クロス・リアリティ -仮想世界生存戦争(Survival War on Overlay World)-   作:メグリくくる

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第三章 2

・頼慈 令恵SIDE

 

「それで? 何か見つかった?」

「そんな直ぐに手掛かりが見つかるかよ」

 そう言った私の声に、碧希くんは不機嫌そうに振り返る。碧希くんが協力してくれる事になって以来、私は学校が終わると、直ぐに碧希くんの家に来るようになっていた。

 Noquez999を始め、他のメンバーに碧希くんが『戦車』の中の人でない事を伝えたのだけれど――

《嘘! 高校生で一人暮らしとか、現実に存在するの?》

《テンション高いわね、Noquez999。一応、昔からスポーツ推薦とかで高校に入る人とかは、一人暮らしする人もいるわよ》

《でも、それって寮とかだよねぇ。いいなぁ、高校生で一人暮らしってぇ。ヤりたい放題じゃんねぇ?》

《Anna_0083、私に同意を求められても困るんだけど。一人暮らしをしているのは、私じゃないし》

《あら? でもする事はしているんじゃありませんの?》

《な、何のことか、さっぱりわからないわね! Norind+0617っ!》

 と、私が碧希くんの家に上がった事の方が話題に上がり、ちょっと困った。

 大体、ゲロ吐いた後にそんな雰囲気になるわけがない。その前はちょっとだけ、本当にほんのちょっとだけそういう事を想像したりもしたが、事実は小説より奇なりとはよく言ったもので、本当に、何であんな結果になってしまったのだろう?

 少なくとも、これから男の人の家に上がるときは、私はゲロ対策としてティッシュを用意する様にしようと、そう決めていた。もちろん、今日も持参している。

 しかし、碧希くんが『戦車』討伐に参加してくれるようになって以来、皆のやる気も上がっているように思えた。実際、今まで皆で集まって議論した内容を共有したり、碧希くんを交えた意見交換を行う事で、新しい取り組みも進んでいる。ただ時間があるから参加していた、というよりも、皆本気で『戦車』討伐をしようと、改めて心が一つになっていた。

「しかし、頼慈の仲間がドローンを貸してくれたのは助かるよ。ソフトウェアの方は俺もある程度いじれるけど、ハードウェアはまだ弱いし、それを揃えるのも金がかかるからな」

 そう言って碧希くんは、ドローンから送られてきた映像データを片っ端からクラウドに放り込んで、画像分析にかけている。更にその結果を自分のPCディスプレイに表示させ、分析のチューニングと、フリーで測定できる通信帯域のデータ、更にネットやSNS上の発言を収集、突合させて、因果関係を探っている。今では秋葉原の骨董品売り場に行かなければ見れないようなキーボードとマウスを、碧希くんが高速で処理していた。REDの操作に慣れた私には、何が何だかわからない。

「……いつみても、凄いわね」

「見た目が派手なだけで、REDの処理速度の方が上だよ。脳波補助がある時点で、人が自分で鍵盤を叩くよりも早いからな」

「でも、碧希くんもREDを同時に動かしているんでしょ?」

「それこそ、本当にREDは補助としか使えないよ。XRを十全に使えるのなら、ドローンに自分で作った自動行動プログラムを載せて操作する必要もない。自分で操作すればいいんだから。それこそ、自分が幽体離脱したようにな」

 言っている間に、Anna_0083が用意してくれたドローンが、帰路につく。バッテリーが切れを考慮して、早めに充電に戻るように碧希くんがプログラムしているのだ。

「でも、碧希くんが作ったプログラムだから、あのドローンは法定速度も、高度も守って飛べるんでしょ?」

「だから、それもXRを使いこなせていれば、わざわざプログラムを組む必要なんてないんだって」

 そう言って碧希くんは、少しだけ不機嫌そうに笑う。どうしてそんな風に笑うのだろう? ただ用意されたREDを使うだけの私より、何かをゼロから作り上げる、碧希くんの方がよっぽど凄い事をしているんだと、私は思うのだけれど。

 そう考えていたのが顔に出ていたのか、碧希くんはまた自嘲気味に笑った。

「チャットルームにも満足に入れないから、ドローンを貸してくれた人にお礼も言えないしな」

 過剰強化体質者の碧希くんは、チャットルームに入るのすら難しい。だけど――

「……別に、無理して入る必要はないわよ」

「? どうして?」

「どうしてもっ!」

 散々冷やかされるのが目に見えているから、とは、口が裂けても言えない。とはいえ、私の仲間に碧希くんをちゃんと紹介出来ないのは、私も少し寂しかった。

「あれ? この映像、どうしたの? もうドローン帰っちゃったんでしょ?」

 私はディスプレイに、今もリアルタイムで表示されている映像が気になり、碧希くんに問いかける。彼はなんてことがなさそうに、平然とこういった。

「ああ、それは監視カメラをハッキングした映像だな」

「犯罪じゃないっ!」

「大丈夫だ。俺がやったんじゃない」

「……そういう問題なの?」

「古いデバイスを使ってると、こういう風に脆弱性が残るんだよ。デバイスを売っている会社が回収を呼び掛けても、そのデバイスを使う側が認識してないと、こういう事が起こるんだ」

