東方双神録   作:ぎんがぁ!

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つ、遂に一万文字超えました……。

では、今章最終話、どうぞ。


第二百六話 終止符の旅

 抜けるような、青空だった。

 もうすぐ南中を迎えようとしている太陽は、遮るもののない空より大地をその後光で照らしている。少々暑さの目立ってきた空気は僅かに湿り始めているものの、今日に限っては通り雨すらも降りはしないだろう。

 まるでこの気持ちを代弁しているかのようだな――なんて、獣道を征く少女はぼんやりと考えた。

 

 ――あの異変で、たくさんの迷惑をたくさんの人に掛けて、苦悩に悶えて、狂いかけもして。

 それでもここで地を踏みしめることのできる嬉しさが、思わず微笑みとなって口から漏れる。

 

 ああ、そうだ。こんな自分でもまだここに居られるのだ。

 何も出来ない役立たずで、その上あれだけの事をしでかした疫病神だと決めつけていたその認識はしかし、この世界の住民をして、“それがなんだ?”と。“関係ないだろ”と。

 

 紅白の巫女は言った――あの程度の異変なら何度か経験したから、今更拒むほど器が小さくはない、と。

 尸解仙である聖人は言った――あの異変に悪意がないのは十も承知。ならばこの世界があなたを拒む道理もまたなし、と。

 寺の尼僧は言った――悔いているのなら、努力は出来るはず。糧に出来る限り、誰もあなたを拒みはしない、と。

 そして――黒い羽織の、現人神は。

 価値のない存在なんてこの世にいない。少なくとも、お前は弟子として俺と繋がっ(・・・)てる(・・)んだから、俺にとって価値があるんだ。お前がいなくなったら、俺が悲しいだろ? ――と。

 

 少女はその言葉達を思い出して、また、胸の内から込み上げるものを感じた。

 こんなに迷惑な奴なのに。こんなに役立たずなのに。それでもここで、存在する価値がある、と。それを嬉しく思わない薄情者(大馬鹿者)が、何処にいようか。

 

 それに応えるのは己の義務であると、少女は一つ深呼吸して、再確認(・・・)

 役立たずと自分が思うなら、納得するまで努力すればいい。迷惑だと思うなら、改善すればいい。それが義務で、“自分が自分を認める為”の必要条件。

 まだ少しだけ怖くて、身体が震えたりしちゃうけれど。

 やれる事をやって、みんなに認めてもらいたい。

 

 差し当たり、まずは――。

 

 一枚のお面を胸に強く抱き締め、少女は少しばかり小走りに、また歩き出す。向かうのは、“仕上がったら来い”と予め言われていた場所である。獣道は、もう少し続くようだ。

 

 ――“喪心異変”から、今日で既に数週間が経とうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天気のいい日は昼寝に限る。

 

 ――とばかりに、双也は腕を枕にして縁側で寝転がって寛いでいた。本当は紫の膝枕とか期待していなくはなかったのだが、生憎彼女はこの場にいない。まぁ賢者は多忙なのが常、と切り替え、瞼を超えて差し込む陽光に感じ入っているのだ。

 

 何気に破滅の危機にまで至り掛けた喪心異変から数週間、あの晩の事が夢か何かだったと思える程に今は長閑(のどか)である。事実、双也はここ最近散歩か読書か昼寝くらいしかしていない。まるでニートのようだ、とは努めて考えないようにしているのは、蛇足に過ぎる情報だろうか。

 

 本気で寝入ってしまわないように、時々唾を飲み込んだりして細々と眠気に抵抗していた双也は、不意に掛けられた声に、片目で見遣って応えた。

 

「んで、ちゃんと話してくれるんでしょうね? “もう少し後でなー”って散々はぐらかされてきたけど」

 

 むすっと不機嫌な様子でそう言うは博麗の巫女、霊夢である。

 昼ご飯を貰って寛いでいた(・・・・・・・・・・・・)双也は、“そうだな”と言って身体を起こした。

 残った眠気を、あくびと伸びで振り払いながら、

 

「ま、“あいつ”もそろそろ出来上がるって言ってたし、いい時期だよな」

 

「……昼ご飯挟む必要あったの?」

 

「いや特に無いけど。偶には霊夢の飯も食べてみようかなって思っただけさ。……あぁ、美味かったよ飯」

 

