東方双神録   作:ぎんがぁ!

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“穿たれた孔は、巨大な程ソレを無惨に壊し尽くす”

……どうでもいいですけど、何気に初めて誤投稿してしまったという……。先日はお騒がせしました。

ではどうぞ。


第二百八話 リヴァイズド・スタート②

 ――透き通るような青空も、胸を焦がすような夕焼けも。

 ――陰り積もった鉛色の曇も、凍てつかせるような氷天の雨も。

 今のこの瞳に映るのは、“虚無”以外の何色でもない。それ以外の色彩が映り込むことなど、果たしてあるのだろうか。

 今ここに感じる寂しさを、上塗りしてくれる色など……あるのか?

 一人、灰色の思考で、ふと問い掛ける。

 

 ……いや、それは無駄なこと、あり得はしない事だと、心の何処かで分かってはいるのだ。

 ただ……これが懺悔なのだ、と。こうして心を軋ませるのは、今出来る唯一の償いなのだ、と。

 せめて一人で苦しませはしない。共に砕けるのなら、それもまたよかろう。後のことは――正直、何も考えていないが。

 

 少女は空っぽな顔で、感情の消え失せた瞳で、全てを見透かしていた。

 見上げているのは天井ではない。彼女の瞳に映るのは、この世の全て。

 

 そして、手を伸ばし。

 顕現させた一振りの太刀を手に取って。

 一言だけ――僅かに光を灯した瞳で、呟く。

 

「さて――征くか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 永遠亭へと出向くのは、正直嫌いではない。

 あそこにいる玉兎は確かにちょっとばかり上から目線な所があるけど、根はいい奴だ。

 あそこにいる薬師は、怒ればとんでもなく怖いが、普段はただの優しい女性である。

 そして、あそこにいるお姫様は、ちょっと引き篭もりの癖に誰より美しいという“ズルい奴”だが、お転婆な所が可愛らしくもある。

 面白い所だとは素直に認めているのだ。少なくとも、ずぅっと健康にしか気を使ってこなかった自分が、多少なりとも興味を惹かれる程度には。

 だから今日も、何となーく永遠亭に向かっていた。

 行ってみれば、取り敢えず暇は潰せると、彼女――因幡 てゐは知っているのだ。

 

 迷いの竹林は、その名の通り入れば必ず迷って出られなくなってしまう危険な場所だが、てゐにとっては関係ない。慣れ親しんだ“庭”で、どうして迷子になどなろうか。

 スタスタと歩いて、途中で筍とかを適当にとって土産代わりにしながら。

 

 果たしててゐは、そうして辿り着いた永遠亭で――初めに“叫び声”を聞いた。

 それはやはり、見知り聞き知った声。琴を奏でたかのような美しい声の、耳を劈く悲痛な絶叫だった。

 

「な――何事……っ!?」

 

 持っていた筍達が、ボトリボトリと手から離れて落ちていく。

 てゐはそれを気にした風もなく、絶叫の下へと走り出していた。

 一体何が起きたというのか――。

 彼女にしては珍しく、その表情には焦燥と狼狽が滲み出ていた。争い事が“殺し合い”から切り離された幻想郷において、あれは響いてはいけない声だ。生まれてはいけない声だ。久しく聞いていなかった、押し潰されそうなほどの恐怖を孕んだ絶叫に、自然と、警鐘を掻き鳴らすように鼓動が波打つ。

 

 向かった先は、奥の部屋。人間が診断に来た時に入るよりももっと奥の、所謂居住スペースの一番奥。

 てゐは着くや否や、その焦りのままに襖を開け放ち――絶句。

 

 

 

「いや……いやァッ! なにっ、何なのコレ(・・)はッ!? 誰よ、誰なのよぉッ!!?」

 

 

 

「姫様、落ち着いて下さいっ!」

 

「輝夜……お願いだから、大人しくして……っ!」

 

 ――その光景を、てゐは茫然と見つめていた。理解が追いつかなかった。

 確かに、叫び声が聞こえた。それは誰が聞いても、只事ではないと理解するに足る判断材料だった。勿論てゐも、ある程度は心構えもしていた。

 しかし――これは。

 

 てゐが見たのは――輝夜が発狂寸前まで追い詰められている姿だった。

 美しい黒髪を振り乱し、何かに怯えるように頭を抱える姿は痛々しく。ガタガタと揺れる瞳は光を失いかけていて、頻りに、そして独り言のように“これは誰だ”と喚き散らす。

 その姿に、普段のお転婆で明るい彼女は面影もなかった。

 突然、玉兎である鈴仙の声。

 

