「
「そう! 一年二組、加洲姫綱! ……ごめんね、ひめちゃん。私のせいで、私が書いた七不思議の記事のせいで、ひめちゃんは……そんなところに、八年も……」
「………………」
「あの、ね? ひめちゃん! 私、ひめちゃんに償いたくて、生徒のみんなや、怪異の人に手伝ってもらって、ここにいるの。……ひめちゃんを、そこから
「………………」
「ひめちゃん、今どんな感じ? 体とか、生きてるかどうかとか。 私、この先の人生全部をひめちゃんのために捧げるから。今まで苦しんだ分幸せになれるように全力で」
バンッ! 小窓に小さな手のひらが叩きつけられ。
くっきりとした両手の間に、紫がかった瞳がずいと接近し現れる。
殺意に満ちた眼で睨みつけた。
「そう。たった八年だったの」
「……ひめ、ちゃん」
「百年は経ったかと思ってた」
「ひ、ひめちゃん……そっちは……」
「こっちはね、ずっと時間が進まないの。時計もない。空も変わらない。ずっと同じ真っ赤な教室。体感一年くらいで自殺したけど、私の死体は腐りもせずに今もそこで転がってる。何も終わってくれなかった」
「ひめちゃん…………ごめ、ごめんなさい、ごめん」
「謝らないでよ。加洲姫綱」
許さなきゃいけないって気にさせられて、不快だから。
冷徹で冷酷な、低く恨みがましい声色。
共感の呪いを持つ
憎悪。
小灯芽は自分から安寧を奪い、開かずの教室という時空の牢獄に陥れた加洲姫綱を、殺したいほど憎んでいた。
「そう、だよね。不快、だったよ、ね。ごめ……っ、そ、の……あ、で、その、ね? 許さなくて、いいの。そう、ただ、私、ひめちゃんを、そこから助けて」
「ねえ」
凍てついた声にびくりと加洲の肩が跳ねる。
幾度となく再び聞くことを夢見た、
しかし加洲は、想像だにしていなかった。
深衣、カルテ、
「その『ひめちゃん』っていうの、もうやめて?」
「……えっ……?」
加洲は、小灯芽から嫌われていることを自覚できていなかったのだ。
「あなたの中の『友達としての
「ひ、…………す、すみ、……さん」
「……で、なに、私をここから出してあげるって?」
「そ、そう……」
「絶対に嫌。もう関わらないで」
明確な言葉。取り違えようもない、断固とした拒絶の意志。
加洲は膝から崩れ落ち、塞がって声の出ない喉から苦し気な吐息を浅く吐き出す。
深衣は駆け寄って跪きその背をさすり、カルテもその傍に心配そうにしゃがみ込む。
使い物にならなくなった加洲の代わりに、こうなることを予感していた小路が前に出て交渉を続けた。
「初めまして、角小灯芽さん。ウチは陰陽師をやっとります、蘆屋小路と申します。あなたをそこから出すのは、実際にはウチの陰陽術です。それでもダメですか」
持参していた折り畳み祭壇のケースをわざと音が立つように背負い直し、状況を呑み込む助けにする小路。窓の向こうの人影はその意図を理解したのか、否定や疑義を差し挟まずに答える。
「初めまして、蘆屋さん。私、一人でいるのが好きなの。ここは最高の場所よ。ずっと一人でいられる。誰に気を遣わなくていい。誰に尽くさなくてもいい。誰のための私にもならなくていい。誰にも私を決めさせられない。私の一番の幸せはここに一人で居続けること。助けなんて、いらないわ」
「角さん。ウチの仕事はあなたを助けることじゃありません。怪異をこの学校から殲滅することです」
「…………脅してるつもり?」
「選んでください。その教室と運命を共にするか……ウチの召喚に従って、そこを出てこの式符に入るか」
式符に入ったあとのことはあなたの望むようにします。
小路は穏やかかつ毅然とした語気で小灯芽に迫る。
小灯芽の救出はあくまでも加洲の目的。陰陽師である蘆屋の長女にとって、開かずの教室の中で「出られない」という恐怖を供給し続けるその霊を助け出すことは、必須ではない。
拒絶するのなら、話はシンプル。
このまま教室ごと祓うまで。
「必要ないわ。ずっとここにいるからわかるの。この教室がどんな人の前に現れるのか、どんな力を持つのか、どんな原理で動いているのか。私はそこに少しだけ関わることができる。ずっとここに一人でいられるように、誰の前にも扉が現れないように、私は干渉してきた。これからもそう。あなたたちに害は為さない」
「為してるんです。この開かずの教室が消えへん限り、他の七不思議の怪異が学校に出続けるんです。それが先生らにずっと過重労働と精神障害を引き起こしてまして。生徒の方でも成績が下がったりいじめを見過ごされたり、被害が出てます。ここにおる他二人の生徒、みーちゃんとカルっちがそうです」
