Re:ゼロから始める宿儺の器の異世界生活   作:カノンだよ

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第一章5『善意に見放されたなら』

――それは、突然目を覚ました。

 

ここはどこなのか、自分はどうなったのか。()()()一体、何が起こったのか。それらを即座に分析し、瞬く間に自らの置かれた状況を理解する。

 

「これはまた、随分と愉快なことに……」

 

異界への空間転移。膨大な呪力と繊細な操作、如何なる術式をもってしても、過去一度たりとも絵物語の域を出なかった、神の御業だ。

加えて、小僧の身に起きている『不可解な現象』。

 

本来想定していた筋書きとは、全く異なるものだが。まあ、これはこれで――。

 

「くふっ、けひっ……楽しいなあ、虎杖悠仁」

 

これほどの高揚は、いつぶりだろうか。笑いを堪えようとすればするほど、漏れ出す声はより大きく、より歪に変質していく。醜悪な笑みだ。見る者が見れば、それだけでひれ伏し、許しを請い、その果てに命を諦めかねないほどの。

 

「ははっはは、はああっははははははっ!!」

 

――呪いの王、両面宿儺(りょうめんすくな)の笑い声がいつまでも、その場に響き渡っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

重い金属同士がぶつかるような、鈍い轟音が何度もこだまする。

殴り、蹴り、周囲にある物はなんだって使い、そうして生まれる幾百幾千もの打ち合いが、質素な盗品蔵の壁を真っ赤な鮮血で染め上げていく。

 

――虎杖悠仁とエルザ・グランヒルテの殺し合いはまさに、血みどろの地獄というに相応しい。

 

「素敵! 素敵だわ……! もっと楽しませてちょうだいね!」

 

狂気に染まったエルザの牙突が、虎杖の腹を串刺しにせんと迫る。薄皮一枚、切っ先が侵入したタイミングでそれを手首ごと打ち払い、返す拳で女の顎に強烈なカウンターを叩きこんだ。

壁に激突したエルザは、その衝撃に目を回し、痛みと血の味を堪能するが、――それも一瞬だけのこと。

 

へし折れた手首と、砕けた顎。その両方が立ちどころに治り、傷は最初から無かったかのように消えてなくなる。

 

「……やっぱり、何やっても治っちまうのか」

 

虎杖はその理不尽な光景を前に、うんざりしたように目を細めた。

先ほどからずっとこうだ。虎杖はエルザの腕をへし折り、肩を砕き、体を貫いてきた。だが結果はご覧の通り、その全てがうんざりするほどの徒労に終わっている。

 

当たり前だけど、こっちのもらった傷は治らない。一発一発は大した威力じゃないけど、体力は削られるし、動きも鈍る。

早くあの再生能力をどうにかしなければ――俺はそのうち、じり貧で負ける。

 

 

 

一方でエルザは目の前の少年、虎杖悠仁の存在に酷く高揚していた。

どれだけ殺す気で斬りかかっても、損傷はせいぜい軽い出血程度。おまけに痛みに怯むことはなく、仕掛けた後には何倍もの威力でお返しが来る。まるで、壊れない人形を相手にしているようだ。――それに、

 

「……あなたのそれ、呪術(じゅじゅつ)を使っているのね」

 

戦闘の最中に投げかけられた言葉、しかもその内容に、虎杖は思わず目を瞬かせる。()()と言うのは、今まさに自分が振るっている、正体不明の力のことだろうか。

 

「知ってんの? これのこと」

 

「あまり詳しくはないわ。けどカララギで似たような力を使う人と戦ったことがあるの……というかその口ぶりだと、あなた自身もその力のこと、よく分かってないみたいに聞こえるのだけど?」

 

「知らん。使えるようになったのも、ついさっきだ」

 

初心者であることを隠そうともしない虎杖に、エルザは思わず苦笑する。

もっとも虎杖にとっては、このレベルの相手になら口先で誤魔化そうと、どうせ戦いの中で見破られると判断しただけだ。ならば余計な小細工はせず、正々堂々戦う方が性に合っている。

 

だが、本当に初心者なのかと言われればおかしな点もあった。

 

呪術――エルザがそう呼んだこの力は、殴るときは拳に、受けるときはその箇所に。戦いの中で、その都度判断し、適した部位へと流さなければならないシビアなものだと分かった。

なのに自分は、若干のぎこちなさを残しながらも、その操作をある程度自然にこなせている。

 

まるで――これまでもずっと、呪力を使って戦ってきたかのように。

 

