「……てください。……さん、起きてください。
「んあっ!? はい!?」
跳び起きて口元を拭くエミの前には、複数のスーツ姿の大人たち。
手前に立ち声を掛けてきていた女は氷色の眼鏡を人差し指で調整すると、寝ぼけ眼の少女をしっかりと見据えながら言った。
「初めまして。
「ええええっ!?」
「あっ、浄土寺さん! もうちょっと柔らかく伝えてあげてほしいのです!」
「え、み、ミーコ!? なにこれ、誰これ、どゆこと!?」
強面の大人たちの隙間を這い出て部屋に入ってきた深衣。ベッドに小さく駆け寄って、困惑するエミに事の経緯を説明した。
「この方は知り合いの麻薬取締官の浄土寺さんです。エミちゃんがヤク教の薬物事件に巻き込まれていることを相談したら、すぐ駆けつけてくれたのです」
「は、はあ!? 知り合い!? なんで!?」
「えっと……薬物乱用防止教室で」
「参加して正解でした。こんな拾い物があるとは」
「は、ウチを、通報したってこと!? なんで!? 助けてくれるんじゃなかったのミーコ!」
「うるさいわよ犯罪者。アタシには散々言ってきたくせに自分はできないのねえ、客・観・視」
次いで部屋に入ってきたカルテが刺々しい言葉でエミを切る。
エミの供述によれば、彼女は違法薬物「シスタードラッグ」を日常的に使用してきたうえに、ヤク教の手下として街中に薬物を散布する活動に従事していた。
一般市民に通報の義務はないが、いい子の呪いを刻まれた深衣に知らないフリは不可能。むしろそれが本人のためになると考えて、
「そんな、だってウチ、捕まったら懲役五年だって、リコが」
「? 三重寺さん。勘違いをしていませんか。未成年が薬物事犯で逮捕されても刑務所での懲役とはなりません」
「……へ?」
「無知に付け込まれたようですね。この後の流れを簡潔に説明しましょう」
きっぱりとした口調で浄土寺は述べていく。
逮捕状による通常逮捕。留置所での拘束と警察からの取り調べ。その後は検察庁へ送致され検察官からの取り調べ。エミは現在進行中の薬物テロ事件に関わっているため少年鑑別所に勾留され、調査が長引く可能性が高い。それが終われば事件は家庭裁判所の預かりとなり、エミの態度や家庭環境、鑑別結果などを参考に審判が下される。
「青少年のシスタードラッグ事案はまだ判例が少ないので推測にすぎませんが、悪くとも少年院送致で済むでしょう」無愛想で冷たい声色で言いきる浄土寺。そのせいかエミの表情にはまだ困惑と動揺が滲んでいて、何を言うこともできないでいる。
コホン、と咳ばらいをすると、少し上ずって言い直した。
「つまるところ。あなたに課されるのは
「き……ぼう……」
ぼんやりと浄土寺を見上げていたエミがふいと俯いて視線を逸らす。横髪で隠れた目元からぽたぽたと雫が落ちるのを見て、深衣は静かにベッドに腰を下ろし寄り添った。
「リコちゃんはあたしたちが必ず助け出します。エミちゃんの罪の清算はあたしたちみんなで手伝います。一人で苦しまなくていいのです。ここからは一緒に歩いて行きましょう、なのです!」
「あ……ああ……っ、ごめん……っ、ごめんなさい……っ! うう……ああああ……!」
泣き出すエミの肩を撫でながら、深衣は精一杯の慈愛を込めて囁いた。
「話してくれて、ありがとうなのです……」
潮時と見た浄土寺はエミを介助して立たせる。逮捕時刻と罪状を確認して手錠を掛け、取締官の仲間と共にエミを連行。タワーマンションの入り口に止められた警察車両に乗せると、運転手と少し話をしてあとの手続きを仲間に任せた。
興味本位に集まった野次馬を警察官が散らし、
「ご協力ありがとうございました。彼女のことは責任をもって私たちが預かります」
「こちらこそ、ありがとうございました。よろしくお願いするのです」
「それで、大変申し訳ないのですが
「ハァ!? なんでアタシたちが!?」
「みなさんの潔白を物証で以て証明し、話を通しやすくするためです。エミさんの供述の信憑性を形作る土台の一つとして、友人であるお二人と場所を提供したお母様が薬物に関わっていないことを記録に残す。必要なことです。どうかご理解ください」
「えぇ……」
「そういうことであれば、もちろん協力するのです! さあカルテちゃん、うちに戻りましょう!」
「アンタそれがこれから尿を採取される人間の態度? 少しは嫌そうにしなさいよもう……」
「ちなみに、一般的な尿検査とは異なり証拠品を採取するためですので、係官が現場に立ち合い一挙手一投足を撮影する決まりになっています」
「…………え?」
「冗談ですよね……?」
「この浄土寺、仕事でふざけることは生涯しないと決めております」
◇
「あっははははははははははっ!! ひーっ! ふふっ、ふはははははははっ!」
「悪役みたいな笑い方がでているのです……」
「先輩とはいえ一発しばくくらい許されるのでは」
「ひーっ、あいや、ごめん、ごめんてカルっち。平手しまって。くふふふふっ……」
翌日。朝のホームルーム前の時間に三人はモニタールームに集まっていた。
この部屋は外部から見えない隠し部屋であるため、採光窓がなくいつも暗い。だが一昨日の集合のとき不便に思っていたのか、今日は小路が持ち込んだらしいスタンドライト数台がデスクに並んでおり、ソファで笑い転げる彼女の姿もありありと二人の目に焼き付くのだった。
