都市伝説少女   作:龍田乃々介

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第41話 赤い紙の裏側

 開かずの教室の扉が焼け落ちた向こうには、元の通りの廊下が見えた。

 小路(こみち)が試しに出て見ると、そこは確かに鈴山学園高校の特別棟一階廊下。

 周辺に怪異の気配はなく、それは深衣(みい)も同様に感じていた。

 禁七は完全に祓い除けられた。もうこの学校には、教師を苛む怪異はいない。

 

 けれど。

 教師加洲(かしま)は、へたり込んで俯いていた。

 どんな心境なのか、その場の誰もが想像できた。けれどその辛苦がどれほどかは、深衣以外には理解できない。

 慰めるためしゃがもうとした深衣。

 その肩に手をやって止めたのは、黒いセーラー服を着た少女だった。

 

 ──自分の生徒に慰められてたんじゃ 先生失格になっちゃうよ

 

 心の声を使ったメッセージ。深衣はその配慮を汲んで、折りかけた膝を伸ばして佇む。

 

「それで これからどうしよっか」

「あ? ああ……これから、なあ……」

 

 怪異退治は無事完了。深衣、カルテ、小路、加洲、そしてクロユリさんのチームは解散となる。

 その後の流れを発起人の陰陽師少女は一つ一つ言葉にして確認していく。

 

「まずみなさん、今回は手伝ってくれて、本当にありがとうございました。誰の協力が欠けても成しえんかったことやと思う。……ほんまに」

「いえいえ……」

「どうも……」

「どういたしまして」

「で、これからやけど。とりあえず一般人協力者の枠になる三人には秘匿に関する契約書を書いてもらったり報告書を手伝ってもらったりちょっとした用事があるから、また声かけると思います。まあさすがにテスト後にしよかな、これは」

「ありがとうございますなのです」

「……助かります」

「わたしはどうなるのかな 敵対? 放置?」

「……保留。とりあえず上に報告する。まあ、悪いようにはならんように手は尽くすから、話が着くまでこの学校の周りには出てこんでもらえると助かる」

「ドライだなあ こみちゃんは」

「かなり譲歩しとるけどな。……で、みーちゃん」

「はいなのです」

「みーちゃんのその体質は、正直放っとけへん。知ってもうた以上陰陽師として、みーちゃんが共感の呪いの読心を悪用せーへんか監視せなアカンし、霊媒体質の呪いで変な怪異に襲われへんよう護衛せなアカンと思う」

「そ、そうなのですか……!?」

「そう。っていっても付きっきりになるのも難しいから……陰陽術を学んでもろて、ゆくゆくは()()()()()()()()()()のがええんちゃうかなって思う」

「陰陽師に!?」

「なれるんですか!? ミーコが!?」

 

 場の空気に呑まれて意気消沈していたカルテがイキイキと蘇って問う。

 陰陽術は何も血族にしか扱えない術というわけではなく、怪異言現(ごんげん)の仕組みを理解して修行すれば誰でも身に付けることができる。ただその事実を知って真面目に修練を積むのが陰陽師一族に生まれた者に限られるというだけのことなのだ。

 

 深衣の体質は今、中途半端で危うい状態にある。

 それは小路の父が遊んでいたゲームに例えて言うならば……レベルは最大値なのにポイントをステータスに振っていない状態。

 寄ってくる怪異(エンカウントする敵)はどれもこれもレベル準拠の強力で質の悪いモノばかり。なのに本人は攻撃も防御も赤子同然。食い殺されるのは時間の問題だ。

 

 故に、小路は最初から深衣の陰陽師修行計画を視野に勧誘していた。

 彼女の呪いによる厄介な体質も、正式に陰陽師にすれば桔梗様という粛清装置の監視下に置ける。

 今はクロユリさんに頼っているという呪いによる頭痛ダメージの回復も、招魂(しょうごん)祭や本命祭などを始めとした回復祈祷と祓を身に付ければ自分でこなせるようになる。