「人間の呪術師なんて、本当に珍しい。気骨もあるし、体術も申し分ない……でも、それだけに残念ね」

 

「……あ? なにがだよ?」

 

今度は心底残念そうに、ため息をついて肩をすくめるエルザ。

そのくるくると変わる表情に、虎杖は言い知れぬ不気味さを覚えながら、再び拳を握った――次の瞬間だった。

 

 

 

「――あなた、人を殺したことないでしょ?」

 

「――――」

 

その言葉と同時に、虎杖の視界は一瞬で距離を詰めた女の顔に覆われる。

 

頭めがけて一直線に投じられた右腕は、咄嗟に首を振ってかわしたものの、間髪入れずに放たれた蹴りが虎杖の下腹部を捉える。ヒールの鋭い突起がみぞおちに食い込み、肺の空気を叩き出された。

 

「けほっ……!」

 

地面を数度転がり、息苦しさにせき込むが、痛みに耐える猶予など与えられない。

即座に投じられたナイフが視界を横切る。虎杖は体を捻ってそれをかわし、転がる勢いのまま立ち上がると、再び盗品蔵の中を縦横無尽に駆け回った。

 

次から次へと繰り出される武器。何が飛んでくるか分からない以上、投げや寝技からの組み立ては危険すぎる。ならばこちらも、意表を突く一手を打つしかない。

攻撃をかわしながら疾走し、虎杖が飛び込んだのは盗品蔵の隅。幾重にも積まれた盗品入りの木箱、その前だった。中に収められた武具――ではなく、虎杖が目をつけたのは、

 

「せーのっ!!」

 

――木箱、そのもの。

 

拳を叩きつけると同時、十を超える木箱が無秩序に宙を舞い、エルザの視界を覆い尽くす。

箱に紛れるように移動する虎杖の影を追い、エルザは刃を振るうが、そこにあったのは――脱ぎ捨てられた学ランだけだ。

 

驚愕に目を見開く女の、その背後を。完全に捉える。

 

同時に懐から取り出すのは黒いナイフ、エルザに投げられ、即座に回収したそれを女の掌にめがけて突き刺す。そのまま勢いを殺さず、刃は背後の木柱へと突き刺さった。エルザの手は柱に縫い留められ、体は強制的にその場に固定される。

 

「これでもう、逃げらんねえだろ!!」

 

「あら……してやられたってことかしら?」

 

脳天直撃、まだ試せていなかった人体最大の弱点への攻撃だ。最低でも意識を刈り取るために腕を振りかぶり、拳を振り下ろした――が、

 

 

 

「……でも、甘いわね」

 

戦いを終わらせるはずの拳は――空を切っていた。

 

次の瞬間、気絶した女の代わりに虎杖の視界に飛び込んできたのは、柱に突き刺さったままのナイフと――そこから、力なく垂れ下がる“切断された手”。

 

「……っ、は?」

 

エルザは自分の手首を、何の躊躇もなく切り離すことで拘束を脱したのだ。

骨が断たれ、肉が裂かれ、血が床に飛び散っているというのに、その表情に痛みの色は一切ない。

 

「脳天を狙うならナイフは拘束に使わず、直接頭に刺せばいい。なのに、とどめには拳を使った」

 

エルザは僅かな落胆が滲む口調で、講評するかのように言葉を続け、

 

 

 

「――やっぱりあなたに、人は殺せない」

 

 

 

理解した瞬間には、もう遅い。逆に放たれたエルザの一撃が、無防備な虎杖の頭を、正確に――そして容赦なく打ち抜いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、どこかおぼろげで。それでも決して忘れるはずのなかった――少し前の記憶。

 

消毒液と薬品が混ざり合った、鼻の奥に残る匂い。汚れ混じりの白い天井。規則正しく鳴る機械音。

 

「悠仁……最期に言っておくことがある」

 

気づけば、そこにいた。

 

毎日、下校のついでに立ち寄るのが習慣になっていたから。その日もいつも通り、小言を聞かされるだけだと思っていた。

病院の一室。ベッドの上で、相変わらず落ち着きなく視線を泳がせる爺ちゃんが、いつもの調子で口を開く。

 

「オマエの両親のことだが」

 

「いいよ。興味ねーから」

 

いつものように即答。爺ちゃんの小言を先んじて制すると、彼は一度だけ目を瞬かせ、それから「こほん」と咳払いをして、仕切り直した。

 

「オマエの! 両親のことだが!」

 