「いやーでもなあ、ちょっと笑うくらいええやん。二人とも、ウチが『首突っ込むな』って言うた次の日にこんな事件起こしとるんやから。報いっていうか、なあ」
「あう、ごめんなさいなのです」
「言いがかりよ言いがかり。アタシたちの責任の範囲でできることをしてたら巻き込まれたってだけです」
「はいはいせやな。んで? どーいう話になったんやっけ、みーちゃん?」
ふかふかのソファに身を起こして座り直した小路が脚を組みながら訊く。机を挟んで対面の椅子に座る深衣は身を乗り出して答えた。
「【ヤク教狂シスター】……怪異シスターラリファの捜索及び退治に参加します。あたしをまた囮に使ってほしいのです!」
「うんうん。ゼッタイ無理」
「無理なのです!?」
「さすがに危なすぎる。禁七とは害悪度と規模が違う。今回囮作戦はナシナシのナシでーす」
「そんな……!」
「…………」
「カルっちも、そう思うやんなあ?」
傍らで、パイプ椅子に座ることを拒否して立ったままのカルテ。黒々とした瞳を向けられ、顔を背ける。
にんまりと笑みを作った小路は一歩も退かない。更なる問いかけで追撃した。
「カルっち的に、OK出せへんやろ? 顔見たらわかる。ビッミョーな顔しとる。自分らをいじめてた奴のために、親友が無謀な事して命を危険に晒すとか……了承できひんよな?」
「…………」
「カルテちゃん……」
「みーちゃん。ウチでもわかるレベルや、キミもわかっとったんちゃう? カルっちは反対やって」
「……違います」
「……なに?」
心胆を寒からしめる、とはこういうことかとカルテは慄く。小路の低い声と短い言葉には鋭く重い圧力があった。
──自分がなに言うとるかわかっとる?
一昨日の言葉が蘇る。肩が強張り、縮こまる身体という檻に閉じ込められた感覚がする。ようやくその意味がわかってくる。自分が、この先輩を恐れているということを自覚する。
「恐がらんでええよ。一緒に怪異を倒した仲やん。言いたいことあるんやったら……言うてええんやで?」
普段より一層訛りが出て、いつもはその澄んだ声質により感じられない荒っぽさが牙を覗かせる。おそらく、意図してそれをやっている。言外にこう言っているのだ。
──黙っとけ。安全圏から出てくるな。
深衣の行動原理はカルテに大きく依っている。どんな偉業善行であれそこにカルテへの誓いを守れなくなる可能性があるのならば、カルテの承認なしに深衣が乗り込むことはない。それが二人の間に交わされた約束、深衣がいい子の呪いで狂気に陥らずに済んでいる命綱。
しかし、誤算があった。
「こみ先輩」
深衣は「いい子」ではあるが、主人の命令を待つ犬ではない。
「カルテちゃんに圧をかけていじめるのはやめてくださいなのです」
時に守り、時に背を押す。
彼女はカルテの「親友」なのだ。
信頼に満ちた眼差しをカルテに向けて、深衣はにこりと微笑みかける。
「カルテちゃんはツンツンしているように見えて根は小心者なので、そんなふうに威圧されては思っていることを言えなくなってしまうのです。ですよね、カルテちゃん」
「……は? ハア~~~~~~~~!?」
その顔。深衣のすべてをわかりきったような顔に、カルテは心底むかっ腹が立った。
怒りの炎が臓腑を煮やし、ここ数日で溜まった鬱憤がグツグツと沸騰し、赤々と燃える言葉たちがタービンを回す蒸気のように噴き出してゆく。
火が付いた彼女の
「馬ッ鹿アンタ見てなさいよ、言えるわよ言うわよ言ってやるっての!
先輩。確かに、確かにアタシは正直モヤってます。アタシのこともミーコのことも散々いじめてきたボケ二人が自業自得で勝手に破滅したくせによりにもよってアタシたちに助けを求めてきたことにそりゃあ腹が立ってますよ当たり前ですよ調子いいこと言いやがって地獄まで行ってこいよって!! 死ねばいいのにって!!
……でも、違ったんですよ。エミの顔は。
死ねばいいのにとは思うけど、死ぬより辛い生き方しろとまでは思ってないです。地獄に行けとは思うけど、アタシより酷い地獄でずっと苦しめとまでは、思わないですよ。殴り飛ばした後のあの、鳩が
それが、そのせいでとか言い出した。アタシが殴り飛ばしたせいで不登校になって、そのせいでシスターに会ってクスリに嵌って、そのせいで一人はカルト落ち一人は逮捕になったとかアイツ言うんですよ。は??でしょ。納得できませんよはらわた再び煮え繰り返しますよ満足が不満足になりますよ!!
……終わってた感情が、未練になっちゃったんですよ。
先輩の言うことはわかります。相手がヤバすぎる。ヤク教狂シスターは、ただの高校生のアタシとか、ちょっと便利な呪われ方してるだけの女の子が手を出していいレベルじゃない。今度こそ、取り返しのつかないことになるかもしれない。ミーコを、失うかもしれない。それよりもっと恐ろしい事だって起こりうる……。
それでもやっぱり、やりたいことはやりたい。
間違った選択でも、悔いのない結果に辿り着きたいんです」
怒声を飛ばしたカルテが、今度は直角に腰を折って頭を下げる。
陰陽師・蘆屋小路に希った。
「手伝わせてくれないならそれで構いませんが。
だったらこっちを手伝ってください。
アタシとミーコがラリファを引きずり出します。アタシたちを守るのとラリファをぶっ殺すの請け負ってください」
その場の誰も聞いたことがない傲岸不遜な頼みごと。
齢十七の小路はただ素朴にその態度を受け止め、ソファから立ち上がって言った。
「いやだから、