「……閉校すればいいのに、そんな学校」
「はは、そうかもですねぇ」
でも怪異が消えればその必要はありません。
小路は一歩も譲らない。正義も公利もこちらにあることを強く主張する。もはやその教室にはいられないのだと、小灯芽に突きつける。
きっぱりとした強硬な態度。その背中に頼もしさを感じつつ、深衣は扉の方を見る。
そこで、どうにも。
それはなんて惨いことだろうと、感じてしまう。
「陰陽師さん。確かに、あなたの方が正しい。私がわがままを言ってゴネても無駄なんでしょうね。どうあれあなたはこの教室を祓う。違いは、ついでに私を外に出せているかどうかだけ」
「別に外に出てから成仏するんでもええんとちゃいます? 今なら丁重に弔うことをお約束できますけど」
「ふふっ、けれどずいぶんと、自信がおありよね。私がただ黙って祓われるとでも?」
「それについては わたしも加勢するつもりだから大丈夫だよ」
「……誰」
「わたし 【怪異退治のクロユリさん】 怪異を殺すのが仕事」
「……実在してたんだ」
「えっ知っとるんや……」
怪談狩りの怪異少女。数種類の権能を持つ彼女を退治人足らしめている最大の力は『
クロユリさんは相対した怪異の核となるアイデンティティを決定し、その象徴の破壊を以て復活不可能の死を与えることができる。
光線女の魔法のステッキ。動く人体模型の心臓、花子さんのおかっぱ頭、ミス・ノクターンのピアノ、踊り場の鏡、十三段目の階段、テケテケの脊髄。
開かずの教室であれば、「決して出られない」という証明である囚われの少女か、あるいは場所の象徴である入り口の扉か。
いずれにせよ、クロユリさんは【開かずの教室】を一瞬のうちに殺害することができる。
力の仔細を知らずとも、その逸話の一端を知る小灯芽はすぐにそれを理解した。
「………………」
「角さん。ゆっくり考えてもらって大丈夫です。朝の五時まであと二時間五十分。ウチらは待ちます」
「………………」
「一応言っておくと わたしはその教室と一緒に消滅するのも悪くないと思うよ」
「おいこら」
「ほんとうに ふふっ 一人でいたいって願いを叶え続けてくれるんでしょ 出る理由がないのなら ずっといたっていいじゃない」
「………………」
「けどそれは
「…………どういう意味?」
「開かずの教室ごときみを祓い去ったとしても
クロユリさんの言葉に、小灯芽はただ短く「は?」と、困惑の息を零す。
……『権能』とは、怪異に保証された怪談の力。『現実の修正力』によって復元されることがない、現実を穿つ凶器。
それがこの世に存在したことを示す、唯一残される証。
クロユリさんの『怪異理解』、相対した怪異の性質を暴くその権能は彼女に教えていた。
【開かずの教室】、その権能は『幽閉悠久』。
一度閉じ込められたが最後、自我は永遠にその場所に囚われ続ける。
死によって終わることはない。それは幽閉された少女の死でも、教室そのものである怪異の死でも同じこと。
鈴山学園高校から開かずの教室が葬り去られたとしても、小灯芽の意識は「開かずの教室に閉じ込められている」という認識のまま、時空の狭間で無限に続く。
それが、権能によって閉じ込められるということだ。
「…………ふ、ふふふ、は、は……そう。そうなんだ」
「小灯芽さん……」
「まさか、そこまでとは、流石に思わなかったなあ」
「っ……ひめちゃん!」
「……なに?」
「私が、憎いでしょ? 殺したいって思うでしょ? だったら、そこを出て。私を殺すために、小路さんの召喚に応えて! そんなところで永遠に一人なんて、そんなの……っ、あんまりだよ、ひどすぎるよっ!!」
──誰のせいで……
深衣の手が硬直する。
来る。共感の呪いが先ぶれのように告げる。
この感情は、抑え込めるものではない。
それが自分さえ傷つけると知っていても、彼女はそれを止められない。
禍々しい紫に染まった瞳で加洲を射すくめて。
小灯芽は激情を
「全部あなたが悪いとは、思っていないのよ。
いいえむしろ、きっかけは私。私が悪かった。
その気もないのに、こうするのが正しいんでしょって、よく考えることもなくあなたに優しくしてしまった。
教室棟三階の女子トイレ、その三番目の個室に、あなたが訪れて私と話すことを許可してしまった。拒絶しなかった。それが悪かった。私が悪かった!!
