Re:ゼロから始める宿儺の器の異世界生活   作:カノンだよ

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第一章3『忘れてしまったこと』

――そこは通りを一本外れただけにも関わらず、ひどく陰鬱な空気の渦巻く場所だった。

 

静まり返った小道。人の気配が、生き物の気配が遠い。

あれほど多くの人で賑わっていた表通りとそれほど距離があるわけではない。にもかかわらず、あの喧騒がまるで夢の彼方のようだ。

 

「盗品をさばくなら貧民街って話だったけど」

 

呟きながら、虎杖は表通りに通じる小道から噂の貧民街に続く路地へ顔を突っ込む。

 

「空気も雰囲気も、不良のたまり場よりずっと悪そうだ。ほんとに行くの?」

 

「当たり前でしょ。せっかく果物屋のご主人が教えてくれた、貴重な手がかりなんだから」

 

「そのあとに、出来れば諦めた方がいいとも言ってた気がするけどなぁ……」

 

果物屋でのやり取りを反芻する虎杖は渋い顔をする。

果物屋での偶然の再開と窮地からの逆転を経て約三十分――二人は今、王都の盗品の多くが持ち込まれると噂の『貧民街』の入口に立っていた。

 

愛娘の恩人と会って、強面の主人は虎杖たちに親身になって話を聞いてくれた。結果、貧民街の情報を得ることはできたものの、二の足を踏んでいるところだ。

 

「今更だけど、人呼んだ方が確実じゃない? 警察、衛兵? ……がいるのかは分かんないけど、そういうプロの方たちに任せるってのは」

 

「ダメなの」

 

しかし、虎杖の提案はぴしゃりと切って捨てられる。その断言ぶりに虎杖は目を白黒させた。

 

「ごめんなさい。でも、ダメなの。こんな小さな盗難に衛兵が動いてくれるとは思えないし……そもそも、衛兵には頼れない事情があるから」

 

きゅっと唇を結び、サテラは「理由は言えないけど」と縋るように虎杖を見た。

事情を聞かれたくないのだろうな、とその視線に虎杖は軽く手を挙げて応じる。

 

「了解。それじゃあ大人しく二人で行きますか」

 

「二人と一匹、だよ」

 

気落ちさせないよう、あえて軽い調子で尋ねる虎杖に子猫が合わせる。

ふいにサテラの肩に出現したパックは、その手で顔を洗いながら二人を見回し、

 

「とはいえ、無駄話をしている時間はそろそろないよ。僕もあと一時間くらいで定時だから」

 

「定時? なにそれ?」

 

「僕ってば早寝遅起きの健康的な精霊だから。日没が来ると結晶の中に戻っちゃうんだよね」

 

「……そりゃまた猫っぽいな」

 

パックの職業意識の高さに感心しながら空に目を向ければ、建物の切れ間から覗く空の大部分に橙色が刺しているのに気づく。

夜になればますます、あの少女を見つけるのが難しくなる。――急がなくてはならない。

 

「うし、聞き込みは俺がひとっ走りして済ませてくるよ。お姉さんとパックはここにいて」

 

「え……なんで? 私も行くわよ」

 

「……お姉さんみたいな美人は、ヤンキーとかの標的にされやすいんだよ。喧嘩で負けないとしても、話すだけで不快な気持ちにされるかもしれない。俺はこういう場所慣れてるから、任せてといてって」

 

「今更そんなこと、気にしたりしないわよ! そ、それに……」

 

サテラは虎杖の物言いに声を荒げる。だが、直後に一片、ほんの少しだけ紫紺の瞳を細めた。

 

「私が女で標的にされるとかは、ならないと思う。……私、ハーフエルフだから」

 

「――――」

 

思わず、虎杖は言葉を失って黙り込んでしまう。それを見たサテラの双眸に複雑な感情が過った。サテラの瞳に浮かぶのは、諦観と失望が入り混じる不可解なものだ。だが、

 

「エルフとか余計モテるに決まってるじゃん。ちゃんとここにいてね」

 

「……あれ?」

 

直後の虎杖のなんでもないような返答に、当てが外れたサテラは目を瞬かせる。

 

