東方双神録   作:ぎんがぁ!

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ぎ、ぎりぎり一万越えずに済んだ……。

ではどうぞ。


第二百五話 独り善がりな

 さてさて、状況確認といこうか。

 休んでおくよう促しながら、俺は三人の状態を見遣った。

 目に付くような傷はなく、三人とも擦り傷程度の軽い怪我――怪我と言えるかも怪しい傷だ。

 疲弊してはいるが、まぁ怪我がないなら万々歳。この状況を創り出した、言わば“責任者”としては、三人に罪悪感が残らなくて非常に宜しい。

 

 次、こころの状態。

 先程紫との連携で、上空から雷吼炮で叩き落とした。お札はこころの攻撃を阻害するように組んではあるが、森の方にも響いてきた“力の波”を考えると、それでも相当な余波があったはず。至近距離で喰らい続けるのがあんまりよろしくない事を考えると、先程の連携は間一髪だったと思う。

 

 もくもくと立ち上る土煙の中、月光にシルエットを作らせて立ち上がる影。煙が晴れてきた頃に見えたのは――案の定、“(ホロウ)の面”兼“絶望の面”を被ったこころだった。

 

「ふむ、あんまりダメージにはなって無さそうだな、アレ」

 

「不意打ちで鬼道の直撃を受けてほぼ無傷……上位大妖怪相当に考えるのが良さそうね」

 

「そうだな。……全く、厄介な面だなぁ」

 

 多少は痺れて動けないようには見えるが、その程度だった。

 幾ら霊力を抑えた状態とは言え、雷吼炮は“破道の六十三”。元のこころが受けたら、軽く見積もっても一撃で立ち上がれなくなる程の威力だ。

 ……やはり、俺の推論は間違ってなかったらしい。こころは――絶望の面は恐らく、周囲の感情を喰らって肥大化し続けている。それも上位大妖怪相当に強くなったならば、相当な量――単位が“量”なのかは分からないが――の感情を呑み込んでいるはず。人里の人間達は既に餌食になっていると考えた方がいい。

 

「どういう事、双也にぃ?」

 

「ん? 何が?」

 

「何がって……この状況よ!」

 

 一体何がどうなってるのか、霊夢は分からない様子で尋ねてきた。

 こころがなぜあんな状態になって、俺たちがそれを知った様子でここに来たのか、という事だろうか。

 まぁ、頭の良い霊夢が分からないのも仕方ない事とは思う。この状況の意味は、こころと数日間一緒にいた俺と紫にしか分からないだろうから。

 でもまぁ取り敢えず、答えずにいるとまた何か言われるだろうから。

 俺は出来るだけ優しく笑って、困惑する霊夢の頭を軽く撫でた。

 

「ぁ……」

 

「ごめんな、終わったら説明するよ。もうそろそろ、こころも動き出す。終わるまでちょっと待っててくれ」

 

 何か言いた気な霊夢達の前に一枚お札を落として、簡単な結界を張った。多分これで余波はある程度防げるだろう。

 

 一歩前に出て、天御雷を抜刀する。月明かりが強い所為か、刀身がいつもより数段美しく輝いているように思えた。

 ……恐らくは、苛烈な戦闘になる。“意志の力は偉大”とはよく言ったもので、今のこころからはそれ程までの非常に強い力を感じるのだ。

 油断は出来ない。そして、この異変を解決するのは俺の義務。この異変だけは、俺の手で解決しなきゃならない。

 こころがこうなってしまったのは、元はと言えばきっと、俺の所為だから。

 

「さて紫、手伝ってくれるのか?」

 

「今更ね。あの子はあなたの弟子であり、私の妹弟子でもある。道を踏み外さないよう正してあげるのは、私()の仕事よ」

 

「……そうだな。じゃ、頼むよ」

 

 当然とばかりの肯定を受け取り、霊力を解放。里の建物を壊す訳にもいかないので、しっかりと調節しながら事を運ばなければ。うっかり巻き込んで壊しでもしたら、目も当てられない。紫の結界もあるから、どうにかなるとは思うが――。

