電車の窓に貼られた広告が見たことのない物に変わっていた。黄色のガーベラに埋もれる、満面の笑みの女性。近くのフラワーショップの宣伝らしい。
日常的に行き来する場所は、見ているようで見えていないのだということを
電車を出て改札口へと上る階段とエスカレーター。その手すりに手を置いている人はほとんどいなかった。
窓口の隣にあるトイレの入り口、そのすぐ横の壁には[注射器を発見した場合 直ちに警察に通報します]と貼り紙がされているのを見つけた。
いかにも清潔な白い照明に包まれる地下街では数十秒おきに警官とすれ違った。
横断歩道前で待っていると後ろの方で女性が男性にナンパされる声が聞こえ、振り返ったときにはナンパをしていた男性が警察に職務質問される構図に変わっていた。
センター街を向こうから歩いてくる人々を見て、白色や肌色の薄いゴム手袋をしている人も少なくないことに気づいた。
ファストフード店も喫茶店も目に見えて空いていて、従業員からは不安と焦燥が滲み出ていた。
「
傍らで独り言のようにカルテが呟く。
「この感じだと、クロユリさんも異変に気づいて何かしら対処してくれてるかもね」
「そうですね。クロユリさんなら……その、ヤク教狂シスター、でしたっけ。勝てると思いますか?」
「フッ、何言ってんのミーコ。クロユリさんは最強の退治人よ。勝てるに決まってる。あのクロユリさんの槍を見て生きて逃げ延びた怪異なんて一体たりともいないんだから」
◇
『見つけられたら の話だからねえ』
「そんな……クロユリさんさんでもダメなんて……」
プラザの物置スペース。カルテが電話越しに聞く声の主は、積まれたコンテナ山の頂上に黒タイツの脚を組んで座っている少女。
黒地に白のラインが入ったセーラー服、腰まで伸びる長い黒髪、そして闇を切り取ったかのような真っ黒の瞳。標戸では有名な都市伝説、怪異に襲われている人のもとに現れては怪異より怖ろしい力強さで霊威を打ち払うと語られる少女。【怪異退治のクロユリさん】。
その彼女でも、巷を騒がせるドラッグテロリスト、怪異のシスター『ラリファ様』を捉えることはできていなかった。
『こみちゃんはそのラリファって怪異のこと 無条件型だって言ってたんだよね』
「はいなのです。最初は襲われる条件があったらしいのですが……」
「ラリファ様の怪談は『知らないうちに麻薬の依存症にされる』ってのがキモだから、噂がどんどん罠みたいなのを仕掛けられる方向に変化していったのよね。それに加えて『ヤク教』っていうシスターラリファの信奉者を名乗るカルトが現れて、ラリファ様と同じようにクスリの無料配布を無差別に始めたもんだから、条件なんて関係なくなっちゃったのよ」
逆に、「医者のような白衣や白い服を着ていれば襲われない」「警官のような薄青の服を着ていれば逃げて行く」などの「襲われない条件」は現在進行形で話題になっているとカルテは補足する。
それを聞く退治人の少女は頬杖で支える顔に不敵な微笑みを浮かべていた。
『見つからないわけだ そういう権能を貰ってるんだろうね』
「え? クロユリさんって黒いセーラー服ですよね? 避けられてるってことはないんじゃ……」
『ううん 「知らないうちに」っていう部分』
気づかないうちに麻薬を呑まされる、というところが怖がられている怪談。それが具現化した存在であるならその怪異は、薬を飲ませようとしているときには気づけない状態になっていると考えることができる。
権能──都市伝説により定義され、怪異
『怪異の気配を隠滅して 人に紛れて気づかれなくする力がある それがわたしや陰陽師の人たちがラリファを見つけられない原因だと思う』
「なるほど、そうだったのですね……。となると対抗策は、光線女のときと同じように現場を取り押さえること、なのです?」
『現場を抑えても気づけないかもね 彼女今が盛りの都市伝説みたいだし 権能も強力そう』
「え、いや、界隈ではちょっと引かれてます」
『え そうなの?』
「はい。だってもう普通に犯罪だしテロだし災害なので。ジャック・ザ・リッパーだって、殺人が起きてた当時はただの連続殺人事件で、犯人が捕まらないまま時間が経ったことで伝説になったじゃないですか。そんな感じで、実在の害悪として社会的に認知されてるとなんか気ノリしないんですよね、オタクって。不謹慎な盛り上がり方したら外野から炎上させられるし」
『そうなんだ』
「はい」
『まあそれでも 現場を取り押さえるより権能で「発見」することが有効になるんじゃないかな』
