都市伝説少女   作:龍田乃々介

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第22話 韜晦薬事

「お姉さん、大丈夫ですか!? あたしの声聞こえますか!? お姉さん!」

 

 闇深まりゆく秋の暮夜、アーケードの白い照明の下で一人の女性が倒れた。

 裾の細い黒のワンピースを着て、開かれた首元から肩にかけてを白いレースのケープで覆っている。仰向けに助け起こすと彼女の長い黒髪がサラサラと地面に流れ、切り揃えられた白い前髪が天を向く。

 

 目の前で意識を失った彼女の胸に深衣(みい)は耳を当てる。

 心音がしない。

 

「カルテちゃん!! 救急車を呼んでくださいなのです!!」

「えっ、あ、うん……!」

「すみません! 誰か来てください! 女性が倒れました!」

 

 周囲の人間に声をかけると、少し距離を置いていた何人かの通行人たちが徐々に集まって来た。深衣はその中から最も早く手前に来たスポーツウェアの老爺にAEDを持ってくるよう依頼。改めて呼吸の有無を正確に確認してから、心臓マッサージを始める。

 

「手を重ねて、胸の真ん中、五センチ沈むように、一分で百二十回の速度で絶え間なく……なのです!」

 

 手際よく、リズムよく、女性の胸骨を押し込んでは離し、押し込んでは離しを繰り返す。

 なぜこの人は突然倒れたのだろう。持病か、あるいはこれもヤク教絡みか。どちらだったとしてもこのままではまずい。救急車が到着するまでは平均して約十分。パトロールの警官が駆けつけるのはもう少し早いかもしれないが、それまでは自分が助けなくては。

 アドレナリンで高速回転する深衣の思考。並行して数えていた胸骨圧迫の回数が三十回に到達する。

 女性の意識はまだ戻らない。呼吸も止まったまま。人工呼吸が必要だ。

 

 人工呼吸用のマウスピースを携帯していないことを反省しながら、優等生の少女は女性の額を抑え反対の手で顎を持ち上げる。

 唇と唇を合わせる。

 

 その直前で。

 違和感を覚えた。

 

 共感の呪い。周囲の人間の心の声を読み、その感情を深衣に写し取るもの。

 倒れた女性から何も読み取れないことは不自然ではない。

 不自然だったのは、読み取れる他の人間の感情。

 応急処置の現場をぐるりと囲むように直立し、輪の中の二人を無言で眺める人々。彼らの心中の声。

 

 

 ──いいなぁ。

 

 

 その声が、あ(・)り(・)え(・)な(・)い(・)も(・)の(・)ばかりなのだ。

 

 ──羨ましい。妬ましい。俺もあとでやってもらおうかな。

 ──この場に立ち会えた喜び、きっと永遠に忘れないわ……!

 ──うれしい。うれしい。きもちいい。きもちいい。きもちいい。

 ──楽しみ楽しみ楽しみ楽しみ楽しみ楽しみ楽しみ楽しみ

 

 仰向けの女性に近づけた口が、零れた呼吸分後退する。

 肌に触れる空気が途端に寒気を帯びて感じられる。

 顎が小さく震えだし、呪いで写し取られた感情すべてが恐怖で凍えていく。

 

 気づくはずのない彼女の正体を、呪われた少女が察知したその瞬間。

 女は瞼を剥いて深衣の目へ向く眼球を露にした。

 

 

「あら やめちゃうんですか?」

 

 

 短い悲鳴を上げて深衣は仰け反る。いつの間にか人の壁ができて、女と憐れな少女を取り囲んでいた。その足元まで飛びのき尻もちをつく深衣の前で、観衆から歩み出た一人の少女の手を借りて女は起き上がった。

 その少女の顔を深衣は知っている。

 それで状況を完全に理解する。

 

「リコ、ちゃん……! その人は……!」

「……あ、久しぶりー。ミーコ。紹介してあげるね」

 

 相島莉子(リコ)。深衣たちが取り戻すと誓った相手であり、薬物に溺れた今はヤク教に身を置いているという彼女。

 そんな彼女が手のひらを仰向けにして恭しく紹介するような者はひとりしかいなかった。

 すなわち、彼女たちヤク教が崇め奉る教祖。

 

「このお方はアタシたちの聖女。シスターラリファさま。

【ヤク教狂シスター】って言えば、さすがのアンタでもわかるっしょ?」

 

 聖女と呼ばれた女はただ優雅に微笑み、助け起こしたリコの手に綿あめのような繊維塊を残して手を離す。かつての友人はそれを嬉しそうに受け取ると、バッグから取り出したミネラルウォーターのペットボトルに詰め入れながら人垣に戻っていってしまった。

 

「あなた ミ(・)ー(・)コ(・)さん って言うんですか?」

「ひっ……!」

 

 声が出ない。ただ短く浅い呼吸をするのが精一杯。

 何かあったらクロユリさんを呼ぶ。そうしなくてはいけないと頭ではわかっているのに。目の前の存在に脳が発する危険信号は致命的な身体反応を引き起こしそれを阻害していた。

