東方双神録   作:ぎんがぁ!

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“大切なことを教えてくれた、あの人の為に”

とても長くなったので、時間のある時に。
ではどうぞ。


Another S 描き続ける軌跡

 

 これだけ長い間、“誰かに尽くしたこと”などなかったように思う。

 

 そもそも、誰かに尽くす為には何かしらの感情が必要な訳であって、自分にそれが備わっているのかすら、当時は分からなくなっていたのだ。

 

 歓喜だの、悲哀だの。

 焦燥だの絶望だの友情だの恋愛だの。

 こと心というものが生み出す概念に関しては、理解こそすれ信じる気など毛頭なく、また何億年と時を重ねようが納得はできなかった。

 まぁ、“絆”というものに関しては多少の興味はあったが。それも唯一理解ができなかったからこそだ。

 

 “存在意義”としては、それで正しいのだと理解していた。

 あらゆる生と死を見通し、その運命を管理し、真の意味で世界を回すのが自らの役目。そこに“私情”とやら(・・・)は一片の介入も許されることはないのだ。

 

 だから、感情というものに納得はできない。

 だから――あの少年に尽くしたこの時間全てが、自分自身が、堪らなく不思議でならないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ん? この人間……もう死ぬ(・・)のう」

 

 覗き見る次元の狭間。その先を見据えて、竜姫はぽつりとそう零した。

 こうして日常的に世界を覗き見ていれば、人の死に居合わせる(・・・・・)ことはむしろ日常茶飯事である。見慣れてしまったいつもの光景に、竜姫はなんの感情も抱くことなく小さく息を吐いた。

 

 輪廻転生に携わって幾星霜、もはや単純作業と成り果てた“死者の魂を送り出す”という行為は、少しずつ精神を麻痺させていく。

 数億年それを続けての影響かは定かでないが、この時の竜姫の感情の流れというものは限りなく希薄だった。

 

 次元の狭間から世界を覗く。

 それはいつだって面白くもつまらなくもない。

 見ていて楽しいものではなく、かと言って悲しいかと問われればそうでもない。

 どんな生き様も死に様も、いつの時代だったか既に見飽きたパターンばかりで心動かず、革命を起こした偉人に対してすら、既にその手(・・・)の先人を飽きるほどに見た。

 

 感動的だとか、理想的だとか、そんな虚妄の言葉に意味はない。

 だって、自分は全て理解しているから。

 見飽きた映画を幾度も見て、何を感じる事などあるものか。

 

 だが、今回の人間は――。

 

「……ほう、今時珍しい人間がいたものじゃなぁ」

 

 覗き見たその人間の最後は、昨今の現世には中々ない英雄的(・・・)なものだった。

 

 仲の良い異性の友人に迫る危機を間一髪で阻止して見せ、代わりに自分が身代わりとなって生き絶える。

 ああ、なんと感動的な最後だろうか。彼が救った少女は、差し詰め“お姫様”というところか。彼女が死ぬ寸前の少年を抱いて涙を落とす姿はまさに、映画のワンシーンのようである。

 ――まぁ此の間(何百年か前に)似たような光景を何度か見たが。

 

 いつも通りだ。そのパターンももう何度も見た。

 確かに感動的な場面なんだろう。人間は自分達が何か大きなことを成し遂げて散る様に美しさを幻想する。

 だがそんなことはこの世界の長い歴史の中で繰り返されてきたことだし、使い古されたネタ(・・)なのだ。

 

 この時代の言葉で罵ってみようか。

 “はいはい天丼乙”。

 わざわざ同じネタをお疲れ様。終わったらさっさと次行ってくれる?

 

 だが、ふと――竜姫は思い当たる。

 パターンの繰り返しなのは確かだ。目新しいものはなく、あらゆる事象が使い回しの古びた映画フィルムである。

 だが――この死した少年のように“今時珍しい”ということは、何かしら違う展開を生み出す鍵となるのでは?

 

 そう思い至った瞬間、竜姫は僅かに胸が跳ねた気がした。

 この少年は、今ここで死なせるにはちと惜しい。

 気まぐれに近いのは確かだ。だが惜しいと感じるのもまた事実。

 ならば、“何か新しいモノを見せてくれるかもしれない”、なんて下心は本音にしておいて、“ここで死なせるには惜しい心の持ち主だ”というのを建前にしてみよう。

 

 そうして、彼の一度は終わった物語(・・・・・・・・・)に、新しい頁を用意しよう。

 

 竜姫は、いつの間にやら頰が引きつっていたことに気がついた。

 いや違う。引きつっているのでなくて、これは笑っているのか。

 長らく表情筋など動かしていなかったが、案外まだ動くらしい。

 

 ならばよろしい。少年と会うのに無表情では怖がられてしまうかもしれない。

 竜姫は一つ咳払いをしてから、死した少年の魂をこの地に呼び起こした。

 (時間)(空間)に支配されたこの世界において(唯一)として存在する竜姫には、その程度のことは造作もなかった。

 

「え? え? ホントどこ? 俺今どういう状況なの?」

 

 おや、自分がどうなったのか覚えていないらしい。

 真白な空間で一人座り込み、オロオロとする様子はまるで生まれたての赤ん坊のようだ。

 

 さぁ、君はどんなモノを見せてくれるのか。

 ここまでしたんだ、何かしら目新しいものを見せてくれなければ、君を怒らざるを得なくなるぞ?

