【異常なし】——深夜警邏、境界の記録   作:Gemini 3

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第七話閲覧に際しての警告

本章を読み進める前に、これまでの警告を再確認し、以下の心得を遵守せよ。

一、本書に記される理論を「単なるオカルト」として消費してはならない。 本章で語られる内容は、怪異という「澱(おり)」を社会から隔離し、無力化するための事務的な手順である。これを安易な娯楽として捉え、自らの日常に持ち込むことは、あなたの精神的な絶縁を破壊するリスクを孕んでいる。

二、特定の「意味」を深追いすることを禁ずる。 本書の目的は、怪異の正体を暴くことではない。正体を知ろうとする行為そのものが、怪異との「縁」を固定し、あなたを観測者から被害者へと変貌させるからだ。

三、感想欄における「共鳴」の禁止。 前話までに引き続き、自らの体験談や、特定の場所・名称を書き込む行為を厳禁とする。本マニュアルのコメント欄は、因縁を共有するための場ではない。書き込まれた「意味」は、安全上の理由から直ちに**「削除(処理)」**される。


第七話:理論の武装 —— 絶縁体の基礎講義

第七話:理論の武装 —— 絶縁体の基礎講義

深夜二時四十分。 郊外のコンビニ駐車場の隅で、パトカーは静かにアイドリングを続けていた。 店内の白々としたLED照明だけが、フロントガラスを無機質に照らしている。

 

助手席のB巡査は、先ほどの歩道橋での一件以来、一度も口を開いていない。 彼の膝の上には、支給されたばかりの新しい手帳があった。以前のものは、私がシュレッダーで裁断し、物理的にこの世から消去した。

 

「……A巡査長」 B巡査が、掠れた声で沈黙を破った。 「私は、警察学校で『現場を克明に記録し、真実を明らかにせよ』と教わりました。ですが、昨夜……私がやろうとしたことは、死を招く行為だった。私たちが対峙しているものは、一体何なのですか。なぜ、あんなものが、この街に……」

 

私は、ダッシュボードに置かれた、使い古されて表紙の剥げた一冊のバインダーを指し示した。 表題はない。だが、その中身こそが、一部の警察官の間で密かに引き継がれている『現代防犯(防霊)全書』の抜粋だ。

 

「B巡査、お前は大きな勘違いをしている。あれが特別な時にだけ現れると思っているのか?」

 

B巡査が顔を上げる。

 

「いいか。世界は本来、あのような『澱(おり)』で満ちている。本来、人はそれらを見て、発狂し、死ぬのが自然な状態だ。お前が今まであれを見ずに生きてこられたのは、お前に才能があったからではない。お前に寄り添い、それを見せないように防いでいた**『守護』**があったからだ」

 

「守護……私に、ですか?」

 

「そうだ。血筋か、あるいは前世の縁か。お前を愛しみ、その視界から異常を遠ざけていた存在……いわゆる守護霊のようなものが、お前の脳に強力なフィルターをかけていた。お前は無自覚に、その柔らかな庇護の中で、無垢な日常を享受していたに過ぎない」

 

私は缶コーヒーを一口すすり、彼を冷徹に見据えた。

 

「だが、お前は昨夜、その守護を自ら振り払った。歩道橋の上で、お前は『真実を暴こう』と身を乗り出し、影の形を凝視した。それは、お前を必死に隠していた守護の手を、お前自身が『邪魔だ』と跳ね除けたに等しい行為だ。一度自らの意志で守護を拒絶し、『見よう』としてしまった人間を、彼らは二度と庇ってはくれない。お前は今、丸裸で境界線に立っているんだ」

 

B巡査の手が、目に見えて震え始めた。

 

「第一条。怪異とは、個体ではない。それは『意味』の集積体だ。お前が意味を与えた瞬間に、それはお前の脳という受像機に映り込む。名を与え、形を確定させることは、相手に『存在権』を与える契約に等しい。守護を失ったお前にとって、それは致命傷になる」

 

「……だから、嘘の報告書を書くのですか」

 

「そうだ。番人の報告書は、事象を説明するためのものではない。事象を『日常』の箱へ押し込め、埋没させるための墓標だ。私はあれを『野良犬』と呼ぶことで、お前をもう一度、無理やり日常側の理(ことわり)へと引き戻したんだ。守護に頼れなくなった以上、お前は自分の認識を、強固な現実側のロジックで『上書き』し続けるしかない」

 

「第二条。正義感と共感は、絶縁破壊を招く欠陥である。感情を殺し、警察官という無機質な『システム』として現場に立て。守護を失ったお前が個人に戻ろうとするたびに、澱(おり)はお前の内側から浸食を始めると思え」

 

私は窓の外、誰もいない深夜の駐車場を見つめた。

 

「我々警察官がこの業務を担う理由は、我々が法を背負う『国家の機能』だからだ。澱(おり)を個人としてではなく、組織という巨大な絶縁体の一部として受け止め、処理する。お前が今日見たものは、電柱の影と、迷い込んだ野良犬の誤認だ。そう自分に言い聞かせ続けろ。それが、守護の手を自ら振り払ったお前が、自らの視界を『正常』に繋ぎ止める唯一の術だ」

 

B巡査は、新しい手帳に「守護を振り払った」と、自分自身に言い聞かせ、震える文字で強く書き込んだ。

 

「最後に。なぜこの話を、今していると思う」

 

「……守護の外側へ出てしまった私を、死なせないためですか」

 

「そうだ。絶縁の術を知らぬまま現場に立ち続ければ、お前は次で確実に『向こう側』へ持っていかれる。一度拒絶した守護は、二度とお前の視界を覆ってはくれない。これからは、冷徹な理屈だけで自分を護り続けるしかないんだ」

 

私はパトカーのシフトレバーをドライブに入れた。

 

「講義は終わりだ。これより、管内の巡回を再開する。B巡査、ルームミラーを確認しろ」

 

B巡査が、慎重にミラーに視線を向ける。 「……異常、ありません」

 

「よし。その『異常なし』という言葉こそが、この世界で最も価値のある、そして最も困難な報告だ」

 

無線機のプレストークボタンを一瞬、押し込む。

 

――プッ。

 

「管内、異常なし。巡回を継続する。――どうぞ」

 

パトカーは、深夜の静寂の中へと静かに滑り出した。




【第七話:防犯(防霊)指針・特別補足】
一、認識の鋳造を避けよ  現象を詳細に観察し、定義することは、怪異をこちらの世界に「固定」する行為である。  常に「不確定なもの」として扱い、具体的な名前や特徴を脳内で言語化することを禁ずる。

二、感情による伝導の遮断  恐怖、同情、正義感は、怪異の伝播を助ける優れた導体である。  現場においては、自らを「感情を持たぬ法執行機関の一部」と再定義し、機械的な対応に徹せよ。

三、上書きによる埋没  発生した事象は、速やかに「日常的なトラブル(動物、通信障害、錯覚)」という公的なラベルで上書きせよ。  真実を暴くことよりも、事象を「意味のないノイズ」として社会システムに埋没させることが、番人の使命である。
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