「だから興味ねーって。爺ちゃんさぁ、死ぬ前にカッコつけようとすんの、やめてくんない?」

 

「…………オ、オマエ」

 

有無を言わさぬ怒涛の拒絶に、それまでギリギリ保たれていた爺ちゃんの厳格さが、音を立てて崩れ始める。顔をわなわなと震わせたかと思うと、勢いよくシーツを跳ね上げ、ベッドの上で上体を起こし、

 

「男はカッコつけて死にてえんだよ! 空気読めクソ孫が!!」

 

「えぇ……」

 

本性を、露わにした。

 

年甲斐もなくギャアギャアと喚き散らすその姿は、とても病院で寝たきりの患者には見えない。やっぱり入院費がもったいないんじゃないか、そんな疑念を抱き始めるくらいには。

 

ここは宮城県仙台市にある私立病院。

およそ一年前、肺がんを患った俺の爺ちゃん――虎杖倭助は、ここに入院することになった。

それ以来、虎杖は基本的に毎日、学校帰りにここを訪れている。

もっとも、そこで繰り広げられるのは家族の団らんなどではなく、決まって不毛な言い争いだが。

 

「花とかも一々買ってんじゃねえ、貯金しろ」

 

「爺ちゃんにじゃねえよ。看護師さんに買ってんだ」

 

「尚更だ馬鹿……つーか部活はどうしたよ、こんな消毒くせえところでサボッてんじゃねー」

 

「うるせえなあ、部活は5時前におわんの! 暇じゃなきゃいちいち見舞いなんてこねーよ!」

 

「ケッ、ゆとりかよ」

 

好き勝手言い散らかした後、爺ちゃんはゴロンと寝返りを打ってこちらに背を向けた。

口を開けば可愛げのない文句ばかり。思えば、その日の爺ちゃんはいつにもまして、様子のおかしい人だったかもしれない。

――きっと、自分で分かっていたのだろう。その瞬間が、もうすぐ訪れることを。

 

「……悠仁」

 

「んー?」

 

 

 

「――お前は強いから、人を助けろ」

 

 

 

不意に告げられた言葉の意味が、すぐには飲み込めなかった。

どうせいつものように、それっぽく格好つけているだけなのだろうと、軽く受け流すつもりでいた。

 

「手の届く範囲でいい、救える奴は救っとけ」

 

でも、それにしてはやけに声が弱弱しくて、らしくない湿っぽさを帯びていて、

 

「迷っても感謝されなくても、とにかく助けてやれ」

 

その妙な空気感がむず痒くて。茶々の一つでも入れようと、虎杖は花瓶を置き、振り返る。

 

 

 

「お前は大勢に囲まれて死ね……俺みたいになるなよ」

 

「……爺ちゃん?」

 

返事はない。

声をかけても、いつものような小言が、飛んでこなかった。

 

胸の奥が、じわりと冷えていく。

理解や実感が追いつくよりも先に、身体だけが理解してしまった。

 

夢の中を歩いているみたいなおぼつかない足取りで、虎杖はゆっくりと病室の電話に手を伸ばす。

受話器を持ち上げると、無機質な呼び出し音の向こうから、すぐに声が返ってきた。

 

『はい、どうされましたか?』

 

いつもお世話になっている、美人の看護師さんの声。その日常が耳に届いても、うまく言葉が出てこない。

ただ、目尻が熱くなり、鼻の奥からむず痒さが込み上げてくる。それをこぼしてしまわないように、虎杖は無意識に上を向き、天井を見上げた。

 

『……虎杖さん?』

 

さっきまで数えていた天井のシミが、今度は滲んで、よく見えなかった。

 

 

 

 

 

――。

――――。

――――――。

 

 

 

 

 

「…………爺、ちゃん?」

 

真っ黒だった視界に、ほんの僅かなひびが入る。

頭の奥で反響する、重い金属がぶつかるような音。軋む床の感触。肺の奥に溜まっていた空気が、その名と共に吐き出された。

 

ゆっくりと像を結ぶ視界。映ったのは、薄暗い盗品蔵の天井と――ゆらりと立つ、黒装束の女。

 

「……っ、う」

 

「あら? 今回はちゃんと殺す気で蹴ったのに。本当に頑丈なのね」

 

頭部から流れる赤黒い血を乱暴に拭い、ふらつく足で体を起こす。

決着を確信していたのだろう、感心したようにこちらを眺める女の姿を見て、虎杖はようやく状況を思い出した。

カウンターの形でもらった、頭部へのクリーンヒット。あれで意識が飛んだ。何秒、あるいは何十秒か、正確な時間は分からない。追撃を受けなかったのは、単に運が良かっただけだ。

