病室には夕焼けが差し込んでいた。茜色の陽射しは雅さんの黒髪を淡く照らし、赤い瞳が伏せられる。その視線が向くのは、自分自身の掌。
「そこからの少しの間────いや。現実の時間にして〝少し〟という表現は間違っているのかもしれないが。その間の記憶は、私には無い」
妖刀から溢れ出た謎の力。自身の手から離れていく意識。暗闇の中でただ佇む雅さんを、想像する。
「無数の何かを切り伏せた感覚。切り刻んだ感覚。無数の悲鳴と、異形の怪物と化したブリンガーの悲鳴だけは、何となく覚えていてな」
前も後ろもわからない暗闇の中。自身の掌が握ったソレが、何か肉を斬る感覚だけが、そこにはあって。
想像するだけで。思い浮かべるだけで、ゾッとする。私には到底耐え切れないモノだ、と。
「意識が再び戻った時、私は朱鳶の腕の中にいた。周りが見えぬよう、胸の中に顔を抱かれるように。その暖かさに、柔らかさにとても安心したのを覚えている。そして、私は朱鳶に問いを投げた。私は、間違いを犯さなかったか────と」
「────、────」
直接的な表現を避けた問い。朱鳶さんがその真意に気付けないとは思えない。
それでいて、あえてその問いを朱鳶さんに投げかけたということは。何となく、雅さんも現状を理解していたのだろう。
失われた正気。手放した身体の制御権。妖刀と呼ばれる、雅さんの愛刀。
それらが起こした惨状は、現場に居合わせなかった私でも何となく理解ができた。
ひと呼吸の間。視界に映り込む雅さんの身体は小さく震え、ソレを押し流すように大きく息を吸って、吐く。
「私は間違いを犯していない。私は、立派に責務を全うした。それが、朱鳶の回答であった。そこから気絶するように眠ってしまったから、周囲の状況を確認することは叶わなかったが」
「でも、雅さんは────」
「良い」
私の吐き出しかけた言葉を雅さんは短く遮る。視線が私に向く。そこに乗せられた感情の色はイマイチ読めなくて、普段の無表情の向こうに、何かが揺らめいていることだけしかわからない。
雅さんの手がベッドサイドに伸びた。そこに立てかけられていた愛刀に。『無尾』に。その鞘を引っ掴み、彼女は自身の膝の上に乗せると、
「何かを得るには何かを差し出さなければならない。あの地獄をひっくり返すような力となれば、尚のことだ。私は────、」
鞘に触れられていた指先が柄へと滑る。白い、細い指先はそれを握ろうと力が込められて、
「────私は、武器を握るという意思と、『エーテル適正体質』を持っていかれた」
ほんの少し曲がった指先は柄を握り込むことはなく。見えない何かに阻まれたように停止した。
震える指先と掌から、これ以上ないほどに力を込めていることはわかる。それでも指先は曲がってくれず、諦めたように大きなため息が吐き出された。
「無尾に限らず、如何なる刀でも────いや、如何なる武器でも。槍や銃、斧。如何なる武器も私は握ることを許されない。エーテル適正値に限っては、常人以下。正しい意味での『零』になった」
だから『刀を振えなくなった』────と。私は、この前読んだ記事の内容を思い返す。
「・・・・・・この時代、この世界。凡ゆるモノにエーテル資源は使用されている。それこそ、車の燃料などにも使われ始めているな」
「もしかして・・・・・・」
「ああ。街中を漂う微量のエーテル粒子。それですらも、私の身体には毒となる。大凡普通の人間が暮らしていく分には悪影響を与えない、僅かなエーテルですら確実に私の体を蝕んでいくらしい」
「け、けどそれって────私がこの場に居るのは、大丈夫なの? 外から来たのに」
「ああ、問題はない。おまえは呼吸の度に、エーテル粒子を排出するわけではないだろう?」
「いやそうなんだけどもさ・・・・・・」
「街に出られない────病室から出られない、とだけおまえは覚えていてくれれば良い。本当はこうして窓を開け放つのも、あまり良くは無いらしいのだが」
言葉に迷う。奥歯を噛み締める。
だって雅さんは。その事実を、何でも無いことのように言うから。そんなの────、
「そんなの、あんまりじゃない・・・・・・?」
雅さんは何も言葉を返さない。静かに、口を噤んで。ただ真っ直ぐに私の瞳を見つめていた。
