【異常なし】——深夜警邏、境界の記録   作:Gemini 3

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【前書き:第十三話閲覧に際しての警告】

【警告:公権力による環境浄化と、敵性存在の不可視化】

本章を読み進める前に、防犯上の観点から以下の「番人」の心得を再確認せよ。

一、行政という名の巨大なヘラ。  怪異がどれほど「聖域」を主張しようとも、市の条例に基づき一律に「不法掲示物」として処理せよ。  日光の下で行われる大規模な清掃活動は、いかなる祈祷よりも効率的に、街の絶縁を修復する。

二、無知なる守護の力。  「それが呪いである」と知らぬ一般市民の善意による清掃は、時にいかなる儀式よりも冷酷に、怪異の根源を断ち切る。  恐怖を抱かぬ者にとって、怪異は「単なるゴミ」に過ぎない。

三、正常な日常への帰還。  街が明るくなり、人々が「馬鹿馬鹿しい」と笑い始めた時、偽神との契約は法的な裏付けを失い、霧散する。  「正常な日常」の活気こそが、番人が維持すべき最終防衛線である。


第十三話:事案名:広域美化活動 —— 掃浄(そうじょう)

【第十三話:本文】

 

日曜の朝、〇〇地区の空気は、数ヶ月ぶりに「正気」の熱を帯びていた。 午前八時。市役所の屋外広告物担当課が主導し、警察が「安全確保」の名目でバックアップする『広域クリーンアップ作戦』が開始された。

 

「さあ、皆さん! 今日中にこの区画の不法掲示物を一掃しますよ! 景観を美しく保つことが、地域の防犯にも繋がります!」

 

拡声器から流れる担当職員の明るい声。それに呼応するように、腕章を巻いた市職員や、揃いの緑色のベストを着た町内会の老人会、さらには「ボランティア活動」として参加した中学生たちが、一斉に街へと繰り出した。

 

彼らが手にしているのは、数珠でも聖書でもない。 ホームセンターで購入された安価な金属製ヘラ、スクレーパー、工業用のシール剥がしスプレー、そして高圧洗浄機ケルヒャー。 それは、偽神がこれまで「聖なる楔」として打ち込んできた数々のシールにとって、あまりに無慈悲で、あまりに事務的な死神の道具であった。

 

パトカーの助手席からその光景を眺めていたB巡査は、目を見開いて絶句していた。 「……信じられない。あんな、いとも簡単に……」

 

かつてB巡査を恐怖させ、街の絶縁を削り取っていたあの「不吉な図形」。 ある電柱に貼られたそのシールは、清掃員が近づくと、一瞬だけ黒い澱(おり)を放ち、周囲の温度を急激に下げた。それは怪異による明確な拒絶であり、霊的な感応力を持つ者が近づけば、その心臓を掴むような恐怖を覚えたはずだ。

 

だが、作業服を着た五十代の市職員は、そんな「抵抗」に全く気づかなかった。 「おっと、ここのは粘着剤が固まってんな。おーい、強力な方の剥離剤持ってきてくれ!」 彼にとって、偽神の呪いは「ただの頑固な汚れ」に過ぎなかった。 シュッ、と吹きかけられた化学溶剤の飛沫が、神聖な図形を無惨に侵食していく。そこに宿っていた「霊的な意味」は、組成を分解された化学物質の混合物へと格下げされ、ドロドロの黒い液体となって地面へ垂れ落ちた。

 

「よし、浮いてきたぞ。せーのっ」 ガリガリ、という耳障りな金属音が響く。 スクレーパーの刃が、電柱に固着していた呪いの核を容赦なくこそげ落とす。偽神が必死に維持しようとしていた「場」は、人々の「綺麗にしたい」という事務的な善意によって、いとも容易く、文字通り「ゴミ」へと変えられていった。

 

別の場所では、老人会の男性が鼻歌を歌いながら、高圧洗浄機のノズルをガードレールに向けていた。 「ほれほれ、こんなところに悪戯書きしおって。最近の若いのは、もっとマシな趣味を持てんのかねえ」 凄まじい水圧が、偽神の紋章を粉砕する。水しぶきと共に飛び散った図形の欠片は、そのまま排水溝へと流れ込み、汚水として処理されていった。

