ではどうぞ!
『二重人格…?』
神降ろしを習得し、早速行使して飛び立とうとした矢先。
それを呼び止め、"その前に"とでも前置きをする様に竜姫が語った内容は、やはり双也に関する事だった。
だがそれは、思わず霊夢が繰り返してしまう程に予想外な事柄であった。
敬愛する兄が、二重人格であった、と。
竜姫は一つ頷き返すと、ゆっくり、そして重そうに口を開く。
『双也がいったいどうやって神格化していたか、知っておるか?』
『どうやって…? 現人神ならみんな出来るんじゃないの?』
そう疑問を零しながら、霊夢は早苗の方へと目配せをする。
それに気が付いた早苗は、ふるふると首を横に振った。
『普通出来ないはずです。人と神の両面を持つからこそ現人神って言うのであって、正確には人と神の間にいる存在の事なんです。だから完全に神になったりはーー』
『当然出来ん。あやつが完全に神になれるのは、そういう風に能力を使っているからじゃ』
竜姫は早苗の言葉を引き継ぐと、はっきりと言い放った。
"繋がりを操る程度の能力、ね…"
霊夢の呟きに、竜姫はうむと頷いた。
『あやつはの、現人神であるにも関わらず、自分の中で人と神を断ち切って神格化しているのじゃ』
最初に神格化したのは、一億年以上も前の事。 絶体絶命の状況を打破するために、彼の本能が導き出した方法こそが、神格化だった。
自分の中で人と神を切り離し、自らの中心に神の部分を置く。
そうする事で神となり、今まで出会った咎人なる者達に裁きを下してきたのだ。
そしてそれは、必然的に"殺す"事が多かった。 双也が最も忌み嫌い、苦手とする行為である。
『"殺すのは嫌だ。しかしそれが己の使命"……ずっとずっとその事を悩み抜いた結果、双也は
それは自己暗示にも近かったろう。
忌み嫌う行為を行う時に、心が必要以上の苦しみを感じない様に、と。
事実、その暗示のお陰で彼が今まで生きてこれたという部分もある。
誰しも、
もしその"気持ち悪い"という不快感を抱えたまま、その壺に手を肩まで入れたならばーーきっと、発狂してしまう。
そうならない為にーー殺し続けた事で壊れてしまわない為に、双也の心が自己防衛の意味も含めて、そんな方法を導き出したのだ。
『じゃが、いつからか……そんな神格化を続けるうち、双也の心は
それが優しく寂しがり屋な、人間の双也と、無慈悲で使命に忠実な、神の双也じゃ』
『……そんな心の状態じゃ、仕方ないかもしれないわね』
『……霊夢さん?』
言葉から、なんとなく彼の心を感じ取り、霊夢はポツリと呟いた。
『人の時と神の時と、何もかもが違うんだもの。別人だって言ってもいいくらいにね。…自分の心を二つに分けて、感じる事さえ別々にして……そんな状態で何万年と生きてきたら、そりゃ……』
『………………』
霊夢には、そんな彼の気持ちなどは分からない。
人や妖怪を殺し続ける事の苦しみなど、想像すら出来る筈がないのだ。
可哀想だとか、辛かったろうとか、そんな言葉も当てはまるか分からない。
だが少なくとも、きっと誰よりも苦しい人生を生き抜いてきた彼に同情するには、余りにも足りない言葉なのは確かだった。
それを踏まえて彼に言葉をかける事なんて霊夢には出来ないし、その資格が無い事は彼女がよく分かっていた。
ーーだから、ここからは我儘だ。
『龍神様』
『竜姫、で良い。なんじゃ?』
『…竜姫様、それを私達に話したのは何故? 気持ちの強さでも、確認したかったの?』
ーー竜姫は答えない。
『そんな事を聞いても、今更変わったりしないわよ。双也にぃがどれだけ辛い思いをしてようと、私達が諦める理由にはならないの。私達が戦う理由なんて一つよ』
みんな、双也にぃに戻ってきて欲しいだけーー。
その言葉は、決意に溢れていた。
確かに双也は辛い思いをしてきたのだろう。それこそこの世の誰よりも。
しかし、そんな事に心を割いても、今更仕方がないのだ。