「ああてゐッ! 姫様を抑えるの手伝って!」

 

「――ッ、う、うん!」

 

 鈴仙と二人掛かりで、今にも壊れてしまいそうな輝夜を押さえつけ、やっと薬師である永琳の注射が行われた。

 恐らくは睡眠薬か何かだったのだろう、注射されたその瞬間から、輝夜の瞼はゆっくりと閉じ、彼女は死んだように眠りについた。

 

 見回してみれば、部屋の中も中々酷い有様だった。

 布団はグチャグチャに乱され、畳の所々に引っ掻いた跡と小さな血痕がある。風流を意識した掛け軸も何かが当たったのか破れかけて落ちており、その下にあった花瓶を巻き込んで畳に染みを作ろうとしている。掛け軸の墨は水に濡れて滲んでいた。

 ――本当に、一体何が?

 驚愕にいつもの軽口すら叩けないてゐにかけられた声は、意外にも永琳からの感謝だった。

 

「はぁ……今回ばかりは助かったわ、てゐ。ありがとうね」

 

「あいや、別に――って何、あんたも辛そうじゃないの!」

 

 かけられた声に永琳を見遣れば、彼女も明らかに疲れとは違う脂汗をかいていることに気が付いた。

 面食らうてゐと鈴仙に、永琳は全くの余裕を伺わせない苦笑で返す。

 

「まぁ、ね……私も、正直……気が狂いそうになってるわ。理性で何とか、繋ぎ止めているけれど……ふふ、私も寝ていた方が良いかしらね?」

 

 浮かべた苦笑は痛々しい。普段から強かな永琳の苦しむ姿は、てゐと鈴仙に少なくない衝撃を与えた。

 狼狽する鈴仙は慌てて、

 

「な、なら急いでお布団を敷きます! そっちに――」

 

「ま、待って鈴仙! 理性で繋ぎ止めてるっていうなら、眠るより何かしていた方が良いよ! 寝る瞬間って気が抜けるから……」

 

「……そうね、その方が助かるかも」

 

 その瞬間を思い描いたのか、永琳は苦々しく呟いて目を伏せた。

 重症である。彼女がここまで参ってしまうのは今までに例を見ない。そもそも、“身体が変化を拒絶する”故に病気とも無縁な永琳達蓬莱人が、如何にしてこの様な状態に陥るのか、てゐには想像が出来なかった。

 自然、浮かんだ疑問は口に出る。

 

「一体どうしたってのよ? あんた達がこんな事になるなんて……」

 

「…………何だかね、“妙な影”が見えるのよ」

 

「影……?」

 

 永琳の言葉を鸚鵡返しする鈴仙。

 そういえば、何故鈴仙には何も異常がないのだろう、と一瞬思うも、てゐは永琳の話を聞くのが先決だと決め、耳を傾けた。

 

「いえ――“影が見える”って言うと語弊があるわね……。何だか、記憶のあちこちに妙な人影がある、と言えば良いかしら」

 

 語る永琳の表情は、やはり優れない。考えて言葉を紡いでいる為、理性を繋ぎ止める助けにはなっているはずだが、その人影とやらの事を考えるのもまた辛いようである。

 永琳は薄く目を開き、

 

「性格も、声も、顔すらも分からない。思い出せないんじゃなくて、そこには誰もいなかったはずなのに……なのに、私の記憶の中にこんなにも強く根付いているのは、何故……?」

 

 不安げな永琳の言葉。

 どうすれば良いのかも分からず、てゐは鈴仙と顔を見合わせた。

 残念ながら、てゐにも鈴仙にもカウンセリングの知識は無い。永琳の苦悩を少しも和らげる事が出来ないのだ。その歯痒さが、鈴仙の視線から伝わってくる。

 

「(ともかく……解決するのを待つしかないかね……)」

 

 少なからぬ不安の色を瞳に灯し、てゐは一人頷いて、取り敢えずは、輝夜の布団をかけ直した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔理沙が降り立った時、博麗神社はやはり散関としていた。

 それも当然か、何せ宴会を行なった後である。参加した何れもが酔い潰れ、脳を金槌で打つかのような頭痛に絶賛苦しんでいるであろう翌日のこの時間に、再び宴会会場だった場所に戻ってくる程タフなものなどそう多くもいまい。

 魔理沙は若干酒の臭いの残る庭を抜け、賽銭箱の前に立った。

 