「すぐ戻ってくっからー!」

 

「え!? あ、ちょっと!!」

 

言い際に走り出した彼の足は驚くほど速く、声をかける間もなく、その後ろ姿は見えなくなった。

 

「……足が、すごーく速い」

 

「うん、あれは半分人間やめてるね」

 

西中の虎は50メートルを3秒で走る。地元では、有名な話だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひょっとして、フェルトの奴かもしれないな。金髪のはしっこい小娘だろ?」

 

有力情報にぶつかったのは、虎杖が聞き込みを始めて十人目に差しかかったころだった。

相手は、虎杖が趣向を変えて「よう、兄弟。景気はどうよ」と馴れ馴れしく声をかけてみた男だ。

 

「もしフェルトの奴なら、盗んだものは盗品蔵の中だろうさ。札付けてその蔵に預けて、あとでまとめて蔵主のじいさんが他所の市場にさばいてくんのさ」

 

「ほう」

 

サテラから徽章を奪った少女の名前。そして、その保管場所。

ようやく掴んだ有益情報に、虎杖は「ありがとうございます!」と元気に頭を下げ、その場を後にした。

サテラのもとへ戻り、情報を共有する。――その矢先、ひとつの区切りが訪れる。

 

「ゴメン、ボクもう限界だ」

 

パックがサテラの首にぐったりともたれかかった。その灰色の毛並みは淡い光を帯び、像が揺らぐほどに弱々しい。

パックがサテラへ視線を向けると、彼女は胸元から緑色に輝く結晶を取り出した。

 

「無理させてごめんね、パック。あとは頑張るから、ゆっくり休んで」

 

掌の結晶は、宝石とも違う淡い光を灯す――クリスタル、と呼ぶのがしっくりくる。

パックは肩から腕を伝い、結晶にたどり着くと、小さな体を伸ばして抱きついた。そしてサテラへ振り返り、

 

「分かってると思うけど、くれぐれも無茶しないように。いざとなったらオドを絞り出してでもボクを呼ぶんだよ」

 

「わかってます。私、もう子供じゃないもの」

 

「どうかなー。ボクの娘はそのへん結構怪しいからね。……頼んだよ、ユージ」

 

親が子を見るような慈愛の眼差しを向けられ、サテラは照れ半分、不満半分の表情を浮かべる。

その流れで名を呼ばれ、虎杖は拳を合わせて応じた。

 

「――うす!」

 

「うん、いい返事だね。それじゃ、お休み」

 

最後にサテラへ一瞥を向けると、パックの小さな体は光粒となって溶けるように消えた。

喋る猫――という部分以外で、初めて精霊らしい幻想を見た虎杖は、胸の内に感動めいたものが込み上げる。

 

さようならパック、ありがとうパック、センキューフォーエバー。あの毛並みは忘れない。

 

「……なにか、バカなこと考えてるでしょ」

 

「いや、あんな死にそうな消え方されたらビビるだろ」

 

軽口を交わしつつ、二人は盗品蔵へと足を向ける。

 

情報提供者によれば、盗品は蔵にあるうちは買い戻しも可能らしい。だが二人は一文無しだし、盗まれた物に金を払うのも妙な話。

交渉してダメなら――多少強引にでも取り返すしかない。

 

あーだこーだと徽章の扱いについて押し問答を続けながら歩くこと十分。二人は盗品蔵の前に着き、顔を見合わせた。

 

「さて、噂通りなら中に蔵主がいるはずだけど……どうする?」

 

「正直に行くわよ。盗まれた物があるから中を探して、見つけたら返してって」

 

「一旦話し合うのは賛成だけど……お姉さん、それで本当に何とかなると思ってるでしょ」

 

「ならないの? ちゃんとお願いするのに……」

 

「…………」

 

――根が、真っすぐすぎる。

 

盗人相手にも誠実さで通じると信じて疑わないサテラに、虎杖はため息をひとつ。

 

「あー、ここは俺に任せて。こじれる未来しか見えない」

 

「……分かった。私、ユージを信じてみます」

 

「ここで二つ返事!? やる気出させるの上手いなあ!」

 

