ではどうぞ
「………………」
何もかもを吸い込んでしまいそうなドス黒い雲が、一筋の光も通すまいと厚く空を覆っている。
何かを思案する様に眉根を寄せて、八意永琳は窓から覗く黒い空を見上げていた。
立ち込める雲から感じるのは明らかに妖力であり、加えて空を覆い隠すほどのものともなれば、彼女をして相当に強力で膨大なものだと推測できた。
さらに、何処となく寒気の様なものも感じる。
首筋を撫ぜていく殺意の様な
それはもう、まるで死を予感させるか様な、もしくはそのものを体現しているかの様なーー。
もしそうなら、自分には効果が無いと確信できる事柄ではあるのだが…分かってはいても、この感覚は死を味わった事のない彼女にとって酷く不快なものだった。
絶えず感じる不快感に、既に寄っていた眉根をさらに寄せて、彼女は自身の病室のベットに寝ている鈴仙へ声をかけた。
「………大丈夫、鈴仙?」
「うぅ…大丈夫…とは言えませんね…。あんまりにも身体が重くて、動けないです…」
「私特性の薬を使っても治らないなんてね……やっぱり、この妖力が原因なのかしら」
永琳には、その正体は掴めそうになかった。
薬学は勿論の事、多岐に渡る豊富な知識をその頭脳一つに詰め込んでいる彼女でも、未知のものでは対処のしようが無い。
推測し、結論立て、それに利く薬を作って飲ませる事は出来るが、実際鈴仙は、それを繰り返しても一向に良くならない。
ーーお手上げ、と言い切ってしまうのは、天才薬師としてのプライドが許さなかった。
彼女は今までも不治の病と言われた病気を薬一つで治してきたし、その事柄が偶然のものではなく、彼女の天才的な頭脳によるものだという事は自他共に認めている事だ。
ーー病気になったら永遠亭へ。
そんな認識すら、幻想郷全土に流行り始めている今日である。
諦めるという選択肢は、初めから彼女には無かった。
なら、どうするべきか。
「……鈴仙、生きたいわよね?」
「ぅえ? ……そりゃあ、生きたいですけど…何故です?」
「…いいえ、なんでも」
ーー最終手段として、蓬莱の薬の使用も……。
今更そんな事を思い付いた自分を、少しだけ責めたくなった。
生きたいと思うのは当然だろう。
むしろ、死にたいと思う者は大抵精神に異常をきたしているか、被害妄想の極端に激しい馬鹿者だけだ。
勿論、鈴仙がその手の者達と同じだとは微塵も思っていない。
だが逆に、永遠に生きながらえようとするのもまた、馬鹿のする事なのだ。
あまりに長く生き過ぎるとどうなるのかという事は、あの白髪の蓬莱人を見て誰もが知っている。
鈴仙が仮にそうなった場合、自分達が側にいる分幾らかマシかもしれないが、そんなのは何処までいっても"もしかしたら"の推測でしかない。
本当に良いのは、自分に見合った人生を送り、自分に見合った最期を遂げる事。
それが最早出来なくなってしまったというのに、偉そうに命を語っている自分が先に言った馬鹿者の一人だという皮肉の事を思い、内心少しだけ笑いが漏れる。
全く何を偉そうに、私だってとんだ馬鹿者じゃないか、と。
ただまぁ、そんな馬鹿者だからこそしてやれる事があるし、理解出来る事がある。
仮に自分がまだ寿命のある人間で、時の権力者達の様に不老不死を強く望む者だったなら、蓬莱の薬を鈴仙に飲ませる事も
しかしそうではない。
実際は、永遠に生きるという事の罪深さと苦しみを知っている。
不老不死となった事を今更後悔をしている訳ではない。
元々輝夜と共にあるために望んだ身体なのだから、後悔どころかこれで良かったとすら考えている。
でも鈴仙は事情が違う。
彼女は自分達とずっと共にいるなんて契約を交わした訳でもないし、それを強制している訳でもない。
願わくば、身に付けるべき薬師としての知識を全て身につけ、ここから旅立って欲しいとすら思っている。
それが師匠として最低限望むべき事であり、願いでもあるからだ。
そんな彼女を、不老不死にする事など出来はしない。
いずれ一人にならなければならないというのに、無理矢理に永遠の孤独を押し付ける事など、出来はしないのだ。
だから、この問題は他の方法を探すしかない。
自分の知識でどうにかならないならば、どうにかする為に行動を起こすべきだ。
永琳はすっと立ち上がり、不意に横たわる鈴仙を見下ろした。
「……? なんですか?」
ただーー。
ただもしーー彼女がそれでも構わないというのならば。
自分達と永遠に歩み続けると宣言するならばーー。
「……いえ、なんでもないわ。安静にね」
「?? はい…」
小さく頭を振り、鈴仙の布団を掛け直す。
要らぬ思考を振り消した永琳は、静かに部屋の戸を閉じ、輝夜の下へ向かった。
「姫様」
「何かしら、永琳」
永遠亭の縁側に立ち、輝夜は空を眺めていた。
相変わらず黒々と積もっており、何やら雷まで迸っている。
「…ねぇ永琳、こんな天気初めてよね」
「そうですね、初めてです」
「初めて見る景色って…どんな物でも誰かと共有したい…そう思うのはおかしいかしら?」
「…いいえ、とても良い事だと思いますよ」
そう答えを受け取ると、輝夜は満足気な表情で振り向いた。
「なら、少しだけお出かけしない?」
「…仰せのままに」
二人はそうして、竹林の奥に佇む永遠亭を飛び立った。
黒い空の下を、雷をスルスルと避けながら。
"長く生き過ぎてしまった"少年を、僅かばかりに心配しながら。
ある丘での戦闘の余波は、既に幻想郷中に響き渡っていた。
ーー歯が立たない…っ!