「……?」

 

 ふと感じた違和感に、魔理沙は僅かに小首を傾げた。

 ――何も無さ過ぎる(・・・・・・・)

 人の気配どころではない。今の博麗神社は、住人(霊夢)がいること自体疑わしい程に生活のニオイがしなかった。

 相変わらず伽藍堂な賽銭箱。風に揺れることもない鈴。立て掛けられた箒。そして――真っ暗な住居。

 

「……イタズラにしては質が悪いぜ、霊夢……」

 

 イタズラなどする様な人間でない事は百も承知。どちらかと言えば自分の方が何倍もイタズラに対する適性はあるだろう。しかし、そう悪態吐かずにはいられない重苦しい雰囲気が、今の博麗神社にはある。

 これが本当に霊夢の稀なイタズラで、今も住居の自室で魔理沙の登場を心待ちにしているならば、ちょっと本気で彼女を殴りたい気分だ。

 その憤りの表れか、それともこの雰囲気にあてられたか。魔理沙は無意識に拳を握り締めると、境内へと足を踏み入れた。

 

「(……ホントに……変だな)」

 

 外と同様、境内から続く廊下もその内装も、何一つとして“弄られた”痕跡がない。博麗神社ほどボロい建物でなくとも、何かをぶつけた後や床の軋み、畳の傷くらいは普通にあるものだ。

 “ニオイのしなさ”の原因はこれか、と内心頷く魔理沙の前に、やはり重苦しい空気は続く。

 ――そうして魔理沙は、普段から霊夢が過ごしている居間へと辿り着いた。

 

「外から見て影がなかったから境内から入ったが……やっぱり誰もいない、か」

 

 予測通りに誰もいない。何もない。

 掃き掃除を終え、居間に戻った普段の霊夢なら今頃ここでのほほんとお茶を啜っているはずだ。そしてこの状況を目にして、「あら、やっとあんたも礼儀を覚えたのね」なんて軽口を飛ばしてくるに決まっている。

 ――机の上には湯呑みもなく、のほほんとした雰囲気は冷やい空気に成り代わっていた。

 

「(……起きてない、のか? 昨日は宴会だったから飲み過ぎて二日酔い? いや、あいつはあんなナリでも酒豪だ。そんなはずは――)」

 

 その脚がそろりそろりと霊夢の寝室へと向かったのは、もはや願望の類だったと自身で感づいていた。

 ただ起きてきていないだけであっててほしい――と、魔理沙は心の内に湧き上がるどろりとした不安の汚泥を振り払おうと必死になっていた。

 廊下を進む足取りも、重苦しい神社の空気にあてられて鈍重になっていく。日が差しにくい関係で、進む程に暗くなっていく廊下の風貌も、見てはいけないものを見せまいと、どこか魔理沙を拒んでいるように思えた。

 

 ――辿り着いた一室の襖。

 普段覗いたりすることも気にすることもない部屋だが、そこが霊夢の寝室だと言うことは知っていた。

 

「…………っ」

 

 一人、意を決して指を掛ける。

 魔理沙は一気に襖を開け放った。

 そして――。

 

 

 

「――っなんだ、寝てるだけかぁ……!」

 

 

 

 そこには、こちらに背を向けて布団に寝転がる霊夢の姿があった。

 

「(そうだよな、あの霊夢に限って大事になることなんざある訳がねー)」

 

 霊夢は幻想郷を代表する異変解決者であり、妖怪退治を生業としてきた当代博麗の巫女。そもそも彼女に何かあれば幻想郷全土に影響が出るし、その事実があるからこそ博麗の巫女に手を出す事は禁忌とされているのだ。

 

 そうだ、よくよく考えてみればそういうことだ。

 魔理沙は雰囲気にあてられた所為で無用な心配をしていたのだ。

 博麗の巫女に手を出す事は禁忌。出そうとすれば恐らく八雲 紫が出てくるし、例え出てこなくとも自分の為にならない。メリットが全くないのだ。

 

 確かにこの時間まで寝てるというのは意外だし珍しいが、霊夢だって人間だ、そういう事があっても何ら不思議はない。偶々昨日は普段よりも多くの酒を呑んだのだろう。

 

「全く、心配して損したぜ……兎も角、起きろ霊夢! もう昼だぞぉ!」

 

