都市伝説少女   作:龍田乃々介

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第26話 禁断の桃を捥り取り

 ヤク教にのめり込んでしまったリコを助けるため、自分にできることをする。警察で軟禁、もとい保護されることになった深衣(みい)にカルテは約束した。

 その後、浄土寺の車で家まで送ってもらい、疲れに抗えず早々に眠って翌日。習慣に沿って朝の支度をして、灰がかった雲に覆われた空の下学校に向かって歩き出した。

 

 駅で電車に乗り、座席に着いてスマートフォンをいじり、鈴山駅で降りる。バスの待機列を無視して住宅街の道へ進み、急こう配で続く坂を踏破して、気の滅入る長い階段を無心で登る。第二グラウンドとテニスコートの隙間を直進して、抜け道めいた木の階段を上って中庭へ、通り抜けて昇降口まで来た。あとは靴を履き替えて四階の教室までまた階段を上るだけ。

 

 その間、一度も喋ることがなかった。

 こんなに退屈だったっけ。教室の扉を開ける前、カルテはふと思った。

 開かれた引き戸の向こう、生徒が授業を受けるための空間には当然、なのです口調の優等生はいない。

 無言で自分の席に着き、スマートフォンでSNSを漁り、しばらくして顔を机に突っ伏せる。垂れかかる黒染めの髪の根本にはドイツ人の父譲りのブロンドヘアが伸びてきていた。

 目を閉じてぼんやりと考える。

 

 ──このまま放課後まで寝てても、誰にも怒られないんじゃない?

 

 瞼の裏の闇に光がちらついたように錯覚する。

 結局朝のショートホームルームで起こされるまで、カルテはまどろみの中だった。

 

 

 ◇

 

 

 二時間目の現代文が終わった後。移動教室へ移動する意味がわからなくなったカルテは鞄を取り、こっそりと学校を抜け出した。

 どこへ行くとも考えていなかったが、自然と足取りは駅へと向かい、乗り込んだ電車は金華市行き。乗り換えて、燦宮(さんみや)で降りる。

 あれからもうすぐ二ヶ月経つんだ、と漠然と思い返していた。

 

 九月初めの始業式、身も心も重いのを我慢して学校に行ったら、憎悪するいじめの主犯にいきなり庇われた。人の変わった彼女にいじめの対象が移り、呆気なく平和になった日々に苛立ちと不全感を募らせ。問いただしてみれば彼女は「償い」だの「みんなのいい子」だの言い出すので、「アタシに償うのが先でしょ」と怒鳴り飛ばした。

 それから、都市伝説怪異の実在を知り。人生破壊光線女と対峙し、S高の禁じられた七不思議を解き明かし、今はヤク教狂シスターとの戦いに巻き込まれている。

 

「……ここは」

 

 気づけばカルテは袂町(たもとまち)中華街に来ていた。目の前には昨日深衣と訪れた桃園の店、「■■中華タオシェンジン」の看板。

 人気のない狭い路地で、黄昏時とは違う曇天の薄暗さの中。チャイナドレスにお団子ヘアが特徴の小さな女性が店先で掃き掃除をしていた。

 

「あっ。オーヤケちゃーん! 昨日ぶり! どしたん? 学校お休み?」

 

 まるで幼女そのものな高く闊達な呼び声。カルテに気づいた桃園は手を振り、箒を持ったままトコトコと歩み寄ってきた。

 

「いえ……サボリです」

「あらま〜。オーヤケちゃんもヤンチャするんやね〜。でもこんな時間に学校行かんとここらへん歩いとったら、お巡りさんに怪しまれて補導されてまうんちゃう?」

「そう、ですね。なんか奇跡的に見つかりませんでした。……気になってたんですけど、桃園さんって外ではいつもそんな感じなんですか?」

「そんな感じって?」

「子どものフリっていうか、演技っていうか……」

 

 脳内でいい子の親友が容姿のコンプレックスに触れるのは云々と言い出すのを想起しつつも、恐る恐るカルテは尋ねた。訊かれた方の桃園は爛漫な笑顔のまましばし固まると、前髪の庇(ひさし)の下でぎらりと鋭い目つきをしつつ教えてくれた。

 

「あたしなりの処世術や。こんなちんちくりんのガキにしか見えん女が歳相応の口利いたりデカい態度取っとったりしたらバリ目立つやろ」

「まあ、それは確かに。でもそれで言うなら、見た目も言動も小学生の女の子が昼間からお店の前掃除してるのもだいぶ闇じゃないですか?」

「……たしかに」

 

