都市伝説少女   作:龍田乃々介

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第5話「いい子」のミーコ

 教室の入り口で立ち止まる深衣(みい)。その後ろから歩いて追い付いてきた友人のリコが、中の様子を見て愉し気な声を上げる。

 

「お。 カルカルおはよ~。今日は早いねどしたの~?」

 

 横を通って教室に入り、落書きと傷に塗れた席の少女へと歩み寄る。

 大宅(おおやけ)カルテ。

 切りそろえた彼女の短い黒髪は軋んでいて枝毛が目立っている。美しいブロンドカラーだった地毛を染めさせたのは、一学期の深衣たちだ。

 彼女はドイツ人由来の碧眼を前髪の隙間から鋭く寄越して、敵を迎え撃った。

 

「……別に。新学期早々くだらないイタズラを机にされても迷惑だから、早めに来ただけ」

 

 ぼそぼそと、突っぱねるような刺々しさで答えるカルテ。

 そばまでやってきたリコは冷酷な無表情でその頭を見下ろしたあと。

 

「えっへなになに、元気じゃん。夏休み前はもう死ぬみたいな顔してたのに。元気になってよかった~」

 

 椅子の背もたれを乱暴に掴み、彼女の耳元に唇を寄せて言う。

 

「またいっぱい遊べるね?」

「…………っ」

 

 竦み上がるカルテ。

 そこに、「カルっぴすおはよー」と、教室の後方から入ってきた女子生徒が加わる。

 エミ。彼女もまた深衣の親しい友人であり、共犯者だった。

 

「ちょ、エミ、その変なあだ名まーだ使ってんの?」

「えなんで、おもろいじゃんねえ? ん、あれ? ミーコは?」

「そこいるよ。 ミーコも早く来なよー」

「おはよミーコー。カルっぴすが寂しがってるよー」

 

 声を掛けられ、はっと我に返った。

 深衣はカルテの席の前まで来て、その机を見下ろす。

 

 油性ペンで書かれた[死ね][消えろ][調子乗るな][キモイ][バーカ]

 ありきたりで個性のない罵詈雑言の数々。

 本気で思って書いたわけではなかった。ドラマや映画で見るような落書きをしただけ。

 

 落書きを見たカルテがどんな反応をするのか。

 それを愉しみたかっただけ。

 

 蘇ったその記憶に、冷杯(れいばい)深衣(みい)は吐き気を催して口に手を当てる。

 

「ぷっ。ちょっとやめたげなよミーコー」

「え……?」

「そうだよ、ふ、初手でそれはっ、かわいそうだよぉー」

 

 言いながらリコは同じ様に口元を隠し、エミは鼻の前で手をパタパタと扇ぐ仕草をする。

 三日月のように細く釣り上げた目で二人はカルテを見ると、からかう調子で言い出した。

 

「カルカル~、ミーコが臭いってさー」

「ちゃんとお風呂入ってる~? そういうのスメハラって言うんだからね、スメハラ」

「え、ちが……」

 

 小さな深衣の呟きは誰にも届いておらず、黙って俯くだけのカルテを二人の女子が嘲笑う。

 

 ──なんとか言えよ。そしたらもっと面白いのに。

 ──早く言い返せ。盛り上げてやってんのに手間かけんな。

 

 二人の声、二人の顔、二人の空気からそれを感じ取る。深衣はその感情にほとんど自動的な()()を抱く。先ほどまで微塵もなかった苛立ちと嗜虐心が湧き出して。

 

 ほんとにそれ。なんで何も言わないの? なにか言ってよ。いつもみたいに変なプライド拗らせた馬鹿みたいなセリフで反抗してくれないと楽しんではいけないい子にならなくてはならないいい子にならなくてはならない。

 

 ばちっ。バチバチバチバチ。火花が弾けるような音が頭の中を響く。

 それが熱した鉄の針であるかのような、凄まじい痛みが深衣を襲う。

 

 【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】

 

 深衣の中に、呪い(こえ)が響く。

 

 【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】

 

 【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】

 

 幾重にも。

 

【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】

【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】

【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】

 

 幾重にも。

 

【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】

 

 完全に深衣が壊れるまで。

 幾重にも。

 

【【【【【【【いじめをしてはいけない。「いい子」にならなくてはならない。】】】】】】】】

 

 響いて。

 

 

「ダメなのです二人とも!! いじめなんて!! いけないことなのです!!!!」

 

 

 絹を裂く、悲鳴のような()()()叫びが教室にこだました。

 

 見てみぬふりをしていた他のクラスメイトが、けらけらと笑っていたいじめっ子の二人が、地獄のなか俯いていた被害者が、彼女を見た。

 肩を上下させ、ひっくひっくと嗚咽を漏らし、涙を流す女を。

 

 いじめの主犯だった女を。

 

「えっ……え、ミーコ? な、なに」

「どうしてこんなヒドイことができるのですか!? カルテちゃんがかわいそうなのです!!」

「は、はぁ?? えぇ!?」

「ごめんねカルテちゃん。臭くなんてありません。こんな、ひどい落書きをしたことに気持ち悪くなってしまっただけ。安心してください。今までのこと、本当にごめんなさいなのです」

「……は……?」

 

 感情が、深衣の中に流れ込んでくる。

 洪水のような困惑、混乱、戸惑い。恐怖。怒り。

 

──わからない。

──こわい。

──何事?

