都市伝説少女   作:龍田乃々介

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第30話 麻薬無尽・人外逃亡

「ぐぶっ…… あぁ きれ い……」

 

 重度の火傷を負いながらも、女の頭は無事に残っていた。大麻リキッドを被った服は所々焼け落ち穴が開いているが、全体として見たときの修道服らしさ(アイデンティティ)は健在。

 爆発の圧力で内臓が破裂し左足が吹き飛んだため、墜落していく彼女の視界には天に昇る自らの血液が見えていた。夜空に浮かぶ大きなわたあめ。白くてやさしい覚醒剤(あい)の雲。山風に逆らう不可思議な気流がそれをどこかに運んで行ってしまう。彼女を紐解いてできた赤い糸が抜け出して、天国へ向かう甘美な船を追う。その景色に恍惚としていると。

 

「いたっ いたっ うう~~」

 

 墜落していく彼女の体を、執拗に鋭い何かがぶつかって来て弾ける。負傷と幻覚で朧な彼女の脳裏に浮かんだ一つの可能性、おそらくは地上にいたとき何度も狙ってきた獣骨の狙撃手。直感で危険だと思っていたその攻撃は、しかし特に威力があるわけでもなく、せいぜい落ちる地点が港の方へズレていくだけだった。

 

 女は理解していた。自分はこの高さから落ちても何故か死なない。理由はきっと真実の愛(クスリ)が力を与えてくれているから。あの槍を持った黒セーラーの少女に襲われたときもそうだった。バールでかち上げられたあと、どこかのビルの屋上で目が覚めたとき体はまったくの無事だった。

 だから今度も大丈夫。幻想的な夜空を眺めながら落下を甘受し。

 

 ついに、すべての位置エネルギーが肉体への衝撃に変わる。

 グシャンッ!

 タイルにひびを走らせ、体液と肉片が放射状に飛び散った。

 

 墜落地点は西に港庫(こうご)タワー、東に入江、南に埠頭と海を臨む湾岸レジャー地区。ライトアップされた標戸(しるべ)海洋博物館の明かりを受けるエリアンパークの中央。そこで虫の息の女はしばし意識を失う。溝を流れる彼女の血が地を這う蟻を呑み込み、薬物中毒で死なせるまでのわずかの間。

 

 夜の標戸に少女は黒髪をたなびかせ。

 無音の全力疾走と跳躍で博物館の白いフレーム屋根を登り。

 正確無比に槍を放つ。

 

 弱っていた女が目を覚ます。

 まず目に飛び込んできたのは、自分目掛けて飛んでくる三叉槍の穂先だった。

 

「? きゃあああああああああああ!!」

 

 間一髪避けたそれが先ほどまで寝ていた場所にぐっさり刺さっているのを見て、女は悲鳴を上げる。

 実のところそれは女が避けたというよりは、正確すぎた投擲が計算外の女のよろめきによって外れてしまったという方が適当だったが。槍の持ち主である退治人は張り出したフレーム屋根の頂点から女を見下ろして残念そうに呟く。

 

「悪運が強いね こんなところまで流されたうえ わたしが来た途端起きるなんて」

 

 とん、と小さく踏み出して黒セーラーの少女は地に降り立つ。尻もちをついて腰を抜かしている女に向けて歩きながら、その状態をじっくり観察する。

 肉体の損傷は顔と服の下の体に火傷が少々。現在標戸で最も恐怖を集める存在だけあって回復が速く、見る間に傷が癒えていく。だが再生に伴ってそれまで服用していた薬の効果はリセットされているようだった。

 今なら速攻で処理できるかもしれない。

 

 ゴム手袋を両手に纏い、儀礼剣を背中から取り出して斬りかかった。

 

「きゃあっ! もう 再会の挨拶もないんですか? クロユリさん」

「……それ アリなんだ」

 

 退治人の振り下ろしを女は受け止めた。

 両手で力強く握った、虹色に飾り立てられた槍の柄で。

 

 今しがた退治人が撃った槍はまだ地面に深く埋まっている。女が持つ槍は間違いなく、昨日の戦いでクロユリさんがシスターラリファに奪われ、いつの間にか消え去っていたもの。

 女は……都市伝説怪異【ヤク教狂シスター】は。槍を新たな薬物として自分の権能の内に取得していた。

 ぎりぎりと削られるLSDテープの粉を、ラリファは顔を寄せて舌の上で受け取る。

 

「もっひゃいないれすぅ んぅ っあはっ クロユリさぁん……」

「それっ」

 

 幻覚剤を味わうシスターを無視してクロユリさんは剣を振るう。切るというよりは重さで叩くというのがふさわしい鈍(なまくら)の儀礼剣。それをシスターは的確に受け止めていく。右、左、足元、突き。先が見えているかのように防がれる。

 

 ──何の権能?