 箒の柄を巻き込みながら腕を組み、「なんで今まで気づかんかったんやろ」小声で呟いた。それなり大人物らしいこの人でもそんな下手(ガバ)をやることがあるのかと、カルテはどこか不思議な気持ちになる。

 

「ほんじゃ、二人揃って補導されんよう、続きは店ん中で話そか」

「え」

「そろそろ昼時やしお腹空いとるやろ? 割引はできんけどサービスはしたるわ。ほらおいで」

「えっ、えぇ……」

 

 先に店内に入っていった桃園をわざわざ追いかけて断るのも忍びなく、渋々店に入り嫌々カウンター席に座る。明るく静かなホールに他の客はやはりおらず、店主の少女が直々に水とおしぼりを持ってきた。

 

「今日はあの三人いないんですか? えっと……松岡、竹下、梅子、でしたっけ」

「ああ、松竹梅な。あれでも一応大学生やから、昼時は講義に出とるんやろ」

 

 もしくはパチスロ、と桃園はつけ足す。ギャンブル依存症の一歩手前なのだそうだ。

「注文は?」桃園に問われてカルテはメニュー表を開く。席に着いてしまった以上何も頼まないわけにもいかない。だが昨日食べた辛味炒めの味を思うと何を食べたいとも思えないし、ここは杜仲茶で茶を濁すか……そう考えていたカルテはしかし、一つの発見に行き当たった。

 昨日はどれも読めないと思っていたメニュー表に、自分でも読める漢字の料理があることに気がついたのだ。

 わからなければ聞けばいい。あの時の親友の振る舞いに倣って店主の少女に訊いてみた。

 

「この、なんとかかんとか炒飯(チャーハン)っていうのはどういう料理なんですか?」

「ん? おお、五穀茶仙炒飯(ウーグゥーチャーシェンチャオファン)か。五種類の穀物と茶葉を使ったチャーハンや。米、麦、粟、黍(きび)、豆で五穀。茶葉は烏龍茶を軸にオリジナルブレンド。どうする?」

「……それで」

 

 どうせ他にわかるメニューもない。オリジナルブレンドという文言に不安を感じずにはいられなかったが注文を決定する。

「あと杜仲茶も」口直し用にと念のため追加。承った料理人桃園は元気よく内容を復唱しながらバックヤードに向かい、コックコートに着替えて厨房に立った。

 

 

 数分後。カルテの前に料理が到着。

 いただきますを言ってからレンゲを取り、強烈な香気を放つチャーハンを一口、二口……ゆっくり休み休み口に運んでいった。

 

「どう? 味の方は」

「…………とても体に良い味がしますです」

「お友達の丸パクリやんか」

「食の戦国時代って感じです」

「不味いんやったら不味いて言うてええからな。料理人として、あたしには正直な感想を受け止める義務がある」

「まずいです。五穀っていうか五胡十六国っていうか。素材の乱戦乱闘が喉の奥まで続いて味覚を掻き乱される感じがします」

「なっはっはっはっは!!」

 

 習ったばかりの知識を絡めて独特な辛口レビューをするカルテに、桃園は豪快に笑って返した。傷つくどころかどこか懐かしむような表情で、目元に浮いた涙を指で拭う。

 

「やっぱりか。せやなぁ。それを美味い言うて食べとったんは過去に一人しかおらんからなぁ」

「え。いたんですか、これに適応した舌を持つ人類が」

「おう。高校時代にな。あたしの、親友やった奴が……」

 

 カウンターの向こう、足場に乗ってカルテを見下ろす桃園は遠い目をしていた。どう見ても幼女の桃園から「高校時代」というワードが飛び出す奇妙さに気を取られつつも、味覚の神経を休ませるためカルテは話を広げることにする。

 

「親友だ(・)っ(・)た(・)って、なにかあったんですか?」

「……ま、隠すようなことでもなし、むしろ学んでもらう方がためになるってもんか」

「?」

「告られたんよ。ずっと前から好きでしたってな」

「……え、ええっ!? ま、まさか……昔は親友、今は旦那、みたいな話ですか?」

「いや。そいつ女。女友達やった」

「じゃあ……妻、ですか!?」

「はっは……最近の子はやっぱ理解があるもんなんやなぁ」

 

 でも違う、と桃園は首を振る。

 その女友達の告白を彼女は断った。

 いや、「拒絶した」と言った方が適切であり、本人はそれ以上に酷薄な行いだったと顧みる。

 