「……ホントに自堕落な生活してるわね」

 

「平和の代償とでも思っとけ」

 

 屁理屈とは分かっていながらどうにも反論出来ないでいる霊夢に軽く微笑み掛け、双也は卓袱台の前に腰を下ろした。

 

「えーっと、お前は何処まで知ってるんだ?」

 

「今回の原因があの面霊気って事、双也にぃが“それ”を分かってて世話してた事、それと――全て知ってた上で、此間の戦闘を誘発させた(・・・・・)事」

 

 なるほど――と、双也は僅かに笑みを深めた。

 勘に頼り過ぎてあまり考えない子だったのが心配だったが、なんだやればできるじゃないか。

 そこまで分かってるなら、後は少しずつ話を修正していくだけである。霊夢の話は、概ね合っていた。

 強いて訂正するならば――、

 

「ま、こころが原因ってのは少し違うけどな」

 

「……は?」

 

 こころが原因の異変――確かに傍から見ればそうだろう。彼女は感情を司る妖怪で、その暴走により今回の異変を迎えた。確かにそうだ。何よりこころ自身もそう思っているだろう。

 だが違う、と。

 双也は少しだけ困った笑顔で、霊夢に言った。

 

「あいつが原因って言うか……詳しいことは言えないが、大元の原因は俺だよ。より正確には、あいつを創ったのが俺と神子だったから、だな」

 

「双也にぃが……創った?」

 

 おや、聞いてなかったのか。

 意外そうに問う双也に、いや知らない、と霊夢。

 取り敢えず根底からの説明が必要と感じた双也は、さらさらっと、軽く概要を説明した。主に、こころがどういう存在かを。

 

「うぇぇ……そんな所にも双也にぃの過去の痕跡が……。ほんと規格外な人生してるわね」

 

「規格外っつーか、数奇だよな、ほんと」

 

 そりゃもう、転生云々諸々含めて。

 

「――で簡潔に言えば、こころが自我を持ち始め、俺に近付いてしまった事で力のバランスが崩れ、異変を起こす羽目になったと」

 

 どういう原理かは双也にも分からない。ただ、要因を見る限りそうとしか思えないのだ。

 双也がこころを創った際に彼の記憶が影響、“絶望の面”が“虚の面”と化し、そして彼に近付いた事で、絶望の面が更に影響して膨張。結果釣り合っていた感情の力が傾き、均衡崩壊。

 恐らく、こころが失くしたと思っている“本来の希望の面”も、実際は失くしたのではなく絶望の面に呑み込まれたのだろう。

 こころ本人も、異変が終わっても希望の面は戻らなかったと言っていた。

 今となっては恐らく、それなりに長い間呑み込まれていた所為で喰らい尽くされてしまったのだろう。

 

「こころの力が均衡崩壊したのは、俺に近付いた所為で絶望の面が膨張したからだ。希望の面が失くなった当時のこころには多分、何が起こったのかすら分からなかっただろうな」

 

「…………じゃあ、ちょっと悪いことしたかしらね、あの子に」

 

 決め付けて退治しようとしたことを、霊夢は少しだけ後悔していた。勿論、博麗の巫女として正しい事をしたのは自明の理。何を言われる筋合いもない。しかし――今回の異変は、異変解決=妖怪退治の方程式が成り立たない。こころ自身もどうすればいいか分からなくて、怯えていたに違いないのだ。

 それこそ、敵であった自分達三人に弱音を零すほど……。

 

「まぁ、そう落ち込むな。今回のは一種の事故だよ。俺もこころも、誰も予測は出来なかった。あんま自分を責めんな」

 

「……うん」

 

 事実、予兆もなければ判断材料もなかった。誰が予測出来るはずもない異変だったのだから、原因の一端があるとはいえ双也ですらも仕方のない事だったと諦めている。

 もう終わった事をうじうじする必要はない。その後悔を活かせればそれでいいのだ。

 未だに若干引きずっている様子の霊夢。その空気を切り裂くべく、双也は次の話題に移った。

 

「――でだ。原因の一端である俺が、責任を持って世話をしようって決めた訳だな。勿論、さっきの“感情を喰らう”云々に気が付いたのはもう少し後だったけど」

 