「あ、それって確かこみ先輩も言ってた……」
『反対の権能をぶつけるってやつだね あの子たちなら占いとかで見つけられそう』
伝説はほとんど定番化し、大きくなりすぎた事態に語り部たちは興味を失い始めている。今なら陰陽師が有する何かしらの術や祭祀によってシスターを発見することは可能だろうと、怪異少女は考察し。
そして黒いスカートのポケットからスマートフォンを取り出した。
『そしたらここに連絡が来て わたしとこみちゃんたちで片づけて万事解決 かな』
「えっ……クロユリさんが、スマホを持っているのです!?」
「えぇっ!? 怪異なのに!? ってかいつのまに!?」
『ふふ こないだこみちゃんと会ったときにね 陰陽道総局から支給されたんだって 首輪を嵌められるのは気にくわないから 場合によっては無視するかもよって言ったんだけど』
「はい! はい! クロユリさん連絡先交換してください!」
「あたしも、いつでもお話できるように!」
『いいよ ところでこれどうやって操作すればいいの?』
「おばあちゃん……!?」
姿を視認できている深衣の案内によって、クロユリさんはスマホの基本操作を習得。無事にメッセージアプリの友だち欄に加えられた「クロユリさん」の文字を見て、女子高生二人は奇妙な感慨に胸を熱くするのだった。
◇
「いや~思ったよりなんとかなりそうな話が聞けてよかったわね、ミーコ!」
「そうですね! こみ先輩たちが怪異を見つけて、クロユリさんが現場に駆け付ければ必勝。もう事件解決は時間の問題なのです!」
プラザを出て、センター街を歩きながら深衣とカルテは楽し気に話しつつ帰路についていた。駅へ向かう方角、通りの向こうに見える外の交差点はすでに薄暗い。
「そう考えると、『悪い子の呪い』のことを訊き忘れてたのがちょっと痛いわね」
「あ、そうだったのです。クロユリさんのスマホで盛り上がって忘れてしまっていました」
「アンタ頭痛治してもらうのも忘れてるわよね? 頭痛いのに気付かないもんなの?」
「はっ! もう慣れ切ってしまっているので、全然気づきませんでした……」
「へえ~。まあ、その呪い食らってからもうすぐ二か月だもんねえ」
「はい。 …………」
談笑はそこで途切れる。二人とも思い出してしまったのだ。
都市伝説怪異の権能による影響は、怪異が倒されても消えないということを。
深衣が今も呪いに脳を痛めつけられているのと同様に、ヤク教狂シスター】の被害者たちもこの先の人生を断薬の苦しみと共に生きることになる。あるいは、既に麻薬なしでは生きられない体にされているのならば、生き続けることを選択できないかもしれない……。
そう考えたとき、深衣の頭には一人の少女の姿が思い浮かんだ。
中間考査の終わったあの日、雀子から密かに教えられたこと。「袂町の中華街で薬物に溺れていた」という、かつて深衣の親友。
深衣と共にカルテをいじめ、深衣が変わってからは取り巻きの一人と共に深衣をいじめて、カルテに殴り飛ばされたあの日を最後に学校に来なくなった彼女。
「カルテちゃん。実は、伝えようか迷っていたことがあるのです」
「え? ……なによ」
「カルテちゃんにとっては知りたくないことかもしれない。いえもはやどうでもよすぎて虫酸が走ると言うかもしれないと思って黙っていたのですが」
「アタシを何だと思ってんのよアンタ」
いいから言ってみなさいよ、しょーもなくても笑ってあげるから。いじわるな笑みを浮かべつつも、秘密を明かされることに喜びを覚えている、今の親友。彼女に深衣は打ち明けた。
自分たちをいじめていたリコが、ヤク教狂シスターの被害者になっているかもしれないことを。
「…………あっそ」
「…………」
「……いい気味よ」
「カルテちゃん……」
顔を背けて、深衣に見せない。歩く足が止まりそうになって、悟らせまいと速足になる。言葉の出ないその背中が、十分にその感情を深衣へ物語る。
深衣は手を伸ばし、名前を呼んで彼女を引き留めようとした。
その時。
「ミーコっ!!」
深衣の後ろから、彼女を呼ぶ声がした。
二人のいじめっ子、リコとエミを殴り飛ばしたあとに。
それを知ることなく、その以前から彼女をミーコと呼んでいたのは二人だけ。
背後に駆け寄り腕を抱きとめるようにして深衣を捕まえたのは、そのうちの一人。
「ミーコっ……助けて……っ、リコを助けてッ!!」
髪も着衣も乱れ薄汚れた格好の彼女は、涙に濡れ皺を作って歪むぐちゃぐちゃの顔を向けて助けを求めてきた。