「だって、だってさ。雅さんはみんなの為に戦ってたわけでしょ? 誰かを守りたくて戦ってて、ブリンガー────化け物だって倒して。それなのに、そんな・・・・・・」
「私は、罪のない一般人を殺したのかもしれないんだぞ」
「────ッ、」
「・・・・・・ふふ。これは、少し意地が悪かったな」
思わず口籠もる私に、雅さんは笑みを向けながら尚も続ける。
「外に出る自由と、戦う手段。それらを奪われたとしても、私は公には『英雄』とされている。かつてエリー都を襲った災害────『旧都陥落』以来の脅威を払った英雄。それほど、気分は悪くない」
それは、本当に。本当に心の底から、そう思っているのだろうか。
確認したい気持ちが顔を出せど、私は言葉として紡げずに。黙って、俯くしかない。
「・・・・・・それに、おまえを含め私の代わりにそうして感情を露わにしてくれる者が居るんだ。悪いものではない」
「そう、かな」
「そうだ。誰かの代わりにそうして声を大にして叫び、感情を露わにするのはリンの美点に思う。そのままで居て欲しい」
私は────私はただ、気に食わないだけだ。
この世界の仕組みが。この世界の在り方が。
気に食わないと思う。気に入らないと思う。努力をして、前を向いて。ひたすらに進み続けてきた人には、相応の見返りがあっても良いと思う。
自分のためにでは無く、誰かのために進んできたのなら尚のこと。救いがなければ、報われなければ嘘だ。
私の強く握られた拳に、雅さんの掌が添えられる。自然と私の視線は彼女の瞳に向いて、赤い瞳と視線が再びかち合った。
「・・・・・・ありがとう」
静かに、短く告げると、雅さんの掌は私の拳を柔く握る。
私の口は開かれ、閉じて。苦しさに喘ぐような、喉元に何かが引っ掛かる感覚だけあって。何か言葉を返すことを諦めた。
「もう日が暮れてしまう。あまり長く引き留めてもいけないな」
「いや、その。私は好きで来てるだけだからさ」
「ふふ、そう言うな。おまえもこの手の話を聞くと気疲れするタイプだろう。顔に出ている。・・・・・・また、借りが出来てしまったな」
私はただ、話を聞いていただけなのに。借りだなんて、そんな。
雅さんが頑張らなければ、この街はもっと酷いことになっていたかもしれない。私たちの暮らしですら奪われたかもしれないのに。
借りの大きさで言えば、私たちの方が────。
◇◆◇
「ここ最近、私定期的にモヤモヤしてる気がする・・・・・・」
ここ最近、と言うよりは外に出るようになってから、か。まあでも、プロキシとして復帰してから友好関係が広がっていってるし。周りに人が増えれば、それだけ抱えている問題に触れることも増える。仕方のないこと、と言われてしまえば、それはそうなんだけどさ。
雅さんとは押し問答の末・・・・・・あまり無理させるのも良くない、という思考が過って、私は泣く泣く病室を出た。
そもそも私は、あれ以上病室に居座った所で雅さんにかける言葉を持ち合わせていない。
仕方のないことだと理解はしてる。どうしようもないことだとも理解してる。どうにかできるなら、とっくにお医者さんや研究者がどうにかしてるだろうし。
「とはいえ、ね」
理解と納得はまた別の話。誰に聞かせるわけでも無い独り言を呟いた後で、ずぞぞ、と音を立てて手に持ったティーミルクをストローで吸う。口の中に広がる甘みが、ほんの少しモヤモヤを払拭してくれた気がした。
・・・・・・これだから世の中の女の子はダイエットに苦労するんだろうな。
なんてぼんやりとした思考を繰り返しているうちに、Random Playに辿り着く。扉を開けばカランカラン、とベルの音が鳴り響いて。カウンターの
「ただいま、18号ちゃん! 良い子にして────」
『
緩く手を振り、18号ちゃんに声をかけたのと同時。店内にもうひとり、人影が居ることに気がつく。
危ない。咄嗟に気が付かなければ私が普段イアスたちにしてるダル絡み────大凡、お兄ちゃん以外にはとても見せられないそれ────をお客さんに披露してしまうところだった。危ない。本当に危ない。
手に持ったティーミルクをカウンターに置いて、店内のもうひとりのその子に近づく。プロキシとしてではなく、久々のRandom Playの店長としての接客だ。気合いを入れなければ。