 

 まさにいいことづくめの提案。深衣が断るとしたら理由は一つしかない。

 カルテが頷くかどうか。

 

「どうしましょう、カルテちゃん……」

「なっ、んっ…………そ、それって、めっちゃ厳しくてプライベートの時間無くなったりしますか」

「んー? なんか事情あるんやったら、今回の功績もあるし最大限配慮させてもらうで?」

「実はアタシたち、『悪い子の呪い』っていうのを探してて……」

 

 二人の込み入った因縁をカルテはあたふたと説明し、深衣が適宜補足を入れる。

 彼女たちが探している呪いの件については月曜の朝にも端的に聞いていたのを思い出して、小路はなんとか二人の意志を把握した。

 

「仲直りのためになぁ……って、それが叶ったとき陰陽師やったらちょっとマズいことなるな」

「で……すよね……」

「んんーーーーわかった。ほな、高校卒業までは生存に必要な最低限の術を軽ーく教えるだけにしとこ。それまでにみーちゃんとカルっちのいざこざが解決してへんかったら、悪いけど陰陽師になってもらうな」

「ぐ……わかりました」

「そういうことなら、わかりましたです!」

 

 それで……。三人の話がまとまったところで。

 小路は未だ項垂れている加洲に目をやる。

 

 ──加洲センセ、ほんまどうしよ……。何を言うたらええんやあんなん……。

 ──きづなちゃん……かわいそうだけど、アタシはどっちかというと小灯芽さんの方に同情できるから、声掛けない方が良い気がする……。

 

 二人から彼女を立ち上がらせることは難しそうだと深衣は察する。

 加洲に共感の呪いを向けることは努めて避けている。その感情の程は意識せずとも漏れ出してくる気配だけでわかる重厚な絶望。自罰欲求(なんてことを)自己嫌悪(なんてばかな)求不得苦(こんなはずじゃ)希死念慮(もうしにたい)。迂闊に共感すればいい子の呪いから頭痛がもたらされるだろう。

 では、この場で頼れるのは。

 

 視線をやるまでもなく、期を察したクロユリさんが跪いて加洲に寄り添った。

 

 

「きづなちゃん きみはこれから どうするの?」

「………………これから?」

 

 私にこれからがあるんですか?

 

 生の光の消え失せたその眼差しだけで、誰もがそんな声を幻聴しそうだった。

 いつものクロユリさんならきっと愉悦満面の笑みを浮かべていただろうその様子に、しかし彼女は慈愛の女神のように穏やかな微笑みを向けていた。

 そっと撫でるような優しい声色で尋ねる。

 

「生きる? だったらどう生きる? それとも死ぬ? それならどうやって死ぬ?」

「おい怪異」

「クロユリさんもうちょっと言葉を……!」

「手加減してほしいのです……!」

「生きる…………死ぬ…………」

「そう ……といっても わたしは()()()()()()()()()()()と思うけどね」

「…………どういう、こと……?」

「そのままの意味だよ」

 

 

 きみは何も変わらなくていい ()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 開かずの教室の扉の前で、深衣は小灯芽(こひめ)に対して語った。

 未熟な自分の過ちで人一人の人生を奪った加洲が、この八年を人に優しく尽くすことで償って生きてきたことを。

 

 それでいい。そのままでいいと、クロユリさんは言う。

 

 なぜなら加洲はその八年間、小灯芽に償える機会はもう永遠にないと思って生きていたのだから。

 本当に永遠になくなってしまった今、そこに戻るだけ。

 

 きみはこれまでどおり 周りのみんなに優しく親切に尽くしていけばいいじゃない

 怪異少女はそう語る。

 

「でも……小灯芽ちゃんは、()()()って私に言った……。楽になろうなんて、許されようなんてしちゃ……もう、償うことさえ、もう……!」

「どうして? あの子はただきみに苦しみ続けろとしか言わなかった どんな風に苦しむかはきみの自由だよ」

「……え?」

「まさか こうは言わないよね 『人に尽くすのは苦痛じゃない』 なんて」

「…………」

 