 

「大丈夫ですか? 起き上がれますか? さあ わたくしの手につかまって」

 

 目の前へ伸びてくる色白な手。陶芸品のようなその手を払い除けなくてはいけない。だが本能がそれに一瞬でも触れることを拒絶している。

 声が出ない。

 それでも「使える」のかは聞いていない。

 だからひたすら縋るように信じた。「使えて当然と思うこと」が大事なのだと。

 

 臨……兵……闘、者、皆陣裂在──

 陰陽術の初歩として学んだ九字護身法。右手で刀印を結び、すばやく九字を切る。

 

「前(ぜん)っ……!!」

「いたっ」

 

 瞬間、深衣の眼前に小さな格子模様の防壁が展開され。

 青白い稲妻を伴って迫り来る怪異の手を弾いた。

 呪文のほとんどは朗誦することができなかった、だが頭で念じるだけでも深衣は術を発動させることができた。

 こみ先輩に習っていてよかったのです……! 細(ささ)やかながらも対抗手段があることに深衣は奮い立つ。術の副効果なのか、勇気の発露か、体に力が巡るのを感じて自力で立ち上がろうとした。

 

 その少女の手足を背後の信者たちが取り押さえる。か細い腕がへし折られそうなほど強い力に、深衣はたまらず呻き声を漏らした。

 目の前でぱたぱたと手を払う怪異は不思議そうに呟く。

 

「静電気? いえ スタンガンでしょうか 最近物騒ですからねぇ 防犯グッズを持ち歩くのはよい心がけかと思います」

「ひっ……く、クロ……ゆ、り、さん……!」

「でも 使う相手を間違えていますよ だってわたくしは あなたさまに救(・)い(・)をもたらしにやってきたのだから!」

「は……っ、す、救い……?」

 

 共感の呪いを目の前の怪人に先鋭化させる。その心を読み取ろうとする。

 それをすぐに後悔した。

 浸蝕する彼女の思想に、いい子の呪いは強烈な頭痛という拒絶反応を起こす。

 薬物の聖女が両手を広げる。右の手には電子タバコのカートリッジ。反対の手には注射器が載っている。

 

「はい! 救いです!

 おクスリによる震えあがるような快感

 精神依存が招く強迫的な探求行動

 法も倫理も乗り越えてそれを手にしたいと願う健気で純粋で強くて美しい至高の感情すなわちぃ…… 愛(・)! 愛!! 唯一無二 究極絶対の 真(・)実(・)の(・)愛(・)!!!」

 

 甲高い異常者の叫び。虚(むな)しき現実に光を賛美する歌。

 きらきらと輝く女の瞳。映り込む深衣に怪物は奇妙な執着を抱いていた。

 

「ミーコさん 大きくて眩しくて温かで ああ キャンプファイアみたい…… けれどかわいそう 灰の前で嘆き咽いでいるようにも見えます 辛いでしょう? 苦しいでしょう? もう大丈夫

 わたくしの愛で いま 救ってあげますねぇ……?」 

 

 カートリッジのキャップを外し、ポンプを引いてリキッドを汲み取る。

 シスタードラッグの入った注射器を持って、異端異常の修道女が歩いて来る。

 腕、脚、肩を抑えられて深衣は身動きが取れない。もう一度声を出そうと口を開けると信者の煙臭い手が覆い被さってきた。依存性物質を含む薬物の残り香かもしれない。呼吸を堪える。助けが呼べない。何もできない。

 

 いい子の呪いを持つ自分が、違法薬物の快楽に溺れたらどうなってしまうのか。

 割れんばかりの痛みの向こう側を想像して。

 最期に、せめて。

 

 ──せめてカルテちゃんだけは、逃げてくれたら……!

 

 共感の呪いを人垣の向こうにいる彼女の心に集中させる。

 沸き立つ信者たちの騒音の先。

 オカルトオタクの少女が叫ぶ。

 

 

「やっときた!!!!!」

 

 

 刹那。黒い影が深衣の前を遮る。

 アーケードの天井を突き破って降下した彼女。セーラー服の大きな襟が翻り、スカートの裾はわずかにたわみ、その全てがたちまち長い残像に。

 注射器を持つ手を三叉槍の穂先で叩き飛ばし、目にも止まらぬ打撃で信者たちを深衣から引きはがすと、柄で彼らを押し飛ばして人の壁を崩し倒した。

 へたり込む少女の前、痺れる手を摩(さす)る薬物聖女と対峙するように黒セーラーの少女は立つ。

 タイルに槍の石突を突き立て、顎を小さく引いて視線だけ深衣に振り返って言った。

 

「よかった 今度は間に合った」

 

 標戸(しるべ)最強の退治人。怪談潰しの都市伝説。怪異を狩る怪異の少女。薬物聖女への特効薬にして、すべての恐怖の対抗神話(カウンター・ミス)。

【怪異退治のクロユリさん】。

 シスターラリファに死をもたらすべくやってきた。

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