何と無く眠れず身を捩らせ、手に取ったスマートフォンが指していた時刻は午前三時。
ヒカリくんの依頼を終えて、巴さんたちを十二分街に送って。Random Playに帰ってきたのが二時ごろだから、かれこれ一時間近くは布団の中でうだうだとやっていたことになる。
「んー・・・・・・自販機で何か、飲み物でも買ってこようかな」
眠れない時は無理に眠ろうとするモノではない。ため息混じりに自室を出て、階段を下っていく。
結局押し問答の末、ハリンは工房のソファで眠ることに。私たちパエトーンは、いつも通り自分の部屋で眠ることになった。
ソレはソレで私たちが申し訳ないんだけど。明日来客者様の布団でも買いに行こうかな。ハリンには私の部屋で寝てもらう形で。
とかなんとか考えながら、一階の受付カウンターに差し掛かり。何と無く目を向けた工房の扉を、これまた何と無く開ける。
・・・・・・いや、何と無くじゃないな。ちょっと心配だったというか。お客さんが眠れてるか、とか。ついつい考えちゃうと言いますか。
「・・・・・・眠れないの?」
「────? ええ。少しね」
「お気に入りの枕とかぬいぐるみ、タオルケットがないと眠れない・・・・・・ってタイプではないよね。あの公園のベンチに、寝袋敷いて寝るくらいだもん」
ほんの少し揶揄いの色を乗せて放った言葉に、ハリンはムッとすることすらなく。ソファの側まで歩み寄った私を見れば、ほんの少し横にズレてスペースを空けてくれた。
「眠れてないの、ずっとじゃない? 目の下のクマすごいよ」
「しばらくこうしていれば、気がつけば意識が落ちているから。一切眠れていない、というわけではない」
「それを世の中は睡眠ではなく、気絶と呼びます。はあ・・・・・・」
ホンット、放っておけないな。この子は。
徐に伸ばした手でハリンの頭を柔く掴んで抱き寄せ、そのまま頭を私の腿に乗せる。所謂、膝枕というヤツである。
「・・・・・・?」
「人の温度って、眠れない時に案外落ち着くモノだよ。私もなんだか眠れなくてさ、眠れるまで話に付き合ってよ」
「・・・・・・そう。貴女が、そう言うなら」
特に抵抗されることはない。されるがままなモノだから、その白い髪を指で梳くように撫でてやる。
「この髪、自分で切ったでしょ。ケアも大してしてないし」
「気を使う時間も無いから。自分で切るのが一番早いし、合理的」
「も〜・・・・・・明日は私のリンスとシャンプー、あとヘアオイル使ってね。使わないようなら私も一緒にお風呂入るから」
「・・・・・・随分と可愛らしい脅しね? わかったわ。指示には従う」
ハリンの気持ちはわからないでもない。かつて────お兄ちゃんを失って、プロキシを辞めてからの私もそうだった。
あくまで想像の域を出ないけれど。合理的、非合理的ではなく────自分のこと、身だしなみに気を使う気力が無くて。その上、自分に付随する何かを誰かに任せるのが申し訳ない。
自分のために動くのが億劫で、やりたくなくて。誰かに指示されるまま身体を動かした方が気が楽なんだ。少なくとも、私はそうだった。
今のハリンを見ていると、昔の自分を見てるみたい。
だから放っておけないという気持ちが顔を出して、お節介を焼くのだろう。
「・・・・・・リン?」
撫でる手が止まっていた。思わず歪んだ唇。ソレらをハリンが横目で見上げて問いかけてくるものだから、私は急いで笑顔を取り繕った。
「んーん、なんでもない」
ほんの少しの沈黙がある。工房には私がハリンの髪を梳く小さな音と、H.D.Dの冷却ファンが奏る、唸るような電子音だけが響いていた。
「あのさ、聞いてもいいかわからないん、だけど」
そんな沈黙が気まずかったわけではないが。浮かんだ疑問を舌の上で転がしていると、再びハリンの視線が私に向く。
「何でハリンがそんなになっちゃったのか────とか、聞いても良い? もしかしてだけどさ。ヒカリくんへの回答も関係したりしてる、のかな」
『・・・・・・私に意見を求めたところで貴女のような立派な話は出てこない。巴や輝夜の方が、それらしい話が聞けると思うわ』
あの時言い放ったあの言葉。あの時の声音はいつもに比べて酷く冷たく、それでいて。自分を貶すような色が、言葉には乗っていたから。
とはいえ、
「ま〜私だけがハリンの話を聞くのは申し訳ないよね。私の話と、等価交換ってことで」
この子になら話してもいいか、と。何と無く思う。
ハリンは私の言葉に何も応えない。けれどその沈黙を、私は肯定と受け取った。
「私の生きる意味。私の生きる理由────いや、
「ええ。旧都陥落を起こした張本人と聞いてるわ」
迷わず返ってきた応え。嘘偽りのない、何のオブラートにも包まれていない正直な言葉。ぶつけられた印象に、胸が締め付けられるような感覚がある。
「・・・・・・その人、ね。私たちを育ててくれた人なんだ」
「それは────ごめんなさい」
「良いんだよ。ハリンが抱く印象は、今の世界の共通認識。仕方のないことだって理解はしてるから」