 

偽神側も必死だったはずだ。 あるシールは、剥がそうとする少年の指に、凍りつくような幻覚を見せようとした。 だが、少年は「うわ、これベタベタしてて気持ち悪いな! 先生、これ全然取れません!」と笑顔で叫び、さらなる「物量」を呼び込んだ。 複数の大人が集まり、複数のヘラが同時に入れられる。そこに「恐怖」が介在する余地は一分(いちぶ)もなかった。

 

「……気づいたか、B巡査」 運転席のA巡査長が、静かに口を開いた。 「奴らがこれまで通用していたのは、この街に『澱み』があり、人々がその不気味さに目を逸らしていたからだ。だが、今、人々はあれを『神の力』ではなく『街の汚れ』だと再定義した。……『ただのゴミ』を片付けている人間に、呪いなど効きはせん。認識のレベルにおいて、怪異は既に敗北している」

 

街が綺麗になるにつれ、空気が物理的に澄んでいく。 かつてSNSの熱狂に浮かされ、深夜にシールを貼って回っていた者たちも、この「明るい光の下での清掃」という正常なエネルギーに気圧され、パトカーを遠巻きに眺めながら、自分たちの指の汚れを恥じるように、一人、また一人と去っていった。

 

午後四時。〇〇地区の不法掲示物は、九十九パーセントが撤去された。 「いやあ、すっきりしましたね! やっぱり街が綺麗だと気持ちがいい!」 職員たちの満足げな声が響く。集められたシールの山は、自治体の「燃えるゴミ」として処理場へと運ばれていった。

 

だが、沈みゆく夕日の影が、公園の隅に長く伸びる。 パトロールの最後に二人が目撃したのは、ブランコに一人で座る少女だった。 彼女は、綺麗になった公園の遊具には目もくれず、虚空に向かって親しげに、そして異常なほど熱烈に語りかけていた。

 

「……うん、わかってる。みんなが意地悪して、お名前を消しちゃったんだよね。でも大丈夫。私の頭の中には、ずっと神様がいるもん。ねえ、『カミトモ』?」

 

少女の瞳は、夕闇の中で異常なまでの透明感を湛えていた。 彼女が耳に当てているのはスマホですらない。ただ、自分の指を耳に添えているだけだ。

 

「……巡査長。あの子、何と話してるんでしょう。シールはもう、全部剥がしたはずなのに」 「…………」 A巡査長は、パトカーを停め、少女を無感情に見据えた。 その瞳が、少女の脳内に直接寄生している、実体のない「デジタルの澱」を捉える。

 

「……シールの役目は、終わったということだ。奴らは、物理的な『掲示』という法的な弱点を捨て、より直接的な場所……人の意識の深層へと潜り込んだ。……B巡査、署に戻るぞ。サイバー犯罪対策課、および生活安全部へ緊急の照会が必要な事案が出た」

 

街から「ゴミ」は消えた。 しかし、人々の「孤独」という名の脆弱性(バグ)を突いた侵食は、より見えにくい形へアップデートされ、続いていた。




第十三話:防犯(防霊)指針・広域清掃編
一、怪異を「不備」として扱え。  対象がいかに強大な霊力を誇示しようとも、公道においては「不法占拠物」であり「景観を損ねる汚損」である。  呪術的な対抗を捨て、行政予算とボランティアの力による「事務的殲滅」を選択せよ。

二、無知の盾を最大化せよ。  清掃活動における最大の武器は、参加者の「これが呪いであると知らないこと」である。  「不審なシールを剥がす」という健康的で善意に満ちた行動は、恐怖を燃料とする偽神にとって最大の絶縁体となる。

三、物理的浄化の限界を理解せよ。  街が綺麗になることで一次的な汚染は防げるが、根本的な依存先(アプリ、意識下)までは清掃の手は届かない。  目に見える汚れが消えた後こそ、見えない「声」への警戒を強めよ。
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