十月三十一日、金曜日の朝。
車を止め下りてきたのは、
「おはよカルっち。桃園さんも?」
「場所を借りたかったので先に許可を貰って、ついでに送ってもらっちゃいました」
「あたしも聞いてええかな? 『怪異』の倒し方」
「カルっちぃ……」
「言っときますけど桃園さんほとんど知ってましたからね。ネットの都市伝説と、街の噂と、あと商店街でシスターと戦った後の会話聞かれたので」
「実感としてはようわからんままやけどな。とりあえず、逮捕して司法で裁くとかいう相手やないってことはわかった。お嬢ちゃんらの組織がその代わりをやっとるってのも」
「……会議室取っとるんで、続きはそっちでお願いします」
溜息を吐きながら中に入る小路。疲れ切った彼女の後ろに薄っすら汗の匂いがする浄土寺が続き、カルテと桃園も続いた。
会議室に入り、遮光ブラインドを閉じて防音の結界を張ったあと。
二人の陰陽師はオカルトオタクの少女が考えた作戦の説明を受けた。ホワイトボードにペンで下手な図を描いて、一つ一つ組み立てられていく理論。
それは仮説に仮説を重ねる頼りないものだった。実現可能性は彼女たちの常識ではゼロに等しいものだった。
しかし、語る本人の目に溢れる自信が、二人の心を動かした。
「筆頭。私は
「こら。簡単に賛成したらアカンやろ立場上」
「ですが彼女の作戦は安全な中止段階も設けられていますし、これ以上の人的被害も出ません。何より、総力戦で敗北を喫した私たちには対案がない」
「ぐうっ……」
「負けたとは聞いてましたけど、そういえばなんで負けたんですか?」
「大宅さん、それは」
「アオちゃん。ウチから言う。……ウチのミスや。必殺の術が破られて、そのせいで発生したヤクの雲を
「…………」
冷ややかな目から「この人いつも失敗してない?」と言われた気がして、いよいよ立つ瀬を失った小路はカルテの作戦を採択することに決めた。
ただし、一つ条件があると告げる。それは重要な確認を伴うこと。その作戦の成功が同時に意味する、二人の約束の棄却について。
「もしカルテちゃんの計画通りになったら、みーちゃんには
正面から向き合うカルテは、小路の目をしっかりと見据えながら。
目を細めて笑った。
◇
朝陽が差し込む庁舎の中を歩き、仮眠室へとやってきたカルテたち。
コンコンとノックをして、中から聞きなれた優等生が返事をするのを待ってからスライドドアを引く。寝る以外のことを想定されていない狭い部屋で、制服姿の少女は固そうなベッドの上に畳まれた質素な布団に腰掛けていた。
「あっ、おはようございますカルテちゃん! 二日ぶり、なのです?」
「おはよミーコ。時間で言うと三十六時間ぶりくらいかしら。……何で制服?」
「えへへ、いつも学校に行く時間は自習することに決めたのですが、であれば学生らしく制服ですべきと思ったので。持ってきておいて正解でした」
「そ。真面目ちゃんねぇ」
三畳もなさそうな個室にカルテは踏み入ると、後ろ手でドアをしっかりと閉じた。小路、浄土寺、桃園は休憩室へコーヒーを飲みに離れる。
窮屈な密室に二人きり、根は臆病だと自認するカルテが緊張で扉に張り付くように立っているのを見て、
「こちらへどうぞなのです。お話があるのですよね」
「……うん」
今は、そのやわらかな笑顔を直視できない。
それから、内心をあまり読まれるのもよろしくない。
カルテは心の中で必死に伝えるべきことを反復して、それ以外のことを悟らせないよう努めた。
作戦を伝える。
深衣がすべきことを説明する。
ともすればオタクの妄想と切り捨てられてもおかしくない、荒唐無稽な奇策。
しかし深衣はそれを聞き届けると、興奮気味にカルテの手を取り。
「すごい、すごいのですカルテちゃん!! 上手くいけば、とっても簡単にシスターだけを倒すことができるのです!」
「う、うん……ありがと。でもわかってるでしょ。使えるようにするのは多分めっちゃムズい。それでも」
「それでも、できる。信じてくれているのですよね?」
「……っ、もぅ」
頬を染めてそっぽを向く。
小路から道中言われたこと。それを生み出すのには必ず、「使えて当然」という意識が必要になる。深衣にそう思わせなくてはならない。
小路にはできない。浄土寺にはもっと不可能。桃園は論外。その「確信」を深衣に伝播させられるのは、この世にただ一人、カルテだけ。
いい子の深衣を愛するカルテにしかできない。
顔を赤くした少女は向き直り、隣に座る黒髪の優等生と正対し。
砕けそうになる自らの表情筋をぴしゃりと平手で打ってから。
目と目を合わせてそれを告げた。