「世話って……ずっと思ってたけど、一体何をしてたのよ? ただ養うだけって訳じゃないでしょ?」

 

「愚問だな。責任を負ったんだ、ちゃんと自分で力を押さえつけられるようにと修行させたさ。霊那の手まで借りてな」

 

「何気にお母さんまで関わってたのね……」

 

「……まぁ結果として、それじゃ無理だって分かっただけだったけどな」

 

 どんな力も、自身――要は器を鍛え上げれば操れるものだと思っていた。事実、大き過ぎる霊力は扱う本人の技量がなければ本領を発揮しない。むしろ破滅すら齎すだろう。身の丈に合っていない、という事だ。

 それと同じ要領で始めた修行だったが、それは双也の中で段々と疑念に変わっていったのだ。

 

「あいつは誰から見ても頑張ってた。努力は報われるって言葉を信じるなら、あいつはとうにお前を超えてるだろうよ」

 

「……いや、流石にそれは――」

 

「お前、毎日俺と五十本乱取り出来るか? 真剣と殺傷弾幕を使った、文字通りの殺し合い。あ、あと自主練」

 

「………………」

 

「……ま、殺し合いっつっても限度は弁えてたが。要は“殺す気のない殺し合い”さ」

 

 器を鍛えれば力を制御できるようになるなら、こころは何の懸念もなく面の力を操れたはずだ。そうではない、と双也が気が付いたのは、言わずもがな一輪と幽香に依る戦闘を見たからである。正確には、確信を得たのは幽香戦だった。

 実際に戦闘をして、双也の思惑通りならより力を制御できるようになるはずだった。しかし――。

 

「戦闘中に何か発作起こして倒れる始末。今になって思えば、あれはきっと膨らんできた絶望の面に抗った弊害だったんだろうな」

 

「……どういう事?」

 

「気持ちが高ぶると、それだけ絶望の面が喰らう感情も増えるって事だ」

 

 戦闘中というのは、多かれ少なかれ感情が高ぶりやすい。それは常人がスポーツに興じる時の心理状態と同じようなもので、こころ風に言うなら“釣り合っていた天秤が一時的に傾く”のだ。

 

「餌がありゃ喰らう。抑えの効かなくなった絶望の面(ケモノ)なら尚更な。高ぶった感情を喰らったお面が、遂に幽香戦で表に出てくるまで強くなっちまった。

 ――俺のしてた事は真逆の結果を生んだ訳だ」

 

「双也にぃ……」

 

 結果として解決はしたものの、結局双也がしていた事は面の力を増強させる一方だった。そしてそれに気が付いた時にはもう遅い。

 無意識に情けない顔をしているであろう双也を見て、霊夢は気遣うような視線を向けていた。

 

「……だが、ま。幽香戦でお面が出てきてくれたおかげで対応策も思いつけた訳だがな。それを敢えて考慮するなら、全く無駄でもなかったかな」

 

「それよ。一体何したの? あの晩、あっさりと解決してみせてたけどさ」

 

「簡単な話さ。押さえつけられないなら、一度壊してバランスを取ればいい」

 

「……は?」

 

「散らせたんだよ、絶望の力を。それ以外に方法がなかった」

 

 大きくなり過ぎた絶望は天秤を傾かせるどころか、それ自体を呑み込んで収拾のつかない状態にまで進行していた。そこまできたら、押さえつけられないのは自明の理。

 天秤すら呑み込まれるという事は、既に自分の制御下にない(・・・・・・)という事だ。制御下にないものを制御するなど、できる訳がない。

 唯一の対処法といえば、“リセット”する事。

 一度壊して、天秤を空にするしかない。

 

「こころは感情が発露する時にお面を被る。絶望が発露してお面が出てくれば、感情の集合体であるお面を壊す事も可能だと考えた」

 

「それで……あの戦闘を誘発したのね」

 

「あんなに早くお前達がこころに挑むとは思ってなかったけどな。おかげで寝過ごした」

 

「…………あのお札、ね」

 

「大正解だ」

 

 あの晩の出来事は、双也が想定したシナリオの上での出来事だった。ならば、“それが起こった”という事を双也自身が感知できなくてはいけない。

 それを鑑みれば――彼が唯一関連した要因といえば、あのお札しかない。

 