 

「――なぁこころ、少し見ない間に随分と雰囲気が変わったな」

 

 ジッと佇むこころは、意図の読めない仄暗い瞳で俺を見つめている。“誰の所為で”なんて責められているように思えるのは、やはり俺の心に罪悪感が残っているからか。

 でもだからこそ、ちゃんと解放(・・)してやらねばならない。それで、ちゃんと謝っておかなければならないのだ。

 俺がこの世界に転生してしまったばかりに、彼女に辛い思いをさせているのだから。

 こころに非は、無いのだから。

 

「心配すんな。その趣味悪いお面引っ剥がして、すぐに助けてやる。もう少しだけ、待ってろ」

 

 こころが薙刀をゆっくり構え。

 紫がスキマを開きやすい自然体を作り。

 そして俺が、切っ先を狂い無くこころに合わせる。

 

 そうして――一瞬の後。

 お互いの刃が、甲高い音を月夜に奏でた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――戦闘が、始まった。

 霊夢は、双也が張った結界の内側で魅入るように戦闘の行方を追っていた。

 片や、最強最古の現人神と最強の妖怪。

 片や、強大な力をたった今にも上昇させ続ける面霊気。

 三人が繰り広げる戦闘は、辺りが仄暗い事を抜きにしても霊夢が付いていけるレベルではなかったが、それでも眼だけは離さなかった。

 何も出来ない自分の、せめて“今できること”の一つなのだ。

 

「変わりませんね、双也は」

 

 ふと、そんな言葉が霊夢の鼓膜を揺らした。

 “誰か”など考えるまでもなかったが、その響きには懐かしさを超えて感慨深さまで現れているように感じた。

 ――そういえば、こいつは昔の双也にぃを知ってるんだっけ。

 そんな事を思い、霊夢はちらりと隣の神子を見遣る。

 

「面倒臭がりな癖に、ああやって大事を背負う事ができる。一見矛盾しているようですが、それも偏に、彼の根が優しいという事の証明なんでしょうね」

 

「双也にぃは昔から……あんたの時代から、ああなの?」

 

 霊夢はその短い寿命から、双也の全時間のほんの一瞬しか共有出来ていないし、現に出来ない。その事を思い、故に浮かんだ素朴な疑問に、神子は小さく頷いた。

 

「……双也はよく、私の仕事を手伝ってくれていました。鍛治の修行にも、もっと打ち込みたかったはずなのに。都の子供が妖怪に連れ去られてしまった時なんかは、私の依頼を何の文句もなく受けてくれました。……その頃から、あの人は何も変わってない」

 

 ――彼女が何を思ってそう語るのか、読心術を持たない霊夢には知る由もない。だがその瞳に映る光には、僅かな“安堵”が見えた気がした。

 

「(安堵……何に関しての安堵なのかは、なんとなく分かる)」

 

 神子は尸解仙――ほぼ不老不死と言っていい存在であり、ごく最近目覚めたばかりな太古の存在。そして“人間には想像できない程の時を生きる”という意味では、双也も同じだ。

 そんな存在達が――人間よりも遥かに強い者達が、恐れるもの。長き時を移ろう人外だからこそ生まれる、恐怖。

 霊夢はそれを、“あの異変”を経て知っているのだ。

 だからこそ(・・・・・)、双也の隣には紫がいるのだ――と。

 

 ――ふと、霊夢はそこで思い出した。

 そう、思い出したのだ。今まで、暇に陥った時に何の気なしに思い浮かべていたような些事を。しかし今度は、“神子の安堵”を明確なきっかけとして。

 

 

 

 ――双也が目の前から消えたら、自分はどうなるのだろう、と。

 

 

 

 万が一、いや億が一。那由多の果てにもあり得ない未来。だがしかし、神子の瞳を見た霊夢には、真剣に(・・・)想像せざるを得なかった。

 たくさんの人と出会った。出会って知り合って、いつも周囲にはその者達がいた。間違いなく、霊夢の記憶を彩り支えているのは“彼女達”だ。

 なら、双也は? 自分が彼の事を忘れたことなど――一度でもあったか?