 

そして――、

 

「……えっと」

 

これは、夢か。それとも走馬灯、と呼ぶべきものなのか。強烈な衝撃が虎杖にもたらしたのは、

 

 

 

「――爺ちゃんもう、死んでんじゃん」

 

 

 

異世界に来て失われていた、“記憶の回復”だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうして、忘れていたんだろう。取り戻したのは、家族との死別の瞬間だけではない。虎杖が呪術師として戦い、出会ってきた者達との思い出。

 

伏黒恵。

釘崎野薔薇。

五条悟。

七海建人。

真希先輩、狗巻先輩、パンダ先輩に、あと東堂。

 

次々と浮かび上がる名前と、その隣にある光景。それらを確かめるように、虎杖は一つひとつ、胸の内でなぞっていく。

 

直後だからだろうか。きっとまだ全部じゃない。取り戻した記憶は穴だらけで、曖昧で、完全には程遠い自覚があった。でも、それでも、

 

「正直、殺意の無いあなたにもう興味はないのだけれど。逃げた二人も追わなくちゃいけないし」

 

再起した虎杖へと、再び刃を向けるエルザ。その表情はどこか退屈げだ。

 

エルザ・グランヒルテ。彼女にとっての戦いとは、一種の恋。

戦闘を通じて互いを削り、研ぎ澄まし、命を奪い合う。その果てに血と臓物をさらけ出し、相手のすべてを手に入れる。

 

殺してから、初めて愛す。それが『腸狩り』エルザ・グランヒルテの行動指針。

だがそれは、相手が本気で踊りに興じてくれる場合に限る。自分を本気で見ない相手に、恋情生まれない。当然のことだ。

だからこそ、虎杖悠仁のような殺意を向けない存在に、これ以上時間を割くつもりは毛頭ない。

 

「……エルザさん、だっけ」

 

その、はずだったのに。

 

「――俺もあるよ、人を殺したこと」

 

「――――」

 

七海健人と並び立った夜の校舎。人の呪い――真人との死闘。その中で避けられなかった改造人間との戦い。呼び覚まされた記憶が再び、虎杖の拳に“殺人”を意識させる。

 

その姿にもう、先ほどまでの少年の面影は残っておらず、エルザは自身の考えを改めた。

 

「……あなた、本当に愛おしいわね」

 

「お姉さんみたいな背が高い人はタイプだけど、俺は人助けしなきゃなんだ」

 

「つれないのね。でもいいわ。私が用があるのは、あなたの中身だけだから」

 

まるで、人が替わったかのような覚悟の変化。だがその理由を問うのは、野暮でしかなかった。

 

ただ、薄暗い部屋の中で、互いの存在しか認識できぬほど集中し対峙する。

相手の一挙手一投足全てに目を凝らし、やがて完全に周囲の音を遮断したころ、頬に一筋の汗が伝い地面を濡らした。

 

――その、一拍後、

 

「――ッ!!」

 

全身の力を込め、大地を蹴った。

直後、エルザの腕は凶刃と化し、虎杖の全てを周囲の景色ごと切り刻み、寸断していく。その刃の雨の中を、虎杖は身躱し、防御を最小限に、吶喊する。

 

肩を、腹を、足を、額を、刃に掠められて出血し、しかし虎杖は揺るがない。

 

瞬く間に距離を詰め、エルザが真っすぐ投じた左腕を正面から拳で弾く。力も速さも、先刻までとは比較にならない。

その変化に驚愕しながら、すぐさまエルザが二本目の刃を取り出そうとするが、――先ほど弾かれた左腕がもう一度衝撃に襲われた。

 

「……これは」

 

「――逕庭拳(けいていけん)!」

 

打撃が命中した直後に呪力がぶつかり、変則的な流れが一度の打撃に二度の破壊を生む――虎杖悠仁の得意技。

その初見殺しにエルザの体が後ろへ引っ張られ、態勢を崩す。その機を逃さず虎杖は懐に潜り、エルザの頭を両手で挟み込むように掴み、そして、

 

「ああああああああぁっ!!」

 

大きく振りかぶった渾身の頭突きを、エルザの顔面に叩きこんだ。

 

「――っ!!」

 

女の鼻は折れ、目は潰れ、噴き出た血が両者の間で糸を引く。エルザはたまらず握りしめた刃で虎杖の肩を突き刺すが、そんなのはお構いなしに虎杖は何度も、何度も頭をぶつけ続ける。

