一年八組、
あの子は……ひめちゃんは、とってもかわいい子だったの。
艶やかなセミロングの黒髪で、実はこっそりパープルのインナーカラーを入れてた。
おでこから小さな鼻筋までのラインが愛くるしくて、顎までのバランスも完璧な、お人形みたいにかわいい顔立ちだった。
くりっとした瞳は光の加減で紫のラメが散ったみたいに輝いてた。
一見似合わないショッキングピンクの大きめの髪留めがギャップを出していた。
凛として落ち着きのある声がとても心地よくて、何を話していても神秘的で、どんな事でもひめちゃんが話してくれるだけで幸せになれた。
だからひめちゃんは、みんなに愛されていた。
一年四組のみんなから。
廊下ですれ違う一年生のみんなから。
部活で触れ合う先輩みんなから。
授業をしに来る先生みんなから。
学校で彼女の声を聞くみんなから。
学校で彼女を目にするみんなから。
みんなから愛されていた。
それが悲劇だった。
だってひめちゃんは、ひめちゃんは、ほんとはね?
「一人でいるのが一番好きなの」
「……そうなの?」
「そう。誰かといるときって、絶対ほんとの自分になれないっていうか。気を遣って、気持ちを繕って、相手のための自分にならなきゃってなっちゃう。体が勝手に相槌打って、顔が勝手に愛想笑いして、声も勝手に高くなる。そういうの全部、ほんとはきらい」
「だから……こんなところで、本読んでたんだ」
「……そういうこと」
そこは女子トイレの個室だった。
特別棟三階。昼休みともなると滅多に人が来ないトイレの、三番目の個室。七人家族で家でも落ち着けないひめちゃんにとってはただ一つの、心が安らぐ場所。ここで静かに本を読んでいられる時間だけが、本当の自分でいられる時間だったの。
「ごめんね、その、偶然引き当てちゃって」
「いや、こっちこそごめん。油断して鍵掛けてなくて。……びっくりさせすぎちゃったりとか」
「してないしてない! 大丈夫! そもそも余裕持っていっとこうと思った結果
「そっか。……よかった」
ふっと笑うひめちゃん。普段はくりっと見開かれている瞳が、その時は眠たげな瞼に半分隠されていて、くだらなそうに低くて小さな声と合わせて、言いようのない色気があった。
好き、って、思った。
「ね、ねえ。今の話聞いておいてあれなんだけど……その、あ、たまに! たまになら、ここに話しに来てもいい?」
「……私と?」
「は、話したい……くて……」
「………………」
「だ、だめ、だよね……」
言わなきゃよかったと思った。
言わずにこっそり訪れて、気づかれないよう隣の個室に隠れて、ひめちゃんがページをめくる音を聴くだけでも私は幸せになれたはずだった。
高校一年生の私はとにかく馬鹿で、人のことを全然考えられないくせに人と話すのが大好きで、欲望に弱くて甘ったれで、ダメな子供だった。
断って、ひどく罵ってくれたらよかったのに。
「いいよ」
「……え、あ、ほんと!?」
「……うん。なんていうか、あなたは他の人とは違う気がするっていうか。話しやすい、から」
「わ……あ、あはははっ。ありがとう、
「ひめでいいよ。えっと……」
「わわ……、私、
「へえ。良い名前だね。……きづなちゃん」
「ひっ、ひめ、ちゃん……!」
こうして、ひめちゃんは私と話すことを受け容れてくれた。
……違う。我慢してしまった。
自分を殺して、私という他人のために頑張ってしまったの。
◇
たまに、なんて言ったのに、私は昼休みになると毎日特別棟三階の女子トイレに向かった。
三番目の個室に三回ノックをして、小さく「どうぞ」という声が聞こえたら、扉を開けて中に入る。
他の個室より少し広い建付けになっているとはいえ、狭い空間に二人きり。
私は夢心地だった。
「ここで食べるの? お昼ご飯くらい食べてから来ればいいのに」
「ご、ごめん……ひめちゃんのこと見ながら食べたくて」
「……へんたい?」
「ちがっ、違うの違うの! 冗談で、ちょっと今日は食べるタイミング逃してただけで!」
「びっくりした。滅多なこと言わないでよ」
「ごめんなさい……」
「………………」
「何の本読んでるの?」