 そう言って、碧希くんは動画の配信元を警察に通報し、私の方を振り向く。

「これでわかったろ?」

「何が?」

「XRを使いこなせない弊害だよ。さっきの映像は、俺が江戸川区の映像をネット上から片っ端に集めるようなアルゴリズムを組んだから出てきたわけだけど、XRを使えていれば、ああいう見たくないノイズはそもそも表示されない。何せ、自分の出来る範囲、認識の範囲で仮想現実にアクセスできるんだからな」

「……でも、碧希くんだったからこそ、今の違法動画を見つける事が出来たのよね? それって、いい事なんじゃないの?」

 何を言っているんだこいつは、という表情で、碧希くんが私の顔を見つめる。多分、私も同じような表情を浮かべている事だろう。多分、この価値観は、碧希くんとは擦り合わないと思う。彼は自分の事を何も出来ないと思っているようだけれど、過剰強化体質者であったとしても、私より碧希くんが出来る事は、沢山あるのだ。

「そう言えば、最近『戦車』がSWOW上でログインする位置が、ある程度固まって来たのよね」

「まぁな。それが自分たちで位置情報を変更しているのかどうかはわからないが、北より南、葛西臨海公園方面の方に、何かはあるんだろうな。通信の不安定個所も、同じような傾向があるが、そこはもう少し性差が必要だな」

 そう言って碧希くんは、更にキーボードを叩く。

「さて、次はSWOW上の映像から『戦車』のプレイヤー像を分析しよう。映像は共有するから、頼慈はソファーにでも座ってろ」

 言われるがままソファーに腰を下ろしたタイミングで、私のREDに碧希くんから映像が送られてくる。その内容は、私もよく知っていた。というか、私が『戦車』を罠にかけようとして、失敗した映像だった。更に『戦車』に吹き飛ばされ、水没した動画も流れ始める。

「ちょっ! やめて!」

「? 何で?」

「私が恥ずかしいからよっ。自分がやられる動画見て、なんとも思わない人っている?」

「勝つためだろ」

「それは……」

 そう言いながら口ごもる私を見て、碧希くんは溜息を付く。しょうがないじゃない、恥ずかしいものは、恥ずかしいんだからっ!

「そこまで言うなら変えてもいいけど、でも、他の動画も似たり寄ったりだぞ」

「そんなはずは――」

 そう言いながら、私も『戦車』関連の動画をREDで検索する。が、碧希くんの言った通り、他の動画でも私が『戦車』に一方的に蹂躙される映像しか引っかからない。

「何でよっ!」

「それだけお前が頑張って『戦車』と戦ってるって事だろ?」

 言われてみれば、確かにその通りかもしれない。『戦車』のストーカーと言われるぐらい、私は『戦車』に挑み続けている。

「……まぁ、そのおかげで『戦車』のプレイヤーが女性である事は何となくわかったんだがな」

「そうよ! 私が頑張ったからプレイヤーが、って、え?」

 私は慌てて碧希くんの方を振り向いた。

「今、碧希くん何て言ったの?」

「だから、頼慈は重度の『戦車』ストーカーで――」

「そんな事一言も言ってなかったでしょっ!」

 私は碧希くんに鬼の形相で詰め寄る。

「どういう事なの? 『戦車』の中の人は、女性?」

「何だ、聞こえてるじゃないか」

 碧希くんから、追加で情報が送られてくる。それは複数の映像が時系列で並べられており、いずれも『戦車』が私を撃ち抜いた時の映像だった。動画の意味が分からず、私は首を傾げる。

「これが、どうしたの?」

「映像をスロー再生してみろ。特に、『戦車』がお前を見つけてから、次の行動に移るまでの時間だ」

 言われるがままに、私は動画を再生し直す。そうしている間にも、碧希くんは私に向かって話を続けていた。

「知っていると思うが、男性と女性では、脳の構造が違う」

「え、そうなの?」

 そう言っている間にも、動画はスロー再生され始めた。

「女性の脳構造は、感情を読み取る事に長けている。例えば赤ん坊の泣き方で、オムツが濡れているのか、お腹が空いているのか、その違いを判断できる直観力が高いんだ。だから、いつも『戦車』に挑む頼慈に対しての、次の行動に移るための時間が短くなっている」