「茶化さないで。私だって、色々考えた上の判断なんだから!」

 

サテラは両こぶしを胸の前でぎゅっと握り、虎杖を送り出す。

その善意が素直に嬉しくて、虎杖は勢いよくドアノブを引いた。意外にも施錠されておらず、中は暗い。

 

「返事は……ないな。俺が先に入るから、お姉さんは盗人が逃げないよう見張ってて」

 

「うん。でも、せめて明かりは持っていって」

 

そう言ってサテラは、ラグマイト鉱石という白い石を渡してくれた。ほのかに熱を持つ結晶はぼんやり輝き、蝋燭程度の光源を確保してくれる。鬼が出るか蛇が出るか。どちらにせよ怖気づく気はないと、覚悟を決める。――そんなときだ。

 

「ねえ、お姉さん」

 

「……どうしたの?」

 

「もし、俺が無事に徽章取り戻せたらさ――俺と、友達になってくれない、かな」

 

「…………え」

 

あまりにも唐突で、あまりにも脈絡のないそのお願いに、サテラは間の抜けた声を漏らした。

けれど虎杖にとって、それは決して思いつきで口にした願いではない。少女に出会ってから、少し時間が経った頃から。ずっと考えては口にできなかったお願いだ。

 

見知らぬ土地、見知らぬ人々。そんな中で、虎杖という異物に迷いなく手を差し伸べてくれた少女。彼女との関係は、きっと徽章を取り戻した瞬間に終わる。「お礼はいらない」と言って始めた手伝いだ。用が済めば、それでおしまい。本来なら、それ以上を望む理由なんてどこにもない。

それなのに、彼女と過ごしたほんのわずかな時間の中で、虎杖は思ってしまったのだ。また一人になる時間を、怖いと。

 

「お礼はいらないって言った手前、今さら恰好悪いのは分かってる。けど」

 

言葉を探すように、虎杖は一度視線を逸らし、それから意を決したように続ける。

 

「お姉さんと、サテラと友達になれるなら。俺、たぶん何があっても、頑張れると思うんだ」

 

「…………えっと、その」

 

「駄目、かな?」

 

有無を言わさぬお願いに、サテラは顔の前で慌てたように手を振り、完全に思考停止していた。

分かっている。きっと彼女は、こんな頼みを真正面から断ることなんてできない。お人よしなのも、押しに弱いのも全部――分かっていて、言ったのだから。

 

 

 

「――ごめんなさい」

 

「いや、正直ずるいことしてる自覚はあんだけど、どうかご勘弁を……え?」

 

あ、ダメなんだ。そんな簡単な事実でも、呑み込むのには相応の時間を要した。

痛々しいほどの静寂が、二人を包み込む。空気が固まり、逃げ場を失った言葉たちが、その場に落ちていく。虎杖は一度、「すうっ」と大きく息を吐いた。そして、妙に悟ったような顔でサテラに向き直る。

 

「よし、じゃあ行ってきます」

 

「……え!? あ、ちょっと待って!?」

 

「皆まで言うな」

 

慌てたように近寄ってくる彼女を手で制し、虎杖はとっとと盗品蔵の扉に手をかけた。今この瞬間にも、徽章がどこかへ消えてしまうかもしれない。時間は有限だ。

 

「あの、違うの! ごめんなさいって言うのは、そういう意味じゃなくて」

 

「いや、ほんと変なこと言って悪い。むしろ「ごめんなさい」は、こっちのセリフというか」

 

「そうじゃなくて! 私はそのお願い、断ったつもりはないから……!」

 

「ん?」

 

サテラに勢いよく肩を掴まれて扉にかけていた手が、ぴたりと止まる。そして同時に、何か自分が早とちりしている可能性に気が付いた。

 

「……でも、ごめんなさいって」

 

「それは……これから友達になるなら、一つだけ。先に謝っておかなきゃいけないことがあって」

 

「……謝られる心当たりはねえけど」

 

「だから、徽章を取り戻せたら、そのことも含めてお話しましょ、ね!」

 