同情したって何も変わらない。
慰めたって心は晴れない。
なるほど、確かに彼女の答えは、一方的な我儘だ。
でもきっと、それが正しいのだろう。
誰しも相手の過去を見透かして接するなんて事は不可能だ。ましてや、億という単位の時を生きてきた双也なら尚の事。
ならそこに必要なのは、彼と接する人の気持ち。
彼、彼女らが、その人にいて欲しいと思うなら、いるべきなのだ。
いつしか、その人がその場所に居たいと思える様になれば、それで良いのだから。
『行くわよ早苗。準備良いわね』
『あ、はい!』
霊夢はそう言い残すと、早苗と共に振り返った。
飛んでいくその背中を見ていた竜姫は、二人ーー特に霊夢から、確かな強い気持ちが感じ取れるのだった。
「…………………」
竜姫は一人、黒々と積もる雲の空を見上げながら思い出していた。
霊夢と早苗に語った物語を。
双也の苦しみを。
「…望んだのは、同情ではない」
竜姫はずっと彼を見てきた。
責任として、義務として、償いとして。
常に見守り、彼が安息に暮らせる様にと。
それはもう、彼の心に直接声を掛けてまで。
「…お前達を信じていない訳でも、ない」
空を見上げる竜姫の視界に、空などは映っていなかった。
ただ、見透かす様に虚空を見つめる。
それは、何かを願っているかの様な瞳にも見えた。
「お前達には
呟きながら、竜姫はキュッと唇を噛み締めた。
そしてゆっくり目を瞑り、消え入るかの様な言葉を零した。
「……私には…そんな資格、ないんじゃからの…」
「返して、か……」
荒地と化した丘の上は、シン…と静まり返っていた。
戦闘音もなければ、会話する声もない。 当然、虫や鳥などの動物の鳴き声もなかった。
そんな張り詰めた空気の中、それを打ち破ったのは、ポツリと呟かれた"神也"の声。
独り言の様に小さな声でも、この場では誰も彼の言葉を聞き逃す事はなかった。
「…この際、オレの呼び方なんかは置いておくとしよう。オレと俺が別々の人格なのは確かだしな」
薄く笑いながら言う。
それは彼自身が、"自分が二重人格である"と肯定する言葉。
霊夢の背後にいる者達は、信じられないと思いながらもその独白を受け入れるしかなかった。
ただ…紫だけは、やはりか、という表情をしていた。
予想はしていたのだ。数多ある可能性の一つとして。
状況によって性格の変わる性質だった、とか。
誰かが乗り移っているのだ、とか。
可能性の低いものでは、実は殺す事をそこまで苦に思っていない、など。
紫の超人的な頭脳、そして彼と共に生きた時間や思い出を総動員し、可能性を見つけ出すのはそう難しい事ではなかった。
でもそこから。
ある程度以上絞り込むことができなかった。
今回の転生の件もそう。
昔から、双也という人物は謎が多かった。今まで言動に違和感を抱いたことも今回で大分結論を得ることが出来たが、如何せんそこら辺の、彼に対する不思議な感覚が拭えない。
その感覚が、あらゆる可能性を切り捨てる事に抵抗したのだ。
彼の近くにいる者として、あの神也という状態にならないようどうにかする必要がある。 そしてその為には、彼のあの状態に関して正確な結論を弾き出すことが必要だ。
そんな慎重過ぎるとも言える気持ちも相まり、ずっと紫は結論を出せずにいた。可能性を集めた所で二の足を踏み続けていた。
……その結果、何もかもが後手に回ってしまった。
今更結論を得ても、もう自分の力ではどうにもできないところまで来てしまっている。
自分の無力さから溢れる、深い溜息。
紫はそれを、ごく静かに零した。
「だけど…"返して"、だと?」
ーーお前、何様のつもりだ?
神也の表情から、笑みが消えた。
「"俺"は、ずっと堪えて生きてきた。寂しがり屋なあいつが苦手な、死別や別れ、そして
霊夢はジッと耳を傾けている。
「そしていざ出会った時…早苗は双也の事を知らないと言った!
