「わ た くし は…… あい は……?」
少女から唇を離し、震えだすシスター。
まるで急性中毒を起こしたようなその様子に、東屋を挟んだ後ろに控えていた信者たちはざわざわと不安な呟きを零し始める。
「様子がおかしくないか?」「ラリファ様が中毒なんて起こすわけが……」「大丈夫かしら、お助けした方が……」
「ラリファさまっ!! どうしたんですか!?」
信徒たちの中から先んじて歩み出た者がいた。それはシスターの後ろで這いつくばっている少女と、シスターが口づけした少女のかつての友人。
相島
繰り上がりで幹部となっていた彼女は地に伏せるエミを無視してシスターの傍に駆け寄り、手を伸ばして肩と背に触れようとした。
すると、シスターが叫んだ。
「近づかないでぇっ!! わ わた わたくしは 触ったら あなたさま は くす 薬 漬けにな って…… あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁッ!!」
崩れ落ち、頭を抱える。
ついさっきまでのエミのように。これまで何度も見てきた乱用者たちのように。
神秘的な光の化身の前で祈りを捧げるかのように、両手を組み合わせ強く握りこみ、懺悔する。
「ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい
わたくしは なんて 罪深い…… なんども こんな 許されないこと……
いけないのに 間違ってるのに わたくしは わたくしは……
あれ? どうして? どうしてこんなに
薬を 依存を 愛を どうしてわたくしは ああああ許されないと! 間違っていると! なぜ なぜ!? 思ってしまうのですかぁ!? どうして?! どうして?! どうして?! どうして?!」
狂気に染まった金切り声。信仰篤き少女をも後じさりさせる絶叫。
それでも消せない幻聴が、彼女の脳に響いていた。
【人を傷つけてはいけない】
眼球の奥で光が瞬き。
【人を苦しめてはいけない】
信じた愛に
【人を壊してはいけない】
その呪いが、シスターラリファという人格を破壊していく。
薬物を追い求める依存的精神活動こそ究極の愛。その信仰が揺らぎ、崩れ、痛みと共に割れ散っていく。
どうして? どうして? 慟哭に似た問いを繰り返すヤク教狂シスター。
音もなく現れた黒い影が、その問いに答えた。
「この子に触れたからだよ」
制服の少女の後ろに立ち、薄ら笑いを浮かべ真っ黒な瞳で見下ろしてくる黒いセーラー服の少女。
怪異を殺す怪異。あらゆる魔性の死神。都市伝説の終わり。
「クロユリさん…… また 会いましたね…… ああ ああああ……!? これも これもあなたさまの道具なんですか!? 頭が 割れる 苦しい 悲しい 消えてしまいたくなるこの気持ちは! あなたさまのせいなのですか!?」
「違う 全然 それは紛れもなく
クロユリさんが、どこからともなく槍を取り出し。
その槍の先で制服の少女を示した。
「……
怪異であるシスターの目には彼女はただ変わらず眩いあの少女にしか見えない。
……いや。
あの少女に、「人間」に、この退治人が槍を向けるはずがない。
そうして見てみれば気づくことがあった。どうして気づかなかったのか不思議でならない。
それは明らかに、人間の情緒を持っていない。
ただずっと聖人のように静かな微笑みを浮かべているだけ。不気味の谷からやってきた何か。人の顔をしているだけの得体の知れない作り物。
それが放つ曇りのない輝きは、あの商店街で見た「ミーコさん」よりもっとずっと眩しい光をしていた。
言うなればそれは、呪いの権化。
深衣を焼いた光線女の光。それが人の姿を取って再現されたもの。
風伯祭の風。火の玉伝承の火。流水を司る神の水。
その霊威の輪郭を象ったもの。この世に現れ出る結果の化身。
陰陽師が用いる「式術」の怪異。
「ソレはミーコが作った式神! その名も【いい子のミーコ】!
