ではどうぞ!
ーー少年の世界は、"灰色"だった。
いや、"少年の世界に色は無かった"という方が正しいか。
物心が付いて、暫くしたら、いつの間にかその視界に映る世界に、色は無くなっていた。
目に映るもの全て、色の無い白黒テレビ。音も姿もボヤけて、イラつきの拍子に鉄バットで殴りつけたくなるような、そんな、何の面白みも無い世界だった。
『えっと…神薙双也って言います。趣味は…特に無いです』
少年がそんな世界を見るようになってしまったのは、ある種、"少年自身の性質"と言えた。
それは、ある意味誰もが望む事であり……
望みはすれど、叶える事は酷く難しい事である。
『はぁ? なんだよ、お前また平均ピッタかよ。ほんとどうなってんの?』
『いいなぁ〜、それって絶対赤点無いって事だよね?』
『お前器用だよなー、なんだって並程度には出来るんだからさー』
ーーそう、それは、
この世界の誰しもが、穏便に生を全うしようとする。荒波の中に自ら飛び込んでいくものなど、そうは居ない。
"普通に出来る事"を、誰もが望んでいる。
ただーーこの世において、何が起こるか分からないからこそ、
しかし、少年だけは違っていた。
何をやっても、並平均。
どんな事も出来る代わり、どんな事にも秀でない。
人間関係すら、極々普通の並一般。
人間関係に関して、世間的に何が一般的だと言われるのか定かでは無いが、少年のそれを見た人間は、誰もが口を揃えてこう言ってきた。
ーーああ、極普通の男子高校生だね。
普通。それは、不変。
どんな事を言っても、どんな事をやっても、それはそれの平均にしか辿り着かなかった。
偶にそれを打ち破ろうと頑張っても、少年の為す全ての事が、何一つとして、その平均値を上回る事も下回る事も絶対に無かった。まるで世の理だとでも言うように。
ーー"失敗しないならいいじゃないか"?
とんでもない。少年にとって、失敗かどうかは関係ないのだ。
ただ"何か違う事が起こって欲しい"。
不変の人生なんて、拷問そのものだ。
成果の出ない努力。
怠けても取れる平均値。
見え透いた結果。
特異点とでも言えそうな、そんな彼の性質は、彼自身の心から、温かみと言うものを貪るように食い尽くしていった。
『え、えと…そ、双也君の事が好きですっ! 付き合ってくださいっ!』
『あ…えっと…ゴメン、誰かと付き合う気は全然無いんだ。……ゴメンね』
『今日は双也の好きなカレーよ! たらふく食べなさいっ!』
『んー、あーサンキュー母さん…』
温かさーー即ち、愛と言える物を向けられる事はあった。
自分を好いてくれる女の子の愛。
自分を産んでくれた両親の愛。
自分と仲良くしてくれる友達の愛。
しかしそのどれもが、冷え切った少年の心を温めるには、余りにも足りていなかった。
色黒テレビの画面の向こう。
そんな"別世界"から愛を囁かれたところで、大した感動がある訳でもない。ある筈もない。
そうして少年は、いつの間にか"色"を失った。
『放課後どっかで遊ばねーか?』
ーーいいよ面倒くさい。
『二組のあの子かわいーよなー!』
ーーそんなのどうでもいい。
『双也君! この問題教えて欲しいんだけど…』
ーー俺より適任がいるだろ。
声にこそ出さないし、拒否する事もない。しかし、その時の少年の瞳と言ったら、どれ程冷ややかで冷め切ったものだったろうか。
軽蔑ではない。嫌いな訳でもない。
ただーーひたすら、つまらなかった。
だからこそ、少年は、密かに"色"を求めていた。
熱くなるような赤。
冷えるような青。
明るくなる黄。
落ち着く緑。
上げれば切りが無いが、ともかく、少年の冷え切った心を温めるには、そんな鮮やかな色彩がどうしても必要だった。
そんな時。
少年が、そんな色の無い世界に飽き飽きしてきた頃。
出会ったのが、東風谷早苗だった。
『うあっ……あー、面倒くさいな…』
『ああ! 大丈夫ですか!? なんで誰も手伝ってあげないんでしょう…』
初めの頃はいつも通り。
ただの騒がしい
様々な理由で、共に過ごす時間は増えたけれど、根本的には普段と何も変わりはしなかった。
だって、そうだろう?