「いらっしゃいませ〜、お客さん! 何かお探しですか?」
「え? あ、やー・・・・・・別に何か探してるってわけじゃ無いんだ、けど────」
振り返るお客さん。何気なく応えたその言葉が止まり、私の顔を見るなり固まる。
ついでに私の笑顔も、ピキッ、と音が聞こえる勢いで固まった。
見覚えがある相手。厳密に言えば、私は知らないけれど知っている顔。
黒い髪に赤色のインナーカラー。気怠げに、眠たげに細められた瞳と、薄く開いた唇から覗く、咥えっぱなしの棒キャンディとギザギザの白い歯。
それから、腰に揺れたサメの尾。
私の中に、
「・・・・・・あんた、あの時の」
「や、や〜・・・・・・あはは。久しぶり。元気そうで何よりだよ〜」
「それはこっちのセリフなんだけど」
怪訝に細められた瞳が私に向けられる。口の中で飴が転がされる音がして、その子は続けて口を開いた。
「何気に心配してたんだよ。顔真っ青にして逃げちゃうしさ」
「その節は大変ご迷惑を・・・・・・」
「今にも死んじゃいそうな顔、というか、あんたあの時────」
言い掛けられた言葉が止まった。気まずげに視線が泳ぎ、「あー」だの「うー」だの言ってるその子を、私は首を傾げながら見つめていることしか出来ない。
「や、良いや。その辺指摘するのはあたしのキャラじゃないし。・・・・・・名前」
「うん?」
「あんた、名前。あたしの名前一方的に知ってるのはどうなの? 教えてよ」
いやまあ、正確に言えば私も知ってるわけじゃ無いんだけど。ど!!
・・・・・・確か、エレンって呼んでたっけ。うん。あってるはず。
「私はリン。このビデオ屋────Random Playの店長。と言っても、私だけじゃなくてお兄ちゃんと二人で店長をやってるんだ」
「そ。リンね。覚えとく。ポイントカードとか無いの? 契約したいんだけど」
「え、良いの? ありがとう〜! すっごくありがたいよ!!」
思わず大はしゃぎで、いそいそとカウンターへ駆け寄り書類を取り出す。
「何かビデオ借りてく?」
「今日は良いや。また借りに来るから、その時までにオススメ幾つか見繕っといて」
「? 別に良いけど、どうしてそんな────」
書類にペンを走らせ、私が記入する欄を埋めていく。
ひと通り埋め終わったところで顔をあげれば、何か言いたげなエレンと目が合った。
しばらくの沈黙。伏せられた瞳が泳ぎ、口の中で飴が噛み砕かれる音がする。取り残された棒を口元から抜いて、新しい飴の封を開けながら、
「・・・・・・何かさ、放っておけないんだよね。あんたのこと。あんなの見せられたら、しょうがないと思うんだけど。だから、さ。なんかあったら聞かせてよ。話くらいは聞くし」
「べ、別に聞かせるほどの話なんて────」
「嘘。今も何か悩んでるでしょ」
「んぐ、」
言い掛けた私の言葉は、最後まで紡がれることはなく。突然口に捩じ込まれた棒キャンディに押し殺される。・・・・・・美味しい。いちご味だ。
「別に無理に聞かせろ、とは言わないけどさ。あんなになる前に、誰かしらに相談した方が良いよ。まあ、その相手があたしじゃなくても良いし」
正直、正直な話。私は────あちら側の私が身体に入る前のことは、覚えていることの方が少ない。
私がプロキシを辞めることになったキッカケ。引きこもるようになったあの日のことは、決して忘れることはないけれど。
誰かと数回何かを話した気がする。どんな感情で生きて、どんな感情を、どんな思いを抱いたのか。
思い出そうとすれば深い靄や霧が邪魔をするようで、引き出そうとした記憶が霧散していく。暗い闇に包まれた道を、どれだけ進めばゴールに辿り着けるのか────それすらもわからず、前を見ることもなく。ただただぼんやりと歩いていた感覚が頭の片隅に残っているだけ。
けれど、この子にこんな顔をさせてしまうのだから。私はあの時、相当酷い顔をしていたのだろう。
「ふふ、ありがとう。じゃあ、その時はそうさせてもらうね」
喉元まで出かけた『ごめんね』の言葉を飲み込んで、私は礼を交えながらエレンの頭を優しく撫でる。
そんなこんなで、Random Play営業再開以来、初めての会員を私は獲得したのだった。