「
「えっ、は、はぁっ!?」
エミを麻薬取締官に引き渡す前のこと。深衣たちは客間で一人ずつ簡単な取り調べを受けていた。
言葉の意味を取り違えて挙動不審になるカルテに対し、不愛想な取締官の女は氷色の眼鏡のズレを直して再び問う。
「ご友人かと思っていましたが。恋人でしたか」
「はああああぁ!? ちがっ、違うに決まってるんですけど!?」
「私は尋問が得意ではなく経験が浅いのですが、その反応は図星を突かれて取り乱しているように見えます」
「ご友人ですご友人! 友達! なんなら、ちょっと前までイジメられてましたからアタシ!」
「……いじめ、ですか」
レンズの向こうで取締官の目の色が変わる。いじめ、とは穏やかではない。後ろ暗い過去と呼べることだ。場合によっては深衣には詳しい調査が必要になってくる。
そんな空気を察知して、カルテは立ち上がりかけの姿勢から腰を下ろした。
「ずっと前の話ですよ。浄土寺さんも知ってるんじゃないですか? 深衣に掛けられた光線女の呪いのこと」
「こみっち……いえ、筆頭から聞き及んでいます。共感の呪い、いい子の呪縛、霊媒体質の三つでしたか」
「いい子の呪いを受ける前、一学期の間はいじめられてました。そん時のアイツは本当に、殺したくなるくらい最低の性格最悪クソ女でしたよ。人の物を盗んだり壊したり汚したり、貶めて嘲って殴って蹴って踏みにじって恥をかかせて惨めにさせて……。でもそれはもう昔の話。今のミーコは違います。自分をいじめてきた昔の仲間すら助けようとしちゃう、馬鹿みたいにいい子になっちゃいました。後ろめたいことなんてありません」
「……なるほど」
再び眼鏡のズレを正す浄土寺。その表情は硬いまま。カルテの答えに納得できていないようだった。彼女なりにその理由を分析し次の質問を、彼女なりの配慮と共に投げかける。
「これは今回の案件とは関係ないことですので、答えたくなければ答えなくて結構なのですが」
「はあ」
「
「……二人、の?」
深衣の母と深衣、という意味ではないことはさすがのカルテでも理解できた。
二人の冷杯深衣。すなわち、自分をいじめていた悪人である元のミーコと、呪いでいい子にされた今のミーコ。深衣本人は意識していない。カルテも、深衣の母も、周りの人間はその認識に甘んじて触れようとしていない。
だが浄土寺にはそこを汲み取れるような繊細さはない。至極客観的な意見としてそれを指摘する。
「呪われる前の冷杯さんと、呪われた今の冷杯さん。これは
大宅さん。あなたは以前の冷杯さんについてはいじめの主犯として恨んでいるのでしょう。では、全く同じ外見で中身だけ別人の今の冷杯さんについては? 肯定、否定。尊敬、軽蔑。友人、仇敵。どちらだと感じていますか?」
「は……? そん、なの……」
俯き、視界にはこげ茶色のテーブルだけが映る。畳の匂いが香る和室、カチカチという時計の音がいやに大きく感じられる。答えなくてはいけない。考えなくてはいけない。
──ちゃんと選ばなきゃダメよ。
昨夜の夢に見た深衣の声が聞こえたような気がして、首筋に冷たい汗が流れる。
「……困らせてしまったようですね。申し訳ありません」
「っ……浄土寺さん、あの」
「大宅さん。余計なお世話かもしれませんが、私から一つ伝えたいことがあります」
「……なんですか」
眼鏡を外し、眼鏡拭きでレンズを拭き始める浄土寺。
カルテの懊悩を察してか、彼女は自分の経験から言えることを言おうと言葉を練っていた。
その出力にしばし時間を要することをカルテは知っている。また昨日の薬物乱用防止教室の時のような突飛な言い方をしないだろうかとじれったく思いながら待つ。
やがて、口を開いた取締官は呆気なく告げた。
「今の冷杯さんを、よく見てあげてください」
「……はあ」
「…………」
「えっと、以上ですか?」
「……違法薬物の使用者を見た目で判別するのは、意外に思われるかもしれませんが非常に困難です」
「はあ」
結論だけ伝えても意図は伝わらない。浄土寺は一つ一つ思考の辿った順序をなぞりながら話す。
仕事のストレスに耐えかねて、ある日覚醒剤に手を染めた人がいたとする。最初は誰もそのことに気づかない。薬で活力が漲っていても何か良いことがあったのだろうと考え、あるいは禁断症状で塞ぎこんでいたとしても疲れが溜まっているのだろうと断じる。本人もそのように誤魔化す。
次第に薬に体が慣れてくると、同じ効果を得るために必要な使用量が増えていき、様々な副作用が発生。抑うつ感、倦怠感、不安感、焦燥感、頭痛、吐き気、悪心、せん妄、幻覚、被害妄想。
周囲もおかしいと思い始める。薬物の使用を疑い出す者も出てくる。けれど心のどこかでこう思う。「私の身近に薬物乱用者がいるはずがない。考えすぎだ」と。職場の同僚や学校のクラスメイト程度の付き合いでは尚のこと。
では、誰であればその変化に気づけるのか。誰がその乱用を、最初に止められるのか。
「一番は家族です。同居していればなおさら。一人暮らしでも、連絡が取れなくなったり仕送りをねだるようになったりして不審に感じることが増え、気づくことができます」
「はあ」
「二番目が、恋人。三番目が友人といったところです。家族の次に接触が多く、その分違和感を覚えやすい」
「それはそう、ですね」
「この順序はつまるところ、『どれだけその人をよく見ているか』という話になります」
綺麗に拭き終えた眼鏡を着け、浄土寺は静かに語る。