「あのお札には、俺が駆けつけるまで出来るだけ被害を縮小する為の“こころの攻撃を遮る”という式と、“お面が覚醒したら俺にコールする”って式を組んでおいた。そうなった時にすぐさま駆けつけられるようにな」

 

「……事情は分かったけど……双也にぃ、それって結局――」

 

「分かってる」

 

 言い掛けた霊夢の言葉を、悔いを帯びた双也の声が断ち切る。

 彼は少しばかり、俯いていた。

 

「――結局、俺はこころを利用したって事だ。それも、あいつに酷い事言って、怖い思いをさせるって最悪な形で、な……」

 

 感情の発露と同時にお面が現れる。

 それが意味するのは、“絶望の面を表に出すにはこころを絶望のどん底に落とさなければならない”という非情な事実。

 これに気が付いた時、双也はこころがどんな恐怖に襲われるのかもほぼ予想できていた。何せ似たような恐怖を、彼自身も味わった事があるのだから。

 自分が知らない所で、“ダレカ”が自分の身体で見知った者を傷付ける。それは死ぬ事が許されないまま身体をズタズタに引き裂かれるような辛さなのだと、双也は痛いほど知っていて。

 ……そしてそれを、親しい者に自らの手で強いなければならない、なんて。

 

「――もう、さっき自分で言った事もう忘れてんの?」

 

 徐に上げた双也の視界に、霊夢の呆れたような表情が映った。

 

「今回の異変は一種の事故。ならその解決法も偶発的に発生したやむを得ぬ事故よ。確かに辛かったかもしれないけど、後悔するのは何よりこころに失礼よ」

 

 それに――と、霊夢は続ける。

 

「こころだって、助けてくれた(・・・)双也にぃに泣き付いてたじゃないの。怖かった、ってさ。それが全てなのよ」

 

 きっと分かっているだろう――と。

 況してや恨んでなど――と。

 霊夢の微笑みは、何処となくそれを納得させるに足る暖かみがあった。

 きっとこころも、“利用された”などとは思っていない。むしろ、救ってくれて感謝すらしているはずだ。

 双也がいくら“自分の為に利用した”と言い張っても、こころが悩み悶えていた事に変わりはないのだ。それを解決して、感謝こそすれ恨んでなど――。

 

「ま、元気出しなさいって。どうしても悩んじゃうなら紫にでも……なんなら私でもいいわ、全部吐き出してスッキリしなさいよ。双也にぃ、意外と臆病(・・)な所があるんだから」

 

「……そ、だな。ありがと霊夢」

 

 ――臆病、ね。

 霊夢をしてそう評された双也は、思いの外心当たりがある事に内心苦笑した。

 妖雲異変を筆頭に、諸々。なんだ、霊夢も結構知ってるんだな。流石、我が可愛い妹だ、と。

 思わず溢れた笑いを見られぬよう、双也は頬杖を突いて視線を逸らした。

 親しんだ者だろうが、自分の笑みを見られるのは、少しばかり恥ずかしい。

 

 ――と、そんな時だった。

 

「来たよ。双也……」

 

 聞こえた少女の声に、双也は視線を外へと向けた。

 この居住スペース――居間は、境内を正面にして若干斜め後ろに建てられている。故に開け放たれた障子の向こうはよく見渡せた。

 果たして、障子の向こうからこちらを覗くのは。

 

「噂をすれば、だな。待ってたぞ、こころ」

 

 一枚のお面を胸に抱いたこころが、僅かに微笑んだ気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無事にここまで辿り着いたこころに、俺はちょいちょいと“おいで”をした。

 それを見るなり、何の抵抗もなくストンと俺の隣に座った辺り、さっきの霊夢の言葉は本当なんだな、と思う。

 ま、その言葉を信じてなけりゃ俺だって“おいで”なんかしなかった訳だが。

 

 ま、この話は一先ず打ち切るとして。

 俺は早速、言われた通りに来てくれたこころに進捗状況(・・・・)を尋ねた。

 

「で、どんな感じだ? 馴染めそうか?」

 

「……完璧過ぎて、少し扱い切れないけど……もう少しで上手く釣り合いが取れると思う」

 

「そっか。なら良かったよ」

 

 こころが胸に抱いていたお面を差し出してくる。何処かで見たデザインの、白い木を使ったお面だ。

 彼女に断って手にとってみると、まだ新しく柔らかい木の感触が伝わってくる。

 なるほど、昔よりは上手い出来になったらしい。

 