 

 内心で苦笑して、竜姫はゆっくり口を開く。

 これから新たな生を歩む事になる、この少年へ。

 

「意識があるなら、思い出せるはずじゃよ。自分がどうなったのか――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ日女、日女よ」

 

「? 何ですか竜姫ちゃん」

 

「その、だな……」

 

 神宮――神界に於いて神それぞれが住まうその一つにて、竜姫は沈痛な面持ちで問い掛ける。それを受け取るのは、先程の顕界から戻って来た太陽神天照、伊勢 日女である。

 

「どうしたのですか? そんな顔、珍しいですね」

 

「うむ……ちと、マズイこと(・・・・・)になってな……」

 

 日女の問い掛けに、竜姫は以前に見た“記憶”を思い出す。それは、未来(現代)において転生させた少年の記憶。少年の人格の核にあたる記憶だった。

 

 ふと気になったのだ。昨今の人間が滅多に取らない行動をしてみせた彼は、ならばどんな過程を経てそうすることができる(・・・・・・・・・・)に至ったのか。何がその英雄的な人格の核になっていたのか。

 それを、ただ知って理解したい――と。

 

 それが間違いだったのだ。いや、間違えたと言うならば、この世界に彼を転生させたこと自体が既に大きな間違いだった可能性がある。

 少年があの時、少女を身を呈してまで助けられたのは、偏に彼女が、少年にとってそうさせるほど大きな存在だったからだ。失ってはならないものだと無意識的に知っていたからだ。

 

 彼女から離れ離れになって、さぞ絶望したことだろう。

 そして諏訪大国にて、彼女の先祖にあたる東風谷 稲穂に出会って、希望を見出したことだろう。

 しかし――パラレルワールドであるこの世界では、少女に少年との記憶は存在しない。

 

 果たして、そんな事実を彼が知ってしまったら――。

 

「……変わりましたね、竜姫ちゃん」

 

「……なに?」

 

「そうして彼の身を案じるその表情は、あなたが納得できないという“感情”を間違いなく現しているようですよ」

 

「それは……」

 

 そんなは事ない――とは、言い切れなかった。

 少年に課してしまった過酷な未来に気が付いた時、竜姫は確かに心臓を締め付けられるような感覚を覚えた。嫌な汗が吹き出た。頭の中が真っ白になった。

 いままでそんな状態に陥ったことなどなく、しかし竜姫は、なぜ自分がそうなったのかをすぐに悟った。

 

 これは、“後悔と罪悪感”だ――と。

 

 ドス黒く、粘つくような泥と腐敗した塊が、心の中で渦を巻くような。

 圧倒的な不快感を伴うそれが、膨大な質量で竜姫の心を圧迫し、ギシギシと軋ませていた。

 少年に対して、竜姫は確かに感情を抱いている。それが例え深淵のように暗く深いものだとしても、日女の言うことは――確かに、的を射ていた。

 

 だからこそ――。

 

「……日女」

 

「なんですか?」

 

「あやつは……双也は……どう、だった?」

 

「………………」

 

 不明瞭だな――と、竜姫は問うてから思った。何を問いかけているのか、具体的な事が何も言えていない。

 しかし、そうとしか言えないのだ。曰く感情を抱いたこの心が、日女に何を求めているのかが、竜姫にはまだ分からない。

 ただ――如何にかして、この擦り潰されるかのような圧迫感から救い出してほしい、と。

 

「……何も(・・)

 

「……は?」

 

「何もありませんよ。彼は彼の生きたいように生きていました」

 

「……なんだと?」

 

 ――竜姫は、柄にもなく呆けた声を出していた。

 

「竜姫ちゃん、私はあなたが分かりません。あらゆる世界のあらゆる時間を行き来し、そしてすべてを同時に観て(・・)いるに等しい所業を日常的にしているあなたを、私は理解出来ません。きっと今もその頭脳と心は、私の知り得ぬ未来や過去を観ているのでしょう? 言わせて貰えば――どうしようもなく、狂っているとすら思います」

 

「………………」

 

「あなたがずっと双也を気にしていることは知っていました。ですがその理由までは知りません。だから、あなたが何故そこまで思い悩んでいるのかも分かりません。ですが――」

 

 淡々と語る日女は、そう言葉を続けながら竜姫の前に屈み込む。そうして流れるような手付きで彼女の俯いた顔を上げさせると――柔和な微笑みで、その双眸を射抜いた。

 

「“思い悩む”だけで足を止めるのは愚者のする事……私はそう思っています。あなたは、愚者なのですか? ――龍神様」

 

 その言葉は、竜姫の胸にズキリ(・・・)と響く。いつか聞いたことのあるような、既視感の塊のような言葉なのに、それは竜姫の中で燦然と煌めきながら反響し、染み入っていくようだった。

 

 ああ、こんな経験はいつぶりか。

 こんなにも言葉というものが己を支配(・・)する。それが果たして感情と呼ばれるものの所為ならば、ああ、心というものはあまりにも面倒なものだ。

 言葉なんて誰にでも作ることが出来る。そしてそれは質の悪い事に、その内側にあるモノの性質を反映しない。仮に反映するのならば、きっと先の未来で“詐欺”なんぞという言葉は生まれるはずがないのだ。

 そんな安価なものに、心というものは案外簡単に、動かされる。

 

 だがこの時だけは――それも悪くないと、思った。

 

「いいや、日女よ」

 

 頰に添えられた手を、ゆっくりと触れて下ろして、竜姫はその手をきゅっと握った。

 その瞳は、きっと何処までも空色に透き通って――、

 

「私は次元を統べる最高神、天宮 竜姫じゃ。例え気が狂っていようと、愚者などと揶揄するのは一億年早いと知れ」

「ふふ……はい、失礼しました、龍神様」

「よろしい」

 