 そして、その通りの映像が、私のREDに再生された。確かに同じような攻撃を私が『戦車』に行った時、徐々にではあるが早くなっている。最初は防御の様な姿勢を取っていたのだが、こちらが攻撃するより先に、私に撃つ割合が直近の動画の方が増えていた。逆に罠を作るような、今までしていないような行動をした場合、『戦車』はまず防御を選んでいる。

「女性の方が右脳と左脳がより精密に連携するため、目の前で起こる変化や自分の体調、感情の変化に敏感だと言われている。『戦車』のプレイヤーは、何度もお前を見る事で、ちょっとした変化から次にお前がどう動くのか学習していたんだよ。もちろん、女性にはこうした傾向が強い、というだけで男がこういった行動が出来ないわけじゃないんだけどな」

「凄い……」

 全く手掛かりのなかった『戦車』のプレイヤー像を、碧希くんはどんどんと絞り込んでいっている。でも碧希くんは、相変わらず自虐的な笑みを浮かべていた。

「昔取った杵柄だよ。対戦相手の癖がわかるだけでも、こちらは優位にプレイすることが出来る。それはプレイしているのが人間である以上、PCゲームだろうがREDGだろうが変わらない。それに、あくまでそういう傾向がある、というだけだよ。『戦車』の反応速度がプレイをするにしたがって上がっているのも気になるし。サプリでも飲んでるのか? あぁ、クソっ! 本当は自分でプレイして、相手と向き合って、その感覚を確かめたいんだけどな」

「……寂しい、の?」

 何でその言葉が出て来たのか、私にもよくわからない。ただ碧希くんの言葉を借りるなら、直観的にそう思ったのだ。

 碧希くんは驚いたように私の顔を見つめ、そして今度は、何処か懐かしむような、切なそうな、それでいて少し痛みを感じている様な笑みを浮かべた。

「そう、だな。寂しい、のかな? 今はもう、俺は出来ない側の人間だから」

 碧希くんのその表情に、私の胸が締め付けられる。きっと、彼も私と同じなのだ。いや、彼の方が、先に諦めたのだ。諦めたものを、本当は碧希くんが見ない様にしていたものを、私が向かい合わせてしまったのだ。

「……ごめんなさい」

「何で謝るんだよ」

 そう言って優しく笑う顔を見て、私はまた彼の前で泣きそうになる。でも、ここで泣くのは碧希くんを侮辱しているように思えて、私はギリギリのところで、それが零れないように上を向いた。

 そんな私を気にしない様に、碧希くんは淡々と言葉を紡いでいく。

「ドローンと、さっきたまたま拾った監視カメラの映像から、『戦車』のプレイヤーはSWOWカフェからログインしてはいないのはほぼ確定だろうな。他には帯域が不安になる時間にログインしている事と、そのエリアを精査していけば、ある程度プレイヤーの目星は付けれそうだ」

「……じゃあ、碧希くんが女の人をじろじろ見てても捕まらない様に、現場に行くときは私も付き合ってあげるわっ」

「そうかい。そいつは助かるよ」

 そこからは、ひたすら情報集めが続いた。そして四月第二週のある晩、私たちはついに辿り着く。

『戦車』の、プレイヤーに。

 

 

 その日、都営新宿線の一之江駅から東京堂三一八号環状七号線、通称環七通り沿いに、私は碧希くんが漕ぐ自転車の荷台に乗りながら、南下していた。

 通信が不安定なエリアを日ごとにマッピングしていくと、東京メトロ東西線の葛西駅付近が共通点として浮かび上がって来たのだ。ならば直接葛西駅に行けばいいのでは? とも思ったのだけれど、何分人の繋がりにくいかも? という感覚値では、そこまでピンポイントに通信帯域を圧迫している箇所を特定し切れないらしい。その誤差を潰すため、私たちは環七通りだけでなく、一之江通りから葛西中央通りを抜けて三角橋を渡ったり、少し東にずれて陣屋橋通りから三角葛西通りを走ったりと、もう何通りも道を行き来していた。

 夜風になびく髪を押さえながら、私は碧希くんに話しかける。

「もうすぐ『戦車』が、他のプレイヤーを全滅させるわ」

 SWOWにログインした光景を、ログインできない碧希くんの代わりに私は伝えた。通信が不安定になるのは『戦車』がログインしている間だけであり、逆にログアウトされてしまうと、通信帯域の圧迫はなくなる。つまり、『戦車』のプレイヤーをこの現実世界で探す手段がなくなってしまうのだ。