「ちょっと、それ何よ?」

 

 若干の訝しげな雰囲気を含み、霊夢が尋ねてきた。

 霊夢も、こころとの蟠りは殆ど消え失せている。知り合いと何でもない会話をする時の、何でもない話題を振るように、霊夢は不思議そうな顔をしていた。

 

「新しい“希望の面”さ」

 

 お面を返すと、こころは霊夢に見せるように突き出して続ける。

 

「失くなったの戻らなかったから……神子に、作ってもらった」

 

 はぇっ? と少々間抜けな顔で驚く霊夢。

 滅多に出てこない表情に如何にか笑いをこらえながら、ざっくりと説明。

 

「異変が終わった翌日な、神子のところに行ったんだよ」

 

「そのお面、作って貰う為に?」

 

「ああ。快く引き受けてくれた」

 

 あの晩の戦闘で、こころの内にあった“絶望の力”は殆どが霧散した。同時に呑み込まれていた感情の塊が解放――長い間取り込まれていた為、元の“希望の面”は始終戻らず――され、事なきを得た訳だが、当然それで終わりという訳ではない。

 霊力然り妖力然り、力というものは例え散っても、時間が経てば回復してくるもの。感情――言い換えて“意志の力”だって同じだ。

 気持ちが高ぶって何かを為した後、反動でもきたかのように無気力になってしまうのは、“意志の力”を一時的に使い果たしてしまったから。ならばそれは、今回強引に散らした“絶望”にも言える事。

 

 だが、一度散らすことができれば、後はどうにでも出来るのだ。

 

「絶望の力は巨大だった。それこそ、対の感情を吞み込めるほど。でも一度散らせられれば、後は釣り合い(・・・・)を取るだけで如何にかなるのさ」

 

「――あっ、だから新しく作ってもらったのね」

 

「……そう。絶望の面と対になってるのが希望の面。新しいお面があれば、釣り合いをとって、安定させられるの」

 

「そういう事だ」

 

 俺とこころの説明を聞き、霊夢は納得の吐息を漏らしていた。

 ま、霊夢も面倒臭がりなりに博麗の巫女を務めている。後始末の全完結を見て、安心したんだろう。

 俺も少し疲れたので、喉を潤す為にお茶を呷る。

 ……ん、少し冷めてた。そんなに長話してただろうか。

 

「あ、あのさ……」

 

 自分のお茶を注ぐ次いでに、こころの分のお茶も用意。丁度彼女の分を注ぎ終わったところで、霊夢は何かに気が付いたような、少し不安そうな声を上げた。

 

「お面の事は分かったわ。納得もした。でも……絶望の力はまた戻るのよね? それってつまり、もう少ししたらまた同じ事態になるって事じゃ……?」

 

 先述の通り、霊力や妖力同様感情の力もその内回復する。という事は、時が経てばまた絶望の力が希望の力を超え、再び異変が訪れるのでは――と。

 霊夢の指摘は鋭い。確かにその通りだし、こころがこれからも幻想郷に居続けるという事は、同時に俺と比較的近い距離に居続けるという事だ。ならば回復した絶望の力がまた異常増大するのは想像に難くない。

 実は俺も、その事に悩んでいた訳だが――。

 

「あーそれな、実はこころ自身が解決したんだ」

 

「……え?」

 

 霊夢が向ける驚愕の視線に、こころはこくりと頷く。

 

「実はね……絶望の面、ある程度は制御できるようになったんだよ」

 

 それは、問題の完全解決を意味する言葉。俺も聞いた当初は驚いたものだった。

 異変解決後、俺のプランをこころに打ち明け、先程の問題点を説明した時、彼女の口から放たれたのが、この事実。

 

 簡潔に言えば、“絶望の感情も受け入れたから”らしい。らしい、というのは、俺は感情の専門家でもなんでもないので、こころの説明に生返事で納得を偽装する事ぐらいしか出来なかったって事だ。ま、要約すればそういう事らしい。――うん、らしいんだ

 ……いや、全く理屈が分からん。科学の概念が息してない。あでも今更か。

 

「力が小さい今のうちから押さえ込んでいけば、新しい希望の面とも釣り合わせられるよ。だから……心配しなくても大丈夫」

 