強大な天罰神の力を前に、四人は全く同じ事を思った。
どんな隙を突こうと、どんな技を仕掛けようと、彼相手には一切の効果が無く。
どんな術を使おうと、どんなに我慢強くあろうと思っても、彼の一挙一動が及ぼす攻撃には信じられないほどの威力が伴っている。
「そんな力で、よくオレを止めようと思ったもんだ」
ーーここからは一方的な処刑。
その言葉はまさに正しく、この状況を最も簡潔に表していた。
そしてそこには強かれ弱かれ、四人にこう思わせるには十分過ぎる程の鮮烈さを秘めていた。
"彼がその気になれば、私達は簡単に消される"
と。
「あああッ!!」
「呆気ないな幽香、お前じゃ勝てないよ」
ただそれでも、諦めて裁きを受け入れる事など出来はしない。
そもそも、そんな覚悟もない様ではこの場に立ってはいない。
幽香はともかく、紫、霊那、レミリアに至っては双也に恩義を感じている。
そしてそれを無下にするような者達ではないし、皆彼の事を心から想っているのだから。
故にーー諦めなど、頭の片隅にも置かない。
「そんなっ…!」
「舐めてんのか? たった五百歳の吸血鬼さんよ」
正直に言って、これは一から十までただの精神論だ。
"ただの精神論で埋まる差ではない!"
と有名な言葉があるが、今の彼女らに言わせれば、"埋まらない差を埋めようとするからこその精神論"だ。
力の差は諦める理由にはならず、そしてこの戦いに臨む覚悟は恐らく、双也がどれだけ痛烈な攻撃を加えようと折れることはないだろう。
ーーしかしだからと言って、限界が無い訳では決してないのだ。
「…ぅ…くっ…」
「はぁ…まだ立つのかよ。タフにも程があるだろうよ」
いい加減諦めろ。
双也の視線には、そんな圧力が重々と込められていた。
斬ろうが撃とうが、叩き付けようが吹き飛ばそうが、彼女達は何度でも起き上がり、双也へ渾身の一撃を見舞おうと向かってくる。
それに抵抗する事は最早彼にとって難しい事でも何でもない。疲弊した彼女らの攻撃ならなおさら、余所見しながらでも対応出来る程だ。
ーーしかし、彼がどうにも落ち着いていられなかったのは、彼女らーー主に紫の余りの不屈さにあった。
レミリアと幽香は既に、地面に倒れ伏して動く事が出来ない。そこまで追い詰めたのは他でもない双也だが、同じ様に嵐の様な猛攻を受けていた紫と霊那は未だ、立っている。
更に言えば、霊那はもう薙刀を杖にしなければ立てない程に傷付いていたのに対し、紫に至っては杖代わりなどは何も使わず、自分の力で立っているのだ。
まるで意地になっているかの様に。
そのしつこさに、彼は沸々と苛つきを感じ始めた。
ーー何故そこまで必死になる? 咎人の分際で。
ーー何故いつまでも諦めない? "俺"の事など何も分かっていないくせに。
血に塗れ、荒い呼吸を繰り返し、痛む身体を引きずって、それでも彼を睨み付ける紫は、そんな双也の視線に対して、強がりとも取れる微笑みを返した。
「どんな手を、使っても…あなたを正気に戻すって…誓ったのよ…!」
あなたの手を、これ以上汚させないっ!
ーー僅かに、双也は眉を顰めた。
「……もう、遅いんだよ」
滲み出る神力が濃くなっていく。
圧倒的な迄に濃密で、絶望的な迄に重いそれは、掲げられた彼の掌に雷という形で現れていた。
「俺の手は、もうとっくに血に染まり切ってる。 俺が今までどんな想いでこの手を汚し続けてきたか……お前達には分からないッ!!」
瞬間、黒い死の雲の合間で光が閃いた。 双也の掌はバチバチと凄まじい雷が迸り、それに反応する様に雲の合間で雷が光っている。
ーーこれは、マズい。
雲の合間に収束しつつある"神力"を感じ取り、紫は危機を感じ取った。
双也の直接的な攻撃ですら未だ感じ得なかった、絶対的な危機感。
彼女はなけなしの妖力を振り絞った。
「俺の事は、オレが一番分かってるッ!
ーー堕天『ギルティジャッジメント』
幻想郷が、眩い光に包まれたーー。
…………。(←これも書くこと無いだけ)
ではでは。