 それを理解しているからこそ、碧希くんが忌々し気に吐き捨てる。

「もう少し粘れないのか!」

「無茶言わないでよっ!」

 新川を越え、私たちは中葛西二丁目に到達する。SWOW上で爆撃の音を聞きながら、川の香りが鼻腔をくすぐり、不思議な気持ちになった。

 ここ数日、私は『戦車』の中の人を探すため、『戦車』がログインしている時間を長くする事に専念していた。わかりやすく言えば、『戦車』から逃げ回っていたのだ。

 今まで執拗に『戦車』を付け狙っていた私が攻撃するのではなく、回避に専念し、しかしそれでいていつもと変わらずログインする私を、最初『戦車』は訝しんでいた。でも、結局私が逃げたところで、『戦車』がやる事は変わらない。いつもの様に、他のプレイヤーを全滅させるため、ボスはその力を悠然と振るっている。

 そしてそれは、今この時も変わらない。

「あっ、ダメ! やられるっ!」

 碧希くんの舌打ちが聞こえて来た瞬間、私のプレイヤーキャラクターのライフが一瞬でゼロとなる。私は視界をSWOWの仮想世界から現実世界に戻し、直ぐにREDでまだ『戦車』がログインしているのかネットを検索し始めた。

「まだ江戸川区にはプレイヤーが、あ、ダメ。全滅したみたい」

「……じゃあ、通信が不安定なのも、後五分ぐらいか」

『戦車』がログアウトしても、直ぐに通信帯域は安定しない。それでも葛西橋通りを私たちが通過する頃には、通信は安定し始めていた。

「通信帯域を圧迫する元凶が居なくなれば、その付近から通信が安定し始める。つまり、『戦車』がログアウトした場所から異常はなくなるはずなんだ」

 碧希くんは、クラウド上で分析しているデータを自分のREDで確認しているのだろう。

「でも、もう葛西駅を通過して、清砂大橋通りどころか左近通り付近よ?」

「だから、この辺りのはずなんだよっ!」

 焦燥感に駆られた様な呻き声が、碧希くんの口から洩れる。私も他に手掛かりはないかとREDを確認して、ある事に気が付いた。

「あれ? 梟ちゃん?」

「何?」

 連絡先を交換していた梟ちゃんの位置情報が、私のREDに表示される。

「こんな時間に、どうしたのかしら?」

「……多分、バイトだろ?」

「こんな時間に?」

「前にも位置情報が共有されたことがある」

「でも、場所はこの辺りよ?」

 私の言葉で、碧希くんが急ブレーキをかける。体が少しだけ前に流れ、思わず私は碧希くんに強く抱きついてしまう。

「ちょっと! 危ないじゃないっ!」

「……そう言えば、前に梟の位置情報が送られてきた時、あいつ江戸川区にいたな」

「え?」

 その言葉に、私も冷静さを取り戻す。

「時間帯は?」

「……俺が通信が不安定な原因を探っている時だから、これぐらいの時間だな」

「まさか……」

 嫌な符合に、少しだけ冷汗が流れる。そんな私を見て、碧希くんが笑った。

「馬鹿言うなよ。梟が『戦車』のプレイヤーだっていうのか?」

「でも――」

「大体お前、そういう短絡的な推理で俺を『戦車』のプレイヤーだって疑ったんだろ?」

「それはそうだけど、余りにも出来過ぎじゃない? ひょっとしたら、私たちが知らない情報を持っているかもしれないわよ」

「……例えば?」

「梟ちゃんのバイト先に、『戦車』のプレイヤーがいる、とか。もしくはその手掛かりを実は掴んでいる、とか?」

「……」

 碧希くんが、何かを考えるように黙り込む。彼も、自分の幼馴染とこんな所で、しかもこのタイミングで出会うとは思ってもいなかったのだろう。

 結局、碧希くんも梟ちゃんの事が気になったらしい。

「……女の子一人で夜に出歩くのは、流石に危ないからな。駅まで送ってってやるか」

 そう言って碧希くんは、自転車のペダルを、強く漕ぎ始めた。行先はJR京葉線の葛西臨海公園駅。江戸川区最南端のその駅は、京葉線列車の他に、西船橋駅から武蔵野線に乗り入れるための列車も停車する。

 梟ちゃんの姿を見つけたのは、江戸川区総合レクリエーション公園の、ファミリースポーツ広場辺りだった。

「梟!」

「……たっくん! と、令恵ちゃん?」

 碧希くんに呼び止められた梟ちゃんは笑顔で振り向くも、私の姿を見て、一瞬頬を引きつらせる。その梟ちゃんの隣に、碧希くんは自転車を止めた。自転車の荷台から降りる私を、恐ろしいものを見つめる様に、梟ちゃんが恐れわななく。