先生に書類運びを頼まれ、
そんなの、ありきたり過ぎて何の面白みも無い。普通過ぎて、望みが無い。
彼の周囲に満ち満ちている、つまらない現実と全く同じだ。
しかし、今までと違う所は、確かに存在した。
『双也さん双也さんっ! 見てくださいコレ! 双也さんのお陰でこんなに良い点数取れましたっ!』
『うぅ〜、まさか一番食べたかったケーキが、私の一歩手前で売り切れてしまうなんて……ツイてないですぅ…』
『もしかして双也さん…今私の事馬鹿にしました…? 失敬な! 私だってこれくらい出来ますよーっ!』
それは、早苗にとっては全く普段と同じ、誰に対してもそうしたであろう態度だった。
嬉しければ良く笑うし、悲しければションボリするし、イラついたなら重かれ軽かれ、確かに怒る。
しかし、そんな彼女と過ごす時間が長くなる内、少年はある事を考えるようになった。
ーーああ、この娘は"色"に満ち溢れている。
泣いたり笑ったり、怒ったり沈んだり。
早苗は人一倍感情が豊かで、表情が鮮やかだった。それは最早、冷え切った心の所為で何も思わなくなってしまった少年とは、正反対の存在。
少年の心は、隣でそんな鮮やかな"色彩"を解き放つ早苗に、ゆっくりと温められていった。
『……大丈夫ですか双也さん?』
『ん〜…眠過ぎてあんまり大丈夫じゃないな…ホント、早苗って熱心だよなぁ』
『勉強は学生の本分ですからね! さぁ、行きましょっ!』
『ちょ、急に走り出すなってー!』
ーーそうして少しずつ、少年は毎日に楽しみを見つけていった。
『……早苗ってオタクなの?』
『え!? 何ですか急にっ!?』
『いや…良くお前がガ○ダムとかのアニメに詳しいって噂聞くから…』
『ああガ○ダムですか? 確かに大好きですよー! クイズ大会に出たら余裕で優勝する自信がありますっ!』
『…マジだったのか…』
ーーそうして少しずつ、少年の世界は色を取り戻していった。
『うぅ…赤点ギリギリ、危なかったですぅ…』
『まだまだだなぁ早苗。俺は赤点なんて考えた事ないぞ』
『双也さんはいつだって平均点叩き出すじゃないですかぁ!』
『はははっ、そういう体質なんだよ』
『ズルいですよぅ…』
ーーそうして少しずつ……少年は、早苗の事を大切に想うようになった。
それは別に、恋愛感情という事ではない。言うなれば、"親愛"というものだろうか。
そもそも、少年の心に正常な恋愛感情など備わっているなら、こんな長い過程など無くとも、とっくのとうに早苗に惚れているだろう。それだけずっと近くにいたのだし、それだけ早苗は魅力的な少女なのだから。
ただ、
冷え切った心は何もかもを反射して、今まで決して揺らぐ事はなかった。
だがそれも、早苗の温かみによって遂に変わる。
早苗は俺の心を溶かしてくれた。
早苗は俺に生きる楽しみを与えてくれた。
早苗はーー俺の世界を、変えてくれた。
そうして早苗は、少年の中で誰よりも大切な存在となったのだ。
早苗が居なければ、今の彼は成り立たなかったろう。
早苗が居なければ、もしかしたらつまらないこの人生を、自ら終わらせようとしていたかもしれない。
もしも早苗が
ーーそれは、ある種の防衛本能だったかもしれない。
あの時…少年が早苗に迫る危機を見てしまった時、早苗が居なくなれば自分の心がどうなるのか、無意識に悟っていたのだろう。
だからこそ、少年の身体は無意識に動き出しーー早苗を庇って、刃に貫かれた。
『双也さんっ!! 死んじゃ…ダメですっ! ダメですよっ!!』
『さ、なえ……』
薄れゆく意識の中に、後悔というものは欠片もなかった。 失わずに済んだ事に安堵すらしていた。
ただーー少年は、彼女の隣にいられなくなった事を、ひたすら残念に思った。
『死にたく、ない…なぁ…』
その行動が、気持ちが、神の目に止まるなど、この時の少年は思いもしなかった。
当然だろう、自らの死に際に、そんな非現実的な事を思い浮かべる余裕など、あるはずが無い。
しかし、ただ、それが事実である事に変わりはないのだ。
少年の、短くもつまらないーーしかし、最後には色鮮やかな夢の様だった人生は、こうして幕を閉じた。
そして、人知れず、世界の狭間から、また別の世界へと。
一人の神に見守られて、少年は歩き出したのだ。
ーー少年の見た世界。
それは灰色。
それはモノクロ。
それは、鮮やかな虹色。
少年の世界、少年
……………。
ではでは。