という事で新章開幕です。
ではどうぞ!
第百六十六話 雪の中にも湯気が立つ
冬が過ぎ、春が過ぎーー季節巡って、戻ってきた冬。
"最悪の異変"と呼ばれた妖雲異変から丸一年と少しの時が過ぎた。
博麗神社にも毎年恒例の雪がしんしんと降り積もっている。
庭の片隅には大きな雪だるまと、ゴテゴテとしたかまくらが作られていた。
だが、時間が流れている限り、"変化が無い"事など決して無い。
それは当然、この神社にだって言える事で。
「っふぅ〜……あったまるわぁ〜…」
真冬の、それも雪が積もる程の気温の中にあって、博麗神社の一角からは湯気が立ち上っていた。
その湯気の元ーー即ち、
「雪景色の中で温泉に入る……なんて贅沢。 貧困生活に耐えてきた甲斐があったわ…」
ブクブクブク。
口元のお湯が、吐き出す息で泡を立てる。
何処か子供っぽいとも言えるそんな霊夢の行動は、彼女がいつになく上機嫌な事を実に分かりやすく示していた。
きっと今なら、勝手にお菓子を摘んだりしても怒らないだろう。
贅沢の極みを満喫できる霊夢にとっては、ただただそれが嬉しいばかりだったのだ。
ーー例え、その間欠泉で神社の一角が吹き飛んだのだとしても。
「霊夢ぅ〜! 私にも入らせてくれよ〜!」
「それ完成したら幾らでも入っていいわよー」
「う〜横暴だぞ〜! 」
と、湯に浸かる霊夢の後ろで、丸太を担いで文句を言うのは伊吹萃香である。
霊夢は吹き飛んだ神社の修復を、建築に秀でるという鬼に頼んだのだった。
最初は吹き飛んだ事に激昂したものの、それが温泉と分かるや否やこの調子。
なんとも現金なやつだなぁ、と萃香は内心悪態を吐いた。
「そうよ霊夢。 せっかく萃香が頼みを聞いてくれたのだから、あなただって誠意を見せるべきだわ。 そういうものではなくて?」
「……取り敢えず、勝手に入ってるあんたが言うな」
睨みを効かせた視線で、何故か扇子を持って隣に浸かる女性を射抜く。
憎たらしいほど綺麗な体と白い肌、そして端正な顔を緩く微笑ませているのは妖怪の賢者、八雲紫だった。
霊夢の睨みすら笑って流す彼女の表情は、彼女としてはいつまで経っても慣れない苦手なものである。
高揚していた気分を少しだけ冷やし、霊夢ははぁっ、と溜め息を吐いた。
「それくらい良いじゃないの。 私も一人は寂しいのよ」
「……双也にぃ、まだ帰ってきてないの?」
「…ええ」
紫は、少しだけ弱さの窺える微笑みを零した。
最強の妖怪と謳われる彼女のそんな表情を見てしまうと、霊夢もあまり強くは言えなくなってしまう。
こいつにもそんな感情があるのだなーーと。
「……まぁ、スキマを通じて話す事くらいは出来るのだけれど、場所が場所だしね…。 やっぱり、顔を見て話したいものよ」
「…双也にぃが出かけてもう半年くらいね。 何処へ行くって言ったかしら?」
「神界よ。 龍神様に用があるって言っていたわ」
「そりゃまた…相変わらず行動が規格外だわ」
霊夢の声には当然呆れが混じっていた。 その言葉に向けられた紫の苦笑は、何処か霊夢に同調している様に見える。
現人神は半分が人、半分が神である。 それを神の分類に入れるのならば特に驚く事はないのだが、言い換えると"人でもある"と言えてしまう。
そんな存在が、果たして神界でどの様な扱いになっているのか霊夢には分かる由もなかったが…ともかく、"神界に行く"という事がそう簡単な訳はないだろう事は、なんとなく想像できる。
もしかしたらそんな事ないのかも知れないが。
「心配無いわよ。"私の恋人兼あなたの兄"は約束を破ったりしないもの。 その内ひょっこり帰ってくるわ」
「"私の兄"はついでなのか…」
「当然でしょ? 彼もきっとそう言うわ」
「…どうかしらね」
なんとなくそれを認めるのが憚られた霊夢は、顔を背けながら素っ気なく言い捨てる。
ーー紫に取られた気がしてなんか腹立つ…。
"人生を共に形作ってきた、と言っても過言ではない存在"ーー双也は霊夢にとって、それくらい親しい間柄である。
そんな彼が紫の恋人となったーーそれはやはり、彼女の中では"双也を取られた"という事と同義なのである。
やっぱり、なんか悔しい。
負けた様な気持ちは確かにあっても、内心では未だ小さな対抗心を抱く霊夢であった。
「ーーさて、霊夢。 そろそろ本題に入ろうと思うのだけど」