「嘘……。やっぱり、あの噂は本当だったの?」

 瞳の色が夜より闇色になっていく梟ちゃんに向かって、私は首を傾げた。

「噂?」

「教室で二人が言い争った日から、たっくんの家に令恵ちゃんが入り浸ってるっていう……。やっぱり、二人はもう付き合って――」

「ないない! 付き合ってねぇからっ!」

 碧希くんが、全力で否定する。私もそれに同意した。

「そうそう! 付き合ってないわよっ!」

「……本当?」

「本当よっ」

 その言葉に、梟ちゃんが安堵の表情を浮かべる。

「良かった! じゃあ、あの噂は、やっぱりデマだったんだね! 私、信じてたよ、たっくんっ!」

 嬉しそうな梟ちゃんを見ながら、私は苦笑いを浮かべる碧希くんを一瞥する。付き合っている事は否定しているが、私が碧希くんの家に行っている事について、特に言及していない。この場では、その話題に出すつもりはないらしい。

 代わりに、碧希くんは別の話題を口にした。

「梟は、今日もバイトか?」

「うん! お仕事だよ」

 話しながらも、足は自然と葛西臨海公園駅に向かっている。自転車を押して歩きながら、碧希くんは尚も梟ちゃんに問いかけた。

「何処で働いてるんだ?」

「たっくんなら、知ってるかな? アナブナヴィリオ製薬株式会社って所だよ」

「……アナブナヴィリオ製薬?」

 碧希くんの眉が、少し歪む。

「何でまた、梟がアナブナヴィリオ製薬で働いてるんだ?」

「……うん。ちょっと、ご縁があって、ね。そ、それより、たっくんたちは、どうしてこんな所にいるのかな?」

 梟ちゃんの顔に、影が差す。歯切れが悪いその言葉は、明らかに話題を変えようとしていた。碧希くんもそれを察したようで、素直に梟ちゃんの誘導に乗る。

「ああ、ちょっと頼慈に付き合ってな」

「……付き合う?」

「違うのよ、梟ちゃん! そっちの付き合うじゃないからっ!」

 無表情でこちらを振り向く梟ちゃんが怖すぎる。私は慌てて手を振りながら、誤解を解こうとした。

「ほら、SWOWってREDGがあるでしょ?」

「……え?」

「け、梟ちゃんはあまり興味ないかもだけど、そ、それで、新しい機能が実装されたんだけどねっ!」

 反応が一向に良くならない梟ちゃんに、私は内心冷や汗を流す。彼女の誤解を解くために、尚も私の口は回り続けた。

「そ、それでね? えーっと、特別区管理者がー、って言ってもわからないかっ。う、うーんと、どう言ったら伝わるんだろう? ゲームのぉ、ボス戦? みたいなのがあって」

「……何で?」

「わ、私は江戸川区でSWOWをプレイしていて、そ、それでねっ!」

「……何で、またその話になっちゃうの?」

「え、えーっと、その……」

 ついに足を止め、俯いてしまった梟ちゃんに、私はただただ慌てふためく事しか出来ない。しまった。梟ちゃんは、SWOWにあまりいい印象を持っていなかったみたいだ。それなのに、私はべらべらと、どうしてこうも話してしまったんだろう?

 助けを求めるように碧希くんを横目で見ると、彼は梟ちゃんの顔を覗き込むように、少しだけ一歩前に出る。

「俺たちは、SWOWで設定された陣地取り領域、江戸川区の特別区管理者である『戦車』のプレイヤーを探してたんだ」

「あ、碧希くんっ!」

 SWOWの話を依然として続ける彼を、私は驚きながらも非難する様に睨む。しかし、碧希くんの口は閉じられる事はない。

「……梟。お前、何か知っているんだな?」

「え?」

 断言する碧希くんに対して私が疑問の声を上げるより早く、梟ちゃんの顔は更に伏せられる。碧希くんは、更に梟ちゃんに向かって一歩踏み出した。

「お前、俺が今日『も』バイトか? って聞いたら、そうだ、って言ったよな? つまり、度々お前は江戸川区に、しかもこの辺りに来ているという事になる」

 彼が言わんとしている事が、わからない。でも、梟ちゃんは何も言わなかった。それはまるで、神託をただただ聞き入れる、狂信者の様にも見える。

 そして、神託は尚も続いていく。

「そして、さっきは『また』その話、と言った」

「それは、私がSWOWの話を続けたからで――」

「それなら、『もう』その話はやめて、と言えばいい。他にも話題を変えるには、『それより』と言って別の話題を話せばいい」

 私の言葉を遮って、碧希くんが言葉を紡ぐ。なんとなく、彼が気にしている違和感がわかって来た。

「梟。お前、さっき話題を自分で変えようとしたよな? それは俺がお前の仕事先の話をした時で、でも頼慈がまたその話をしてしまった。話題が変わらなかったから、お前は『また』その話、って言ったんじゃないのか?」