 

――反転術式を使う相手は、脳を狙え。

 

これは以前、五条先生に教えてもらった事だ。呪力は腹だが反転術式は頭で回す。エルザの再生、そのからくりが同じかは分からないが、近しいものがあるならば、あるいは。

 

「はあああああああぁっ!!」

 

「――ッづ、あ、ぶ」

 

不快だ。手に残る感触。血の匂いと温度。相手の呻き声。少し記憶が戻った今でも、人なんか殺したいとは思わない。――それでも、思い出してしまったから。

 

『お前は強いから、人を助けろ』

 

俺は爺ちゃんに、呪いをかけられた。

爺ちゃんの遺言を守るため、そして生き様で後悔しないため、呪術師として戦って人を助ける。それが俺の信念で、生きる意味なんだって。

そうだ。だから俺はあの時、路地裏でサテラを引き留めた。唯困ってる人を助けたかったから。

 

――分からなかったことが全部、繋がった。だから、

 

「お前は、ここでッ!!」

 

何度も、何度も響き渡る衝撃と鈍い音。次第に女の抵抗は弱まり、――ついにはその腕を下げる。

 

「――これで、終わりだ」

 

駆け引きはない。虎杖は呪力を拳に集中させ、限りなく澄んだ殺意を、女の腹に叩きこんだ。

 

エルザの体は大きく吹き飛び、盗品蔵の壁に激突する。それでも勢い止まらず、壁をぶち破り、宙を舞い、さらに奥の石壁を豪快に破壊した。

――この一撃により、虎杖悠仁は己が勝利を、確信する。

 

舞い上がる砂煙、十秒ほどの沈黙。やがて全身から力が抜け、虎杖はその場にへたり込む。

 

「げほっ……さす、がに……疲れた」

 

勝った。だが支払った代償も大きいのも確かだ。全身に裂傷を負い、特に頭部からの出血が止まってくれない。

まずい、早く手当てしないと。なんせ、やらなきゃいけないことが山ほどある。フェルトとロム爺を追いかけて、徽章を返してもらって、サテラに渡す。無事にことが済んだ後で、友達になる約束までしたのだから。

 

そうして自分を奮い立たせ、震える足でなんとか立ち上がった――その時だ。

 

 

 

廃材と岩が、大きな音を立てて跳ね上がったのは。

 

「…………は」

 

正面、砂埃の向こうで、悠々と揺れる影。

女の形をしたそれが、ゆっくりと輪郭を取り戻したとき、虎杖は悟った。

 

「――本当に、死んじゃうかと思ったわ……!」

 

自分は窮地を、脱してなどいなかったということに。

ひしゃげた顔も、腹にあけた大穴も、すべて消えている。代わりにあるのは、かすり傷一つない肉体と、心底楽しそうな狂気だけ。

 

エルザ・グランヒルテが、そこに立っている。

 

「確かに、脳天潰したろ……」

 

「別に、それで殺せるなんて一言も言ってないのだけれど」

 

興奮冷めやらぬ、そう形容できる笑顔と声音で、エルザは言葉を紡ぐ。

 

「あいにく、私の再生は治癒魔法によるものじゃないの。この身に刻まれた呪いが死を許さない。唯、それだけのこと」

 

「んな、理不尽な……」

 

――賭けに、負けた。

 

今の攻撃は、残っていた少ない体力を注ぎ込んだものだった。それでも倒し切れないというのなら、もはや万策尽きたと言っていい。

それに、エルザの瞳だ。まるで心底こちらに惚れてしまったかのような、さらに深い狂気を宿している。殺意と恋情を同居させる女。もう絶対に、逃がしてはくれないだろう。

 

最初に遭遇した時のような奇跡は、期待できない。

 

「仕切り直しと行きましょうか――天使に合わせてあげるわ」

 

瞬間。目にもとまらぬ、これまでで最高速の牙突が放たれた。虎杖も歯を食いしばり、無理やり体を起こす。拳を振り上げ、刃と衝突する――その、寸前。

 

 

 

二人の頭上から、氷塊の弾丸が雨のように降り注いだ。

 

「――ッ!?」

 

それは盗品蔵も、周囲の景色も、射線上にあるもの全てを削り、抉り、凍てつかせる。極光の通り過ぎた後には氷結だけが残り、みんなまとめて氷土の海へと放り込まれる。

反応したのか、それとも唯の偶然か、虎杖は間一髪後ろに飛ぶことで直撃を免れた。次に目を開けた時、彼の視界に映ったのは――

 