「信じてる。アタシのミーコなら、絶対やれる!」
聞き届け、心に温かな自信の湧出を感じて。
ニコッと笑いかける深衣。カルテも思わず吹き出す。
朗らかな笑い声に満ちる仮眠室。
その扉を女がノックした。
◇
十時三十二分。港庫県警本部庁舎を四台の車が出発した。
一つは桃園とカルテが乗ってきた軽トラック。他三台は警察車両で、内二台には警官数名が乗車している。もう一つの警察車両には浄土寺と小路、深衣、クロユリさん。そして、
目的地は袂町中華街。交差点を何度か複雑に曲がって、軽トラックに続く警察車両は車列を入れ替えてかく乱しながら走行。やがて機を見て一台がはぐれ、もう一台もどこかに消え。残った桃園の軽トラックと浄土寺の車はこっそりと路地を抜けて、薬膳中華料理店「タオシェンジン」の近くで停車。速やかに降りた一行はいそいそと店の中に入った。
それからさらに十数分後。
タオシェンジンのガラス扉を開けて、二人の少女が出てきた。
パーカーのフードを被った少女と、フード付きのポンチョを纏った制服の少女。
パーカーの少女のあとを制服の少女はぎこちない足取りで付いて行く。二人は狭い路地を抜けて通りに出ると、人のいなくなった中華街を歩いてその中央へ。
南京町広場、その東屋の前へとやってくる。
市民の憩いの場である黄色の屋根をした円形の小屋の下には、黒いロングワンピースに白いケープを纏った女。
黒く長い後ろ髪と、切り揃えられた白い前髪がウィンプルに錯視されるその姿。
恍惚の表情を浮かべる信徒たちを後ろに控えさせる彼女はやってきた二人の少女に気づくと、嬉しそうに声をかけた。
「夢を見ていました シンセミアを吸ってきたものだから…… リラックスしすぎてしまいましたね」
立ち上がり、東屋を出る。
「あなたもどうですか? ふふ 夢見心地になれますよ」
甘ったるく誘うその声に、パーカーの少女は膝から崩れ落ちて。
そのまま四つん這いで女の足元に駆け寄り叫んだ。
「ラリファさま、ラリファさまぁ! 裏切ってしまい、申し訳ありませんでした、申し訳ありませんでしたぁ!!」
地に頭をこすりつけ、足に縋って懺悔する少女。しゃがんだ聖女はそのパーカーのフードをめくって、彼女の頭を優しく撫でる。
「裏切る? 何を言っているんですか? おクスリの快感は永遠に忘れられないもの わたくしの愛はいつでもあなたと共にあった ただ少し余所を見てきただけ そのうえでこうして真の愛に立ち戻ったのですから 謝ることなんてありませんよ」
「うあああ……っ! 愛、あい、ラリファさま、ラリファさまぁあああ……!!」
「それに ああ 素晴らしい あなたは見事連れてきてくれたではありませんか」
薬物聖女が顔を上げる。残された制服の少女。そのフードの下の顔に瞳孔の開いた眼差しを向ける。
足元の少女にスカートの裾からシスタードラッグを零すように恵むと、自分はひらりと立ち上がってポンチョを纏った少女の元へ速足に駆け寄り。
フードをめくる。
露になったのは、神妙な笑みを浮かべる
「あはっ あはははぁっ! ああ なんて なんて眩しいんでしょう! きれい きれいですねぇ 『ミーコさん』 でしたよね? あなたさまはどうしてそんなに眩しいんですか? お日さまのように暖かで すぅ~~~~ っはあぁ 果実の香りがしますねぇ ああああ……
その唇も 桃のように甘いのでしょうかぁ……?」
霊媒体質の呪いの影響なのか、摂取してきた薬物のどれかの影響か。少女の前で法悦に身をくねらせていたシスター。やがて彼女の冷たい顎を手に取ると。
「受け取ってください わたくしの
目を閉じて。
唇と唇を合わせ。
舌を差し込んで唾液を送り込み。
絡め合わせてその蜜を喉の奥へ流していった。
シスターの魅惑的な性質を信者の中で「麻薬のような人」と形容していたことから生まれた権能。
『人間麻薬』。彼女の血液、涙、唾液、汗、体液は甘く滑らかで、包まれるような多幸感と逆立つような快感を即座に引き起こす。
シスターの瞼の裏にとろりと溶けて発情する深衣の赤ら顔が浮かぶ。想像しただけでさらなる体液が分泌されるのを感じる。
その姿はきっと失明しかねないほど眩く、美しい。
思い描きながら目を開いて。
シスターが見たのは。
慈しみの眼差しを湛えた深衣の顔。
母のように優しい愛に満ちた、清らかな微笑み。
シスターラリファの脳に、存在しなかった機能が芽生える。
小さな光がシナプスを駆け、電気信号が前頭前野を焼く。
あるはずのない心がざわめき、偽物の人格が未知にどよめく。
【人に薬物を飲ませてはいけない】