 小さな気遣いを大きなお世話と断る人も世にはいる。

 やる偽善よりやらない善を無自覚に信仰する人間もいる。

 恩を仇で返す者もあれば、恩は恥と恨む者もいる。

 関係の希薄化が進む現代社会、積極的な優しさは時としてデリカシーを欠きプライベートを侵し、善行もハラスメントの(そし)りを受ける。

 

 目に付く誰もに優しくあるなど、苦行でなくて何だというのか。

 

「きみの在り方 とても好みなんだよね 善意からじゃなく自罰行為として親切をするその在り方 歪で めちゃくちゃで 健気で 哀しくて わたしにはとても愛おしい」

「……ただの、醜い自己満足です。償いなんかじゃ、なかったんです……!本当の意味で誰かに優しくするなんて、私には結局できない……できないの。自分の中の優しさを押し付けることしかできない。今日のことが、その証明……っ。私は何も変わってなかった……ひめちゃんに、寄り添えなかった……っ!」

 

 小灯芽を救えなかった。

 その事実が加洲をあらゆる幸福と肯定から遠ざけていた。

 今自分が少しでも楽になってしまうことを、加洲はとても許せなかった。

 深衣は呪いで知り得たその感情をクロユリさんに伝えようか迷い、視線を遣る。

 

 人間の不完全性を愛する彼女は、細められた目に慈しみを湛えていた。

 

「醜い自己満足もわたしは好きだけど…… 今のきみは 見えていないものをずばり言われた方が気持ちがいいのかな」

「……っ、なん、ですか?」

 

「世の中 小灯芽ちゃんみたいな子ばっかりじゃないんだよ」

 

「…………ぇ?」

 

 加洲姫綱(きづな)の慈善は清いものではないかもしれない。

 少なくとも彼女の無能によって穏やかな生を失った彼女は、やはり許すことができないだろう。

 

 だがそれは、一般論ではない。

 絶対ではない。

 真理ではない。

 すべてではない。

 

 彼女の償いに救われてきた人は必ずいた。

 救いを求めていた人が確かにいた。

 

 例えばのこと。

 電車で痴漢に襲われている人が皆、誰かに助けられることを屈辱と拒むだろうか。

 痛みを抱える体でごみを運ばなければならなかったあの老人が、右も左もわからない異国に来たあの外国人が、あるいは、いじめに心身を蝕まれていたあの生徒が。

 助けなんていらない。余計なお世話だ。そうやって拒絶するだろうか。

「そういう人もいるけれど」

 怪異少女は認めつつ。

「たいていみんな 救ってほしいものだよ」

 加洲が知るべき一面を訴える。

 

 血のように赤い紙でも、その裏側は白かもしれない。

 血の滲むようなその償いも、救済の白い光になれる。

 それがたとえ偽善でも。

 真に救われる人はいる。

 それは変えようのない事実なのだ。

 

「だからきみは このままでいい 自罰的な償いで苦しみ続けたらいい きみのおせっかいにきっとみんな感謝してる そうじゃない人もいるから 見極めはできた方がいいけどね」

「わ、たし……そんなこと……」

「小灯芽ちゃんは救えなかったね けど それが他の人を救えない証明になんてならないよ きみのこれまでは否定されてない」

「う、……ぐすっ、うう……!」

 

「みんなに優しく尽くす その贖罪は言うほど楽じゃない 好きなだけこれで苦しもうよ それできっといつの日か 償い続けてきたきみに至上の感謝が降る」

 

 それが呪いを融かすまで。

 自分を赦せるその日まで。

 

 生きて(苦しめ)

 

 小灯芽の言葉が繋がって。

 加洲は泣いた。声を上げて。

 

 子供のように、わんわんと泣いた。 

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