「……そ。なら良かったわ。……正直、もうあんなのと戦いたくないからね」

 

「お、霊夢が弱音とは珍しいな。じゃあ先に備えて修行でもするか?」

 

「えっ、いや! それは遠慮、するわ……!」

 

 全ての問題、疑問――それらが消化され、納得した後は、もう心配することなぞ何もない。

 こころは大人しい子だし、意外と人懐こい。この世界で暮らしていく分には、何も困る事はないだろう。困ったら俺とか霊夢とかを頼ればいい話だし。

 

「さて、それじゃ――」

 

「宴会、と洒落込みましょう♪」

 

 不意に、すぐ隣で空間が口を開いた。言うまでもない、見慣れたスキマである。

 唐突現れた紫は、一升瓶を軽く掲げて微笑んでいた。

 っていうか、仕事してたんじゃないのかよ。しかも宴会とか。

 

「まだ正午過ぎだぞ? 昼間から酒飲む気かよ」

 

「良いじゃないの。こころの異変、まだ宴会していないでしょう?」

 

「いやそうだけども」

 

 異変解決後は、関わった者達をできるだけ集めて宴会もとい仲直り会をするのが通例だ。確かにこころの異変の分はまだしてないが……昼間から宴会って、何処のホームレス? 金が入った瞬間に酒に費やすみたいな。

 

「ほら、せっかくみんな連れてきたんだから」

 

 そう言って指打ち。開いたスキマからぞろぞろと出てきたのは、神子たち尸解仙の三人、命蓮寺の面々、そして多少の人里の人間達だった。

 その数およそ二十人ほど。みんなそんなに酒飲みたいのか、と呆れざるを得ない。

 っていうか、もしかして。

 

「もしかして紫、珍しく双也にぃと一緒にいないと思ったら、宴会の人集めしてたわけ?」

 

 浮かんだ俺の疑問を代弁してくれた霊夢に、紫。

 

「勿論。偶にはこういうのも良いと思わない? お昼からみんなで宴会、とか♪」

 

「毎度展開も片付けも私がやってるって分かってんの!?」

 

 紫と口喧嘩のように談笑する霊夢。

 開始はまだかー、なんて喚いている布都や、手伝いでもするかと意気込む水蜜。それぞれ自由に動き始めた面々に、こころは不思議そうな視線を向けていた。

 まぁ、表情は変わらないから、お面とかでの判断だけども。

 

「ま、これが現実ってことさ」

 

「……え?」

 

 こころは異変が終わった後も、自分なんかがここにいて良いのか、なんて事に悩んでいた。だから俺は、俺含め霊夢や白蓮などの言葉を聞きに行かせた。誰もこころに遺恨など残していないんだ、と分からせる為に。

 それで多少は気が軽くなったようだったが、まだ少しだけ納得できていない部分もあるはずだ。

 “百聞は一見にしかず”と言うように、聞くのと見るのとでは感じるものが大きく違う。

 ――そう、今ここにある風景こそが、みんながこころを受け入れてくれる、という何よりの証明なのだ。

 

「心配するな。みんな気のいい奴らだよ。

 神子のとこに付いてる二人はよく喧嘩してるが、側で会話を聞いているだけでも楽しい。

 白蓮のとこに付いてる奴らは、みんな白蓮の事が大好きで、だからこそ空回ったり突拍子も無いことを考えついたりする。混ざって何かするのも面白いと思うぞ。

 霊夢のとこには、俺や紫がいる。あいつは知り合いが多いし、何より、魔法使いである親友がまた面白いやつなんだ」

 

 ――だから安心して、みんなと繋がってこい。みんな、喜んで受け入れてくれるから。

 

「……うん」

 

 こころは、小さく頷いた。

 

「ありがと、双也。何から何まで」

 

「気にすんな。俺がやりたくてやった事だよ」

 

「うん。でも……ありがと」

 

「……まぁ、どういたしまして、だけ言っておくよ」

 

 礼を言われるのはあまり慣れていない。自分から言うのはなんでもないんだが、言われるのは小っ恥ずかしいのだ。こころみたいに無表情だと、余計真面目な言葉のように思えて恥ずかしい。

 

