P.ZZZ 虚満ちる、壊れた世界。   作:悠問追

29 / 31
Chapter1 『あれから』

 

 今でも覚えている。

 

『あ、ああ────』

 

 今でも、覚えている。

 

『イヴ、イヴ────!』

 

 鼻腔をくすぐるのは砂けむりと何かが燃え、朽ちていった香り。鼓膜を揺さぶるのは幾つも重なった啜るような泣き声と、守るべき相手────守るべき相手だった彼女の悲鳴。

『どうして、どうして・・・・・・』

 重たい瞼を開けば、積み重なった瓦礫と燃え盛る炎。涙と鼻水でメイクを崩すまでに、ぐちゃぐちゃになった彼女の・・・・・・お嬢様の顔が、見える。

 徐に手を伸ばし、指の腹で頰についた煤を拭い取る。そんなに泣いてしまっては美人が台無しだぞ、だとか。そんな顔をファンに見せるわけにはいかないだろ、だとか。浮かんだ軽口が喉に引っかかった何かに堰き止められて、代わりに出るのはひどく濁った咳だけだった。

 痛みがある。潰された感覚がある。視線を向けなくとも、自分の右脚がどうなっているのか理解できた。

 

 だから私は、目の前の彼女を泣き止ませることに努めていた。

 

 頬を撫で、笑みを浮かべて。酷く背中を打ったらしく、上手くできない呼吸を整えながら。

 

 ────大丈夫、大丈夫だ、アストラ。

 

 言葉にできずとも。口だけの動きで伝わっただろうか。不安が表情に出てしまったのか、私の言葉が理解できたのかはわからないが。彼女は必死に首を横に振り、私の首に腕を回して、縋るように抱きしめてくる。

 少し苦しい。が、悪くない気分だった。

『私の・・・・・・私の、せいで』

『ご、ほ・・・・・・違う。貴女のせいでは、ないよ』

 彼女に向けられた悪意も。今こうして生み出されてしまった地獄のような光景も、決して彼女のせいでは無い。

 責任はない。罪はない。だというのに自分を責めるような声音は普段の鈴のような音色とは程遠く。酷く怯え、震えたその声音は。弱々しく、消えてしまいそうだった。

 

 ────あれから、そろそろ一年の月日が経とうとしている。

 

 あの一件以来、お嬢様は歌わなくなった。

 いや、歌えなくなった────と表現するのが正しいか。楽しそうに笑みを浮かべて、軽やかに歌っていた昔に比べて。彼女が歌を口遊む際、苦しい表情を浮かべるようになった。

 そんな顔をファンに見せるわけにはいかない、と思っているのかもしれない。部屋に篭って、静かに過ごすことが多くなってしまって。

 彼女の背中を痛々しいと思うことはある。労しいと思うことはある。けれど、『もう一度歌おう』と背中を押すことは出来なくて。私も私で、部屋に引き篭もるお嬢様に付き合う他なかった。

 

 過去に思考と意識を飛ばす私を、震えるスマートフォンが現実に引き戻す。

 