 否、だ。断言できる。

 双也は、霊夢が本当に小さい頃からすぐ側にいて、成長を見守ってくれた兄だ。実の兄ではないにしても、記憶の根幹にある存在の一つなのは間違いないのだ。

 “忘れられる”のは、失ってもさして影響がないと分かっているから。

 “忘れられない”のは、失えば自分がどうなるのか分からないから。

 ただ――それはひたすらに恐ろしい事だ、と。

 理解及ばぬ頭で、そう理解する。

 

 結局、何処まで考えても霊夢には答えを得ることはできない。当然だ。“自分ではなくなった自分を明確に思い描く事が出来る”なんて、おかしい。狂っている。

 

 そこまでぼんやりと考えて“詰まり”を感じた霊夢は、もういいとばかりに思考を打ち切った。

 考えても仕方がない。こんなの、ただ怖いだけで収穫など何もないのだから。

 

 ――はて、と。

 何故こんなにも真剣に、双也がいなくなった時のことなど、考えているのだろう、と。

 自分で“数量の彼方にすら可能性は皆無”と定義付けた癖に、こんな仮説を論じる必要は何処にあるのか?

 いや違う、と霊夢は自らの問いを切り捨てた。

 確かに神子の瞳を見て思い至ったのは事実。しかし、そんな瞳を見ようとも、普段なら真剣に考えることなどないだろう。そも、暇な時に考える程度の些事(・・・・・・・・・・・・)だったのだから。

 なら何故――その答えは、すぐに見つかった。

 

 感じ取ったのだ。

 心配するな、と頭を撫でた兄の背中に、何か大きな物を背負っている影を見た。

 もちろん何かは分からない。勘が告げているだけ。

 しかし――“あの異変”の記憶が、不安を煽るのだ。彼がまた何処かへ行こうとしているのでは、と。

 きっとそれが――。

 

「……どうかしたのですか、霊夢?」

 

「……っ!」

 

 耳を突き抜けた声に、霊夢はハッとして顔を上げた。神子の視線は不思議そうで、微かに不安の色を呈している。“なんでもない”と慌てて返すと、彼女はやはり不思議そうにしていたが、本人が言うのならばと視線を戻す。

 

「それよりも霊夢、見ていなくていいのですか?」

 

 問いに頷き、霊夢も再び視線を戦闘へと戻す。

 そうだ、見ていなくてはいけない。解決者なのに解決出来なかった身として、顛末は見届けなければならないのだ。

 ――まぁとは言っても、双也にぃと紫が負ける心配なんてしてないけれど。

 思考が脇道に逸れてしまっていた言い訳。でも嘘ではない。

 霊夢は軽く頭を振って思考を追い出し、目の前で、結界を挟んで繰り広げられる激闘に意識を集中させた。

 

 戦闘は、早くも佳境に差し掛かりつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 はっきり言って、こころは俺よりも弱い。

 それはお面で爆発的に強くなった現在にも言える事で、事実苦戦はせずにいるのが現状だ。

 今の解放具合でもこれなのだから、完全解放なら言わずもがな。正直、もしそうなったのなら文字通り塵も残さずに消し飛ばせる自信はある。ま、一緒に幻想郷自体も心中する羽目になるから、現実問題それはない訳だけれど。

 

 では、何故未だに戦闘を続けているのか。

 自分よりも弱いなら、戦闘なぞさっさと終わらせればいい。長引かせる理由など欠片も無いのだ。

 ――そう思われても仕方ない。事実俺は、こころに対して攻めあぐねていた。

 理由は先述に戻って、“俺の霊力解放具合”に関係する。

 

「……っ」

 

「ッ! ちぃっ!」

 

