都市伝説少女   作:龍田乃々介

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第1話 愛について

 彼女は覗きができる場所を探していた。

 

 最初は屋上から覗くつもりだったのだが施錠されていた。

 都市伝説怪異「禁じられた七不思議」が退治されたことで正常に戻り始めた学校が、飛び降りのあった屋上をいつまでも解放しておくわけもなかった。

 暑気をすっかり失った橙色の夕日が校内に影を作る。暖かな日差しを受ける窓辺と仄暗い涼しさを這わせる教室側に廊下を二分している。

 その間(あわい)を行く黒染めの髪の少女。切り揃えていた横髪はこの二ヶ月で顎の下を過ぎ、肩に届こうという長さ。根本は地毛のブロンドが目立ち始めていることに彼女は気づいていない。

 今その頭にあるのはたった一つ。覗きができる場所。

 

 校舎のすぐ隣に位置する日本有数の霊山「鈴山(すずやま)」。

 大宅(おおやけ)カルテが探していたのは、深衣(みい)が小路(こみち)と二人きりで入ったその山中を高所から覗き見れる場所だった。

 

「四階の教室は全滅か……トイレの窓は狭いし高いし……いっそ屋上の鍵を破壊して……」

「大宅さん?」

「うぅわあぁっ!」

 

 不埒な計画を背後からの声が遮った。間抜けな悲鳴を上げた女子生徒が振り返る。立っていたのはカルテのクラスの担任教師。

 加洲(かしま)姫綱(きづな)。「禁七」の生みの親として、そしてその怪異に友人を連れ去られた者として退治に協力した彼女だった。

 

「きづなちゃ……先生」

「きづなちゃんでいいのよ、大宅さん」

「きづなちゃん先生。いつの間に、一体どこから……」

「そこの図書室から。テスト返却も終わって業務が一息つくころだから、気分転換に本でも借りようと思って」

 

 そう言って彼女は腕に抱くように持っていた単行本の表紙を見せる。タイトルは『愛の王』。表紙は黒々としたキャンバスに描かれた白百合で、写実的なタッチの女の手が口紅を使って百合の上に降り注ぐ血を描き加えている絵だった。

 

「ひめちゃんが好きだった小説の作者さんの本。三部作の最終章なの。一作目は『ラックレィディ』、二作目は『独蟲毒(ひとりこどく)』。大宅さんの趣味とは違うと思うけど、面白いから気が向いたら読んでみて」

「はあ、まあ、気が向いたら……」

「それで、大宅さんは?」

「え?」

「帰宅部なのにこんな時間まで残って何をしていたのかなって」

 

 口調こそ優しかったものの語尾には圧があった。

 やましいことをしていた自覚のあるカルテは思考を巡らせる。彼女は嘘が苦手だ。相手を騙すために事実と違うことを咄嗟に告げることがどうにも難しい。オカルトのことでなければそんなに速く頭が回らない。なので真実を白状しつつも全く悪びれない態度で押し通すのがいつものカルテのやり方だ。

 

「あの、校内でゾウの頭をした男が歩いているのを見たもので」

「ゾウ?」

 

 しかしカルテは嘘をついた。

 いつも通り自白しようとして、いやきづなちゃんならアタシでもワンチャン騙せるのでは、と考え直したのだ。

 

「時速100キロで走り去っていったんです」

「まあ速い」

「ほっとくわけにいかないと思って。探してました」

「そうなのね」

「はい。誓って」

「『屋上の鍵を破壊する』っていうのは?」

「スミマセン嘘つきました」

 

 クリティカルな独り言を引用され、舌の根も乾かぬうちに誓いを反故にするカルテ。流れるように頭を下げると、加洲はくすくすと小さく笑って許した。申し訳なさと気恥ずかしさから、なぜ覗きに及ぼうとしたのかという経緯をカルテは詳細に語ることにした。

 

「禁七の退治が終わったすぐあと……先生は放心状態だったから覚えてないと思うんですけど、蘆屋先輩とミーコの今後について話をしたんです。最低限の陰陽術を勉強して、自衛と自己治療ができるようになった方がいい……って」

「冷杯さんの体質……たしか、怪異に呪いを掛けられて、超能力みたいなものが備わったんだっけ」

「そんな良いものでは……ないはずなんですけどね」

 