「優しかった息子が電話口に怒鳴るようになった、これはおかしいぞ。ツーリングが趣味だったのに疲れるからと行かなくなった、どうしてだろう。そういった過去と現在の比較によって気づきを得られるのは、その人をよく見てよく知っているから。
大宅さん。貴方は、以前の冷杯さんについては、皮肉なことかもしれませんが、よく見られていると感じます。ですが今の冷杯さんに限っては違う。どこか
「それは……」
答えに窮するカルテをわずかに張り詰めたような表情で真剣に見つめる浄土寺。
実際のところカルテが何を悩んでいるのか彼女はわかっていない。それでも、友人の変化に戸惑っている少女を見て感じた危うさを放っておくことができなかった。これまで逮捕してきた薬物使用者たちの周囲の人を思えば、それは見逃すことのできないサインだった。
ただ、伝えるべきを伝えたとて、答えが出るかどうかは別の話。
小さく嘆息して、取締官は席を立った。
「長話をしてしまい申し訳ありません。これからよく見て、ゆっくり考えてあげてください。あなたの大切なご友人のことを」
◇
そして。
「そんな心配せんでええで。早けりゃ明後日の朝には解放できるから」
「作戦が失敗したら、いつまで深衣は拘束されるんですか」
「おお……えらい信用なくしてもうたな。今度はウチらに加えて
「ミーコ……」
車の窓から青みがかった黒い瞳が覗く。運転手の警官が気を利かせて窓を開けると、深衣は礼を述べてから友人に伝えた。
「カルテちゃん。ヤク教の人たちに囲まれていたとき、リコちゃんを見たのです」
「リコ? ……いたんだ」
「シスターラリファにとても心酔していて、彼女に貰う薬が唯一自分の支えだと思っているようでした」
「……ミーコ、あのさ」
「絶対!」
車内から腕を出して、車の外のカルテに深衣は小指を差し出した。
「リコちゃんに伝えなくてはなりません。あなたの支えは、そんなもの以外にもあることを。あたしが、エミちゃんが、他のみんなが助けてくれるということを」
細く小さな小指。だが震えはなく、ぴたりと空中に留まっていた。
自分とは真逆だ。
カルテは膝が崩れるかと思った。心が折れそうだった。考えたくなかった。
──アタシを、優先してくれるんじゃなかったの? なんで、アタシから遠ざかっちゃうの? あんなやつらを助けるために……
胸に沸き起こるこの言葉も、その醜い嫉妬も、すべて共感の呪いで伝わってしまう。なのにいい子の呪いがあるから深衣がそれに染まることはない。受け取ってもらえない。挙句、霊媒体質の呪いがこうも住む世界を隔てる。深衣を奪って行ってしまう。
──どうして、こうなっちゃうのよ、アタシは……いつも……
「カルテちゃん!!」
張り飛ばすような叫び。鼓膜を打つ力強い呼びかけにカルテは顔を上げ、深衣を見た。
カラーコンタクトの黄色い瞳で怪しく微笑する深衣ではなく、丸く見開いた目に堅い意志を灯す深衣。呪いの光で別人に作り替えられた深衣が。
あの頃からは想像もできない慈愛の微笑みを投げかけてくる。
「ごめんなさいなのです。リコちゃんやエミちゃんとの因縁を晴らすことがカルテちゃんのためになると思い込んでいました。あとシスターの存在は危険なので、ついでに排除できた方がカルテちゃんが生きる世界が平和になっていいな、と」
「ミーコ、アンタ……」
「間違っていたかもしれません。本当にカルテちゃんのことを想うなら、あのときエミちゃんの手を払い除けて一緒に逃げるべきだったのかも」
「だったら、どうして……!」
「……たぶん、
「……は?」
いい加減腕が疲れただろうに、深衣は腕を伸ばしたまま。目を逸らすことなくカルテに向けて、胸の内を明かす。
「カルテちゃんと出会う前からずっと、あたしは人の心を想像できない人間でした。他の人はみんな人形のようで、誰かに言わされて何かをするだけのモノで、自分と同じ心あるヒトではない。そんな風にしか感じられなくて、それが嫌で、つらくて……カルテちゃんへのいじめは、そんな気持ちが歪んだ形で現れたものだったかもしれません」
車内の桃園は腕を組み、助手席の小路はシートに背を預け、運転席の警官はバックミラーで見守る。誰もがただ黙して彼女の告白を聞く。深衣の言葉に秘められた意志が、眩しくて尊い何かに繋がっていることを信じるかのように。
「でも、今は違うのです。
「……そんな、全然、気づかなかった……」
「えへへ。まあ、まだまだ未熟者で、結局ちゃんとカルテちゃんのためを想ってあげられていなかったわけなので……気づかなかったのも、そういうことなのでしょう。
……でも、ですよ?」
窓から身を乗り出して、瞳のもっと近くへと小指を持ってきて深衣は言う。
「これを間違いと断ずるのはまだ早いのです。リコちゃんエミちゃんを助けることは、シスターを倒すことは、きっとカルテちゃんのためになる。そう思ってもらえるはずです。
だって、
その過程が呪いであれ、変心を遂げた少女がそう言う。
人は変わる。カルテもきっと。
自分をいじめた二人を見捨てなくてよかったと言える日が、屈辱の過去と怨嗟の苦しみから解き放たれる日がきっと来る。
それを実現してみせる。突き立てられたその小指が明々と宣言していた。
強烈な光。胸を熱くする希望。かつての深衣にはありえなかったもの。
救い足り得るもの。
「わかったわよ……」
カルテは深衣の小指に、そっと右手の小指を絡めた。