「……ほら、行ってきな。みんな準備を始めてる。霊夢にでも付いてくと良い」

 

「分かった。……あとでね」

 

「……ああ」

 

 俺の言葉に促され、てとてとと霊夢の背を追いかけていく。

 その若干浮き足立った様子を見ていると、ああ全部終わったんだなと、なんだか感慨深くなる。

 

 霊夢を筆頭に、着々と準備が進められていく。

 

「………………全部……終わった、な」

 

 ――盛大な宴会が、始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すっかり日も落ち、昼間の暑さはちょうど良い涼しさへと様変わりした。

 既にもう夜遅い。

 正午過ぎから始まった宴会は大きな賑わいを見せ、もう月が天高くに登っている。

 晴れた月夜の、みんなの静かな寝息が聞こえる真夜中だ。

 

 そんな中に、身体を起こしているのは二人のみ。

 酔いも程よく冷め、境内の段に腰掛けて静かに月見酒を楽しんでいた。

 

 ――双也、そして紫である。

 

 言葉を交わさずとも、二人寄り添って酒を飲むだけで、紫は幸せを感じた。

 

「今日は……良い日だったわね」

 

「そうだな」

 

 あんな瀬戸際の異変だったにも関わらず、人間も含めてみんなが快くこころを受け入れた。それは紫の夢――“人と妖怪が共存する世界”というものの、縮図のようだった。

 夢は、叶ったのだ――と、実感する。

 

「ふふ……本当に、何から何まであなたに助けてもらっちゃって」

 

 昔から、双也には助けてもらってばかりだった。

 双也が受け入れてくれなければ、紫は己の夢に自信すら持てなかっただろう。双也がいなければ、そもそも弱肉強食の世界で生き延びる事すら出来なかったかもしれない。双也がいなければ、彼が帰ってくる場所を作ろうと、必死にもなれなかったのではないか。

 双也がいなければ――そんな仮定は、幾らでも出てくるのだ。

 何から何まで、紫の心に変わらず在り続けるのは、双也への深い感謝と、愛である。

 

「あなたがいてくれて……良かった」

 

「…………ああ。……俺もだよ」

 

 月明かりが大地に染み込むように。

 耳元で聞こえた声は、紫の心に染み入っていくようだった。

 酒の酔いもあるかも知れない。でも、その響きがあまりに耳当たりが良すぎて、心地良くて――だからこそ、紫はふと、不思(・・)議に思った(・・・・・)

 

「双也……? 何故……震えているの?」

 

「っ……」

 

 双也の手が、小さく震えている。顔を覗き込んで見れば、彼は何時もよりも数段思い詰めた様に歪んでいた。

 ――分からない。何故今、彼が震えているのか。

 怒り? 違う。それならばもっと眉根が寄っている。

 悲しみ? 違う。それならばむしろ力無さげに歪めているはず。

 呆れ? 断じて違う。肩を竦めるのが彼の癖だ。

 ならばこれは……この表情は――。

 

「怖い――の?」

 

「紫……っ」

 

「え――きゃっ!?」

 

 ゆらりと揺らめいた双也を不思議に思えば、次の瞬間――紫は、彼に押し倒されていた。

 当然ながら、双也の方が力は強い。片手は紫の手首を掴み、もう片手は指を絡めて握り合っている。押し倒されれば、身動きは取れないのが当たり前。だから、こうなってしまえば、もう紫は、双也の為すがままになるしかない訳であり――。

 

「そ……そう、や……?」

 

 まさか、ここで? このタイミングで?

 時間はいいとしよう。もう真夜中だ。“そういう事”をするならまさにちょうど良い時間だろう。だが、この場で――即ち、みんなが寝ているすぐ近くで、なんて。

 心臓がばくばくと鼓動を刻む。

 このままでは破裂するのではと思うほど、紫の心臓は激しく鼓動し、全身に灼熱の血を送る。もうきっと、顔は真っ赤になっているだろう。

 

「(は、恥ずかしい……っ! でも、でも……双也が、望むなら――)」

 

 ぎゅっと目を瞑る。これより先へ進んで、自分の状態を自分の目で認識してしまったら、きっと恥ずかしさで死んでしまう。

 為す術もなく、かと言って全然嫌な訳ではない紫は、そのまま双也が動くのをじっと待った。

 