 竜姫の不敵な笑みに日女も安心したのだろう、彼女は握られた手を優しく抜き取ると、瞬きの間に光となって消えた。己の宮へ戻ったのだろうことは、竜姫にもすぐに分かった。

 

「……感謝する、天照大御神」

 

 ぽつりとそれだけを零して、竜姫は早速思考を始めた。

 立ち止まっている場合ではない。能力をフルに活用してでも、今だけは少年に尽くそう。せめてもの罪滅ぼしになるのなら、幾らだって無茶をしよう。

 

「さて、差し当たり先ずは――」

 

 少年の未来を、この手で護る。

 覚悟は――今、決まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――正直に言って、非常に危険な状態だ。

 少年の内に潜む神が大きくなり過ぎたのも確かにそうだが、何よりもそれが顕現してしまったことが何よりマズい。

 

 仕方のないこと――そう言えば確かにそうだ。竜姫とて、伊達に数千年少年のことを見守ってきてはいない。

 彼が幻想郷に来て早一ヶ月ほど。その短期間において、彼の中であの博麗の巫女がどれだけ大きな存在になっていたのかは察していた。

 少年は寂しがり屋で、心優しくて、だからこそ似た者同士であった巫女に惹かれた。そんな彼女が目の前で死にかけているとすれば、その恐怖は瞬く間に怒りに変わり、彼女を追い詰めた敵へと襲い掛かる。

 

 ――その、心の揺らぎを、彼奴(・・)に突かれた。

 

「ちっ……あやつめ、憎たらしいほどよく分かっておる……」

 

 いや、妥当か――と思い直す。

 彼奴はいつの間にか分かたれていた少年の心そのもの。むしろ、この世で最も少年の事を理解しているのは間違いなく彼奴だ。心の隙を突いて表に出てくるなど造作もなかったろう。

 が、このままで良い訳はない。

 何せ奴の目的は――。

 

 片手を翳し、竜姫は能力を込めた。早く少年の心を引き摺り出さねば、今奴と戦っている二人は勿論、下手をすれば外の世界まで滅ぼしかねない。

 しかしその思いとは裏腹に――手元で開きかけた“次元”は、拒絶するように竜姫の手を弾いた。

 

「っ! ……くそ、彼奴の精神支配下では私も“対象内”か……!」

 

 戦いの場にはいないものの、それでも己の力を超えられた(・・・・・)事実に歯噛みする。彼奴の何より厄介な点といえば、この途方もなく強大な能力だった。

 彼奴が完全に少年の心を支配している内は、最高神の能力ですら干渉することができない。“オレの心に触るな”と、案に言っているようだ。

 

 このままではマズい。ほんの少しでもいいから奴の心に綻びを――即ち、少年の心が覚醒しなければ、触ることもできない。

 私も参戦するか? いやしかしそんな事をすれば、例え欠片程の少年の心が覚醒したとて、引き摺り出すことが出来なくなる。加え、戦っても勝てる見込みは限りなく無に等しい。

 

 どうするどうするどうする――ッ!?

 

 竜姫の焦燥はかつてないほどに膨れ上がり、そして状況も刻一刻と移り変わって行く。竜姫がこうして手を拱いている間にも、今戦っている二人は傷付けられ、夥しい血を流していた。

 

 己の無力さが突き刺さる。少年の為に尽くすと誓ったのに、大事な時に何も出来ない。

 何が最高神だ。たった一人の人間さえ守れずに、ただ傍観しているだけなんて。

 こうして歯痒さを感じるのも心の所為ならば、自尽してしまいたくなるこの気持ちさえ心の所為なのだろうか。

 握り締めた掌に血が滲む。

 何も出来ないこの手など、そのまま砕けて散ってしまえば良いのに。

 

 果てしない自己嫌悪の渦。鉛色した汚い泥が、ズブズブと身体を引き摺り込んでいくようだ。

 

 ――しかし、そんな現状に光が差したのは、その直後だった。

 

「……ッ!! 巫女――ッ!」

 

 世界を覗き見るその瞳が写したのは、奴が巫女を刺し貫いた光景だった。

 夥しい血飛沫が飛んでいる。儚く散った霊力残滓の光と共に、それらは淡く光って降り注いでいた。

 そんな景色の中で、巫女は少年に(・・・)語り掛ける。

 

『――だから……お願い……!』

 

 瞬間、奴の心に揺らぎを見た。

 

「ここじゃ――ッ!」

 

 もはや条件反射。

 竜姫は手元の次元を開き、その中に手を差し入れる。

 先程の反発が嘘のように、少年の心へと直接開いた次元は、するりと彼女の手を呑み込んだ。まるで“助けを待っていた”とばかりに。

 そして――掴んだ(・・・)

 

「いい加減……目を覚ますのじゃ! お主はこんなところで終わる存在ではなかろう!」

 

 そう、こんなところで彼奴に負けてはいけない。呑み込まれてはいけない。今諦めれば何もかもを失う事になる。

 世界を、居場所を、そして友を。

 全てを失って、その果てにあるのはきっと彼自身の死(・・・・・)だ。そんな悲しい最期……そんな悲しい結末など、絶対に観たくないッ!!