 瞬時に背後へ現れたこころ目掛けて刃を振るう。鋒にブレはなく、速度もあり、決して鈍くはなかったはずの一太刀は、しかし誰もいない空間を引き裂く事になった。

 そして、今度は上空に気配。

 迫る殺気に対して結界刃で遮ると、ガラスをぶっ叩いたような甲高い音が鳴り響いた。

 誰かなど考えるまでもない。再び刃を振るい、今度は数枚の結界刃と共に斬り掛かるも、やはり、虚空を裂くだけでこころには当たらない。

 ――そう、こいつはとにかく、疾いのだ。

 

「(自惚れるつもりはないけど、無限流ですら捕まらないとか――ッ!)」

 

 早い、速い、とにかく疾い。

 斬撃の威力も確かに眼を見張るものがあるが、何よりもその速度が飛び抜けていた。それこそ、俺の動体視力をもってしても捕まえられない程に。

 紫もスキマを用いて居場所を“固定”しようと奮闘しているが、頬を伝っている汗の存在が、その困難さを何よりも表している。

 ――霊力の解放具合。勿論更にあげれば付いていけるようにはなる。当然の事だ。

 ならやれよ、と? ……違う、だからこそ困っているのだ。

 解放度合いをあげれば単純に俺の戦闘能力は上がる。それは当然霊力に始まり、視力腕力脚力そして速力など。そしてそれを統合した、“破壊力”までもが上がるのだ。

 解放度合いを上げれば、なるほど容易にこころを捉えることが出来るだろう。だがその時の破壊力は? 周囲に及ぼす影響は(・・・・・・・・・)

 

 ――要するに。

 

「(“調節”が際ど過ぎて攻めに出られねぇっ!)」

 

 少しでも調節を間違えれば、周囲を巻き込んで人里を破壊する可能性がある。だが低くすると、今度はこころを捉える事が難しくなる。ありがちなジレンマである。低過ぎてもいけないし高過ぎてもいけない。しかも失敗が許されないから尚タチ悪い。それでここまで苦労するとは夢にも思っていなかった。

 

「(紫がいてくれて助かった……! 速度で足りない分は連携で補える可能性がある!)」

 

 いくら早かろうと、現れる先が分かるならば攻撃は可能だ。先回りして待ち伏せれば済む話である。それがこころに対して出来ないのは、単純にこちらの意識が付いていけていないから。

 現れる瞬間には否が応でも一瞬動きが止まる為、お札の効果も相まって防御くらいは問題なく出来るのだが、攻撃するには速度が足りず、避けられる。だが、スキマを用いて現れる場所を誘導してしまえば、速度など気にしなくてもよくなるのだ。

 そしてその上で問題なのが――紫ですら、こころを捉え切れないという事。

 

「(今の俺じゃあ捉え切れない。ならどうにかして紫がこころを捉えられるようにしなきゃいけない、か!)」

 

 四方八方から飛来する斬撃を捌きながら、紫を見遣る。瞳を頻りに動かしていることから、どうにかして動きを追おうとしているようだ。だが、あまり良くは見えていないだろう。

 つーか、俺や紫ですら追えないとか本当にどうなってんだ、こころのスピードは。これじゃ、霊夢達三人が圧倒されるのも無理はない。

 

「ほんっと、ちょっと見ない間に強くなったなこころよぉッ!」

 

 思わず出た皮肉と共に、こころの斬撃を受け止めて結界刃で奇襲を掛ける。やはりというか、避けられた。

 ……これでは本当に拉致が空かない。どうにかしなければ。

 

「(感情……感情か……)」

 

 こころは面霊気。感情を司る六十六のお面を持ち、実際に感情を操る。そして今は、周囲の感情を喰らい尽くそうと暴走中。確かに、刃を合わせる度に何処か気が遠退く感覚がある。きっとそれが、“感情が奪い取られる”感覚なんだろう。非常に不快な感覚だった。

 ――そんな彼女を、どうにかして捕まえなければならない、か。

 

 戦況は変わらず拮抗中。斬撃を受け止め、避けられ、受け止め、避けられの繰り返しである。だからこそ戦闘中に考えを練ることもできる訳だが――戦闘に変化が起きたのは、そんな時だった。

 

 弾き返すと、こころは今までのようにすぐさまの回避ではなく、少しばかり離れた場所で何かしらの構えをとったのだ。

 間合いは遠い。当然誰も斬撃範囲には入っていない。それはまるで、遠距離攻撃(・・・・・)にでも転じるかのような状況と体勢……まさかッ!