「……『隕石孤島のアリアドネー』」
「面白い?」
「……ポストアポカリプス世界の隕石で出来た島に漂流した主人公が、外の世界を想って詩を読むの」
「面白そう……だね!」
「……途中まではね」
大学生になってからその本を読んだ。
荒廃した星を宇宙船で脱出しようとした主人公が事故で海に落ちて漂着した隕石島。もはやここで生きるしかないと覚悟を決めた彼が、島での暮らしを楽しくすべく色々な物を作る。
明るく朗らかに生きる彼だけど、夜に詩を作るときだけはどうしても、隔てられた外界や過去の友人への切ない郷愁を歌ってしまう。それがなんとももの悲しくて綺麗な、そんなストーリーだった。
でも中盤、島に女の子が流れ着いて、それは一変してしまった。
一人だった彼の世界の滑稽ながらも豊かで満たされていた毎日は騒がしい少女の前に色褪せて、最後に彼は少女と一緒に島を出る。
今思えば、ひめちゃんの予感は当たっていた。
「今年読んだ本で一番、嫌いな本になりそうかも」
「そ、そうなんだ……。読むのやめちゃだめなの?」
「読むのを、やめる……?」
「うん。良かったなって思えるうちに」
「…………できないわよ、そんなこと」
ひめちゃんは完璧主義なところがあった。
「こうでなくちゃいけない」って思ってしまったら、自分を不幸にするとしてもそうしてしまう。せずにはいられないっていう子だった。
「できないってことないんじゃない? 私なんてよく」
「! 静かに」
「わっ」
突然立ち上がったひめちゃんに手のひらで唇を塞がれた。
しんとした静寂の中で自分の鼓動だけがうるさく速く響いていたけど、そのうち女子トイレの入り口の方から話声が聞こえてきた。
「ホントだって! この前通りかかったら中から二人分の声がしてさあ」
「えーもういいってそんなの」
「ヤダ付き合ってよ、オモシロいもの見られるかもよ!」
「いーよ、てかその、やばいやつだったらどうすんのさ。……
「え、何? なんてぇ?? ってあー! ちょっと待って、見てこうよお!」
「うるさい! 置いてく!」
「ごめんってぇ~!」
声が遠ざかって、私の口に当てられていた小さくて柔らかな手も離れてしまう。
ひめちゃんはため息をついて、蓋を閉じた便座の手前部分にちょこんと座り直した。
「ここも潮時かもね」
「ひめちゃん……ごめん」
「なんで謝るの?」
「だってさっきの、声って、私がひめちゃんに話しかけてるからでしょ?」
「……私がいいって言ったんだから、あなたに責任はないわよ」
ひめちゃんは言っていた。誰かといると、相手のための自分になってしまうって。
私は、そんな風に気を遣われない特別な一人になりたかった。
私たちが直面するこの問題を解決できれば、そんな一人として認めてもらえるんじゃないかって、思ってしまったの。
「ううん、やっぱりダメ。私のせいでひめちゃんの居場所がなくなっちゃうなんて」
「え……きづなちゃん?」
「大丈夫、任せてひめちゃん!」
私が、ひめちゃんの居場所を守るから。
女子トイレを訪れた二人の女の子の会話から、私は名案を閃いたつもりになっていた。
薄暗くてどことなく不気味な特別棟の、滅多に人の来ない女子トイレ。そこから聞こえてくる話声。
それを上手く利用すれば、近寄らせないようにできるはず……。
学校新聞『
タイトルはずばり、『学校の七不思議 鈴園の花子さん』。
特別棟三階の女子トイレには『花子さん』が出る。
不用意に近寄って「お友達」になってしまった可哀そうな少女が狂い死んだ噂がある。
軽はずみな気持ちで訪れて呼び出してしまったなら、あなたも取り込まれて、永遠に終わらない狂気の遊びに付き合わされることになる……。
そんな悪ふざけを、私は真剣に書き綴って。
これがどうしてか、大流行りしてしまった。
◇
「ひめちゃーん……? あっ!」
「……今度は偶然引き当てたって感じじゃなさそうね」
記事が出て一週間ほど経った頃。
特別棟三階の女子トイレには散発的に人が訪れるようになった。
私が書いた嘘の怪談を面白がった人たちが、肝試しをしに来ていたの。