 つまりは、こういう事なのだ。

 アナブナヴィリオ製薬株式会社の話を、梟ちゃんはして欲しくなかった。でも、私がその話を続けてしまったから、梟ちゃんは『また』その話、と言ったのだ。

 アナブナヴィリオ製薬株式会社とSWOWの話が、江戸川区の特別区管理者である『戦車』の話が続けられたから、変えたかった話題が話し続けられたから、だから梟ちゃんの様子がおかしくなったのだ。

「アナブナヴィリオ製薬株式会社は、SWOWのサプリも開発している。新しいサプリを飲んだプレイヤーなら、それこそ素人でもSWOWでボスとして戦えるようになる実験をしているなら、陣地取り領域の特別区管理者、『戦車』で他のプレイヤーを薙ぎ払う事だって――」

「違うよ、たっくん」

 一瞬、その言葉は、碧希くんの予想が間違っているのだという事を言おうとしているんだと思った。だって、そうでしょう? いくらいくつか符合が合致してるからって、ゲームの、SWOWのボスの裏に、一大企業が付いているだなんて、それこそマンガみたいな話だ。そんな話が、果たして現実にあるのだろうか?

 でも、碧希くんはそういう世界を知っているのだ。かつてPCゲームの上位ランカーで、それで生計を立てていくには、スポンサーが付いていないと無理だという事に。

「『戦車』じゃないよ、たっくん」

 梟ちゃんは、そこで顔を上げる。

「本当の名前はね、Poliucos_132-134って言うんだよ」

 その顔は今まで私が見ていた彼女のどの表情にも当てはまらず、厳しく、辛く、そして禍々しい程に、私たちを拒絶するものだった。私はまだ春の夜だというのに、真夏に幽霊に出会ったような思いで、梟ちゃんを見つめる。

「それって、『戦車』の正式な名前? じゃあ、やっぱり梟ちゃんは『戦車』のプレイヤーと繋がりがあるの?」

「いや、企業が絡んで、それも正体不明の特別区管理者の正式なアカウント名を、ただの高校生に、バイトに知らせるわけがない。つまり、梟、お前は、お前が――」

「そうだよ、たっくん」

 そう言って彼女は冷たく、そして狂ったように笑う。

「私が、私がPoliucos_132-134の、『戦車』のプレイヤーよ」

 その笑みは、神からその存在を認められた喜びからか、はたまた見放された結果悪魔に見初められた絶望故か。私に、はどちらとも判断が付かなかった。ただ私がわかるのは、私が、私たちが追い求めていた存在が目の前にいるという事実と、そしてこの現実を認めたくないと思う、どうしようもない程身勝手な思いを、私が抱えているという事だけだった。

「どうして……?」

「言ったでしょ? ご縁があった、って」

 私の疑問に、梟ちゃんが優しく笑う。でも、それは末期患者に安楽死を認めるような、背筋の凍る優しさだった。それを見て、碧希くんの表情が強張る。

「……幸せの森、か?」

「やっぱり、たっくんはわかるんだね……」

 碧希くんに送る視線にだけ、一瞬柔らかさが混じる。でも、それも瞬きする間に氷点下の冷たさに戻っていた。

「たっくんも知ってるでしょ? 私たちの家は、幸せの森は、運営が上手くいっているとは、決して言い難かった。もっと言えば、アナブナヴィリオ製薬から資金援助の申し出がなければ、もう、もたないの」

「その見返りに、梟が特別区管理者になったのか?」

「そうだよ。大枠はたっくんの予想通り。自分から装備品を外すか破壊しない限り、傷つけられない装甲。それでいて攻撃型でありながら、速度型と同じ速度域で攻撃が可能となる。そんな新薬の実験体。それが、私」

「実験体……」

 その単語に、私は思わず絶句する。碧希くんは、更に表情を厳しくした。

「……そのサプリ、お前の飲んでいる薬の安全性は、担保されてないのか?」

「されてたら、わざわざ児童養護施設の援助なんてしないでしょ?」

「何でお前が、そんなもんに付き合わないといけないんだっ!」

 碧希くんの激情が、爆発した。

「施設のためなら、児童養護施設の職員がやればいいだろうがっ!」

「しょうがないよ、たっくん。この薬の想定利用者は、十代の子供なんだもん。REDGの、SWOWの利用者数から考えれば、どこの層をターゲットに薬を作った方が利益が出るかは、たっくんだって想像出来たんじゃないの?」

 嬉しそうに、それでいて無邪気に梟ちゃんは笑う。それは自分を気遣ってくれたことに対する嬉しさと、今の自分の状況に取り乱す碧希くんをただただなじる愉悦に歪んだ様な、邪悪さが同居した笑みだった。