私が、私が、私が、私が! いっつもいっつも、私が悪いのッ!!
嫌だったら嫌って言えばいい! 辛かったら辛いって泣けばいい! 苦しいなら苦しいって逃げればいい! ちょっと愚痴をこぼしたら、あなたたちみんなそう言ってくれた! その通りよ、その通りだった!! そうすればいいだけの話だったのよこれはッ!!
……でも、でもね?
そんな無責任な言葉に、どうして従うことができるっていうの?
嫌だって言ったら? 相手を困らせる。相手を悲しませる。相手を傷つける。私のせいで!
辛いって泣けば? 同じこと。私のせいで相手も泣く。癒えない傷になる。
苦しいって逃げれば? 残された方はどれだけ辛いでしょうね苦しいでしょうね。私のせいで! 私のせいでッ!!
あなたたちの正論はいつもいつもいつもいつもいつも……っ、私に、寄り添ってなんてくれなかった! わかってくれなかった! 理解しなかった! 助けなかった!
私はッ!! ……誰も、傷つけたくないの。誰かを傷つけたら、嫌な気持ちになるの。自分も傷つくの。自分を嫌いになるの。許せなくなるの。死にたくなるのよ。
だから……いつも結局、『誰かのための角小灯芽』だった。
……ふっ、ふふふっ、惨めよね。醜いわよね。
傷つくのが怖い。そんな自分の弱さを棚に上げて他人のせいにして。情けないわよね。
だから嫌なの。他人といるのが。だから好きなの。一人でいるのが。
他人といると他人のための自分にならなくちゃいけない。そんな必要ないって言われたって、そう思っちゃうんだから仕方ないじゃない。
それを理解してほしいって、他人といるから思ってしまう。それも嫌い、大っ嫌い。
一人ならそれも起こらない。ずっと平和。ずっと穏やか! 私もみんなも傷つかない、無理しない、苦しまない。一番の幸せ!
……そう、信じてた。信じられたのに……。
この空き教室に閉じ込められて、それすら失った。
……っ、たった、一年で……私は、この教室で一年過ごして……初めて
それでも終わらなかったときの気持ち、想像できる?
自殺しても、幽霊になって自分の死体を見下ろしてて、この教室から出られないの。あなたたちに、わかる……?
……加洲姫綱。あなたを絶対許さない。
けど、悪いのはあなたじゃない。悪いのは私。私の弱さ。
それを認められる程度の強さだけが、今の私が私を許せるたった一つの拠り所。
だから絶対譲らない」
長い長い独白。浴びせられる重苦しい感情。
憤怒。憎悪。悔恨。悲哀。絶望。
それが吐き出されるにつれ。言葉になるにつれ。
小灯芽の中で、意志が硬度を増していく。
「こうなったのは誰のせいって……
それはもはや「覚悟」と呼ぶのがふさわしいもの。
堅く自らと結んだ誓い。
最期まで貫くと決められた意志。
「私はこの教室を出ない。
あなたに償わせたりなんかさせてあげない。
微塵の救いも与えたくない。
苦しめ。
正しいとか、間違いとか、無関係に、一生苦しみ続けろ」
「……ひ、……ぁ……」
処刑は終わった。
落とされた断頭台の刃は、確かに罪人の心に致命傷を齎した。
死の沈黙を加洲は表する。項垂れる彼女の深い茶色の瞳には、生の光の欠片もない。
この絶望の果てが、彼女たちの終着点。
「……それが幸せ、なのですか?」
光に灼かれた少女は、それでも立ち上がった。
息苦しい煉獄の中。深衣だけが未だ、光を目指していた。