 疑問を浮かべると退治人の権能が脳内に答えを滑り込ませる。

 

 数か月にわたるヤク教騒動、いつまでも首魁であるシスターが捕まらないことから噂されるようになり認められた能力。

 権能『人外逃亡』。

 神がかりの直感で身の危険を察知し人間離れした身体能力で回避。逃走を成功に導く力。

 シスターはそれをどこに攻撃が来るのかの予知と対処に使っていた。

 

「はあ 全盛期の都市伝説怪異は厄介だなあ」

「うふふっ あははっ! 大丈夫ですか!? そんなに夜の埃を浴びたら スキマになってしまいますよぉ!?」

「何の話? まあいいや

 

 それで殺せなくなるわけでもなし」

 

 攻勢を強める退治人。増していく秒間斬撃の数と威力。薬槍の破片でドーピングしてきたシスターは難なく受け止めていたが。

 

 一撃、右足の甲に入る。

 

 ありえない速度、ありえない射程。

 剣で突けるはずがないその場所を打ったのは、三(・)叉(・)槍(・)の石突。

 違和感を覚えた聖女の頬を棍(・)棒(・)が撃ち飛ばす。数多の怪異を討ち祓ってきたお札塗れの木製バット。理解が追い付かない彼女が危機感のまま防いだのは、ただの空振り。神(・)楽(・)鈴(・)。シャンと振り鳴らされたその音が鋭敏化した聴覚に苦痛を与える。痛みに細めた目を上から抉りこむ攻撃は、ゴム手袋に覆われた鉄(・)拳(・)。

 

 剣、長槍、バット、鈴、拳……バール、スタンガン、傘、蹴り、注連縄に琵琶。

 射程も幅も性質も違う武器を流れるように切り替えながら退治人は攻め立ててくる。

 変幻自在、千変万化のその攻撃を、頭への直撃だけはかろうじて防ぐシスター。しかし修道服のようなワンピースやケープには次第に損傷を増やしていった。

 

「あ そっか ここは人払いが済んでるから きみの服を切り刻んで裸に剥いて殺すのでも大丈夫なんだっけ」

「があっ…… はぁ……っ ぇえ?」

 

 斬撃、打撃、刺突、噪音、遮蔽、電撃、捕縛。権能『人外逃亡』は確かにそれらを感知してシスターに知らせている。その「全て」を零すことなく訴えてくる。

 それはとうに、彼女の身体能力で対応できる域を超えていた。

 鳴りっぱなしの本能警報へ狂いきった攻撃リズム。槍一本でどういなせばいいのか、思考が全く追い付かない。

 スカートを切られ、顔面を打たれ、腹への刺突は躱せた、伸びてくるスタンガンの手を避けると縄で足を取られて転けて、右肩が切られ、左肩も切られ、蹴り上げて飛び起きた瞬間の背中に蹴りを入れられ吹き飛ぶ。そのまま全力で逃げようと背を向け走り出すと鈴の音が轟き脳を揺らして、左腿と脇腹に鋭い痛み、眼下に初見の武器。夜闇に溶ける黒曜石のナイフを見つける。

 

「あ なた…… なんですか なんなの こんなのって!!」

 

 ──わたくしは ただあなたさまに愛を…… 愛をぉ……っ!!

 心が乱れ涙が湧き出し、振り返ってきつく睨みつけると。

 暗黒の瞳をした怪異少女は悪意に満ちた笑みをニタニタと浮かべていた。

 

 

「それが最期の言葉でいいの?」

 

 

 その手には怪異を討ち滅ぼすための武器が握られている。

 彼女のトレードマークでもある三叉槍が右手に。

 

 そして、左(・)手(・)に(・)も(・)。

 

 

 槍(・)を(・)両(・)手(・)に(・)持(・)っ(・)て(・)い(・)た(・)。

 

 

「は…… あ……?」

 

 少し考えればわかることだが、そんな余裕すらなかった。

 最初の投擲はまだ地面に刺さっている。昨日の槍はシスターが持っている。

 先ほどまで振るわれていたのは「三本目の槍」であり、左手にあるのは「四本目の槍」。

 権能『退治道具』に同(・)時(・)使(・)用(・)数(・)の(・)制(・)限(・)は(・)な(・)い(・)。必要とあれば百本でも二百本でも取り出すことができる。頭上に呼び出して降り注がせることさえ可能。

 

