちの家には、REDを買い換える、そんな余裕、ないんだ……」

「私たちの家、って、お前、まだ幸せの森に住んでるのか?」

「……うん」

 幸せの森とは、千葉県にある児童養護施設のことだ。そして俺と梟は、幼馴染である。つまり俺と梟は、親がいない。

「たっくんは、早くから私たちの家から自立して出ていったけど、私はまだ幸せの森にいるの」

 正直、あの施設に居て、俺が家族だと思えるような存在は、梟だけだった。出会った時から泣いていて、それが気になって、小さい頃から、俺が施設を出るまで一緒に居たのは、施設でも少し浮いていた俺と一緒に居てくれたのは、こいつだけだったから。

 だから、お節介だとわかっていても、俺はこう言ってしまう。

「でも、お前なら引き取りてなんていくらでも――」

 そう言った俺の言葉を、梟は首を振って遮った。

「あそこがやっぱり、私の家なの。たっくんと出会ったあそこが、私の家なの」

 梟が伏目がちに、そう言った。伏せられた瞳には負い目や引け目の様な、おおよそ彼女が感じる必要が全く無いはずの暗い感情が込められているように感じられて、俺は思わず言葉を失う。

 そんな俺を気にした様子もなく、梟は嬉しそうに俺の方を見上げた。

「でも、たっくんとまた会えて、私、嬉しい。それだけは、本当。私の本心だよ」

「……そうだな。教室ではゆっくり話す時間もなかったけど、本当に久しぶりだな」

 ここでようやく、俺たちは久々の再会を喜び合うことが出来た。REDで互いの連絡先を交換していると、頼慈が中庭へとやって来る。

「ここにいた! って、何してるの?」

「何って、連絡先を交換してるだけだけど」

「散々私がお願いしても交換してくれなかったのに……」

「あ、令恵ちゃん!」

 ジト目で俺を睨む頼慈を見て、梟が嬉しそうな声を上げる。いつの間に仲良くなったのか、頼慈と梟が手を取り合って笑い合う。よほど俺が不思議そうな顔をしていたのか、梟が俺の方を振り向いた。

「令恵ちゃんが教室の質問をまとめてくれたから、私、なんとか話すことが出来たの。ねぇ、令恵ちゃんも連絡先、交換してくれる?」

「もちろんよ! ねぇ、梟ちゃん。今度の休み、一緒に遊びに行きましょうっ!」

「うんっ! 仕事の時間を調整するから、また連絡するね!」

 梟はバイトでもしているのだろうか? しかし、何故だろう。ドヤ顔でこちらを見る頼慈の表情から、俺の脳裏に、将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、という諺が浮かんだ。

 頼慈と連絡先を交換する梟に向かい、俺は少し咳払いをしながら苦言を呈した。

「梟。連絡先を知っているなら、REDで簡単ないたずらぐらい出来るからな。特に古いREDならもうパッチも出てないし、表示時刻を変えたり、特定の連絡先と通信できなくする事も俺ぐらいなら簡単に――」

「ほら、碧希くんもっ」

 俺の視界に、頼慈から連絡先の交換依頼の通知が届く。梟の時は直ぐに受け入れられたそれを、俺は直ぐに受け入れることが出来ない。その通知に、期待が溢れすぎた瞳で見つめる頼慈と、不安そうな梟の顔が重なった。

 俺が溜息が付いた時には、その通知は既に消えていた。代わりに表示されたのは、受け入れを示すAcceptの文字。渋い顔を浮かべる俺の眼前には、俺の表情とは対象的な手と手を取り合う少女たちの姿があった。

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