──どうしたの?

──なに言い出すの?

──ひどい?

──ふざけてる?

 

 溺れるように苦しく息が詰まる。脈を打つごとに脳がギシギシと軋む。涙を分泌し続ける眼球の奥で情動が暴れている。

 困惑は遠くから渦を巻くように、見てみぬふりのみんなから。混乱、恐怖、苛立ちは貫くような勢いで、潰し流すような水量で、友達である二人から。

 

 そして。

 

「謝ってください。二人とも」

「は? ミーコちょっと何言ってんの?」

「二人ともカルテちゃんに謝って!」

「なんなのミーコ、面白くないよそれ」

 

 怒り。

 

「謝って!!」

 

 それは。

 

「カルテちゃんに、謝って!!」

 

 

 どす黒い水底から爆発するように。

 立ち上がったカルテは、大きな軌道を描いた手のひらで深衣を殴った。

 

 

「…………ふざけないでよ」

「……カルテちゃん……?」

 

 燃えるような激しい痛みが頬を奔る。

 黒染めの髪の影より覗く鋭い瞳から、色を見せて浮き出た血管から、ぎりぎりと軋む歯から、荒い吐息から、震える肩から、逸る心臓の鼓動から。

 

 殺意。そう呼ぶに足る怒りと憎しみが溢れ出していた。

 

「アンタが、お前が、いじめの主犯でしょうが。それが、かわいそう……? 謝れ……? ふざけるのも大概にしてよ。許すわけない。馬鹿にしてんの? 許すわけないでしょクソ女!! ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな!! 殺してやる、殺してやる!!!!」

 

 ──殺してやる。

 

 机を跳ね飛ばしてカルテが深衣に掴みかかる。

 

 どこからともなく悲鳴が上がり、駆け付けた女教師がカルテに組み付いて、深衣の首を絞めていた手を引き剥がそうと試みる。教室のざわめきを聞きつけた他の教師たちも現れ、割って入って彼女を止める。そこまでしてようやく二人を引きはがすことに成功した。

 

 ごほごほと咳をする深衣。クラスをかき乱す破壊的な感情の洪水が際限なく流れ込んでその脳髄は坩堝となり、暴走する熱でぐつぐつに茹って。

 

 地獄の中、深衣の意識は闇の底へと沈んでいった。

 

 

 ◇

 

 

 保健室のベッドで目覚めた深衣は、灰色の天井を見つめながら、この朝のことを振り返っていた。

 

 朝食のとき。午後は遊ぶつもりだったのに『いい子のすることではないから』、帰って勉強をすると答えていました。

 

 電車の中。聞こえていないのに、周りの乗客の「うるさい」という気持ちを感じ取って『音漏れのうるさい人がいる』とわかりました。

 

 バスを待っているとき。友達があたしの敬語を気持ち悪がっているのがわかって、あたしも同じ気持ちになって、敬語をやめていました。

 

 そのあと。妊婦さんに席を譲りました。それが『いい子』の振る舞いだから。

 

 ……学校、教室で。最初はリコたちに共感して、楽しくいじめを、よくないことです、からかって遊ぼうとして。『いい子』にならなくてはいけません。だから、いじめをやめさせようと、二人に謝らせようと、してしまいました。

 

「ああ……しまりましたです」

 

 過剰な丁寧語の口調、深衣が最もいい子にふさわしいと信じている口調で、彼女は一人反省を口にする。

 

 

「謝るのを強制するなんて、『いい子』のすることではないのです……」

 

 

 見開いた深衣の二つの瞳が細かく揺れている。

 ()()

 深衣は、そのことにようやく気付いた。

 

 人生破壊光線女の呪い。

 

 魔法少女のコスプレをしたあの怪物女。

 それが放つビームによって焼き付けられた呪いは、当人にとっては魅力的な能力にもなるが、人生を壊すほど何かに熱中させてしまうという。

 深衣はそれを()()()()()()()()()()

 

 一つ。共感の呪い。

 他人の感情を微細に感じ取り声として聞き、同じ感情へ心を自動的に塗り替えられてしまう。

 

 二つ。いい子の呪い。

 その精神活動と行動において『いい子』にならなくてはいけないという呪縛を受ける。

 共感の呪いより優先されている。『いい子』になるため邪魔となるなら、伝播した感情は激しい痛みに変換されて無視させられるようだ。

 

 

 深衣は変わった。人生破壊光線女によって、作り変えられていた。

 

 他人の心を理解し、その気持ちに寄り添って思いやり、癒し、助け、救ってあげられる『いい子』へと……改造されていたのだった。

 

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