陰陽道総局総務部に「ネット巷説監視課」という部署がある。業務内容はその名の通り、SNSやネット掲示板、ニュース、ブログ、文章サイト、動画サイトなど風説の発信や交流が行われる場所を監視し、そこで取り扱われる噂を記録すること。
『ヤク教狂シスター』の怪談を同課が最初に記録したのは、2025年6月21日。標戸《しるべ》市で小さなアロマショップを営む男性のブログの記述だった。
[最近、ちょっと変わったお客さんが増えていまして、少々狼狽しております。
どう変かっていうと、あんまり言葉にしたくないけど、まあ端的に言うと、
ラリってる人。
『ここエスは売ってへんの?』『ハーブでもええねん。アロマってそういうんないん?』『ハッパもないの!?』とか……(笑)
でもそれくらいの変な人ってわりと見る。別に覚えるほどでもないのだけど。
彼らがここに書きたくなるくらい変なのが、なんというか、ビックリするくらい馬鹿な事言うとこ。
僕が冗談で『一パケ百万なら売りますよ(笑)』とかって言うたら、こう返してくる。
『
そこ? 金額ちゃうの? お金は普通取るやろって(笑)]
[三人目のお客さんはちょっと話通じそうで、辛抱強く聞いてみた。
そしたらどうも前にお世話になってた売人が、もう言いようのない馬鹿を越えた馬鹿だったということがわかった。
エスの人、ハッパの人、そしてこのバツの人。みんな同じ人から
クスリを無料でもらってたらしい。
ヤク中仲間からは『聖女』って呼ばれてたとか。
さすがに妄想だと思いたいけど、昨日来た四人目はもっとまともで、もっと詳しく語ってくれた。
『ラリファ様は薬で全てを許してくれる。シスターラリファに懺悔したら、どんな薬もくれる、気持ちよくなれる、心から救われる。最初はハッパだったけど、もうずっとスピードを貰ってきた。もう戻れない。早くラリファ様に会いたい』
とのこと。
なんでもそのラリファって人、前までは袂町《たもとまち》をぶらついてれば簡単に出会えたけど、最近ぱったり見なくなったらしい。
つまりここ最近の変なお客さんたちは、そのシスターを探しながらこの辺を歩いてたついでで、見かけたウチで薬が貰えんかなって入ってきてたってわけですね。
もう、店先に看板出しときます。『おクスリはありません』って(笑)』
無料で薬を配る女『ラリファ様』の噂は他のブログやSNSでも散見されるようになっていった。何らかの理由で行方不明になった聖女ラリファを求めて、これまで隠れていた非合法なコミュニティが動き出したのだ。
そして、それを薬物などとは縁もゆかりもない生活を送る人々が目にする。
「依存性で人生を狂わせる麻薬をタダで押し付けてくる女がいる」「女の信者のような存在が狂った目で街行く人々を見ている」「消えたヤク中の聖女、そいつが今いるのは、あなたの住む町かもしれない」
青ざめるような不安が被害妄想を生み、妄想は怪談めいた語り口で恐怖を煽る物語に変質し。時を経て、都市伝説となる。
誰かがネットで呟いた。
[袂町の中華街にラリファ様いた!! マジでヤク押し付けられてビックリ……」
アルミパッケージに入った大量のラムネの画像を添えて。
総局の陰陽師が【ヤク教狂シスター】の顕現を確認したのは、2025年8月15日の夜だった。
◇
「伝承怪異【ヤク教狂シスター】の現在の概説は『話術や罠を駆使して知らぬ間に人を薬漬けにしてしまう怪異』です」
小路がその始まりを語ったのち、浄土寺が引き継いで現状を説明する。
淡々と語るその口調にはしかし、鋭い感情がはちきれんばかりに籠っているのを深衣は感じ取った。
「道端で話しかけられ、たわいない世間話が盛り上がっていつの間にか相手の差し出す飲食物を口にしてしまう。前を歩いていた女性がハンカチを落としたので拾ったら、そこに催眠作用のある薬液が染み込んでいて、触った手で目を擦ったり口に入れるものを触ったりすることで摂取してしまう。そうして薬物の快楽に浸った者には彼女の姿が修道服を着ているように見えてくるそうです。そしてそこで初めて名乗る。『ようこそ薬物の世界へ。わたくしはシスターラリファ。あなたはもうわたくしの仲間です』といったように」