昼休み、あのトイレに来れなくなったひめちゃんはどこへ隠れてしまうのか私は探し回って。
理科準備室にその姿を見つけた。
「ご、ごめんなさい。私、あんなことになるなんて……」
「………………」
「ほんとに、本当にごめんね。私にできることがあれば、なんでもするから……!」
「………………」
「……ごめん。何か、お詫びにできることがあったら、私二組だから、言いに来て……」
じゃあ、と言って埃っぽい部屋を後にしようとした。
その私の背中が、どれだけ憐れに見えたのか。
ひめちゃんは「待って」って、声を掛けてくれた。
「この部屋、勝手に使ってるんだけど……ちょっとくらい綺麗にしてもバレないと思うのよね」
「……え?」
「あなた、ご飯食べるでしょ。掃除しておかないとじゃない?」
「も、もしかして……」
「手伝って」
「は、はぁい……!」
「…………それと」
記事、ちょっと面白かった。
そう言ってもらえたのが嬉しくて、私は馬鹿に戻ってしまった。
理科準備室に入り浸り、はしゃいだ声を外まで漏らして。
それが先生や生徒の間で噂になった。
理科準備室の中から声がする。
誰か勝手に使っているんじゃないか。
馬鹿は学習できないから馬鹿と言われる。
今度は上手くやれるなんて思い込む。
私はまさにその典型。
二本目の怪談『学校の七不思議 人体模型と標本の奇祭』を、10月号で執筆した。
待望の二作目と、部のみんなも読者のみんなもとても喜んでくれた。
見たくないのに見ずにいられない不思議な不気味さが出ているって褒めてくれた。
そしてまた、その現場を色んな人が訪れるようになった。
ひめちゃんと私が二人きりで話せる場所は、またなくなってしまった。
◇
『人体模型と標本の奇祭』以降、学校は本格的な七不思議ブームに沸いていた。
昼休みには生徒は腹ごなしがてら校内を散策して、何か怖いことが起こらないかと胸を躍らせるのが定番になった。
記事の人気を受けて新聞部は週刊のコラムを打ち出す企画を立てて、そこで他の七不思議を書こうということになった。
「……ごめんなさい。私は、ちょっと、今は……」
二度も失敗してすっかり書けなくなった私の代わりに、同級生や先輩が他の怪談を書いた。
『ピアノを奏でる音楽室の霊 ミス・ノクターン』、『死者の世界と繋がる 踊り場の大鏡』、『踏んだら最後 13階段』、『ゾンビのような上半身だけの生徒 テケテケ』。四つの怪談が掲載され、どれもが生徒たちの怪談熱に拍車をかけて。
しかし上がりすぎた期待値に応えるにはもう火付け役に頼むしかないということになって、新聞部のみんなは七番目の七不思議だけは私に執筆してほしいと言ってきた。
11月号の締め切りは目前。どうしようと悩みながら下校しようとしたとき。
視界の端を、探し求めたあの子が過った気がして。
私は体育館裏に向かった。
「……他の人もいるんですね」
「へへ、まあ何? 見届け人っていうか! メモリアルな瞬間はみんなに祝ってもらいたいじゃん、ふつう」
「……そういうもんですか」
土の香りがする薄暗いその場所に、上級生らしき男子生徒が一人。その後ろには、パーティーグッズのランプとクラッカーを持った友人らしき男女が四人ほど控えていた。
ものすごく嫌な気持ちで、私は成り行きを見守った。
「ま、じゃ、そういうわけで? ……俺と付き合ってください!!」
「………………」
断って。
断って。
嫌だって、怒って、そこから逃げて。
切に祈った。本気で願った。
けど、そんな風にひめちゃんが生きられないことを、私は知っていた。
「断れないじゃないですか、こんなことされたら」
ふっと控えめに笑ったのを、彼らは承諾と受け取り。
猿のように喜び奇声を上げて……。
その先は知らない。
私は逃げ出して、家に帰って記事を書いた。
ひめちゃんのことを考えながら。
ひめちゃんと一緒にいられたあの短い時間を想いながら。
ひめちゃんともう一度二人になれる場所を夢見ながら。
私は書いた。
最後の七不思議、七つ目の怪談。
『学校の怪談 開かずの教室』を。
記事が掲載された翌日。
ひめちゃんが校内で行方不明になった。