「薬も過ぎれば毒になる ってやつだね」
「……はい……?」
「今のきみの健康状態」
額にぺたりと無から取得した冷感シートを貼り付けるクロユリさん。怪異ではないカルテのことは権能では理解できないが、本人からの説明と見たままの様子からわかることもある。
「きみ 普段は夜遅くまで起きてるでしょ 一時とか二時とか」
「そんなことないです。……二時まで起きてるのは稀です」
「昨日の夕ご飯に薬膳 夜はぐっすり寝て 今日の昼も薬膳 急に健康になった肉体に
「……なるほど」
そんなことがあっていいのか、人体。カルテは理不尽を感じつつも、物置スペースの主の言に従いここで休んでいくことにした。
クロユリさんは昨夜の
そうして話を聞いて幾分落ち着いてくると、「良いアイデア」も浮かんできた。
「そだ、クロユリさん。よかったらこの饅頭いりませんか? 場所代ってことで」
「え? わたし食べなくても平気だから 何か食べると食材がもったいなくなったことになるよ」
「いいんです。もらってください。ぜひ」
「……わかった ありがとう」
やや訝りながらも黒セーラーの少女は饅頭を一つ受け取ると、一口齧って頬張った。
「ど、どうですか……?」
「んー 怪異に味覚って基本ないからさ」
「おお。じゃあ」
「わたしも味なんてわからないと思ってたんだよね これを食べるまでは」
「……つまり?」
「ふふふ 泣きそう」
影が詰まったような口をぐにゃぐにゃと歪ませて微笑むクロユリさん。目元はぴくぴくと痙攣していた。さすがに申し訳なくなってカルテは謝ろうとしたが、怪異少女はそれを制止すると何故か二口目を齧る。
三口、四口、五口、そして最後の欠片を口に放って、もぐもぐとしっかり咀嚼して味わった。
「あの、アタシが言うのもアレですけど、無理して食べなくてもよかったんですよ……?」
「え? いやいや 素晴らしい体験だったよ」
「美味しいとは言わないんですね」
「うん わたしはただ単に こんなゲテモノがこの世に誕生を許されたことに救われてる」
「特殊な視点すぎる……」
「もう一個貰ってもいい?」
「もちろんですありがとうございます」
二つ目の饅頭も怪異少女に渡す。今度はたったの三口で完食したが、その顔はヤク教狂シスターを取り逃したときよりずっと険しそうな皺を刻んでいた。
「ふふふ ふふふふふふふふ ふ ふふふふふふふふふふふふふふふふ」
「こ、怖い……」
壊れたように笑うだけになってしまった怪異退治の都市伝説怪異を見てカルテは、桃園の料理の威力のほどを思い知る。
そしてこう考えた。「あの人の料理を美味しいって言ってのけるの、嘘でも無理なんじゃない?」と。
だとすれば桃園の親友とやらは、特殊な進化を遂げた舌の持ち主だったに違いない。だから心から桃園に「美味しい」と言えた。そこに下心は……あったかもしれないが、すべてではなかったはず。
桃園はこの世でただ一人かもしれない彼女の真の客を、失ってしまった。
その親友本人による「あなたが好き」という告白の一つで。
その事実をどう受け取るべきか。どう見ればいいのか。
それは、ずっと胸に蟠っている不明な感情に閃きを与えてくれる。そんな気がする。
奇妙な予感に駆り立てられ、カルテは思案の沼に沈んでいく。
懊悩する少女。見下ろす怪異少女はそれを悟って、気さくな調子で声を掛けた。
「どしたん? 話聞こっか?」
「うっ……! そ、そんなセリフどこで覚えてきたんですか!?」
「資料だよ 陰陽師の人が『ヤク教狂シスター絡みの情報をまとめたので読んでおいてください』って 使い方合ってる?」
「合っ……てますけど、あなたが言うセリフとしては異物すぎるっていうか……」
「そっか で 話したいことは? 悩んでるんでしょ? 力になるよ」
「…………えっとですね」
人間ではない彼女に相談して伝わるのだろうか。不安に思いながらもカルテは話した。訥々と、直近の桃園の話から、ずっと抱えている焦燥感、「選ばなくちゃダメ」という言葉のこと。それを想起した浄土寺との会話、過去と現在のミーコのこと、「今の冷杯さんをよく見てあげて」というアドバイス。つい最近か、あるいはもっと前からかもしれない、深衣が何人も出てくる夢のこと。
思いついたところから思いつく限り、悩みに繋がることは全て打ち明けてみた。
するとクロユリさんはこんなことを言った。
「わお 恋バナってやつだね」