 

「紫ッ! 霊夢達を守れッ!!」

 

 咄嗟に叫んだのとほぼ同時。こころの身体から爆発的な力が噴き出し、刀身を包み込み始めた。

 黒い力は圧縮され、質量すら伴って刃を形成していく。そう、それはまるで俺の知る(・・・・)――あの技のような。

 

「おいおい、まさか“月牙天衝”まで使えんのか……ッ!?」

 

 こころが放つ前に、俺自身も左右に巨大な結界を張り、人里への被害に備える。予想が正しければ、あれは超広範囲かつ高威力の遠距離斬撃。その破壊力は俺の虚閃(セロ)にも及ぶ。並の結界では瞬時に消し飛ばす威力である。

 ――かくして、放たれた黒く巨大な斬撃は、結界に罅を入れながら迫ってきた。

 

「ちっ、『万象結界刃』ッ!!」

 

 掌に霊力を注ぎ、もはや使い慣れた長大な大太刀を形成。天御雷と刃を重ね、怖気が走るほどの衝撃をどうにかして受け止める。

 

「(くそっ、砲撃系を使わなくて正解だったな!)」

 

 この硬度、この威力。今の解放度合いで放つ砲撃系の鬼道では、恐らく数秒すら止められずに、むしろ周囲に散らばって余計に結界を傷付けるかも知れない。

 咄嗟の判断とはいえ、少々自分を褒めてやりたいくらいだ。

 ――だが、正直しんどい。

 この威力の斬撃を腕力で受け止め続けるのはかなりの難題だ。自動ドアと押し相撲しているようなものである。

 となれば当然、搔き消すしかなくなる訳で。

 

「神鎗『蒼千弓』……ッ!」

 

 結界に大霊剣に純粋な腕力。この状態でも大分辛い状況だが、ここで止まる訳にはいかない。

 鋒を黒い斬撃の側面に向けて、約千本に及ぶ結界刃の刃を羅列生成する。

 “面”が垂直一点に掛かる力に弱いのは、どの世界でも常識だ。斬撃の側面に放たれた千本の結界刃は、それをことごく貫き――轟音、衝撃波と共に見事打ち砕いてみせた。

 

「くそ、何処に――ッ!!」

 

 もうもうと立ち込める土煙。それを切り裂いて飛来する黒い斬撃が視界を掠めた。

 先程よりも随分と小さな斬撃だが、油断は禁物。しっかりと霊力を乗せた天御雷で以って打ち砕く。

 ――だがまぁ、そんな“牽制”だけで終わる訳もなく。

 

「(おい、マジかッ!)」

 

 鬱陶しい限りの土煙を剣閃で振り払うと、その先にあった光景は――まさに四面楚歌。

 全方向から襲い来る、黒い斬撃の暴風雨。

 

 あの黒い斬撃は、“絶望の力”を凝縮した力だ。故にこそ、一撃でも食らうのは避けたい攻撃である。

 全方位からの致死の一撃。しかし、今の俺にこれを防ぎ切る術は……無かった。

 

「(全方位をカバー出来るような術は殆どが結界を消し飛ばせる威力……だからって霊撃じゃ渾身の力で撃っても火力不足だし、一つずつ砕くのは論外鬼道で薙ぎ払っても着弾には間に合わないどうするどうするどうするッ!?)」

 

 結界で身を守ったとしても、この物量では恐らく砕かれる。そしてあの斬撃を多段で喰らえば、恐らくは俺の感情も喰らい尽くされるだろう。

 一つならば、能力を用いてどうにか出来るかも知れないが、運良く一発だけ当たってその他が外れるなんて事、有りはしないし望みも出来ない。

 万事休す、か?