動揺から若干すねた子どもになっていた虎杖をあやすように話しかけるサテラ。

――徽章を取り戻せたら。それは、虎杖の願いに応えるよう、その先の繋がりを確約してくれる言葉だった。そのことをようやく理解して、胸の奥にあった突っかかりのようなものが消えていく。

 

「……ありがとう。じゃあ、約束忘れないでね」

 

「うん、覚えてるから」

 

やり残したことも終えて今度こそ、盗品蔵の扉へと手をかけた。ここまで言ったからには、前提にある徽章は絶対に取り戻さねば。

 

ラグマイトを片手に恐る恐る中へと足を踏み入れる。薄明りの中、入口をくぐった目の前にあったのはカウンターだ。もともと宿場か何かだったのだろう。建物の一階は酒場だったスペースをそのまま利用しているらしい。

受付の役割を果たしているらしきカウンターの上、そしてその向こうに所狭しと様々な物品が並べられているのが分かった。小箱や壺、刀剣の類や安っぽい貴金属までそれこそ多種多様にある。これらが全部盗品だとしたら、救えない。

 

「もしこんなかから見つけなきゃだったら、そうとう面倒くさいぞ」

 

そんなことを考えつつ、目的の物を探して奥へ、――その時だった。

 

「ん?」

 

ふいに靴裏に感じた違和感に虎杖は立ち止まる。

何か硬いものを踏んだ、というような違和感ではない。むしろそれとは逆で、踏んだ地面に足を引かれるような――粘着質な何かを靴裏に感じたのだ。妙に粘っこいそれに指先で触れ、鼻に近づけて匂いを嗅ぐ。

 

「なんだ、これ」

 

指に鼻を近づけて匂いを嗅ぐが、そもそも室内の空気がよどんでいるせいではっきりと嗅ぎ取れない。

ただ、その匂いに何故か、覚えがある気がした。街中では決して嗅ぐことのない、異質で不快な匂い。それなのに、なぜか自分の周囲に『当たり前に存在していた』ような錯覚を覚え、虎杖は眉をひそめる。

 

――頭が、痛い。この世界に来てすぐのときにも感じた、あの鈍い痛みだ。

 

痛みを振り払うようにそれを壁になすりつけて、虎杖はラグマイト鉱石を前へ。そうして進もうとした先に、虎杖は原因を見つける。

 

「……あ?」

 

思わず間抜けな声が出て、虎杖はようやくそれを認識した。淡い光の範囲、最初に見えたのは地面にだらしなく転がる『腕』だ。指先が何かを求めるように開かれたそれは、不思議なことに肘から繋がるべき体が存在しない。

その繋がる先を求めるように光を動かし、さらに奥に投げ出された足が見つかる。足はちゃんと胴体に通じており、胴体には他のあるべきパーツも付随していた。

 

――首を大きく切り裂かれ、片腕を失った大柄な老人の死体が。

 

 

 

「――ッ!」

 

瞬間、全身の神経を注いで、周囲の警戒、索敵を開始。それと同時に全身に力を巡らせて、戦闘態勢に切り替える。――が、それよりも、さらに速く、

 

「ぐあ――ッ!?」

 

冷たく鋭利な、死神の刃が虎杖の下腹部を一閃した。

そこから生じる痛みと熱に脳を支配されながらも、虎杖はそれをした『誰か』から目を離さない。

 

「――確実に致命傷を入れたと思ったのに、たいして効いていないのね」

 

女、の声だったと思う。低く冷淡で、どことなく楽し気な女の声がした。

 

「それに私の攻撃に反応した。……あなた、何者?」

 

月明かりもない暗闇で、そいつの顔は見えない。それでも、痛むお腹から手を離し、震える拳に力を入れ、今度こそ戦闘態勢に入る。効いていない、この女はそう言ったが、冗談にも程がある。ギリギリ内臓に届かなかっただけの斬撃は、下腹部を深くえぐり、これまでにない痛みを刻み込んでいた。

 

「答える気がないなら、それでもいいわ。貴方となら、楽しめそう」

 

「……すぅ」

 

大きく息を吸い、腹に力を込めて出血を抑える。

 