 画面に目をやれば、珍しい相手からの着信。窓の外を眺めるお嬢様の背中を一瞥した後で、部屋を出て端末を操作し、耳に当てた。

『一年ぶりくらいかな。久しぶり、イヴリン』

「ああ、もうそれくらいになるのか。久しいな、レイン。・・・・・・個人アカウントで連絡してくるのは珍しいな」

 電話口に聞こえてくるのはかつての仕事仲間。ハッカー────今は情報屋も兼ねていたんだったか。

 久々に聞いた声は相変わらず元気そうで、密かに胸を撫で下ろす。

『〝右脚〟の調子はどう? 全然メンテに来てくれないってグレースさんも嘆いてたよ』

「ああ、それは────すまない。近いうちに顔を出すと伝えておいてくれ。ここの所はお嬢様・・・・・・アストラにかかり切りでな」

 別に嘘は言っていない。今のお嬢様から、長時間目を離すことは憚られたから。日用品の買い出し以外は、あまり彼女の住処から外に出られずにいた。

 言ってから、無言でレインに話の続きを促す。それに対し彼女は小さくため息を吐いて、

『この電話が終わったら確認して欲しいんだけどさ。キミの所に、ライブの仕事のメールが届いてると思うんだ』

「・・・・・・ほう?」

 久々にかけてきた電話。ともなれば私への仕事の依頼かと思っていたのだが、予想は外れたらしい。いや、それならこの個人用の回線は使わないか。

『そのメールの送り主、私の友達なんだよね。良ければ受けてくれない? ・・・・・・ほら、彼女が人前で歌わなくなって、そろそろ一年が経つでしょ。もう良い頃合いじゃないかな、ってさ。まあ、貴女が一番よくわかってるとは思うけど』

 思わず口籠もる。確かに、それは私が一番自覚していた。

 

 ────そろそろ、アストラも前を向いて歩き出さなければいけない。

 

 彼女に向けられた悪意。痛ましい事故。俯いて足を止めてしまう気持ちはわかるけれど、それでもいつまでも蹲っているわけにもいかない。

 彼女はいつまでも部屋の中に閉じ込められていて良い存在じゃない。

 

 虫籠の中で羽ばたき、光に引き寄せられるだけの()とは違って。

 

『それにね。貴女のところのお嬢様程じゃないけど、私の友達の歌も結構良いものでさ。前を向かせてくれる、というか────背中を押してくれる力強さがあるから。良い刺激にもなると思うよ』

「────わかった。ありがとう。だがその友人には『オファーはもっと日付に余裕を持ってするように』と言ってくれ」

 言って、通話を切る。メールを確認しながら扉を開いて部屋に入り直せば、お嬢様の視線が私に向いた。

「・・・・・・仕事の電話?」

「ああ。少し、な」

 言葉を選ぶための間。どう伝えるべきか、と迷うように舌の上で浮かんだ言葉を転がす。けれど、お嬢様が口を開く方が早かった。

「世界、滅びなかったわね」

「それは・・・・・・最近インターノットで騒がれていたアレか?」

「そう。かつての私ならね、多分・・・・・・こんな時だからこそ、みんなに歌を届けなくっちゃって思ってた。ライブ配信でも何でもいいから、みんなを元気づけなくっちゃ、って」

 この数日。お嬢様は私の作った食事を摂っているか、スマートフォンの画面を眺めているだけだった。

 部屋の隅に置かれたマイク型の杖にも。ここ最近、一切触れられていない。

「変わっちゃったなあ、私。・・・・・・何となく、ぼんやりだけど。そう思って」

「────、────」

 あの一件は、彼女の気持ちを変えるのには十分過ぎたのだろう。

 でも、だからこそ────、

 

「そう思うなら、お嬢様。今回の仕事は受けるべきだ」

 

 ◇◆◇

 

 暇を持て余していた。有体に言えば。

 カウンターに突っ伏し、隣に立つ18号(とわ)ちゃんの頰をこねくり回して。だる絡みで返ってくる反応に頰を緩ませながら、この何でもない時間を浪費していく。

ンナ()ワタンナンナ(どうしたの)・・・・・・』

「えー? いや、ここ最近忙しくて18号ちゃんにも構えてなかったな〜って思って」

『ンナァ〜』

 

 パエトーン(私たち)がプロキシに復帰してから、十二分街のホロウやら世界滅亡の危機やら、正直色々忙しなかった。

 