 じっと、待って――彼が動こうとしない事を、また、不思議に思った。

 

「ど、どうし――っ!」

 

 目の前に映った双也の顔は、紫の予想を大きく超えて、“恐怖”に歪んでいた。

 手はやはり、震えている。むしろ、さっきよりも震えは大きくなっていた。黒い瞳は今にも涙を落としそうで、彼が“そういう事”を望んで押し倒したのではないのだと、紫に悟らせるには十二分だった。

 真っ直ぐに紫の眼を見つめ、ゆっくりと、声を紡ぐ。

 

「紫……お前は、俺と出会った事を、嬉しいと、感じてくれるか……?」

 

 それは、絞り出す様な声音で。

 

「俺と作った思い出が、幸せだったと……想ってくれるか……?」

 

 どうしようもなく悲痛に、震えて、濡れていて。

 

「俺を……愛しいって……言って、くれる、か……?」

 

 溢れた涙が、想いに熱く、恐怖に冷たくて。

 

 紫には、何故双也がこんなにも思い詰めているのか分からない。唯一無二の理解者と言っても、思考を読める訳ではない。せいぜい思考を察して、彼にとって最善の動きができる程度。“知らないものを知る”ことはできない。

 でも……だからこそ。

 今彼が求めているものが、この行動に対する疑問ではなく――紫の心からの言葉なのだと、確信できた。

 目一杯、優しく、微笑んで。

 

「――はい。私は……あなたを心から、愛しています」

 

 一層溢れた涙を落として、双也の濡れた顔が近付いてくる。

 もはや、その意図を考えるまでもなかった。

 受け入れた口付けはどこまでも暖かく、いつよりもずっと強く愛を感じ、彼の想いの深さを、紫の心にじんじんと染み渡らせる。

 

「――んっ……ふぁ、は……」

 

 離れた唇を繋ぐ、銀色の糸。

 それがふつと切れた時、目の前にあった彼の顔は、少しばかり、安堵していた。

 

「ありがと……紫。俺も、愛してるよ」

 

 そう言って、すぅと離れた双也を追い、紫も身体を起こした。

 何故か……どうしようもなく不安だ。彼の瞳に何を見たのか、自分でも分からない。でも、このまま行かせたら取り返しのつかない事になる気がして――。

 

「ま、待って……双也……っ!」

 

 神社の鳥居へ歩んでいく双也の背中に、手を伸ばす。

 どうしてか、身体が動かない。彼が何か術を掛けたか、それともさっきの口付けで力が抜けてしまったか。

 

「(いや……だめ――ッ!)」

 

 双也の姿が、霞んでいく。もう中心に捉えた彼の姿以外、ノイズのような砂嵐で何も見えなくなっていた。

 ダメだ。行かせてはいけない。襲い来る不安はもはや恐怖と遜色ない程に膨れ上がり、更に更にとノイズを大きくする。

 

 不意に、双也がゆっくりと振り返った。

 

「――……」

 

 もう顔は見えない。ただ――微かに動いた唇だけが、僅かに見えて。そして、

 

 

 

 ――紫の意識は、ノイズの中に掻き消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……もう、良いんじゃな?」

 

 少女が、悲痛な面持ちで問う。

 

「ああ……頼む」

 

 少年が、握り締めた拳を解いた。

 

「まぁ……祈っててくれ」

 

「ああ……祈っておるよ、心から」

 

 少年は頷き、先の見えぬ虚空へと、姿を滲ませた。

 

「……あ、あの」

 

「ん?」

 

 背けた少女の横顔は後悔に歪み、絞り出した言葉は消え入りそうで。

 

「…………すまぬ……っ」

 

 微笑んだ少年は、静かに背を向け、旅立つ。

 

 

 

 ――この日、この時。

 

 

 

「いいよ、謝らないでくれ」

 

 

 

 ――一人の、少年が。

 

 

 

「……行ってくる」

 

 

 

 ――この世から、姿を消した。

 

 

 

 

 




次回から最終章開始です。
いやー何話掛かるかなーってか私に書き切れるのかなー(白目)

念の為に言っておきますが、ここからは投稿が遅れたりするかもしれません。冗談抜きで、私の文才で想像した通りの描写を描ききれるか分からないので……。

あ、完結しないかもって意味じゃないですよ? はい。

ではでは。

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