突拍子もないセリフ。硬直し、停止し、再起動したカルテが発した第一声は「は?」だった。
「違うの? わたしには恋愛の話に聞こえたけど」
「いやいや。いやいやいやいやいやいや。違います。全然。全然違います」
「そうかなあ ちゃんと整理したらそういう話にしか思えない気がするよ」
「ないです。ないない。ありえませんって。アタシが? 恋? 恋愛? はあああ??」
手をブンブンと振って全力の否定を表す。生粋のオカルトオタクの自分が、顔がちょっと良いせいで勘違いして陽キャの世界に排斥された陰キャの自分が、小説か漫画かアニメかドラマか映画か何かのように誰かを愛するなんてことが、あるはずがないと。
必死に否定する。
必死に。
全力で。
あるはずがない。
「カルテちゃん 顔赤いよ」
そんな否定はもはや、単なる肯定にすぎない。
「…………へ?」
燃えるように熱い頭から、情けない乙女の音色が零れた。
それを見つめる怪異少女。コンテナの椅子から見上げるカルテの目に映った彼女は、喜色満面も張り裂けんほど。ねっとりとした邪悪な笑みだ。
「ピュアなんだね ああ 眩しいなあ」
「ちょ……っと、黙ってもらっていいですか……」
「その前に深呼吸して 落ち着かないと 動悸と息切れがつらいでしょ」
「わかったんで、すぅーーーーー、はぁーーーーー、黙ってくださいお願いします」
「はーい ふふふふふっ」
ニタニタといやらしく笑う怪異の前で少女は平静を取り戻さんと深呼吸を繰り返す。吸って、吐いて、吸って、吐いて、繰り返し繰り返し、落ち着きを求めて吸気と排気のループを続ける。
心臓の鼓動が拍を落とし、肩の上下が幅を狭めてきたころ。
怪異少女は語り出した。
「恋愛かどうかは きみ自身で整理して決めたらいいよ それが大事だと思う
それで わたしから言えることだけど わたしが怪異退治をする合間に見てきた修羅場と破局に満ちた恋愛から学んだことを言わせてもらうなら……」
そんなものは聞きたくないと言おうとしたが、詰まらず言うのにまだ一呼吸分足りないと感じ、カルテは黙して聞いた。
いわく、彼女から教えられることは、たった一つ。
「愛は
「間違うもの……?」カルテの鸚鵡返しにクロユリさんは頷く。その説明に彼女は、とんでもない相手を引き合いに出した。
「例えば ヤク教狂シスター 彼女はこう言ってたよね 『自分が増やしてるのは依存症者 愛に目覚めた人』『愛を広めるのが自分の目的 愛に満ちた世界を創るために自分はいる』って」
「う……そういえば叫んでました、そんな感じのことを、クロユリさんが来る前も」
──法も倫理も乗り越えてそれを手にしたいと願う健気で純粋で強くて美しい至高の感情!
──すなわち 愛! 愛!! 唯一無二 究極絶対の 真実の愛!!!
いつのまにか蓋をしていた記憶の釜から理解不能な怪異の主張が浮上してきた。
それをして「愛は間違うもの」と言われてしまうと納得しかないような気になってくる。取り上げた本人もそう思ったのか、「あれは極端な例だけどね」と断りを述べてから続けた。
「誰かを愛することについて 『正しい』ことなんて滅多にない ううん ないと断言してもいい
嫉妬 浮気 横恋慕 略奪愛 近親 生徒 人妻 義きょうだい 誘拐 監禁 催眠 洗脳 独占欲 支配欲 嗜虐欲 被虐欲 性欲……おっと まあつまるところ 人間が理想とした正しさに照らせば 清廉潔白な愛なんてこの世界には存在し得ないんだよ」
誰かが誰かを愛することを尊ぶ道徳を持ちながら、推しの配信者の裏アカウントから彼氏の存在が発覚したとき、絶望の果てに薬物に手を出した者がいた。
身分違いの恋を障害が多いほど燃えると美化する文化がありながら、同じ性別の相手に性愛を抱くことを病気として扱う時代があった。
そして彼女が語るところでは。
「本当の愛」を雨後の筍のように芽生えさせては手を出して皮膚を切られる男女があった。
「真実の愛」と嘯きながらこじらせた理想に片恋をして、成就したあとになってソレはゴミだったと吐き捨てる男女があった。
「正しい愛」と信じているのにそれを友人や親に明かせない男女があった。
愛は間違うもの。正しくないこと。
誰かを愛することは、必ずどこかに間違いを孕む。
けれど。
怪異少女はそれを、呪うために言ったのではない。
クロユリさんは心からそれを、祝福してほしかった。
「カルテちゃん あなたも
どこか切実で、祈るような声で。
瞠目する少女にクロユリさんは言ったのだった。