「初期のころは『お金のない人が対象』とか『充実してる人は襲われない』とかあったみたいやねんけどな。公共施設の手すりやらボタンやらに薬を塗ってるとか、アルコール消毒液が麻薬に入れ替えられてるとか語られるようなった頃には、どんな人なら襲われへんとかもう語られんくなったわ」
「そ、そんな……それって、もうほとんどテロなのです……!」
「テロやで。正真正銘のドラッグテロ」
やからなんよ、と小路はそっけなく告げる。
無条件型実体怪異【ヤク教狂シスター】は人外のテロリスト。その対処はしかるべき機関の専門家たちに任されるべきこと。
故に、一般人である深衣やカルテには教えることができなかった。白髪の陰陽師少女はため息交じりに言う。「カルテちゃんに見抜かれてもうたけどな」と棘を出しながら。
「でも、アタシはともかくですよ? ミーコの呪いなら何か捜査の役に立つんじゃないんですか? 専門家である陰陽師やマトリの人たちでも捕まえられないなら、ミーコみたいな特別な……」
「カルテちゃん。自分が何言うとるかわかっとる?」
「っ……!」
専門家でも捕まえられない危険な相手。その逮捕に最近護身術を身に付けたばかりの少女を連れてくるのがどんな結果を招くのか。
話題の怪異の実在に熱を上げていたカルテの血が急速に冷める。深衣をどんなものだと認識していたのか、その酷薄な一面を強く意識させられ動揺する。
──アタシ、親友をまた……!
落ちこむカルテを見て共感した深衣は、元々近かった距離をさらに腕が触れ合う距離まで縮め、さらに手を繋ぐ。同じ様に重い気持ちになっていることを伝え、その感情を分け合えるように。
「……いや、ウチが言えることやないな。ごめん、二人とも」
「え?」
「こみっちさんからお二人のことは先に伺っておりました。陰陽師に勝るとも劣らない知識と素晴らしいひらめきを持つ大宅《おおやけ》さん。そして呪いの力を使いこなし情報収集から囮捜査までこなせる万能人材の冷杯《れいばい》さん。怪異討伐に全力を尽くすに当たり、貴方たちに再び協力を仰ぐべきか否か議論したんです」
「こら」
「そうなのですか?」
「はい。こみっちさんの発案でした」
「こらって」
「失礼ながら、ここまで話したのであれば伝えておくべきです。こみっちさんがどれだけ二人の能力を信頼しているか、どれだけ苦心してこの魅力的な助けを借りないことにしたのかということは」
「はあああ……。うん。まあ、そういうわけ。カルっちもみーちゃんもホンマのところは手伝ってほしいんやけど……手伝わせたら桔梗様に殺されるやろってレベルで相手がヤバいから。今回は聞かんかったことにして、日常生活だけ気ぃつけて」
【桔梗様】。陰陽師の間で畏怖されるその怪異は、悪事を働いた陰陽師の前に現れてその者を惨殺するという。カルテと深衣を巻き込むことは死に値しうる悪事ということらしい。
二人にはもう承知するほかなかった。
意気消沈した様子ながら、事の経緯を詳しく教えてくれたことに二人の少女は感謝を述べ、重い足取りで薄暗いモニタールームを出ていった。
彼女たちの背中が廊下の向こうに消えるのをこっそり見守った小路の後ろ姿に、浄土寺は声を掛ける。
「そういえば、例の『人間の味方である怪異』というのはどうなりましたか」
放送準備室の狭い通路。小路は扉をぴったりと閉じて音が漏れないようにする。
今彼女にはこの通路が、振り返る事すら難しいほど余裕のない場所であるように感じられた。
「それも考え直してな。あっちが自主的に動くならさておき、こっちから持ち掛けるんはやめとくって決めた」
「懸念点がある、でしたか。解決しなかったんですね」
「みーちゃんと話して……むしろ疑いが深まってな。でも、正直今は、今回だけは……勝手に手伝いに来てくれんかなあって思ってまうわ」
「ふ……頑張るしかありませんよ。標戸市民のみなさんの健康な日々を取り戻すため、粉骨砕身、努力いたしましょう」
「んああー、そうやなあ……」
何度目かの根性論に何度目かの溜息を吐き抜いて。
骸のように白い髪を揺らして小路は教室の扉を開け、仕事に向かった。