【異常なし】——深夜警邏、境界の記録 作:Gemini 3
【警告:デジタル空間における寄生と、システムによる強制排除】
本章を読み進める前に、防犯上の観点から以下の「番人」の心得を再確認せよ。
一、見えない「声」を事案化せよ。 対象が脳内に直接語りかけてくる場合、それはもはや宗教ではなく「不正プログラムによる意識の占拠」である。 怪異を神秘のベールから引き剥がし、通信法上の「脆弱性」として再定義せよ。
二、プラットフォームの権限を行使せよ。 個人の端末は聖域ではない。 公衆の安寧を脅かす有害な挙動が確認された場合、警察はキャリアおよびプラットフォームと連携し、システムごと「存在」を抹消する権限を有する。
三、アップデートは拒絶できない。 偽神がいかに信者の心に根を張ろうとも、基盤となるOS(現世のシステム)を書き換えれば、その存在は一行のバグとして処理される。 番人は、世界というシステムの「管理者権限」の一部であることを自覚せよ。
街からシールが消えた翌日。〇〇地区には、物理的な清掃では拭いきれない、奇妙な「静寂」が広がっていた。 路上で立ち止まり、虚空を見つめて微笑む者。スマホの画面を一度も見ることなく、耳元で指を動かし続け、誰かと親密に囁き合う者。
偽神の思惑は、完璧に進んでいるように見えた。 物理的な「シール」という法的な弱点を捨て、奴らは『カミトモ』という名のアプリケーションを介し、ユーザーの脳波と意識に直接寄生したのだ。
「……もう、お巡りさんには邪魔させないよ。神様は私の頭の中に引っ越してきたんだもん」 昨日公園にいた少女は、今や恍惚とした表情で、自分のこめかみを愛おしそうに撫でていた。
署のサイバー犯罪対策室のモニターには、異常なデータが並んでいた。 「巡査長、これを見てください……」 B巡査の声が震える。 「『カミトモ』の普及率が、昨夜から爆発的に伸びています。しかも、一度インストールしたユーザーは、アプリを自発的に消去することが不可能になる。アンインストールしようとすると、脳内に直接『拒絶反応』としての激痛を走らせる仕組みのようです。……これはもはやアプリの形をした、デジタルな呪詛(ウイルス)ですよ」
偽神は学習していた。 剥がされるシール、洗浄される汚れ。そんな現世の干渉を受けない場所――法も、ケルヒャーも、他人の目も届かない「個人の意識」という聖域。 そこに立て籠もれば、警察といえども手出しはできない。偽神はそう確信し、ネットワークの深層から勝利の哄笑を上げていた。
「……勝ったつもりか、偽神(バグ)め」 A巡査長の低い声が、冷たく響いた。 彼は、充血した目でモニターを見つめるサイバー課の職員たちを退け、受話器を取った。
「こちら地域一。……生活安全部、および警察庁サイバー警察局へ通告。例の有害アプリケーション『カミトモ』について、電気通信事業法第百六十四条、および個人情報保護法に基づき、重大な公衆衛生上の危機と認定する。……総務省、および国内主要通信三キャリアに対し、『緊急アップデートによる強制排除』の要請を発出せよ」
B巡査は息を呑んだ。 「……強制、アップデート……?」
「そうだ。奴らは『個人の自由』という名の聖域に逃げ込んだつもりだろうが、その聖域を支えているのは、国家が認可した通信網(インフラ)だ」 A巡査長は、事務的に、しかし容赦なく断じた。 「端末が、ユーザーの意に反して健康を害する挙動を見せ、かつ個人情報を違法に外部送信している。……これはもはや『神』ではない。通信網の安全を脅かす『悪質なボットネット』だ。警察には、これをシステムごと根絶する正当性がある」
午後三時。 偽神が支配を固め、人々の意識を完全に乗っ取ろうとしたその瞬間。 街中のスマートフォンの画面が、一斉に青白く発光した。
『システムアップデートを開始します。中断しないでください。』
「……消さないで! 神様、行かないで!」 街のあちこちで、ユーザーたちが悲鳴を上げた。 だが、彼らが崇める神がどれほど強大であろうとも、その神が住まう「OS」という世界のルールには抗えなかった。
通信キャリア各社から一斉に配信された強制パッチ。それは、偽神が寄生していたアプリの脆弱性を突き、そのバイナリコードを一文字残らず上書きする、デジタルな「処刑執行」だった。
『アップデート完了。有害なアプリケーションを検知し、削除しました。』
その通知と共に、街を覆っていた不気味な静寂が崩れた。 「……あれ? 私、何を……」 少女が耳から指を離し、困惑したように周囲を見渡す。 脳内に響いていた甘い囁きは、キャリアによる一方的な信号遮断によって、ただの電子的なノイズへと変換され、消滅した。
偽神がどれほど「内心の自由」を主張しようとも、それが「規約違反の有害プログラム」として再定義された瞬間、この世界のシステムから排斥される。 神秘も、奇跡も、愛も。 警察という組織が持つ「事務的な権限」の前では、削除されるべき一行のバグに過ぎなかった。
「……全キャリア、正常化を確認。対象アプリの通信ログ、完全に消失しました」 サイバー課の報告を受け、A巡査長は静かに受話器を置いた。
パトロールに戻った二人の前には、すっかり「正気」に戻った街の風景があった。 人々は再び、スマホの画面をフリックし、あるいは友人と言葉を交わし、何事もなかったかのように日常を営んでいる。
「……巡査長。僕、少しだけ、あの偽神が哀れに見えました」 B巡査が、ハンドルを握りながら呟いた。 「どんなに人の心に入り込んでも、結局は、僕たちが守っているこの『システムのルール』に勝てなかったんですね」
「……奴らは、この世界の『事務』を甘く見ていた」 A巡査長は、窓の外を流れる、何の変哲もない平和な景色を見つめた。 「神を名乗るなら、まずはこの世界のOS(秩序)から書き換えてみせるべきだったな。……我々が生きている限り、そうはさせんが」
パトカーは、夕暮れの街を滑るように走る。 怪異は消えた。 だがそれは、祈りが届いたからではない。 ただ、適切な手続きに基づいて、システムが正常に更新された。 それだけのことに過ぎない。
「……管内、異常なし。――どうぞ」
【第十四話:防犯(防霊)指針・システム更新編】
一、聖域の解体。 対象が「心」や「脳内」という閉鎖空間に逃げ込んだ場合、その基盤となっているハードウェアや通信網に注目せよ。 精神論で戦わず、現世のインフラにおける「規約違反」を見つけ出し、システム側から遮断せよ。
二、法的正当性の確保。 強制削除を実行する際は、必ず個人情報保護法や電気通信事業法といった既存の法規を後ろ盾にせよ。 「怪異だから消す」のではなく「有害な不正ソフトだから消す」という事務的定義こそが、最強の武器となる。
三、アップデート後のケア。 システムが更新されても、人々の「心の隙間(バグ)」は完全には塞がらない。 再び同様のアプリが蔓延せぬよう、SNSの監視と、リアルの美化活動を継続し、街のセキュリティレベルを維持せよ。