 魔理沙は安心して近寄り、眠る霊夢の肩を乱暴に揺すった。

 もしかしたら眠りを妨げられたことに怒り始めるかも知れないが、今日の魔理沙には“昼まで寝てたグータラ巫女”という弱みが手の内にある。怒り出しても沈静化は容易だ。

 

 回数にして約三回。肩を揺すってコールしてを丁度繰り返し終わったところで、霊夢はゆっくりと起き上がった。酔いがあるのか、俯き気味で表情は窺えない。

 

「……まり、さ……?」

 

「おうよ、魔理沙ちゃんだぜ。

こんにちは(・・・・・)、霊夢?」

 

「――……」

 

 さてなんて返してくる? ――と身構えた魔理沙の心境などつゆ知らず、霊夢はすぅと立ち上がると、少しばかりフラついた足取りで寝室を出て行った。

 拍子抜けして固まっていた魔理沙だが、すぐに我に返って霊夢の後に続く。

 ――さっきのからかいについてはもう諦める事にする。一度スルーされたからにはもう反応は望めないだろうから。

 

 魔理沙が居間に着くと、台所の方でカチャカチャと音が聞こえてきた。湯呑みや急須のぶつかる音である。

 さっきから少々無視気味なのは気に食わないが、お茶を出してくれるようならば文句は言えない。なんだかんだ言って優しさのある親友を想って笑うと、魔理沙は座ってお茶のもてなしを待つ事にした。

 

「お、来たか。煎餅がないのはちと残念だが、まぁ文句は言うまいよ」

 

 果たして、霊夢はやはり二つ分の湯呑みをお盆に乗せて来た。匂いからしてやはり出涸らしだが、それはもう今更な話。無い物ねだりをするほど魔理沙も我儘ではないつもりだ。

 

 ずずず、とお茶を啜れば、横目に同じような所作でお茶を啜る霊夢の姿も確認できた。彼女の普段の動作を実際に見て、得られた安心感がより確定的なものになる。

 やっぱり霊夢は霊夢だ、と。

 

 お茶を啜って一息着いた魔理沙は、ここに来て大した話題も持ってこなかった事に気が付いた。勿論普段から話題を用意してここに来る訳ではないのだが、大抵は何を話そうかなどは道中で勝手に思い付く。ただ、今日はそうでもなかった。

 

「(ふーむ、何かあったかな)」

 

 あ、ならこうしよう。

 咄嗟に思いついた話題を、魔理沙は半ば反射的に口に出した。

 

「なぁ霊夢、昨日の宴会はどうだったんだ? 寝過ごすぐらい呑んだって事は、結構盛り上がったんだろ?」

 

「………………」

 

「私は研究に夢中だったからなぁ、噂だけで聞いてたんだが……誰が来るって言ってたっけ?」

 

「………………」

 

「お前が寝過ごすレベルまで呑むって事は、鬼とかか? あいつら人間様(私たち)にも容赦ねぇからなぁ」

 

「………………」

 

「……おい、何とか言えよ霊夢」

 

 まさか、睡眠を邪魔された程度でそこまで怒るタマでもあるまい。

 魔理沙はよく知っていた。表面上で怒りはしても、彼女の沸点が限界を超える事は殆どない。具体的には覚(・・・・・・)えていないが(・・・・・・)、その筈である。

 

 魔理沙の抗議の声に、しかし霊夢は何も答えない。お茶を啜って、湯呑みを置いて、そのまま石像のように動かなくなっていた。か細く呼吸はしているが、そこにいつもの覇気は感じられない。

 さすがに不審に思って、魔理沙は肩を揺すろうと手を伸ばした。

 そして、触れる直前で――、

 

「(――待て、おかしくないか?)」

 

 ピタリと、止まり。

 

「(なんでこいつ……巫女服のまま(・・・・・・)なんだよ?)」

 

 霊夢の巫女服は当然ながら寝るのには適さない。肩部の布が存在しないのもそうだが、何より元は“戦闘服”に近いものである。着替えるのが面倒だった、なんて理由でそんな物を寝間着代わりにするほど、霊夢は横着ではない。

 それに加え――、

 

「(昨日は宴会があったんだろ? なら片付けはどうしたってんだよ)」

 

 宴会は夜通し行われることも多い。ここに着いた時に酒の臭いが残っていたのだから、昨日の宴会もそうだったはず。ならば必然と片付けは翌日――今日行われるはずなのだ。

 だが霊夢はああして寝ていた。一度起きていたのならそれなりの痕跡があるはずだから、ちゃんと昨日の夜から寝ていた事になる。

 ――一体、誰が宴会場を片付けたというのか。

 