その時あいつはなんて感じたと思うッ!?
"別れるくらいなら最初から出会わない方がいい"って、本心からそう感じてたんだッ!!」
彼の目尻に光る物が見えた。
「お前はッ! そんな双也にずっとずっと悲しみながら生きろとでも言うつもりかッ!!?
別れる事に苦しみもがきながら、何の意味もない日々を無意味に過ごせと! そう言うつもりなのかッ!!?」
霊夢は僅かに、目を伏せた。
「オレは絶対に認めない。
例え"俺"自身の想いに背く事だとしても、オレは"俺"の為に行動する。その為に、生まれたんだ」
それは、彼の正真正銘本心を表した言葉だった。
双也は堪えていた。長い永い時間をずっと。そしていつしか限界が訪れた時、双也自身を護る為に確立した人格が神也だ。
使命を果たす度に心を痛めてしまう彼の代わりに。双也の心を護る為に。
誰よりも近くで双也の悲痛な叫びを聞いた。もう嫌だと泣き喚く声を聞いた。
だから神也は、双也にそんな思いを二度とさせない為に行動した。
ある意味、神也は誰よりも双也の味方なのだろう。
その行動原理には必ず、双也の有利不利が中心にある。
双也の為にどんな事でもするし、その事柄が直接、彼の使命である"罪を裁く"という事に直結してしまうのだ。
それが神也という人格でありーー霊夢もその事を、理解していた。
「……そうね、そう言う事になる」
伏せていた目を開き、決意に満ちた瞳を向けた。
「私の我儘だって、理解してるわ。本当に自分勝手な理由よ」
双也の想いも、神也の想いも、霊夢には理解する事は出来ない。
そんな馬鹿みたいに凄絶な経験をした事がないから。
でもーー己の想いが本物だという事は、どうしても譲れなかった。
否定されたくなかった。
「それでも私は…私達は、双也にぃに戻ってきてほしいのよ。
人も死ぬ。妖怪も死ぬ。それはどう足掻いたって変えられないわ。私達がずっと側にいる事はできない。だからこの先、双也にぃはずっと苦しむのかも知れない…でもだからって」
ーーずっと一人でいる事、ないじゃない。
その言葉に、神也は目を見開いた。
「一人でいる事の寂しさ…一番よく知ってるのは、あなたじゃないの?」
かつて孤独に苦しんでいた友人にかけた言葉。
神也はその言葉を思い出した。
"心まで強くなくていい"ーー。
霊夢の言葉は、それと意味がよく似ていた。
いつも優しく微笑んでいた双也が、珍しく零した弱気な言葉。寂しさを感じさせる言葉に。
偶然か、それとも狙ってか…どちらにせよ、神也はふわっと思い描いた。
ーー誰もいなくなった暗い場所で、一人で啜り泣く双也の姿を。
「人は孤独では生きられない。だからこそ絆を結ぶ。……それに意味が無いなんてーー私達との絆が無意味だなんて…例え双也にぃでも言わせない!」
睨みつけるように、そしてその瞳に強い光を宿して、霊夢は言い放った。
決して揺るがないという信念の現れた強い強い姿。
それを前にして、神也は俯き、呟く。
「……
歯軋りの音が聞こえる。
「…るさい…うるさい…うるさい、うるさい、うるさいうるさいうるさいうるさうるさいッ!黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇッ!!」
叫びの現れのように解放された神力。
その衝撃波が、霊夢達の髪を激しく揺らした。
「何が分かるって言うんだ…所詮他人の言葉だろうが…ッ!」
「他人じゃない。私にとって双也にぃは…家族同然のお兄ちゃんよ」
「ッ!……ぐっ…」
輝く錫杖が、炎と雷を同時に纏った。
ドンッと柄頭で地面を突くと、美しい限りの火の粉が舞った。
「終わりにしましょう、神也。どっちが正しいかなんて、どっちが双也にぃの為になるかなんて…
双也にぃが、決めればいいのよ」
深々と双也の気持ちを明かした一話、どうだったでしょう?
一言言わせてもらうと………なんだかんだ言って神也は良い人である。(双也対して限り)
ではでは。