「だからね、たっくん。職員さんたちに、この役目を任せるわけにはいかないし、任せられないの。もちろん、他の子に任せるわけにはいかないわ。たっくんなら、わかってくれるよね?」

 私の耳まで、碧希くんが歯を食いしばった音が聞こえてくる。

「……お前が、十代で最年長だからか」

「やっぱりたっくん! わかってるぅ! ええ、ええ、その通りだよ、たっくん。後、私が最初に犠牲になる事で、新薬は改良され、安全性は上がる。だから、次にあの薬を飲む子のリスクがさがる事になるの。いい事づくめでしょ? 他の子は、まだ小学生だし、小学生以下の子供たちだっているんだよ?」

「いいわけあるかっ!」

 目を見開き、怒りに震えた碧希くんが、言葉を荒げる。

「『攻撃型でありながら、速度型と同じ速度域で攻撃が可能となる』。お前、そう言ったな? それはつまり、反射神経を向上させるための薬を、梟は飲んでるわけだよな?」

 梟ちゃんは、ただ口角を吊り上げた。その無言は、つまりは肯定の証。それがわかるからこそ、碧希くんの言葉は万力で無理やり絞り出した様な声になる。

「反射神経が向上するという事は、つまりは情報伝達速度が上がるという事だ。それはつまりプレイヤーのXRとの親和性を無理やり向上させるという事。そして安全性が担保できていないという事は、その親和性が過剰に上がる事に等しい……」

 その言葉に、私はハッとなる。その症状は、まるで過剰強化体質者の疾患とそっくりだ。

 梟ちゃんは、今度こそ、声を上げて笑った。それは毒林檎を白雪姫に食べさせる、魔女に扮した王妃の様な笑みだ。

 梟ちゃんは、碧希くんが過剰強化体質者である事を知っているのだろうか? 碧希くんの疾患は、PCゲームの上位ランカーとして独り立ちした後、つまり施設を出た後に見つかったはずだ。そうじゃなければ、碧希くんがREDGのプレイヤーを諦めたのと、時系列が合わなくなる。

 もし梟ちゃんが彼の病気を知っていてその笑みを浮かべられるのなら、それは余りにも醜悪過ぎるし、知らずにいるのなら、それは余りにも悲劇的過ぎる。

 私が梟ちゃんを止めようとする前に、彼女が嘲笑した。

「そう、そうよ、そうだよたっくん! 凄い凄い! ぜぇんぶぅ、全部正解! 薬の効果は、覚醒剤に近いわ。目の神経に過剰な負荷がかかって、いずれ私は視神経乳頭が縮小し、血流障害が発生しちゃうんだって。その結果、虚血性視神経症を発病し、いずれ失明する事になるんだよぉ!」

 彼女が嘲っているのは、自分自身の境遇か、それともそんな自分を気にせず回り続ける世界そのものか。

 痛みに喘ぐように、碧希くんは言葉を零す。

「どうして……」

「どぉしようもぉ、ないからよ?」

 梟ちゃんが、泣きそうになりながら、絶対零度の微笑をその顔に刻む。

「ないのよ、お金が。ないのよ、方法が。こうするしか、ないの。私には、何もないの。太陽の様な、何でも出来る、たっくんとは違うの。それでも、私は、私たちの家を、幸せの森を守りたいの! 何もしないなんて、私には出来ない! 出来るわけがないよっ! だって私たちの家だもの! そのために、出来る事をするしかないよっ! 例えこの身を差し出しても、この両目が潰れるとわかっていてもっ! 私は、私はねぇ、守りたいのよっ! 守りたいんだよぉっ!」

 最後の方は、もはや咆哮に等しかった。刻んだ魔女のその泣き顔を、どうすれば和らげることが出来るのか、今の私には想像すら出来ない。そしてその泣き顔も、やがて幽鬼へと表情を変える。

「たっくんには、想像も出来ないよね? 早くに施設を出れたたっくんには、何でも出来たたっくんには、わからないでしょぉ? 何でも出来て、今も独り立ちした、何でも出来ぃるたっくんにはっ! 今もSWOWで自由に戦える、たっくんにはさぁっ!」

 その言葉に、私は梟ちゃんが決定的な勘違いをしていると知った。梟ちゃんの中では、まだ碧希くんはPCゲームの上位ランカーで、今もREDGをプレイできる、何でもできるたっくんのままなのだ。『戦車』のプレイヤーを私と一緒に探していたから、梟ちゃんは碧希くんが何不自由なくREDGを、SWOWをプレイ出来ると、勘違いしているのだ。