 都市伝説怪異【怪異退治のクロユリさん】

 それは怪異にとって、待ち受ける終焉の権化にほかならない。

 

 陰陽師による人払いが済まされたこのエリアンパークに落とされたその時から、巻き添えを気にせず全力を出せる環境が整ったその時から。勝ち目などなくなっていたのだ。

 

「言いたいことがあるなら 聞くよ シスターラリファ

 わたしにはそ(・)れ(・)を(・)聞(・)く(・)権(・)利(・)がある」

「わたくし は ……わたくしは まだ」

 

 シスターの視界が歪む。幻覚剤の作用と、涙腺から溢れる水によって。這いつくばって見る地面が潮に浸されたように揺蕩って、反射した夜空の星たちが彼女の思い出を再生してゆく。

 シスターラリファとして生きてきたこれまでのこと。出会った人。味わった快楽。語った理想。夢見た世界。それがすべて。

 すべて、愛おしい。

 すべてが狂おしい。

 すべて諦め得ない。

 すべて味わいたい。

 もう一度。もっと。ずっと。ずっといつまでも。

 

 薬(あい)を。

 もっと。

 

 

 もっと愛(クスリ)を!

 

 

「んごっ んんっ んぅ っんうん っぐぷ っん は」

「別に言いたいことがないならこのまま殺すけど

 ……!」

 

 権利に拘泥した。それは明確な隙だった。

 その瞬間、退治人は目の前の怪異が何をしているのか、考えることをやめていた。

 

「そ(・)れ(・)は困る」

 

 気づくと同時に槍を二連続で投擲。右手の槍は頭を貫き、左手の槍は修道服の中心をシスターの腹ごと切り飛ばす、はずだった。

 

「あははははははははははっ!?」

 

 瀕死だった聖女はしかし、驚異的な反射速度で槍を受けた。

 三つ又の穂先に自分の薬槍の柄を引っ掛け、クロユリさんの投擲威力を利用してパークの端まで吹っ飛んで逃げる。

 駆け出して追いながら黒曜石のナイフを投擲する退治人。それが刺さるのをもろともせずにシスターは背を向けて海へと走り出し。

 

 壊れかけの槍の穂先を地面に突き立てると。

 

 柄の反発力を限界まで利用して跳躍し。

 

 

 海上にやってきていたフィッシングボートの上へと落下した。

 

 

「あちゃー」

 

 苦い表情を浮かべながら退治人は桃の弓を取り出して葦の矢を番える。

 しかし構えている間にボートは発進し、沖へと逃げて行ってしまった。

 

 

 後に陰陽師の少女と合流した怪異少女はこう語った。

 疑似人格に敗北を認めさせたと思ったあのとき、シスターはさらなるドーピングで身体能力を引き上げていた。

 口の中にタバコや煙玉を出現させたのと同じ要領で気づかれないように、覚醒剤かエフェドリンか、身体強化に役立つ薬を飲めるだけ飲み、一瞬の逃走に必要なだけの瞬発力を得ていたのだ。

 そして怪異理解で知り得た情報。ネット上では語られているものの、陰陽師の調査部門が取りこぼした噂。シスタードラッグの効果の一つ。ドラッグパーティー後のガサ入れが失敗した理由。

 

 シスタードラッグが引き起こす特殊な聴覚変容は、シスターの声を精神感応(テレパシー)で受け取ることができるようになる。

 

 人払いの呪詛で一般人の侵入を阻んでいたのは湾岸地区の地(・)上(・)の(・)み(・)。

 ヤク教の残党か、あるいはその時クスリをやっていただけの乱用者か。シスターのSOSを受け取った何者かは船で海上にやって来て、見事に彼らの聖女を救出してしまったのだった。

 

「クッソ……ウチがおったら擬河伯で引き戻せた……! ああーもう! もおおおおー!!」

 

 白み始める水平線に白髪の少女は叫んだ。

 ヤク教の拠点は判明している三つすべてを抑え、ヤク教メンバーは幹部全員を含む十四名を逮捕。

 しかし、早期決着とシスター逮捕を主眼とした夜のガサ入れは当然、昼にしかいない信徒については取りこぼしてしまう。加入が証言されている女子高生「リコ」は逮捕者の中にいなかった。ヤク教はまたも生き延びた。

 

 

 陰陽師と怪異少女の退治作戦は、失敗に終わった。

 

 

 

 

 その数十分後。

 小路(こみち)のスマートフォンに、カルテからメッセージが届いた。

[先輩。今すぐ会って話したいことがあります]

 続くトピックに、失意の底にあった彼女の眼の色が変わる。

 

 

 

 

[薬害聖女の倒し方について]

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