「…はいはい、間欠泉から出てきた怨霊達のことね」
「御明察」
パチン。
小気味好く扇子が閉じられた。
その先に見える彼女の口元は、少しいつもより引き締まっていた。
「正直神社が壊れた事の方が衝撃だったけれど、あれだけ出て来れば嫌でも気が付くわ。 一体何よ、あれ」
石に背を預け、溜め息混じりに霊夢が問う。
閉じた扇子をスキマにしまい、紫は一息吐いて太陽に手を翳した。
「空の上には、天界があるわ。 傲慢な天人達が遊んで暮らすつまらない場所よ。
ーーでは、
掌を返し、ゆっくりと下げて湯に浸ける。
少しだけ分かりにくいなと思う霊夢ではあったが、思い当たる事は確かにある。
語尾にハテナを添えて、問う様に応えた。
「……地底?」
「そう。 この地下には地底世界が広がっている。 "ここ"に出すには力が強過ぎて、彼らを半ば封印のように隔離している場所ーー正確には、旧地獄と呼ばれる場所よ」
「じ、地獄…」
なんとも重苦しい響きの言葉。
霊夢は少しだけ眉を顰めた。
そして思う。
今度はそんな所に行かなくてはならないのかーー。
全く、溜め息の出るばかりである。
異変の度に、普通なら人間が行く様な所ではない場所へと赴く羽目になる。
その内月にでも行く日が来るのではないか、と…そんな不安すら募り始めている今日の霊夢である。
地獄と聞いて、ため息の出ない訳がなかった。
「…先に言っておくけれど、今回は何がなんでも行ってもらうわよ。 この異変の解決は緊急を要するの」
「毎回ちゃんと行ってるでしょ…。 って、なんでよ? 怨霊が湧き出ただけでしょ? 今はもう止まってるし、害なんて特にーー」
「甘いわね、霊夢」
カツン「いたっ」
突如霊夢の頭上にスキマが開く。
そこからは、先程放り込まれた扇子がヒョイッと落ちてきた。
軽い音を立てて打ち返った扇子は、湯に落ちる前に再びスキマに消えていく。
「…打つ事ないじゃない」
「そんな事ないわ。 考えが浅いわよ、博麗の巫女」
「むぅ…」
キッパリとした紫の言葉には、さすがの霊夢も言い返せなかった。
悔しいが、この胡散臭い妖怪はズバ抜けて頭が良い。 彼女が"浅い"と言うなら確かに自分は浅かったのだろう。そう認めざるを得ない。
「怨霊が出てきた事はさしたる問題ではないわ。 重要なのはその"理由"」
「?………………あぁ、そういう事」
ポン、と心の中で掌に拳を当てる。
見ると紫は、薄く微笑んでいた。
「"
「ふふ、やはり直感だけは鋭過ぎるわね。 自分の身を切らない様に気を付けなさい」
「余計なお世話よ。 深入りなんてした事ないから」
なんて軽口を交わしているが、紫の言う"理由"を察した霊夢は内心、確かに焦った。
だって、地底世界にいるのは隔離されている程の妖怪達だ。
紫が隔離に関わっているとするなら、地上の管理者同様に向こう側の管理者とも通じているはずである。
今まで地底の者達の話を聞かなかった事から察するに、地上と地底との間でなんらかの契約が結ばれているのだろう。
例えばーーそう、"互いの世界を侵してはならない"、とか。
だが口だけの契約の可能性もある。
向こうの管理者を知らない霊夢だ、予想など幾らでも立てる事ができる。
最悪なのは……向こうの管理者が、隔離された妖怪達を引き連れて地上を侵略しようとしているならーー。
事は一大事である。
地下からの怨霊が何かしらの合図なのだとしたら…そう考えると、可能性だからと言って切り捨てるにはリスクが大きい。
ここまで考えた時点で、もうある程度異変に向かう心構えが出来ている霊夢であった。
「はぁ…天国を見るより先に地獄を見ることになるとはね…」
「言ったでしょう? あくまで"旧"地獄よ。 地獄の業火が噴いている訳ではないし、当然閻魔様が居る訳でもないわ」
「あら、そうなの? なら団扇とかは持って行かなくて済みそうね。 次いでに、もう少し何か情報はないのかしら?」
片手間の様に尋ねる。
無いなら無いでしょうがない、と済まそうと思っていた霊夢であるが、案外紫にはまだネタがある様で。
あっさりとこんな事を言うのだった。
「その旧地獄、元はと言えば、大昔に双也が地獄から切り離して出来たそうよ。 ざっと八百年くらい前ね」
「………………もう何も驚かないわ」
あらゆる面で規格外を誇る兄。