『
この大迷惑ドラッグ女!!」
怒声を飛ばすは、通りの建物の影から姿を現した黒染めの髪の少女。
根本のプラチナブロンドが日の光を透かす。彼女の名前は
生粋のオカルトオタク。考察という名の妄想が得意技の一つ。
全ては彼女の作戦だった。
◇
「やほ 来たよ」
「ん……? うわぁっ! 普通にドアから入って来んかい!」
会議室の机の下から這い出てきたクロユリさんに
いたずら癖のある怪異少女は立ち上がると部屋を見渡した。
「どういう状況?」と尋ねるクロユリさんに、呼びつけるときろくに説明もしていなかったことに気づいて、陰陽師少女は眉間を抑えながら話す。
「みーちゃんの特訓中。みーちゃんの呪いを全部ミックスした式神を作るんや」
「え なにそれ どういうこと?」
「んー、わからんよなあ。桃園さんもジュース飲みに行ってもうた。そもそも式神って概念が理解しづらいから、説明も難航するんよなあいっつも……」
「『陰陽術の結果の再現』が式神でしょ 簡単に言っちゃえば 権現体を用いることえ祝詞読んだりお供え捧げたりって儀式を省略して力を使う術」
「……まあそんなもんやな。なんでウチより言語化上手いねん……」
「それってみーちゃんの呪いでもできるものなの?」
「あ? できるわけない。……って、陰陽師なら言うてまうやろな、みんな。
でも理屈の上では可能なんよ」
陰陽術の一種「式術」の本質は「恐るべき力の具現化」にある。
陰陽師が符術・儀礼術・祭祀術を繰り返し使うことで感覚を磨いていき、その術の本質を理解・解釈して体得。畏怖すべきその力に相応しい姿を与えて顕現させることで、あらゆる手順を無視して直接その霊威を振るうことができる。
かねてから陰陽師の間で囁かれていた。「これは何も陰陽術に限った
その力のなんたるかを理解し、恐れていれば、どんなものの力でも式神として再現できるのでは。
例えそれが、都市伝説怪異の権能であっても──。
誰も試した者はいない。【陰陽術】以外の怪異をその本質を理解できるほど使役できることなどまずないからだ。だからこれはただの与太話。陰陽師の間で時より語られる下らない冗句。
しかし。
陰陽術成功の鍵は「使えて当然と思うこと」。
その自信を深衣はカルテから受け取っている。
そして彼女にはこれまでの成功体験がある。
人生破壊光線女に連れ去られたカルテを探すとき、深衣は「共感の呪いの先鋭化」を用いた感情レーダーを体得した。
禁七から心を守るため教師たちが自らに掛けた黙殺の呪いを、深衣は「共感の呪いの反転」によって自分の持つ覚悟を相手にも持たせるという感情操作で克服させた。
──それが今回も突破口を作れるのでは。
部屋でヤク教狂シスターを調べ直していたカルテは行き詰りの果てでそれを思いついた。
──シスターは逃げに回れば最強……クロユリさんでも殺し損ねたくらいだもん。今夜もたぶん逃げられる。ならやっぱりあっちから来てもらうのが有効だよね。霊媒体質の呪い……
──そういえば、あれのおかげで陰陽術も簡単に使えたって言ってたっけ
小路が使役する亜風伯や一ツ火が思い浮かべ。あんなふうに自由に動かせる式神がもし深衣にも使えたら、それはどんなものになるかと妄想する。
深衣が使い慣れている力、しかして十分恐れている力。そんなもの、毎秒精神に影響してくる「いい子の呪い」や、勝手に人の心を読んでは染められてしまう「共感の呪い」に決まっている。
──共感の呪いといい子の呪いを持った怪物。それが最も恐ろしく感じるのは? シスターが近寄って行った結果、最悪な目に遭うのは何をしてくる式神だったとき?
答えは最初から知っていたかのように自然に浮かび上がってきた。
精神を改造し「いい子」であることを思想レベルで強制する「いい子の呪い」。それを「共感の呪いの反転」で押し付けてくる怪異。
ミーコと同じ姿をしていながら、触れた相手を「いい子」に洗脳してしまう怪異。
共感の呪いでカルテの確信を受け取り、小路から式術の感覚を学び、一時間以上もの練習を経て完成したそれこそは。
深衣に掛けられた呪いの集大成。光線女の残滓の怪物。少女たちが作り上げた特攻式神。
【いい子のミーコ】
名づけはカルテによるものである。
◇
堂々とその能書きを宣ったカルテの口を、続いてやってきた本物の
「カルテちゃん……! 式神や怪異のことを公に口にするのはよくないのです……!」
「せやでカルっち。まあヤク教の皆さんは心神喪失状態ということでギリセーフやろうけど。エミちゃんはシラフなんやから。あとで誤魔化すん面倒やん」
同じく諫める小路。その後ろを氷のような無表情の浄土寺、そして幼けない顔面に修羅の皺を刻む桃園も続いて現れた。
「あなたさまがたぁ…… あれぇ? あれあれぇ? おくすりで いたっ ……気持ち良くなって いるはずではぁあ……?
ガクガクと震える手を地に突きながら、こきりと首を鳴らして聖女は後ろを振り返る。
同じ様に這いつくばるパーカーの少女、エミは、地面に転がるコインをじっと見ていた。
見ているだけで、手を出そうと動きはせず。ぼそぼそと呟くようにシスターに弁明した。
「……ま、マトリの女の人が、協力してって、カルカルから、電話が来て……。リコに連絡したあれ、全部嘘です……。隠し持った薬とか、飲ませて、ません……」
眼球が零れ落ちそうなほど目を見開くシスターラリファ。騙されたことに愕然とするリコ。それを見て、にんまりと、愉快至極と笑う少女が一人。
大宅カルテだ。
「シスターラリファ! そしてリコ、ついでにエミも……あんたらに言っておきたいことがあったのよねぇッ!」
「……誰ですか? あなた ……影 の子?」
「誰が陰キャよ! ……ああ、いや。ピカピカ眩しく見える深衣の隣にいたから見えなかった、日陰にいた奴って意味ね? その認識で結構。ええそう、アタシはどうせ陰の女。ねちっこくて厭味ったらしくて未練がましくて恨み骨髄の女。
だから、ずっと許せなかったのよ」
一歩、前へ出て。
冷杯深衣のただ一人の親友は宣言する。
「
怪異も、いじめっ子も、陰陽師も、何もわからない信者たちまでも困惑を顔に浮かべる。冬の気配を感じさせる風が吹くのとは反対に火照りが強くなっていくカルテ。やってしまったか、そう思い始める彼女の隣で。
「っふ、ふふっ、あはははははっ!」
ただ一人、大宅カルテの親友だけは声を上げて笑った。
その眩しい笑顔を。
黒い少女は糸のような目で見ていた。