 だからこの日々の温度差や落差に少し風邪をひきそうになる。いや、贅沢な悩みだなあとは思わないでもないけどね。こうしてのんびりするのも大切だとは思うけど。

 休む時は休む。働く時は働く。プロキシに限らず、人間に於いて大事なことなのです。

「まあ、また少しモヤモヤしてるしねえ・・・・・・」

ンナンナ(もやもや)?』

「そう、モヤっとしてるんだよ〜」

 なんて私たちの間の抜けた会話。今どこでどうしているのかもわからないシオリちゃんとヒカリくんを思い浮かべたところで、カランカラン、と店のドアが開いた。

「あ、いらっしゃいま────」

「道案内までしてもらってしまってすまない・・・・・・」

「良いんだよ、どのみち帰るところだったからね」

 入店してくるのは二人の影。片方はよく見慣れた者────お兄ちゃんで、もう片方も見覚えはある。

 白い髪の毛に、同色の獣耳。真の通った、真っ直ぐそうな青い瞳。雅さんの病室で、あの日に見た二人の内のひとり。

 今日は青い皮のジャンパー、それから黒いパーカーとジーンズに身を包んでいて、あの日に見た格好とは違って『オフの日』感があるけど。間違いは無いはず。

「ああ良かった、リンさん。待たせて申し訳ない。その・・・・・・道に迷ってしまって」

「えっ、ああ。ううん!」

 ああそっか、確か朱鳶さんが私に会いたい人がいるって言ってたっけ・・・・・・そっか、今日か。あはは〜・・・・・・忘れてたな。失敬失敬。

「まあちょこーっとだけ退屈してたけど。全然大丈夫だよ〜! えっとー・・・・・・」

「・・・・・・? ああ、そうか。まだ名乗ってなかったな。オレはセス・ローウェル。どうぞセス、と呼んでくれ」

「じゃあセス、で。私も呼び捨てで良いよ」

「そういうわけには・・・・・・じゃあ班長と同じように、リンちゃんで」

 なんて言いながら、顔を少し赤らめるお兄さん────改め、セス。思いの外可愛らしい人なのかもしれない。

「お兄ちゃんもおかえり。義手のメンテナンス、どうだった? グレースさん元気にしてた?」

「────え? ああ、うん。元気そうだったよ。ただいま」

 ・・・・・・? なんかヤケに歯切れが悪いな。いや良いか、一旦。そこを突いたら長くなるだろうし。

 なんて短く挨拶を交わした後で。私は再び、セスに話の水を向ける。

「にしても、私に用があるってのがセスだったとはねえ〜・・・・・・どうかした? 映画でも借りていく?」

「え、ああいや。それもそれで魅力的ではあるんだが・・・・・・言っただろ、いつか改めて礼がしたい、と」

 あ〜・・・・・・言ってた。言ってましたな、そんなことも。色々あって失念していたけど。

 

「というわけで、飯を食いに行こう! 良ければお兄さんの方もどうだ?」

 

 ◇◆◇

 

「そうか、それで二人でビデオ屋を・・・・・・大変だったんだな、アキラくんもリンちゃんも」

 と、そんなこんなで場所は変わってルミナスクエア。私たちは火鍋を突いて、他愛のない身の上話に花を咲かせていた。

 何かの縁だから、と仲を深めるために私たちの境遇の話をして。・・・・・・ああ、一応私たちがプロキシだってことと、へーリオス研究所のことは伏せて。朱鳶さんが私たちのことを、何処までどの人にしているかはわからないし。

「まあ、大変ではあったけれど。喉元過ぎれば、というヤツだよ」

「苦労してる人間はだいたいそう言うんだよ。・・・・・・アキラくん、オレの肉をやろう。食べてくれ」

「いや気を使わずとも良いのに・・・・・・」

「気を使ってるわけじゃない。いやその・・・・・・オレにも兄がいてな。キミのその在り方は、オレの良く知る兄とかけ離れていて。爪の垢を煎じて飲ませたいというか、是非そのままで居てほしいというか────」

「へえ、セスもお兄ちゃんがいるんだ?」

 意外ではない。何となく、セスは私と同じ香り────上の姉兄が居る雰囲気を感じていたから。むしろ納得の意思が強かった。

「ああ、とんでもなく堅物で・・・・・・仕事のことばかり考えてて。家族の時間を取ろうとしない。しかもいつも偉そうなんだ」

「ああ〜うんうんわかるわかる! お兄ちゃんも割とそんな感じ!」

「リン・・・・・・??」

 私に内緒で無茶するし。私に隠し事するし。義手の機能のこと問い詰めた時も、ギリギリまで話そうとしなかったし。

 事後報告ってのが気に入らないよね! お兄ちゃんの身体のことなんだから、ちゃんと相談して欲しかったな〜本当に。なんて冷たい視線を横目に送ったら、気まずそうにお兄ちゃんの目が泳いで逃げていった。はは。良い気味だ。