 実家でもあるこのタオシェンジンの裏手で、壁を背に追い詰められ。桃園のまたぐらに膝を突き入れ腕を抑えつけ覆い被さるように迫って来た、親(・)友(・)。

「愛を、もう止められないんです!」

 御馳走を前にした獣のように開いた瞳孔。徐々に拘束を強めていく脚と腕。穏やかな性格とは言えなかった高校時代の桃園は、今では許されないような言葉で彼女を退けた。

 

 

「なんやねんそれ、気色悪い……。お前、病気(ビョーキ)やろそれ」

 

 

 以来、かつて親友だったその女とは一度も会うことができず。

 話すことも、詫びることも、償うこともできないまま。

 つい先日、彼女の訃報を桃園は受け取った。

 

「あん時の正直な気持ちやった。今まであたしの飯を美味い美味いって言ってくれたんは、あたしに気に入られたかったからなんか。嘘やったんか。裏切ったんか。そう思ったら頭ん中が真っ赤になって……言い過ぎた」

「……まあ、言い過ぎ、ですよね」

「言わんでくれたらよかったのにな。告白なんてせんでくれたら。そしたらずっと、一緒におれたかもしれんのに」

「それは……どう、なんでしょうね……」

 

 店内に静寂が訪れる。居たたまれない空気の中、気まずさを紛らすように炒飯を口に運んだ。麻痺していてもいいはずなのに、味覚はしっかりと炒飯の苦みと臭みを感じ取る。必死に顔に出ないよう堪えて俯せるカルテ。そこにくすくすと笑う声が頭上から聞こえる。

 あの豪快な哄笑ではなく、控えめで清楚な失笑。そして。

 慈母のようなまなざしを浮かべ、カウンターの上に組んだ腕に埋もれるような桃園が儚げに呟いた。

 

 

「どっちがよかったんやろなぁ。我慢せず言うて終わってまうんと、言わずに苦しみながら幸せでおるんと……」

 

 

 ◇

 

 

「あの、ほんとに申し訳ないんで、勘弁していただけると……」

「遠慮すな。育ち盛りやろ」

「あれ、あの、お弁当! ママに作ってもらったのがあって……なので……」

「嘘やな。ほら持ってき! 嫌なら誰かに食べさすんでもええわ!」

「…………はい」

 

 会計を終え、退店しようとしたところでカルテはパックの入ったビニール袋を渡された。しばらく中華街を歩いて長安門を出てから中を確認する。ブツの正体は昨日も食べた「桃園饅頭」。舌に絡み、喉を焼き、胃に渦巻いて薬味を燻らせる爆弾。劇物。思い出すだけで頭痛がしてくる味覚の新体験。大きくため息をつき歩き出す。

 

 桃園の昔話。親友からの突然の告白。その悲しき結末。むせ返りそうな後味と共に記憶を反芻してカルテは考える。

 きっとその親友は自分なりに考えた結果、どうしても伝えたくて伝えたのだろう。けど何を間違えたのか、惨い結果に終わった。「どっちがよかったのか」という話ならそれは、言わなければよかったのかもしれない。

 けれど。

 

 ──ちゃんと選ばなきゃダメよ。

 

 誰の言葉だったか、いつ言われたのだったか、時が経つにつれ曖昧になりもう思い出せない。けれどその焦燥感だけが脳にこびりついていた。

 

 言わなければ、選ばなければ、桃園とその親友は幸せでいられた?

 

 ぐるぐると思考が巡り、喉を昇る臭気で視界もぐるぐると回り始める。

 これはやばい。身の危険を感じたカルテはすぐ近くで休めそうなところをと考えて、すぐ思い浮かんだその場所へとやってきた。

 積まれた資材を囲むフェンス。エレベーター前の電灯だけが照らす仄暗いスペース。怪異退治の少女と光に呪われた少女が待ち合わせをしてきたその場所。

 今の状況がカルテにとって窮地ではないのか、それとも単純に留守なのか、物置の主の姿は見えなかった。ぜえはあと息を切らしながら、裏返しになったコンテナボックスの上に腰を下ろす。この体調不良、どうしてくれよう。めまいに襲われ朦朧としてくる思考。ふと見下ろした膝の上には、見た目だけは桃のようでかわいらしいあの饅頭。

 

「……気つけには、なるか……?」

 

 震える指で恐る恐る、輪ゴムを外してパックを開く。

 生地に包まれてなお漏れ出す強烈な薬臭。

 狩り取られそうになる意識は、しかし、追い詰められることで初めて開く救いの道を知覚することに成功した。

 

 彼女は、にっこりと不気味な笑みを浮かべて助言する。

 

 

「それ 食べない方がいいと思うよ」

「あ……クロユリさん……、たす、けて……」

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