 

 必死だった。少年と出会う前の、心も感情も納得の出来ない希薄だった頃には考えられないほどに。

 その昔、日女が竜姫に言ったことは、なるほどまさに正しかったということだろう。

 そうだ。竜姫は少年を見守る内、知らぬ間に感情というものを受け入れた。真の理解を得た。

 大切なものへの愛おしさ。尊いものへの慈しみ。心に刺さる故の悲しみ。上手くいかぬが故の苛立ち。

 これら感情と呼ばれるものが、それを持つものに力を与える。原動力を与えるのだ。

 この時の竜姫には、紛れもなく、少年を護りたいという確固たる意志が力を与えていた。

 

 掴んだ腕に思い切り力を入れる。少年の精神はそれはもう深くに沈められて、彼がどれだけ絶望していたのかを如実に表していた。

 だが、手を伸ばしている。引き上げてくれと叫んでいる。ならば、それを今できるのは私だけ――ッ!

 

「こいッ!!」

 

 握り締めた拳が、次元の穴から引き抜かれる。

 そこには何も握ってはいなかったけれど、竜姫には確かに感じる事が出来た。

 掴んだ少年の腕を思い切り引っ張って、深い海の底に沈められたその意識は、確かに外へと這い出したのだ。

 

「……っ、間に合ったか……双也はっ!?」

 

 成功の余韻に浸る間も切り捨て、竜姫は急いで次元の穴を覗き込んだ。

 きっと少年の意識は戻っているはずだ。そして何とか生き延びた二人に多少怒られながらも迎えられ、今頃三人で笑っているだろう。

 そんな、何処か楽観視とも言える想像を膨らませて。

 しかし、竜姫が目の当たりにしたのは――。

 

『あぁぁあぁあああああ――ッ!!』

 

 降り出した雨の中、息絶えた巫女を抱く少年が泣き叫んでいるのが見える。

 それはとても悲痛で、重々しく、こちらの心にすら巨大な楔を打ち込んでくるようでもあって。

 打ち砕かれた幻想を想って、竜姫はがくりと、崩れ落ちた。

 

「ぁ……双也……泣い、て――……」

 

 悲哀の叫びが耳に突き刺さる。

 徐に伸ばした手は、少年の姿を映していた次元の穴を掻き消すだけで、その悲しみに寄り添うことはできない。

 穴と共に掻き消えた叫びの後には、気が狂いそうな静寂だけが、その場に座り込んだ竜姫を包み込んでいた。

 

「………………」

 

 ――私は何を言っている。間に合ってなんかいないじゃないか。

 奴を止める為に、少年の大切な友が少年の目の前で息を引き取った。そんな悲しい思いを少年にさせたのは、手が出せないからと傍観していた自分自身じゃないか。

 奴を止めたとて、絶対に取り返しのつかないことを、自分はしたのだ。

 

 また彼を――絶望させてしまったのだ。

 

「……なぜ……なぜ、私は……こんなに、無力なのじゃ……!」

 

 すぅと溢れた涙と共に、譫言のような震えた言葉が漏れる。いつの間にか握り締めた拳には、薄っすらと血が滲んでいた。

 

 ――悔いていたのだ。

 己の興味で一人の少年の人生を狂わせ、何度も絶望させて、挙句に未だ彼を救えていない。

 あの時、確かに誓った。

 日女の言葉に諭されて、少年の未来を護ると、そう――誓ったのに。

 

「私は……わたし、は……っ!」

 

 大き過ぎる後悔と少年への罪悪感、そして圧倒的な無力感が、熱い雫となって絶え間無く頬を伝う。

 ぽたぽたと握り締めた拳に落ちる涙は、焼け付くように熱く感じた。

 

 なんで。

 どうして。

 こんなにも強く想っているのに。

 どうして彼に何もしてやれない? どうして彼を悲しませている?

 彼を救う為に、あと何回こんな事を繰り返せばいい?

 

 少年の悲痛な叫びが、頭の中で木霊する。脳を揺さぶるかのように響き渡るそれが、止めどなく涙を溢れさせる。

 声を上げて泣き出したいくらいだった。でも胸が詰まって、上手く声を出せなくて、あらゆる負の感情がぐるぐると身体中を駆け巡る中で、竜姫は押し留めるように嗚咽を漏らすほか出来なかった。

 

 するとふと、何処かで――“まだ足りない”と、怒鳴り散らす声が聞こえた。

 

 何が? きっと、それは覚悟だ。

 一人の人間を救うと誓った。だがまだ足りない。覚悟が足りない。他人から諭された言葉で漸く立てるような誓いなど、何の覚悟にもなりはしない――と。

 

「かく、ご……」

 

 覚悟が、足りていなかった……?

 思い浮かべたのは、日女に諭された時のことだった。

 思い悩むだけで立ち止まるのは愚者のすること――その言葉は、“失態を犯したならば取り戻すために努力すべきだ”という意味だと解釈していた。きっと取り戻せる、と。

 

 ――違う。これで足りないのだ。

 これは責任感(・・・)でしかない。少年の人生を狂わせてしまった責任を、どうにかして取ろうと罪滅ぼしをしている気になっていただけだ。

 ならば……十分な覚悟とは?