 過剰強化体質者として苦しんでいる彼の姿など、一ミリも一秒も想像できないのだ。

「梟ちゃん、それは――」

「令恵ちゃんにも、わからないよっ!」

 梟ちゃんの勘違いを正そうとするが、彼女の艶羨の炎は、今度は私に纏わりつく。

「私、三月から実験を続けて、実験の効率を上げるためだけに、四月から薬の試験をするためだけに羽枇高等学校に転校したんだよ? 自分の両目を潰すために、江戸川区の高校に、進路すら容易く変えられたんだよ? 想像できないでしょ? 私の両目に、私たちの家が、子供たちの生活がかかってるんだよ。私たちの居場所がかかってるの! かかってるんだよっ! 負けられないの! 負けたら私の価値は、薬の価値がなくなっちゃうから! 薬の価値が疑われちゃうから! 売れなくなるから! 負ける薬なんて誰も買わないから! 買われなきゃ、勝てなきゃ私たちの価値がなくなって、援助が打ち切られるから! でも、わからないよね? 私たちを、私を置いていったたっくんにも、わからないよねぇっ! わかるわけ、ないよねぇっ!」

 もう梟ちゃんの声は、悲鳴に近くなっている。だからだろうか? 碧希くんも、たまらず反射的に口を開く。

「だからって――」

「だったら助けてよ!」

 それは、もう喚声だった。梟ちゃんの怨嗟が、夜風を切り裂く。

「なら、助けてよ。一億円だよ? 施設の運営に、必要ぉなお金ぇ。ねぇ、払ってよ。ねぇねぇ払ってよぉ。ねぇ、払ってよ、お金! お金払ってよぉ! それで助けて! 私を、私たちを、助けてよ。たっくん、お願いだよ、助けて、助けてよぉぅ……」

 碧希くんが支えていた自転車が倒れ、不協和音が闇夜に響く。梟ちゃんはいつしか碧希くんにしがみつき、子供の様に、親を見失った迷子の子供の様に、泣いていた。氷の魔女の仮面は、その魔女自身の涙で一瞬にして氷塊。しかしその下から代わりに現れたのは、私たちには受け入れがたい、諦念の激情だった。

 碧希くんは、ただじっと唇を噛んで黙っている。そこから流れる血を拭いもせず、それでいて自分の体に包丁を突き立てられ、更にドライバーを回して抉られた痛みを堪える様に、ただただ子供の様に泣きじゃくる梟ちゃんを支えていた。

 私はそんな二人に何も言えず、様子を見守る事しか出来ない。

「……ごめん、なさい」

 ひとしきり泣いた所で、梟ちゃんはそう言った。

「ごめん、ね、たっくん、令恵ちゃん。一億円なんて、用意できるはず、ないよね……」

「いや、梟。俺は――」

「ごめんね、本当に。私、こんな事言うつもりじゃ、こんな所、見せるつもりじゃ、なかったんだけどなぁ」

 泣き腫らした顔を擦って、照れたように笑う。無理に笑っているのが私にもわかって、私も思わず泣きそうになった。

「あ、あはははっ。酷いとこ、見せちゃったね。私、ちょっと欲張っちゃった」

「……欲、張る?」

「うん、欲張っちゃったっ」

 碧希くんの言葉に、梟ちゃんはそう言って、今度こそ本当に嬉しそうに微笑んだ。

「だって、最後にたっくんの姿が見れたから。高校生になった、たっくんを見れたから! それで私、満足しなきゃいけなかったのに……」

 何でだろう? 本当に、何でだろう? 何で梟ちゃんは、その台詞を言いながら、嬉しそうにしなきゃいけないんだろう? 何で梟ちゃんは、そんな事で満足しなくてはいけないんだろう? 何でそんな幼馴染を見て、碧希くんは辛そうな顔をしないといけないんだろう? 何で碧希くんは、手の色が変わってしまう程、自分の拳を握りしめないといけないんだろう?

 もっとこの世の中には楽しい事がたくさんあって、笑い合える事もたくさんあって、ああ、本当に、どうして梟ちゃんが『戦車』のプレイヤーにならなければならなかったんだろう?

 私にとって、『戦車』は私の家族の仇だ。でも、『戦車』を倒さなくたって、現実世界で誰かが困るわけじゃない。誰かが生活出来なくなるわけじゃない。

 ただ、私が前に進めなくなるだけだ。

 そうすれば、梟ちゃんの家族は、幸せの森の人たちは、生活していける。

 梟ちゃんの両目を犠牲にして。

 でも、それで本当にいいの?

「……じゃあ、私、もう行くね?」

「梟……」

「私、一人でも、もう、帰れるから。まだ、一人で、帰れるから……」

 だからもう放っておいてと、梟ちゃんにそう言われた気がした。

 そして、私と碧希くんは、梟ちゃんの後姿を見送る。彼女の後姿が見えなくなっても、私たちの心は、下りた帳が永遠に上がらない様な暗黒の夜に囚われたままで、ただただ立ちすくむ事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

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