 都市伝説怪異『人生破壊光線女』が深衣に焼き付けた呪いは三つ。

 他者の心の声を読み取り自動的に共感してしまう「共感の呪い」、善良な優等生としての行動や精神性を強制され逸脱すれば頭痛に襲われる「いい子の呪い」、そして「霊媒体質の呪い」、強力な霊視・霊感を発現したうえ厄介な怪異だけを引き寄せるもの。

 最初に刻まれた二つの呪いはかみ合わせが悪く、共感の呪いで受け取った負の感情が【悪感情を抱いてはいけない】といういい子の呪いの制裁を招き頭痛を引き起こす。その蓄積で意識が混濁していたこともあった。この果てに待つのは死であろう。

 そして霊媒体質の呪いは深衣の霊的安全を損なっている。呪い由来のいい子精神で助けた相手が実は未練を抱えた哀しき怨霊だった……というのはつい先日実際に起こったことだ。

 現状、深衣にはこれらに対処する術がない。頭痛によるダメージは人間に協力的な都市伝説怪異【怪異退治のクロユリさん】が持つ治療道具か陰陽師の術でしか治せず、襲い来る霊威怪災を払い除ける手段も持ち合わせていない。

 故に蘆屋家の長女にして標戸の筆頭調伏師である小路は、深衣を陰陽師見習いとして保護しつつ、自立のための術を教えることを提案したのだった。

 

「ただ、先輩がどうにもご多忙だったらしくて、テスト後からちょっと日が空いて、今日の放課後にようやく初修行をやるということになって」

「ふんふん」

「もちろんアタシも付いて行こうとしたんですけど、一応秘術だから興味本位の一般人には見せられないって言うんですよ」

「それはそうねぇ」

「で、修行はすぐそこの鈴山でやるそうなので、じゃあ頑張ったら校舎から修行の様子を覗き見れるのでは、って思いついたんです」

「そういうところなんでしょうね……」

 

 カルテはオカルトオタクである。それも、近場で噂になっている心霊スポットがあれば実際に足を運ぶようなタイプ。好奇心を原動力とする無駄な行動力を備えている。中途半端に陰陽術を習得すれば、余計に危険な状況に首を突っ込むようになるに違いないと小路は悟った。

 なので彼女は深衣に教える最低限の術に「同行者も守れるだけの霊的防護術」を含めることで、カルテをわざわざ修行対象から外したのだった。

 

「先生、蘆屋さんの判断は正しいと思うなぁ」

「それは……そうですけど。まあ正しいんだろうなって、アタシでもわかってますけど。でも……」

 

 俯くカルテ。加洲はそのつむじを見て、肩を見て、手を見た。蟠る感情を表すかのように揺れる頭、しゅんと縮こまってブレザーに着られているような姿勢、握り込んで震えていく拳。

 教師はそれらを見て、口元に優し気な微笑みを浮かべ声をかけた。

 

「大宅さん、ついてきて」

「えっ?」

 

 歩いて行くのは教室棟の西側。屋上へと通じる階段のある方へ。

 

「他の先生には内緒だからね?」

 

 唇に人差し指を当てて、細めた目で密やかに。

 カルテは言葉を呑み、ただ彼女についていく。

 逆転した陰と陽の間を歩いて教室を過ぎ、かつて七不思議の怪異が巣くった階段を踏み越え扉の前に立って。

 教員証を当てられた電子錠がピッと短く鳴いてランプを赤から緑へと変える。

 

 屋上に出て、加洲とカルテは鈴山を見下ろした。

 オカルトオタクの少女はしばしの間、木々の狭間に親友の姿を探した。黒のセミロング、金色のヘアピン、あるいは紺色のブレザー、ないしは白のシャツ。だがどれだけ探しても、オレンジがかった山の樹木に遮られて見つけることができず。

 やがてその思考は移ろい、傍らで風を楽しむように目を瞑る女性に向けられていった。

 

 正確には、この女と、女が執着した女について。

 

「先生、聞いてもいいですか」

「いいよ。先生に答えられることなら」

「屋上開けてくれたのって、償(・)い(・)?」

「……うん。私から、ひ(・)め(・)ち(・)ゃ(・)ん(・)以(・)外(・)の(・)み(・)ん(・)な(・)への、償い」

 