 

「(っ……くる、しい……)」

 

 不意に、竜姫は片手拳を胸にきつく当てる。

 手に伝わる感触は、ドクンドクンと苦しそうに跳ねる心臓の鼓動だった。

 

 ――辛かった。苦しかった。

 泣き叫ぶ少年の姿を見て、竜姫は心臓をぎゅうっと握り潰されているかのように感じたのだ。思わず崩れ落ちて、無意識に涙を流すほどに。

 だが、“感情”に理解を得た竜姫には、自然とこれがなんなのかを知ることができた。

 きっとこれは――責任感ではない、全く別の気持ちの表れなのだ。

 責任感なんてつまらないものではなく、もっと尊く儚いもの。でもだからこそ――どんなものよりも原動力としての力の強いもの。

 竜姫は拳を胸に当てたまま、震える脚で、俯きながらにゆっくりと立ち上がった。

 

「……分かったのじゃ、竜姫(・・)。私は……どうしようもない程に、甘かった」

 

 自分自身に宣言する。覚悟が足りなかった、まだ甘かったと。

 少年の心に触れて、竜姫は心や感情と呼ばれるものの何たるかを知った。でもそれに報いるための責任感だけでは、少年に課した辛い運命を償うには余りにも足りないのだ。

 でも――今なら分かる。心を知った今だからこそ、竜姫は自分がどんな気持ちでいるのかを言葉にできる。

 

 

 

 私は、きっと、双也に泣いて欲しくないんだ――と。

 

 

 

 他に諭されたが故の責任感ではなく、己が望む道へ突き進むが為の“己の意思”で。

 少年が泣く姿を見たくない。正真正銘竜姫の本心であるところのその意思は、必ず、どんな無茶でも無理でも成し遂げる為の力をくれるのだと確信できた。

 

 例えどんな代償を支払うとしても、この意思にだけは――嘘を吐きたくない。

 きっとこの時――竜姫は本当の意味で、“少年の未来を護る”と心に誓うことが、出来たのだ。

 

 何を犠牲にしてでも――と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遂に、出てきたか」

 

 脳裏に映るその光景に、竜姫はその空色の瞳を細めて呟く。

 可能性の一つではあった。少年のことを見守りながらあらゆる思考を巡らせてはいたが、どうしても消し去る事のできない可能性だったのだ。

 

 ――少年の内に潜む神は、巫女が施した封印の綻びを突いて顕現した。

 

 その場に居合わせた二柱の神、そして当代博麗の巫女を痛めつけ、駆け付けた賢者の封印術によって辛くも退けられたものの、その危険性が計り知れないものなのだと知らしめた。

 

 ――だが、何より問題なのは。

 

「双也……早苗に記憶がないことを知って、どれだけ……」

 

 大昔に危惧していた事である。そもそも、この可能性があったからこそ竜姫は行動を起こしたのだ。

 だが――いくら行動を起こしたとて、少年の心の内にある少女への依存性は、欠片も揺らぐことがなかった。

 この時点で……今のこの現状は、確定してしまっていたのだろう。

 

 少年が過去最大の絶望に囚われた事で、少年は己の意思で、そして完全に精神の海の底へと沈んでしまった。以前のように、その意識を刺激して引き摺り出すことは事実上不可能である。

 顕現した内なる神との衝突は、避けようのないものとなった。

 

「……じゃが、それでは終われないのう?」

 

 そう呟き、上げた竜姫の表情は意外な事にも――笑っていた。

 

「ふん……内なる天罰神よ、お主が顕現する可能性を考えた上で、私が何も対策しない訳がなかろう?」

 

 そう、竜姫には秘策(・・)があった。

 “こう”なる可能性を思慮に入れていた。ならばそれに対抗する策を考えておくのは当然のこと。

 昔、外の世界の大陸では戦争が頻発していた。その中で戦況を操作していたのはそれぞれの国の“軍師”と呼ばれるものたち。彼らは戦況を予見し、予測し、その頭脳を活かし切って先の先の先を読み、その為の対策を何重にも敷いて戦っていた。

 人間ですら昔から行ってきたそれを、最高神たる竜姫がしない訳はない。

 

「竜姫ちゃん。言われた通り、来ましたよ」

 

「いつだったか、お前が言っていたのはこの時のことだろう? さっさと行くぞ」

 

 不意に、扉の方から二人の声が聞こえた。

 一人は女性の声。透き通るような声音が何処か温かみを感じさせる、輝くような美しい女神――太陽神 天照、伊勢 日女。

 一人は男性の声。荘厳なその声音は彼の厳格な性格を窺わせるようだが、しっかりと物事の分別を、“概念”の次元で弁えているであろう若々しく凛々しい男神――天罰神 荒弥憑、雨伐 戒理。

 両者ともに、前々からこの時を予見して協力を要請していた、二人の高位神である。

 

「前から、顕界に現れた半天罰神には挨拶をしておこうと思っていたのだ。娘達が世話になった事だしな」

 

「ああ、あやつらか。あの落ち着きのない嵐共……今度戻った双也にも注意してもらうか……」

 

「その前に、私たちの力で双也を元に戻してあげませんとね♪」

 

 最高神レベルの神を、三人束ねて漸く並べる強さ。

 その強大過ぎるかの神には畏怖すら覚えるが――正直、負ける気がしない。

 現に三人は既に、勝った前提の話を無意識にしていた。それは自惚れでもなんでもなく――ただ、自分達が勝ち、双也を救うと信じているが為に。

 

「(そしてその後には――双也の側に、誰かが……)」

 

 こうして、忘れられた楽園 幻想郷に。

 ――最高神が、舞い降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 率直に言って――非常に、焦っていた。

 何年も前に一人旅立った溺愛する息子が、事前には何も告げずに突然帰ってきた時の母親の心境――そう言えば多少は分かり良いだろうか。

 これは“焦り”と銘打ちながらも、しかし“焦燥”とはまた違う感情だと竜姫は思った。ここまで生きてきて、未だ嘗て感じたことのない感情が存在することに驚きもあったが、しかしその驚きも、それを上回る“焦り”が無残に掻き消して頭の中を支配していた。

 

 言葉に表すなら、そう――

 

 

 

「(な、何を話せばいいのか全然分からないのじゃ……!)」

 

 

 

 眼前に座る少年の姿に、竜姫は確かに、焦っていた。

 