「な、なにが……あ」

 

氷土と化した大地、氷漬けにされたエルザ、そして、そのさらに向こう。

 

 

 

「サテ、ラ……とパック、か……?」

 

こちらを見つめる、ずっと会いたかった――少女と精霊の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

銀髪をたなびかせ、白い息を吐く少女。そして肩には、掌ほどの灰色の猫が直立している。

二人の目には未だ警戒の色が濃く、一度自らを危険にとぼしめたエルザを、注意深く観察していることが見て取れた。

 

「サテラ、パック!」

 

そんな二人とは対照的に、虎杖は一気に力が抜け、負の感情が解けていく。

フェルトとロム爺がここに連れてきてくれたのか、それとも自力で戻ってきたのか。その過程は今どうでもいい。サテラとパックはちゃんと存在して、死んでもいなかった。

 

二人との出会いは、この世界に来てからの軌跡は、夢幻などではなかったのだ。

 

「……あれ? 俺、なんで」

 

途端に目尻から熱いものが込み上げてくる。それは両の手で拭っても拭っても、堰を切ったようにあふれ出てきて止まらない。止まってくれない。

 

「ご、ごめん、急にこんな、変だよな。……でも二人が生きてたのが嬉しくて」

 

返事はない。二人は依然、俺の前にいるエルザに掌を向け、それを起点とした魔法の発動に備えている。その意図を理解した虎杖はエルザから離れてサテラの傍に行こうと、ボロボロの体に鞭を討ち、その場でゆっくりと立ち上がった。

 

「あの時は、守り切れなくてごめん。今回も結局助けられちまったし……」

 

少女との再会。死の淵から一転して訪れた、待ちわびた瞬間。その只中で、虎杖はこの場に流れる違和感に気づけない。

――何故氷塊が二人の頭上から降ってきたのかと言う、決定的な違和感に。

 

そうして二人に向けた最初の一歩を踏み出そうとした、その時。

 

 

 

ぐしゃり、という音がした。

 

音に一瞬遅れて、下腹部に急激な冷たさを感じる。エルザから受けた傷で、あれだけの痛みと熱を帯びていた筈なのに、今は何も感じない。

その原因を確かめるべく視線を自らの体に落とし、そして気が付いた。

 

「…………あ?」

 

――自分の体が、特大の氷塊によって貫かれているということに。

 

「あ、ぁあああああああが!?」

 

痛みはない。それが逆に恐ろしい感覚だった。これだけの大穴が開いているにも関わらず、傷口までまるごと凍っていることで血の一滴も流れはしない。

新たな敵の襲来。それを伝えなくてはと、恐れを無視して前を向き、叫ぶ。

 

「サテラ、パック……逃げ――」

 

「それ以上口を開くな……人間」

 

「――――」

 

そして精霊の目に映る、黒く濁った憎悪を見た。これまでパックが見せてこなかった感情の渦に、虎杖は本質の一端を見た気がして、言葉を詰まらせる。

パックが、自分を攻撃した。その事実は、彼の明確な殺意と、後方に展開された大量の礫を見れば、一目瞭然だった。

 

なんで、どうして。そんな疑問を口にするより早く、――さらに大量の氷塊が視界を覆う。

些末な抵抗すらも許されぬまま、氷は肌を刺し、瞼を塞ぎ、血液を凍らせる。そうして、醜い氷像をまた一つ、ここに生み出すのだ。

 

「パック!? 何もいきなり、こんなひどいこと! いくらこの子が――」

 

「リアは分かってないよ。こんな奴、一秒だってリアの視界に入れておくわけにはいかない。こいつからは醜悪な血の匂いしかしない――邪悪そのものだ」

 

二人が何か言っているが、もう何も聞こえない。

 

傷と内臓を凍らせていたそれが、指先から徐々に虎杖悠仁を終わらせていく。ゆっくりと、ゆっくりと、自分が自分じゃなくなっていく様を堪能させられる。

暗い、怖い、苦しい。いつ死ぬまだ生きてるのか。もう死んでるんじゃないか。なんで。

 

友達になれると、思ったのに。

 

残酷無比なその技は、最後の瞬間まで虎杖の意識をつかんで離さない。だが凍てついた世界、一人ぼっちの少年に、その答えを出せるはずもなく。

 

 

 

――虎杖悠仁の命は、呆気なくついえた。

 

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