 ――そう思った刹那、視界の端に、不敵(・・)な笑み(・・・)が見えた。

 

「ゆか――」

 

 一瞬で俺の視界を呑み込んだのは黒色ではなく、紫色。ギョロギョロと忙しなく視線を彷徨わせる不気味な目玉の群。

 スキマが、紫が間一髪で助けてくれたようだった。

 

「(紫があそこで笑った(・・・)のは、恐らく――)」

 

 愛する者の助けに喜びを感じる暇もない。嬉しいは嬉しいが、後回しだ。

 紫は何処までも計算高い。あの笑みが、助けるだけの笑みとは、どうしても思えなかった。

 だとするなら。

 

 背後に光が見えてきた。スキマに漏れ出た月光に目を眩ませながら、しかし前方を見失わず、俺は天御雷にありったけの霊力を込めて振り被る。

 

 ――スキマを出た先は、連続攻撃によっ(・・・・・・・)て動きの止まった(・・・・・・・・)、こころの背後。

 

「流石だ紫ッ!!」

 

 飛び出たのはすぐ後ろだ。既に振り下ろすだけの状態の為、こころの速度を以ってしても避ける事は不可能。

 ドンピシャのタイミングと空間座標を設定した紫に惜しみない賞賛を叫びながら、天御雷を力一杯振り下ろす。

 

 ――霊力の圧縮された刃は結果として避けられず、受け止められた(・・・・・・・)

 

「(マジかよ、振り向き際で止めたのか……っ!)」

 

 深海色の霊力とドス黒い絶望の力が、大気を揺らして拮抗する。幸い結界に及ぼす力は僅かなもので、この状態で壊される心配はない。

 ――そして、鍔迫り合いにまで持ち込めたのなら、好都合だった。

 

 絶望の力は、触れた者から感情を貪り喰らう。それは鍔迫り合いしている俺にも言える事であり、だからこそ普通ならば触れる事自体が危険な代物だ。まるで西行妖のように。

 

 だが、俺の場合は少しだけ違う。

 触れるとしても、一発だけならどうにかすることが出来るのだ。それは勿論、能力によって。

 感情も、喰らうことが出来るという事は概念としてしっかり存在するという事だ。概念として存在するならば、能力で操ることが出来る。

 俺の感情を、俺から離れないように定着強化。こころの絶望の力で引き剥がされるのを、綱引きの要領で妨害しているのだ。

 それによって鍔迫り合い――要は、完全にこころの動きを封殺。

 そして終いに。

 

「特式三十三番『蒼龍堕』!」

 

 ゼロ距離の特式鬼道。掌から放たれた蒼い龍は、その顎にこころを噛み潰さん勢いで咥え、諸共地面に叩き付けた。

 そして、ここで間髪入れず。

 

「紫ぃ! 結界ッ!!」

 

「分かってるわ!」

 

 未だ潰えぬ蒼炎を、薙刀の一振りで払うこころ。彼女が次の行動に出るより前に、紫の強固な結界によって動きを止める。だがまぁ、それで完全な拘束はきっと出来ないだろう。だからその間に、俺は更なる鬼道の詠唱を始めていた。

 

「雷鳴の馬車 糸車の間隙――……」

 

 結界内で暴れるこころの周囲に、六本の光の杭が顕現し始める。

 

「鉄砂の壁 僧形の塔 灼鉄熒熒 湛然として終に音無し――……」

 

 そしてその頭上では、御柱にも似た巨大な柱が五本、現れた。

 そして、

 

「……光もて此れを六に別つ」

 

 ――縛道の七十五「五柱鉄貫」

 

 ――縛道の六十一「六杖光牢」

 

 紫の結界が破壊されるのとほぼ同時。“二重詠唱”の完了した二つの鬼道が殺到した。

 五つの柱に五体を止められ、六つの杭に体を穿たれ、未だ動こうとはしているものの、完全にこころを封殺することに成功した。

 ――さて、あとは。

 