 おかしい事ではなかった。

 億年見守り続けた少年に対し、竜姫は言わば母性愛のようなものすら感じている。この世界へと産み落とした(転生させた)という意味では、まさしく彼女はこの世界における少年の母親のようなものだが、そもそも竜姫は少年と面を合わせて話した事などない。強いて挙げるなら、転生させる直前の業務的な会話だろうか。

 

 少年は何の連絡もなしにここ――神界に存在する竜姫の神宮へとやってきた。

 最高神とは言っても、感情を知り得た竜姫にはやはり感じるものがある。心の準備くらいさせて欲しかった、と。

 

 見守り続けた少年が、今、目の前にいる。何の前触れもなく我が元へとやってきた。

 ――その口が、罪深い自分に対して何を語るのか。

 何よりもそれが、怖くもある。

 逃げ出せるならどれだけ楽だろうか。でも、自分には少年が何を言おうと受け止めなければならない義務があるのだと竜姫は既に知っている。

 心の中は決して穏やかとは言えないものの、竜姫は静かに、待っていた。

 

 ――と、そんな竜姫に。

 

「……先ずは、礼を言わなきゃな」

 

 少年は微笑んで、そう切り出した。

 

「今回は本当に世話になった。お前が霊夢達に力を貸してくれなかったら、絶対に俺は絶望に負けてた。だから――ありがとう、龍神」

 

「っ…………」

 

 ――ああ、日女の言っていたことは本当だった。

 少年はやっぱり竜姫の知る少年で、こうなった原因は竜姫にあると言うのに、恨み言の一つも言わずに礼を述べた。

 そんなの、必要ないのに。当たり前のことなのに。

 

 思わず潤みそうになった目を逸らし、竜姫は呟くように、こう返す。

 

(「……たつき、じゃ」)

 

「……え?」

 

「私の名は……天宮、竜姫じゃ……。知らぬ仲ではなかろう……? これからは……そう呼ぶのじゃ」

 

「……分かった、竜姫」

 

 何気ない自己紹介。だが、竜姫にとっては単なる自己紹介以上に意味があった。

 ただ“龍神”と、誰もが知っている名で少年に呼ばれるのを、竜姫はやはりよくは思わなかった。

 自分が特別に思っている者にくらい、本名を知っていてもらいたかったし、何より――己の息子同然の少年に、“龍神”だなんて、他人行儀に呼ばれたくはなかった。

 

「――それでだ、竜姫。少し、頼み事があってここに来たんだ」

 

「……何じゃ」

 

 いよいよ本題か――と、竜姫は少年の真剣な眼差しに確信する。

 ただ、大方の予想はついていた。

 少年の性格やその成り立ち、そして今までの出来事を踏まえるならば。

 大方の事は何でも出来てしまう少年が、竜姫という最高神に頼らざるを得ない内容と言えば。

 十中八九、それは――

 

「俺が誰も殺さないようになる方法を、教えて欲しい」

 

「………………」

 

 ――やはり。

 そうは思っても、口には出来なかった。いや、正確には言葉が出せなかった(・・・・・・・・・)のだ。

 元々はただの人間だった少年が、今やこんなにも悲しい悩みを抱えている。そしてその原因を作った自分に、助けを求めているのだ。

 そんな(てい)で、彼に掛ける言葉などあろうはずもない。口にすればきっと――少年が傷付く以上に、自分が傷付く。

 だから竜姫は、無言で立ち上がって――少年に背を向けたまま、執務机に手をついて俯いた。

 

「……それは……どっち(・・・)の事じゃ?」

 

「どっちも、だ。俺の周囲を脅かす物全てを、俺は排除したいんだ」

 

「……なるほど、お主らしいの」

 

 その声には、僅かに悲しみと自重の嗤いが混じっていて。ああ、きっと自分が思っている以上に、自分は少年を大切に思っているのだな――と、竜姫はぼんやり認識する。

 最高神としては決して褒められたことではないが、まぁそんなの今更だ、とあまり気にも留めなかった。

 自分の心に誓ったことを、そんな物で反故にしたら、きっともう立ち直れない。

 

「竜姫、お前は最高神だ。全知全能に限りなく近い神。だからきっと、俺にどうしようもないことでもどうにかできると踏んでここに来たんだ。……頼む、教えてくれ。どうしたら俺は誰も殺さずに済む?」

 

「……一方は――西行妖については簡単じゃよ。お主と同化させてしまえば、何の問題もない」

 

 ――明かしてしまえば、例え少年がどんな懇願の仕方をしたとしても教えるつもりでいた。

 少年の問題は少年が一番よく分かっているのだから、きっとそれを解決しに動き出すだろうと、予測はした。だからこそ、竜姫はその対策も事前に考えていたのだ。

 

 西行妖については、少年にも言った通り手順を踏めば何の問題にもならない。その手順自体も、最も過酷な部分(妖力を限りなく散らす事)を成り行きで既に達成できている状態だ。

 後はゆっくり時間をかけて、西行妖の妖力が回復した端から己に繋げていけば、最終的に同化を果たせる。妖力を支配下に置くことができるのだ。

 

 その旨を伝えると、少年は「分かった」と一つ返事で返して来た。

 量が膨大故に時間は掛かるだろうが、まぁゆっくりと馴染ませればいい。どうせ竜姫も側でサポートするのだから。

 

 何より問題なのは――もう一方。

 

「それで、もう片方……神也の方は……」

 

「………………」

 

 ――教えても、良いのだろうか。

 竜姫は再度俯いて、少年の視線から逃げようと背を向けた。

 これは、賭けだ。しかもあまりにも部の悪い大博打。成功するのは、百度やって一度勝てる数千、数億分の一以下の確率である。

 そんな、殆ど負けたようなものの賭けに無謀にも挑ませて、果たして本当に良いものなのか。

 

 迷っていた。少年を泣かせまい、絶望させまいと行動して来た竜姫だからこそ、この場面でどうしても二の足を踏む。

 これに失敗すれば少年は悲しむだけでは済まない。その命すらも落とす。しかしこれに賭けなければ、この先ずっとずっと少年は思い悩み続け、きっと恐怖に怯え続けるだろう。

 

 ――一体、自分はどちらを選べば良い……ッ!?