まあ、わかっていても辛いものは辛い。が、それはそれだ。慣れた、という気持ちもあるし。
各地で悪魔の子と蔑まれた。
石を投げられたこともあった。心無い言葉を浴びせられたこともあった。冷たい眼差しで目で見られるのももう慣れた。
「カローレ────先生はね。とっても優しい人だった。お母さんみたいな人だった。それはお兄ちゃんの中でも私の中でも、共通した認識」
優しく抱きしめてくれた感覚を今でも覚えている。暖かな、名前を呼んでくれる声音を今でも思い出せる。
だからこそ。
「だからこそ、世間で言われているような極悪人じゃないと思ってるんだ。旧都陥落の一件は濡れ衣で・・・・・・本当に〝そう〟だったとしても、何か訳があったと。そう思ってる。そう・・・・・・信じたい」
きっと何か訳があったはずだ。きっと濡れ衣なんだ。そう訴えかける私たちの言葉は、今は世間に届きやしない。少人数の小さな声は、より大きな多くの声にかき消される。それはこの世の常だと理解している。
だからこそ、何か決定的な手がかりというメガホンや拡声器を手に入れて。声を大きくするしかない。
「今も何処かで生きているはず。零号ホロウの奥地────ヘーリオス研究所に、何か手がかりが眠っているはず。私たちは先生の無実を証明したいし、また先生に会いたいって思ってる。今はこうして、別の依頼にかかりきりになっちゃってるけどね。いつか零号ホロウを探索する時の仲間を募ってると思えば、まあ」
悪い気はしない。遠回りであれど、目的地には近づいている感覚があるから。
「これで、私の話はおしまい」
湿った空気を払うために、パン、と両手を叩く。ソレを聞いたハリンは目を瞑って、
「じゃあ────次は私の番、かしら」
ゆっくり、ゆっくりと。言葉を選ぶように、口を開く。
「私は貴女たちとは反対に────文句を言いたい人が居た。どうして、と問いたい相手が居た」
「・・・・・・過去形なの?」
「そうね。いつか、いつかと先送りにしていたら・・・・・・気づけば会えなくなってしまっていたから」
「────、────」
気づけば会えなくなっていた。そう語るハリンの横顔に、アンビーの最後の記憶がチラついて。思わず奥歯を噛み締める。
「これは私の怠惰。気づけば私は居場所まで無くして────何者でもない、ただのハリンになってしまっていた。私だけしかできない、ではなく。誰でも良いような依頼を熟し、日々を無駄に消費していく。人生に付属する『意味』もないまま」
「・・・・・・、・・・・・・」
「私は恨む相手も失った。・・・・・・聞きたかった話も聞けず、言いたかった文句も言えない。ただただ虚無が広がるだけ。胸の内側に僅かに燻る消えかけの炎へ、任務という名の薪を焚べて生き存えているに過ぎないわ。今の私は生きている、のではなく。死んでないだけ」
────この子が、
「・・・・・・まあ、私にしかできないことが見つかったから、今は少し気分がマシよ。いつか、貴女のことも────、」
この子が、こんな顔をしてしまっているのは、私のせいなのではないか。そんな疑惑が顔を出す。
それを、確かめるために。
「あのね、ハリン。私────」
言い掛けた言葉が止まる。私の腿の上でハリンは穏やかに目を瞑り、寝息を立てているものだから。私は、罪の吐露の機会を失った。
時間は進む。夜は更けて行く。
気づけば私も、眠りの海へと落ちていた。
◇◆◇
リンさんたちがホロウを出ていってすぐ。おれがシオリに連れられてやってきたのは、ホロウの中の小さな森だった。
木々には何かがぶつかったような破壊痕が見て取れて。少し進めば、元々何かの建物だったであろう瓦礫の山が見える。
「────、────」
「シオリ?!」
ソレを見るなり、体の力が抜けたように地面にへたり込む。薄く開いた唇は震え、吐き出す呼吸は弱々しくて。落ち着けようと背中を摩る手を、シオリは片手で制止した。
「・・・・・・ここには、ね。私の両親を入れた牢屋が・・・・・・そこに続く、階段があったの」
積み上がった瓦礫と、丁度何かが飛び出してきたかのような大穴。その穴のサイズ感を、おれは知っている。
最悪の予感がある。嫌な想像が脳裏を過ぎる。
特殊な変異エーテリアス。ハリンさんが斬り、破壊した二つの横並びのコア。
「地下に生命反応はない。何と無く、わかる。このホロウは私の場所だから」
「シオリ、」
「死んで欲しいと思ってた。死んで当然だと思ってた。ずっと、ずっと憎くて仕方なくて・・・・・・でも、せっかく向き合う覚悟ができたのに」
「シオリ!!」
おれの言葉にシオリは何も応えない。震える声音で、震える身体で。真っ白く変色する程に強く掌を握りしめながら、ただ瓦礫の山を見つめている。
「────私、薄情だね、ヒカリ。親が死んだのに、涙のひとつも出ないなんてさ」
堪らなくなって。思わず、シオリの身体を抱きしめる。
「私、いつか自由になりたいとは思ってたけど────こんな形だとは、思ってなかったなあ・・・・・・」
耳元で囁かれた、シオリのその弱々しい言葉で。
胸が痛くて痛くて、仕方なかった。