「・・・・・・そうか、二人は仲がいいんだな」

「んえ? セスとお兄さんは仲良くないの?」

 私の問いを受けて、セスが箸を置いて。両手を組み、目を強く瞑り、ウンウンと唸るだけの時間が少し続いた。私はとりあえず、ココナッツジュースで喉を潤しておく。美味しい。

「────よくわからない、が本音だ」

「よくわからない、か。自分の兄のことなのに、かい?」

「ああ。正直な所、家族という認識も希薄なんだ」

 そう呟くセスは閉じていた片目を開いて。ぼんやりとした声音で、言葉を続ける。

「兄は常にオレの先を歩いていて。常にオレは、あの人の背中しか見えていない。たまに帰ってきても交わす会話は極小数で────解り合うだけの会話を、兄弟(オレたち)で交わしていないのだろう」

「あーわかるわかる。お兄ちゃんもたまにそんな感じ」

「リン・・・・・・???」

「よくないぞ、アキラくん」

「セス・・・・・・???」

 まあ。まあまあ。お兄ちゃんを虐めるのはこれくらいにしておこう。

「んー・・・・・・まあお兄ちゃんの処遇は一旦横に置いといて。それなら、次の休日に家族みんなで映画を見てみるとか、どう?」

「映画か?」

「そう。何かをみんなで見てる間は嫌でも同じ部屋に居なきゃいけないし。見終わった後で、みんなで感想会とかすれば、そこから会話が弾むかもしれないでしょ?」

 うん、我ながら名案。ウチのレパートリーにはいくつか家族ものもあった気がするし。その辺を見れば、堅物のお兄さんも考えを改めたりするかもしれないし。

「そう・・・・・・だな。じゃあ二人のおすすめを、幾つか見繕っておいてくれ。次の休日に、みんなで見ることにするよ」

「・・・・・・? ん、わかった。いつでも良いからね!」

 次の休日、なんて呟いたセスの表情は少し浮かないものだったが。指摘する前に、その顔にはすぐに笑みが浮かぶ。具材がカラになった鍋と、私たちの茶碗をひと通り見回した後で、

「よし。じゃあ会計して出ようか。改めて、あの時はありがとう。リンちゃん」

「え、いやいや全然良いって。私は言いたいこと言っただけだし・・・・・・」

「それでも助けられたんだよ。あの時から、朱鳶班長の表情は見違えたからな」

 照れ臭さを隠しきれずに席を立つ私。隣を歩くお兄ちゃんと「いったい何をしたんだい?」「内緒」なんて小声で会話を交わしていると。何やら、レジの前で店員と揉めている子が視界に映り込んだ。

「え、ええ〜・・・・・・これもダメっスか?」

「・・・・・・そうですね。残高不足、と弾かれてしまって」

「ンぁ〜! ライブの準備で残高使い切ったんでした・・・・・・どど、どどうしましょう・・・・・・」

 ヤケに通る声。レジの前で項垂れるその声の主は、ギターケースを背負った女の子だった。赤い目を長距離水泳選手よろしく泳がせながら、特徴的なこれまた赤いツノの辺りを掻きむしって。グレーの腰元辺りまで伸ばした長髪をゆらゆらと揺らしながら、濁点の入り混じった唸りをあげている。

「店員さん、そこの子の分も一緒に払いたい。会計を一緒には出来ないか?」

 そこで歩み寄ったのは流石治安官というべきか。颯爽とレジの前に割り込んだセスは、スマートフォンのバーコードを見せながらそう言った。

 信じられないものを見た。それと同時に、この上ない救いを見た────そんな色を乗せた視線で件の女の子はセスを見上げ、

 

「神────神がいる! 神が、ここに居るっスよォ〜!! 是非、是非お名前を────!!」

 

 先程まであげていた悲鳴なんかと比べものにならないくらいに。クソデカい喜びの声をあげて、店中の視線が私たちに突き刺さり。ほんの少し恥ずかしい思いをしたのは、また別のお話。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。