 この思考に辿り着くまで、約三秒。

 違和感が、浮き上がる形で次々と繋がった。魔理沙は目の前に座る親友の肩を思い切り掴み、引っ張るようにして振り向かせた。

 振り向かせて――目の当たりにしたのは、

 

「――……は、はは……なんの、冗談だよ……」

 

 無表情に固めた死人のような顔。

 濁り切った泥色の瞳。

 魔理沙を真っ直ぐに見つめる――いや、視界に入れるだけ(・・・・・・・・)のその視線に、何を感じ取ることも出来ない。

 歓喜も無く、悲哀も無く、憤怒も悔恨も焦燥も侮蔑も陶酔も、無い。

 何も無い、中身の抜け落ちた空っぽの霊夢が、そこにいた。

 明らかに正気ではない。意識があるのかすら定かではない。今の霊夢は、呼吸をするだけ上等な品質の人形に他ならなかった。

 思う。ひたすらに、叫ぶ。

 

 ――一体……一体何の冗談だッ!

 

「おい霊夢ッ! しっかりしろよッ! どうしたんだよ!?」

 

 力任せに、霊夢を揺さぶる。それに合わせてカクカクと揺れ動く“人形”に、やはり反応はない。

 

 明らかだった。魔理沙の察した“嫌な感じ”は、最悪の形で目の前に現れたのだ。

 一度安心したのを嘲笑うかのように。霊夢に対する思いを弄ぶように。

 ――次第に、目頭が熱くなるのを感じる。

 

「何が起きてんだよ……ッ! どうすればこいつは――ッ」

 

 回らない思考を回そうとして、だが何も思い付かず、むしろ疑問が増えていくばかりで。

 霊夢の身に何が起きたのか。

 昨日の夜何があったのか。

 そもそも昨日の夜からなのか。

 誰がやったのか何が目的なのかなぜ霊夢なのか幻想郷が無事なのは何故なのか紫はこの事を知っているのか他の人達への影響はどうなのか一体何が起きているのか――。

 そして、今自分はどうすればいいのか。

 

「どうすりゃいいんだよ……霊夢……っ!」

 

 揺さぶる手が、ずるりと肩から落ちた。同時に溢れたのは、熱い雫と弱気な言葉。

 霊夢は掛け替えのない親友だ。物心ついた時からの一番の友達。それがこんな形で引き裂かれるのは、あまりにあまりだ。

 

 ――こうしてはいられない。

 魔理沙はぐしっと涙を払うと、指を振るって魔法陣を展開した。

 どうすればいいのかは分からない。しかし、何かしなければ始まらない。魔理沙やパチュリー、アリスらが扱うのは魔法。魔法とは普通ではあり得ない事象を引き起こすことができる超常の力。こんな時に役立てず、いつ役立てるというのか。

 人間の上に大して高尚な魔法使いな訳ではない魔理沙に、今の霊夢のような状態の人間を元に戻す魔法は知り得ない。触りやどの系統なのかも分からない。しかし、そんなの虱潰しでもやってみなければ、魔法など完成しないのだ。少なくとも、魔理沙はそういう考え方をする魔法使いである。

 まず手始めに――と、魔理沙は指先の魔法陣を輝かせた。

 人体実験のつもりはない。ある程度自分で試して、大丈夫そうなら使っていけばいい。霊夢の負担はほぼ無いと言っていい。

 そうして、さらに展開しようとして――、

 

 

 

「――無駄じゃよ」

 

 

 

 突然の声に、思考が止まった。

 

「無駄じゃ、霧雨 魔理沙。“ソレ”はどうにもならんし、もう戻らん」

 

 紡がれて、放たれて、鼓膜を揺らしたその言葉が、脳内に響いて木霊する。

 ――聞きたくない言葉。

 

 振り返った魔理沙は、現れた人物を見て、図らずに歯軋りをした。

 はためく鱗模様の着物。長く艶やかな黒い髪。幼い顔立ちにそぐわぬ凜とした雰囲気。そして――一切の反論を許さぬ、厳しく冷ややかな空色の瞳。

 だって、この人がそれを言ったら――“確定”してしまうじゃないか。

 

「やめろ……」

 

「そやつはもう既に――」

 

「やめろォッ!」

 

 

 

 ――何もかもが壊れておる。

 

 

 

 現れた龍神――天宮 竜姫は、冷たく無慈悲に、そう告げた。

 

 

 

 




…………。

ではでは。

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