一撃で理解した。こいつは、日本での喧嘩沙汰なんかとは次元が違う。滅茶苦茶に強く、それでいて殺しに一切の躊躇がない――本物の悪党。決して、ただの喧嘩自慢如きが立ち向かっていい相手ではない。

 

それでも、震える足を叱咤し、力を込めて最初の一歩を踏み出そうとした。だが――、

 

「ユージ? 大きい音がしたんだけど何かあったの?」

 

「――ッ!?」

 

戻ってこない虎杖を案じ、サテラが無警戒に盗品蔵へと踏み入れる。同時に、目の前の女がサテラへ迫っていく気配を、確かに感じ取った。

 

――そこから先は、体が勝手に動いてた。

 

ゆっくりと世界が緩やかになる。極限状態で脳が覚醒、理解を超えて働いた。黒く冷たい切っ先。それがサテラの肌に触れ、彼女を傷つけんとする。その前に、

 

 

 

「きゃっ!」

 

突然の正面からの衝撃にサテラは後ろに飛ばされ尻餅をつく。何が起こったのかと前を向き、そして眼前に広がる光景に目を見開いた。

 

「――が、あ」

 

「今の速さで私を攻撃していれば、勝負はまだ分からなかったでしょうに……本当に素敵だわ」

 

自分を突き飛ばした少年、その胸から黒い刃の先端が突き刺している。

背中から侵入した刃は、ゆっくりと傷を広げるように体を滑り、少年の体を隅々まで堪能していく。

 

「う、そ……」

 

「サ、テラ……」

 

目の前で尻餅をつくサテラは、状況を理解できないままに、目尻に涙をためていた。俺が、弱いからだ。パックに彼女のことを任されてたのに、俺が弱いせいで、また誰も救えない。

 

――()()って、なんだよ。

 

俺はまだ、死ねない。俺がここでやられたら、次に狙われるのはサテラだ。それだけは絶対に、やらせるわけには行かない。

だからまず、後ろにいる顔も見えないこの女はぶっ飛ばす。それから傷を治して、元気になって、この子が言ってた『謝らないといけない』ことをちゃんと聞いて、それからサテラと友達になるんだ。

 

「ぐ、あああああぁ!!」

 

「へえ……本当に頑丈なのね。でも」

 

だから、動け俺の体。俺の役割を全うするまでは、――死ぬな。

 

「でももう、飽きちゃったから。貴方は、お疲れさま」

 

「――っあ」

 

そんな願いも虚勢も、無慈悲な刃に等しく切り裂かれる。蹂躙された体から刃を引き抜かれ、限界に達した体は力なく崩れ、硬い地べたの感触を顔面に味わった。血が、自分を中心に円状に広がっていく。

 

そして次の瞬間には短い悲鳴が上がって、血の絨毯がまた誰かを迎え入れた。

倒れこんだ体はすぐ傍らに。そしてそこにはだらしなく伸びた自分の手が微かに絡む。

 

「……あ、ああ」

 

俺は誰も、助けられない。何も変わっていない。役割を果たせない。

 

その感情が、全身を焼き焦がす熱を持った痛みを上回り、脳を支配する。

――『役割』。その言葉が何度も、何度も頭の中で反芻され、命の連れ添いにされる筈の意識を、限界までこの世に繋ぎ止める。そうして白黒に点滅する脳の奥で、違う()()が、意識を撫でた。

 

 

 

 

 

――お前は強いから人を助けろ。

 

 

 

「――――」

 

声の主も言葉の意味も、何もかも分からないまま。でもそれは虎杖が最後、ほんの少しだけ動くための原動力となる。

首から上を動かして、倒れる少女の手に自分の手を重ねる。全ては偶然だったのだろう。重ねた彼女の手もまた、こちらを握り返した気がした。

 

 

人はいずれ死ぬ。それは、どうしようもない事実だ。

 

だけど、今目の前にあるのは、――間違った死だ。そこに正しく死ねない人達がいる限り、それを見過ごす理由なんて、どこにもない。だから、只ひたすらに、

 

 

「俺は――」

 

 

――人を、助ける。

 

 

 

次の瞬間に彼――虎杖悠仁は命を落とした。

 

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