その姿を思い描き、少しだけ呆れの篭った溜息を零すのだった。
「それともう一つ……そらっ」
パチン
小気味良い指打ちが響くと、目の前に突然飛沫が上がった。
ーー否、スキマから何かが落ちてきた。
1テンポ遅れて上がった飛沫の中には、太い角が二本見え隠れする。
「ぷはぁっ! …〜〜っもう何さ紫! 突然落ちたと思ったら温泉にドボンッて! 嫌がらせにも限度があるだろ!」
と、ちゃんと衣服を纏わずに入って捲したてるのはやはり萃香であった。
すぐ後ろで建築に精を出していた筈なのに裸で出てきたあたり、スキマの中で何かが一瞬の内に起こったのだろう。
正直霊夢には、それを聞くのが怖く感じた。
「ーーで、萃香が何よ?」
「これが情報二つ目。 当ててみなさい」
「…………………まさか、力の強い妖怪って……」
「ふふ、正解。 地底には鬼が住んでいるわ。 大量にね」
「うーわ…」
"コレ"と同レベルかぁ…。
これからへの憂鬱感に頭を抱える。
一体一体の相手ならば、人間の霊夢でも比較的余裕に捌く事ができる。
何せやるのは弾幕ごっこだ。いくら鬼と言っても、それに関して霊夢には敵わない。
しかしーー大量に、となると話が変わる。
霊夢だって人間なのだ、疲れくらいは溜まってくる。 そして更に質の悪い事に、鬼は総じて喧嘩っ早い生き物だ。
そんな生き物が大量に生息する場所へ赴く……だんだんと頭痛がひどくなってくる霊夢であった。
「……あれ、そうすると萃香の同族がいるって事よね?」
「……そうだね」
ふとした霊夢の問いに、萃香は少しだけ沈んだ声で答えた。
「なんで私だけここにいるのか、って訊きたい顔してるね、霊夢」
「……ええ」
「簡単な事さ。 私はまだ、人間に失望してない。私達鬼と正々堂々戦える人間がいるって知ったからね」
「……それって私の事?」
ニヤリ、と萃香の口の端が歪む。
それは嬉しそうな顔でもあり、また妖怪特有の"本能に忠実な顔"でもあった。
鬼である萃香に認められていた事を少しだけ嬉しく感じる反面、それを見た途端に再びズンッと気分が重くなった。
ーーこんな奴らのいる場所へ行く羽目になるなんて…。
心構えと気分はイコールではない。
霊夢はまさに、心構えは出来ていても、異変に赴く前の気分は最悪なのだった。
そんな彼女の気持ちを察したのか、萃香はニカッと快活な笑みを浮かべて、沈んだ雰囲気を纏う霊夢に肩を組んだ。
「だぁ〜いじょうぶだって霊夢! 私に勝ったんだから胸を張れ! 喧嘩っ早いのは認めるけど、するのは何も殺し合いじゃあない!」
「そうね、どの道行ってもらう訳だし、先の事を考えて憂鬱になるだけ無駄って話よ。……大丈夫、今回は私もサポートするから」
と言って、紫は小さなスキマから陰陽玉に似たものを取り出した。
霊夢の持つものとは違う、何処か禍々しさの宿る陰陽玉である。
それを浮かせて、霊夢に見せた。
「……妖怪版陰陽玉って感じね、雰囲気的に」
「まさにその通り。 これには私の妖力と、限定的にだけどスキマを発生させられる様に細工してあるわ。 あなたなら、使いこなせるでしょう」
ーー問題など全くない。
向けられた笑みに、霊夢は紫のそんな言葉を感じ取った。
ここまで二人に背中を押されたなら、しゃーないやってやるか。
はぁ、と一つ軽い溜息を吐くと、霊夢は紫に向けて不敵な笑みを浮かべた。
「仕方ないから、やってあげるわよ。 地獄を見に行くってんだから、報酬くらいは用意しておきなさいよ?」
「ふふ、生意気な子ね」
紫もまた、霊夢のそんな態度に頼もしさを感じた。
今更な話だ。 でも、最強の妖怪と呼ばれる自分にそんな口を聞く人間、というのが居ないのもまた事実。
それが逆説的に、彼女の笑みを頼もしく感じさせた。
「でも、その前にもう少しゆっくり……ブクブクブク」
「あらあら、あまり長湯すると茹で上がるわよ。……ああ、もし"茹で霊夢"にでもなったら食べてみようかしら」
「お、いいね〜! 私に勝った人間がどんな味がするのか、私も気になるなぁ!」
「……やめて。洒落になってないから」
霊夢が異変に乗り出すのは、もう数刻後の事。
「じゃ、そろそろ行くわ。 世話になった」
「ああ。………後悔だけはするなよ」
「………ああ、またいつか!」
実はこの後の展開に悩んでいたり。
ではでは。