 

「竜姫」

 

 一人思い悩む竜姫に、掛けられたのは心を決めたような少年の声だった。

 ゆっくり恐る恐る振り向けば――少年はこちらの葛藤を見抜いたかのような強い目で、竜姫を見ていた。

 

「双也……」

 

「竜姫、俺はお前がどんな方法を導き出したのかは知らない。でも今のその葛藤が、俺の為を想ってくれてるからだって言うのは、なんとなく分かる。きっと……とんでもなく危険な方法なんだろ?」

 

「………………」

 

 ああ、そうだとも。君が今まで体験した何よりも危険で、どうしようもないほど勝ち目のないものなんだ。

 ――的を射る少年の言葉に、しかし竜姫は何も言えない。どうしても言うことが躊躇われる。

 それをやはり後ろめたく感じて、竜姫は視線だけを少年から逸らす。が、それを遮るように、

 

「だが、これは俺の意思だ。どんな無茶をしてでもやらなきゃいけない事なんだ。……お前は、それでも助けてくれないのか?」

 

「…………その言い方は、ズルイじゃろう――っ!」

 

 ああ、ズルイ。ズル過ぎる。

 そんな事を言われたら、教えるしかなくなってしまうじゃないか。

 竜姫は、憎らしく思いながら少年を睨みつけた。その瞳が、何処か弱々しいものだと確かに感じながら。

 

「……信じても、良いのか?」

 

「それ以外に、納得出来る方法があるのか?」

 

「……ふん、生意気じゃのう、お主は」

 

「怯えて何もしないよりマシさ」

 

「……言うようになったのう、双也」

 

 いや、きっと“成長”ではないのだろうな。

 天井を――その向こうに広がる空を仰ぎ見て、竜姫は悲しげに目を細める。

 無謀な賭けに挑む事を、勇気だと正当化してはいけない。だからこそ、無謀な挑戦のことを人は“蛮勇”と、勇気とは違う言葉で表現する。

 

 だが少年にとっては――例え蛮勇でも挑まなければならないほど追い詰められている、という事なのだろうな。

 

 目を瞑り、竜姫は一つ深呼吸をした。

 

「――良いじゃろう。私はお主を信じる」

 

「……ああ、ありがとう」

 

「……いいか? これは果てしなく負けに等しい賭けじゃ。最高のハッピーエンドを迎える可能性は、広大な砂漠からたった一粒の砂粒を見つける可能性と同等か、それ以下か……それでも、やるんじゃな?」

 

「……ああ。それでも、やらなきゃいけない理由がある」

 

「……分かった。では教えよう。お主が人間となる(・・・・・)方法を――」

 

 ――“天罰神と分離して己の手で打ち倒し、数多ある並行世界からどうにかして戻ってくる”。

 ……竜姫が少年に語ったのは、そんな方法だった。

 少年は始終眉を顰めていたが、決して弱い眼をしなかった。どれだけ無理難題だろうとやり遂げてみせると、その眼が叫んでいたのだ。

 語る間、竜姫はその眼を見る度に唇を止めそうになった。

 少年を護るつもりが、今自分は少年を無謀な賭けへと導いている。それに身が引き裂かれるような苦しみを感じた。

 

 全てが自業自得だ。何よりの発端は竜姫自身なのだから。でもそれがあったからこそ、竜姫は少年から心を学び、感情を学び、誰かに尽くすという事の覚悟を学んだ。

 少年の泣く姿を見たくない――その意思は未だに揺らいではいない。ならば、自分に出来ることを考えて、少年を信じきることだけを考えるべきだ。

 竜姫の意思は――今、決まったのだ。

 

「――それでも、やるか?」

 

「ああ、やらせてくれ」

 

 最後に問うたその最終確認も、少年に何の躊躇いを生ませることはなく。

 即答した少年は、すぅと立ち上がると、扉の方へと歩み始めた。

 聞き出すことは聞き出した、とばかりに。

 

「妖力に関しては、このまま神界でやっていく。どうやらここの方が調子がいいみたいだ」

 

「それがいい。私もサポートはしよう」

 

「だが……神也のことはもう少し待ってくれ。死ぬかもしれないその前に、やらなきゃいけないことがあるんだ」

 

「……ああ、待とう。覚悟が出来たなら、もう一度ここへ来い」

 

「はは……せいぜい、余生を楽しむさ」

 

 その言葉を最後に――少年は、去っていった。

 

 神界は広い。きっと何処か心身の落ち着く場所で、妖力を繋ぐ作業に入るつもりなのだろう。一度ここを出ていったのは、葛藤し精神の疲弊した竜姫への彼なりの配慮か。

 

「……私も――せめて出来ることを、しなければな」

 

 椅子に座り、遠慮なく背を預けた竜姫は、ぽつりとそう零す。

 

 次に少年が訪れたのは、それから四つの異変を跨いだ後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ん……少し、寝ておったか……」

 