 彼女が最も償うべき相手はもういない。開かずの教室に幽閉されていた少女は、クロユリさんが槍で刺し殺したことで解放された。その魂はこの世のどこにも存在しなくなった。

 だから加洲姫綱は、自分の周りのすべての人に償うと決めた。尽くし施し親切であること。決して楽ではないその生き方に再び立ち返り、贖罪を続けることにした。

 そしてそれは、客観的な正しさよりも目の前の人を心から想いやるものであった。

 

「蘆屋さんの考えと照らしても、ここから見学するくらいならダメじゃないと思うしね」

「先生が生徒個人に特別配慮して屋上を開けたっていうのは、なんかマズそうだけど」

「ふふっ。それはそうね。けどやっぱり、私はこうしてあげたかったから」

「ほんとに、償って生きていくつもりなんですね」

「うん。私の命より大切なことだから」

 

「…………小灯芽さんのこと、好きだったんですね」

「…………ううん」

 

 首を振る。切なさの滲む声色で答えた彼女の目の端には、夕日を映す煌めき。

 

「今も、大好き」

 

 留まりそうになった目をカルテは逸らした。その先の言葉を、その先の感情を、それ以上知ることが躊躇われて、顔を見ていられなかった。

 いや、少し違う。

 怖かったのだ。

 手すりに乗せた手が硬直しているのに気付いて、カルテの頬に汗が浮かぶ。

 

「大宅さんは?」

「…………えっ?」

 

 細く短く小さな音が零れただけ。カルテはほとんど質問に反応できなかった。ただ、無意識で最も恐れていたことが起ころうとしていることに、うろたえただけ。

 意味が解らない。そんな顔をして止まっている少女に、女は告げる。

 

 

「大宅さんは、私みたいになっちゃだめよ」

 

 

 指が、爪の先が伸びてくる。女の細枝はカルテの脳天に届くと、最も重大な神秘をそこに込めるようにゆっくりと毛髪の隙間に入り込む。ブロンドの根本から、櫛のように手は下りていって黒染めの髪の毛を梳かす。

 カルテは動けない。テストが終わる直前に解答欄が全てズレていることに気づいたときのような感覚に襲われていた。ずっとあった違和感に、気づくのも怖ろしい事実に目を逸らしていたことに、今、気づきかけていた。

 

「地毛は金髪だったよね。大宅さん、ち(・)ゃ(・)ん(・)と(・)選(・)ば(・)な(・)き(・)ゃ(・)だ(・)め(・)よ(・)」

 

 金色に戻すのか、また黒く染めるのか。

 それはカルテには違う意味に聞こえた。

 そもそもアタシはどうして屋上に来たかったんだっけ?

 錯綜する思考は禁忌の周縁でその問いを拾う。

 ちゃんと選ばなきゃだめ。

 私みたいになっちゃだめ。

 屋上に来たのは、陰陽術の修行を見てみたかった……から?

 それは違うことくらい、もうわかってしまっていた。

 

 

 愛について。少女はようやく考え始めた。

 

 

 ◇

 

 

 結局、屋上から深衣たちを発見することができないまま辺りが暗くなりはじめ、加洲とカルテは校内に戻った。

 やや茫然自失とした状態になってしまったカルテを「そんなにショックなこと言っちゃったかな……」と反省しながら加洲は校門まで送り届けようとする。

 二人が昇降口で靴を履き替え、ピロティを出て正面玄関まで歩いて行こうとしていた、そのとき。

 

「せんせーっ! きづな先生ーっ!」

 

 教師を呼ぶ女子生徒の声が、部活終わりの生徒がまばらに散る校門前に響く。

 加洲めがけて駆けてくる少女。声でわかっていたが、その姿を見たカルテは改めてどきりとしてしまう。今は色々と考えてしまうのでばつが悪い……そんな相手。

 冷杯(れいばい)深衣。加洲のすぐそばまで走り寄った彼女は、しかし、そんな気まずさを吹き飛ばしてしまうような驚愕の出来事を告げた。

 

 

「す、鈴山で、死体を発見してしまったのです……!!」

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