「ふぅ……お疲れ、紫」

 

「あなたもね。予想外のハンデを負う事になったようで」

 

「あー、まぁな」

 

 指打ち一つ、里の被害を抑えようと張っておいた結界を消し去る。

 里にも被害はないようで、見てみれば霊夢達にも怪我はほぼない。結果としては大勝利である。

 俺は動けなくなったこころに近寄り、絶望の面に鋒を合わせた。

 

「………………」

 

「……待たせた、こころ」

 

 がり、と。

 お面に刃を押し付けると、絶望の面は呆気ないほど簡単に崩れ始めた。

 元から白かった下地は次第に輝き始め、血色の模様は消え失せ、やがて光がこころ自身すらも包み込むと、それらは集まって上空へと打ち上がった。

 俺の鬼道すら打ち砕きながら昇ったそれは、きっと呑み込まれた皆の感情の塊だったのだろう。闇夜の空で拡散した光は次第に消えていき――否、宿主のところへと戻っていった。

 これで人里も、また安らかな眠りにつく事だろう。

 

「……ぁ……そう、や……」

 

 ――と、空を見上げていると、目の前で横たわっていたこころが起き上がった。

 ……少しだけ怯えているように見えるのは、やはり修行の終わりを告げた時にあんな言い方をしたからだろうか。

 いや、俺だってあんな言い方したくなかったんだが、どう言えばいいのかも分からなくて。

 同じように、今この場で何を言えば良いのかも、よく分からない。

 取り敢えず……安心させるためにも、優しく。

 

「えっと……お帰り、こころ。待たせたな」

 

「……助、けて……くれ、たの……?」

 

「ま、まぁ――な」

 

 なんだろう、ここではっきり言うと恩着せがましくなる気がする。確かに助けたのは事実だが、それも結局は俺が自分のためにした事だ。

 こころを助けることになったのは“結果”。そしてその過程では……こころに大分、酷いことをしたのだ。最悪どんな罵詈雑言も受け止める所存である。

 どんな言葉が飛び出てくるか内心で戦々恐々としていると――思いの外飛んできたのは言葉でなく、こころ自身(・・・・・)だった。

 

「うぇっ? こ、こころ……?」

 

「怖、かった……よ……怖か……った、よぉっ!」

 

「…………そうだな。ごめん」

 

「ぐすっ……ぅうぅううぅ……」

 

 そりゃあ、そうか。絶望に塗り潰されて、自分が自分でなくなるのはそりゃ怖い事だ。そして、自分ではない自分が誰かに酷い事をするのは――何物にも耐え難い辛苦である。

 よく知っているからこそ、この子にそれを強いた事に酷く心が痛む。助けてあげられたとはいえ、結局この事実は、帳消しになんてなりはしない。

 だから取り敢えず、細やかな罪滅ぼしのつもりで。

 俺が紫にしてもらったように――俺はこころを、優しく抱き締めた。

 

「大丈夫だ。お前は誰も傷付けてない。全部元通り――お前自身も、きっと……な」

 

 泣き噦るこころの頭を優しく撫で、泣きつかれるまで胸を貸す。……女の子を泣かしといて罪滅ぼししている気になるとは、俺も大概アレな人間だよな。こころに無理させたのは俺の癖に、彼女を助けて挙句に泣かせるとは。なんと独り善がりな人間なのか。

 なんて自嘲気味に笑いながら、こころが泣き疲れて眠るまで、ずっとそうしていた。

 

 異変が解決したという事で、霊夢や神子、白蓮も、一通り人里の様子を見回ってから帰宅。俺も、眠るこころを連れて紫と我が家へ帰宅した。事後処理とかは霊夢がやってくれるそうなので、こっちはこっちでなんとかしよう。

 

 “仕上げ”の為、俺が神子の下を訪ねたのは、この翌日の事である。

 

 

 

 




因みに、後ろでジト見している紫には、気がつかないフリをしている双也であった……。

次回で今章最終話かと。
さぁ、終わりも近いですね。

ではでは。

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