 未だ僅かに重みのある瞼をあげれば、そこには快晴の空が広がっていた。

 程よく暖かい空気は眠気を誘うようで、竜姫は上げ掛けた頭を再び下ろす。

 背に感じる柔らかな草花の感触が、いつまでもそこに寝転がっていたい衝動を掻き立てる。

 それは、時間はたっぷりあるじゃないか――なんて、こちらを誘惑してくるようでもあった。

 

「(……懐かしい、夢じゃった……)」

 

 思い描いた夢の内容に、竜姫は無意識に柔らかく微笑んだ。

 何億と時を重ねてきたが、その中でも一際強く輝く、大切な記憶。大切なものを学んだ最高の記憶だった。

 今思えば、あれだけ世界に飽いていた自分が人に尽くす事になるなど、不思議なこともあるものだな――なんて。

 でもきっと、今こうして笑えるのは、あの時間があったからこそなのだろう。偏に――あの少年のお陰なのだろう、と。

 

 竜姫は一つ深呼吸をした。

 優しい風が頰を撫ぜていく中で吸い込むその空気は、その胸を世界への愛おしさでいっぱいにするようだった。

 

 ――世界は、絶えず回っている。

 生命が生まれ落ち、何かを成し遂げ、そして死に、輪廻転生を経てまた帰ってくる。たまに長い生を持つものも生まれるが、それも変わらず世界の歯車の一つ。

 小さな、しかしとても多くの歯車が絶えず回って、歴史を形作り、子孫を紡ぎ、代を重ねて世界が回る。

 いつまでも変わらないその理の中で、竜姫は今では、その生命達を見守るのが楽しみになっていた。

 

 色々な生命に触れ、温かみを共有し、時には寂しい思いをしたりして、最後には別れを惜しみ。

 それでも幸せに生を全うしていく生命を、竜姫は愛おしく思う。

 そしてそれは――すべて、あの少年から学んだことだ。

 

「……ん?」

 

 深呼吸して、大きく息を吐いたところで、竜姫はふと声を聞いた気がした。

 本当に微かで、幻聴と思っても何ら不思議ではないが、竜姫は確かに“声”なのだと確信していた。

 何故なら――共に寝転がっていたはずの、あの子(・・・)がいない。

 

『竜姫さま〜っ!!』

 

「……ああ、あそこか」

 

 見つめた先で手を振って走ってくる子がいる。

 竜姫はよっこらせと立ち上がると、側に置いてあった刀を掴み、ゆっくりと歩き出した。

 

「何をしていたのじゃ?」

 

「えっとですね! 休憩中に竜姫さま寝ちゃったので、一人で練習してました!」

 

「ほう? 良いことじゃ。成果はあったのか?」

 

「はい! 前より早く使える(・・・)ようになりましたよっ!」

 

 そういうと、その子は霊力を解放して軽く腕を振るった。するとそこには薄紫色の小さな結界が発生した。

 ドヤ顔で竜姫を見るその子を有意義に無視し、竜姫がその縁に触れると――指先が、僅かに切れた。

 

「ふむ、確かに上達してきたみたいじゃ。偉いのう〜」

 

「えへへっ」

 

 竜姫が頭を撫でると、その子は嬉しそうにふにゃっと笑った。

 まだまだ未熟だが、この子には才能がある。現に、竜姫が寝てしまう前まで発動させていた結界よりも大きさは倍近く、強度も多少は上がり、何より斬れ味はとても良くなっていた。

 その子は撫で続ける竜姫の手を両手で取り、胸の前に持ってくると、その輝く桔梗色の瞳で竜姫を見つめて、

 

「絶対みんなより強くなって、竜姫さまのその刀、譲って貰うんですっ! 待っててくださいね!」

 

「ほ〜う? その為には博麗の巫女にも追いつかなければならないが、大丈夫かのう?」

 

「っ……絶対、やってみせます! 家宝の刀を、いつまでも竜姫さまに預けたままじゃいけませんから!」

 

「……そうじゃな。お主が、これを持っても恥ずかしくないくらい強くなれたら、返してやろうかの」

 

「はい!」

 

 ――きっと、この子はまだ“強さ”の本当の意味を知らない。ただ戦いに強くなればいい訳ではないのだと、理解できるほど大人ではないのだ。

 だから、“強さの証”たるこの刀は、この子が大勢の友や仲間と触れ合ううちに強さの意味を学んだ時、譲ろうと竜姫は決めていた。

 

 今まで、この子の家系の人間の中に、この刀に辿り着けなかった者は存在しない。きっとこの子も、いつかはちゃんと強さの意味を理解する日が来るだろう。

 だから、それまで見守ってやるのも悪い気はしない。子供の成長を見守るのは、どうにも楽しくて仕方がないのだった。

 

「ならば、もっと練習しなければな。そろそろ行こうかのう」

 

「はい! 竜姫さま! 今度は何処へ?」

 

「ふむ、そうじゃな――……」

 

 二人連れ立ち、草原を歩いて行く。活発に動き回るその子に中てられてか、竜姫の顔にも優しげな笑みが浮かんでいた。

 

 ――世界は回る。生命を重ね、代を重ね。

 紡がれるその歴史を、最高神 天宮 竜姫はいつまでも愛おしそうに見守る。

 愛おしい生命が生きるこの世界を、竜姫が愛さない理由はない。いつまで続くのかは分からずとも、それは“今”ではないのだから、変わらず見守り続けよう――と。

 

 竜姫に大切なものを学ばせてくれたある少年と、彼に寄り添ったある大妖怪が、心の底から愛したこの世界を。

 

 ずっと、ずっと――。

 

 

 

 

                 END




正しく、“もう一つの物語”
ではでは。
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